「ああ、また落ちてる」
ジョミーは机から転がり落ちた本や小物を拾い上げて溜息をついた。
アルテメシアを出立してから数年。
時折、地球の軍に見つかっては戦闘になる。
大抵はジョミーのサイオンによる防御や、皆の努力もあって上手く振り切ることができるのだが、それでも常に衝撃まで完全に防ぎ切れるものではない。
そうして、敵の攻撃の衝撃を船が受けると、こうやって戦闘後にそこかしこで落下している物と出くわすのだ。
戦闘時に船外に出ていたり、ブリッジで戦闘指揮を取っているジョミーにとってはすでに落ちた物を見つけるだけだが、船内にいる、特に子供たちが落下してくる物で怪我をしないかと、散乱した物を拾いながらいつも気になる。
『そうですね。ヒルマン教授や保育士たちが気を配ってはいるかと思いますが、戦闘に入るときに必ずしも子供たちが安全な場所にいるとは限りませんし』
ジョミーが拾い上げた本を受け取りながら、リオも愁いた溜息をついた。
「だからって本当にたまにしかない戦闘に備えて、いつも子供たちの行動を制限するわけにも行かないからね。結局、ぼくら大人が頑張るしかないんだけど」
「ソルジャー・シン。各セクションから報告が上がりました。負傷者、損壊、いずれもなしとのことです」
ジョミーはその報告にほっと息をついて頷いた。
「そうか、よかった。それでは三十分後まで索敵班には第二級警戒態勢のままでいるように通達してくれ。それ以外のセクションは通常業務に戻ってもらって構わない」
そう言い置くと、いつものようにリオを連れてブリッジを後にした。
戦闘後、その事後処理が粗方終わるとジョミーは大抵こうして船内を見て回る。先に思念で伝わっているとは思うけれど、皆を出来るだけ早くリラックスさせるために、ジョミーがブリッジに詰めていなくても大丈夫だということを見せて回るのだ。
辿るコースはそのときどきでまちまちだが、最終ゴールが青の間であることだけは決まっている。ブルーはわざわざジョミーが顔を見せて安心させなくても、戦闘で動揺したりはしない。それに、最後に回ればそこでしばらく過ごすことができるからだ。最初や途中で青の間へ行けば、次のところへ移動しなくてはならない。
「それにしても、今日も怪我人が出なくてよかった。戦闘中はそれどころじゃないとわかっていても、船が揺れると気になってさ。ソルジャーの部屋くらい、物がなかったら落下物の心配はないんだけどな」
『青の間くらい、ですか……』
リオの微妙な様子に、ジョミーは首を傾げて振り返る。
「なにかおかしなこと言った?だってあそこはベッドくらいしか物がないし、あの揺れくらいでベッドが壊れるわけもないし」
『ええ……落下や倒壊の危険はありませんね……』
「落下の危険はなくても、別の危険はあるの?」
『いいえ、危険は何も』
「危険でないなら何かあるの?」
どうにも歯切れが悪い。奥歯に物が引っ掛かったような物言いに、ジョミーは眉をひそめた。
「決めた」
踵に体重をかけてくるりと方向転換したジョミーに、斜め後ろに従っていたリオは慌てて足を止めて、逆方向へ歩き出したジョミーを追う。
『ソルジャー?決めたとは?』
「予定を変更して今日はブルーのところから行ってみる」
『それは……おやめになった方が』
「なんで?」
リオが言葉を濁した理由は、青の間についたときに納得した。
「キャプテン。なにその格好」
青の間へ踏み込んだジョミーの目に、上着を脱いでアンダーシャツを肘まで捲くったハーレイが、モップを片手に床を拭いている姿が飛び込んできたからだ。
「ソ、ソルジャー……どうして」
「ジョミー?今日は随分と早かったね」
入り口の付近でモップを構えるハーレイの背後から、ブルーの元気な声が聞こえた。最近は調子がいいとは言っていたけれど、戦闘の影響もなかったようでほっとする。
「ええ、今日は最初に来てみたから……」
ハーレイの脇から部屋を覗き込んで、ジョミーは思わず口を閉ざした。後ろでリオが苦笑している。
ほのかな明かりの部屋はいつもの静寂さとは打って変わって随分と様変わりをしていた。
通路を渡った先、部屋の中央にベッドがあって、そこに部屋の住人たるブルーの姿があることに違いはない。
ただ、そこへ至るまでの通路が水浸しになっていた。
まるで雨上がりの道のようで、いつもの厳かな雰囲気などどこへやら。
「な、何があったの……?」
「特に、何も。ここはいつもこんなものだよ」
答えたのはハーレイではなくブルーだった。
ゆっくりとベッドから身体を起こして座ったブルーは、おいでおいでと手招きをする。
難しい顔をしたハーレイと、水浸しの通路に一瞬考えたものの、結局ジョミーは呼ばれるままにブルーの傍へ行くことにした。
なるべく濡れていない箇所を爪先立ちで進み、濡れた通路を抜けてベッドの傍に辿り付く。
「……そうか、考えてみればここって水だらけでしたっけ……」
「そう。だから船の状況によっては毎回ここはこのようなものだ。見苦しくてすまないね」
そして片付けをするのはハーレイの役目なのか。
ジョミーが振り返ると、通路を抜けた先からここまで、出来るだけ濡れないようにしたにも関わらずジョミーの足跡がついている。なるほど、ハーレイが難しい顔をするはずだ。
「常々思っていたんですけど、どうして部屋の中に水を張ってるんですか?」
「水面は心を落ち着けることにとても役立つ。無機物に囲まれた船の中において、瞑想に耽るに相応しい条件だろう」
ブルーは迷いなく言い切った。確かに、それもわからなくもないけれど……。
振り返ると、モップで床を掃除するハーレイの姿。リオも手伝うつもりらしい。
「毎回キャプテンが掃除してるんですか?」
「それは、適材適所と言えばいいのかな。この部屋がこれほど水浸しになっているときは、他の場所もそれなりに散らかっている。人手をこちらに裂くのは気が引けるからね。指示を出し終えれば暇そうにしているハーレイにお願いしているんだ」
暇だろうか、ハーレイは。
確かに、ジョミーがブリッジを後にするころには事後処理も終わっているから手は空いているかもしれないが、別にハーレイは暇を持て余しているわけではないと思うのだが。
「水を抜いては駄目なんですか?」
「それではこの部屋の景観が損なわれる。考えてもみたまえ。水がなければただの大きな段差を有した部屋ということになるじゃないか」
ブルーはそんな風には考えたこともないという様子で首を振る。
しかし言われてみれば確かにブルーの言うことにも一理ある。
通路の両側に水を湛えたこの部屋は、まるで不思議な空間のようでその中央にブルーがいるととても絵になる。しかし水がなければわざわざ床の一部に段差をつけたおかしな部屋だ。
だったらどうしてこんな設計にしたんだろう、と少し思わないでもなかったが、普段のこの部屋の様子は、まさにブルーのためにあるようなものとさえ思える。
少し考えて、ジョミーも気にしないことにした。


二人の会話を伺っていたハーレイは、モップを握って溜息を零した。
『……ジョミーの一言でソルジャー・ブルーが思い直してくれることを期待していたんですね』
リオに内心を言い当てられて思わず肩を落とす。
ハーレイの淡い期待は、「ブルーに似合うから」という理由の前に儚く散った。






お話TOP


重力が働いている場所で揺れたら、と前から気になっていたのでした。
閉ざされた空間での水はかなり貴重なので、あの無駄遣いはどうだろうと
思わなくもなく……剥き出しだけど貯水タンクでもあるのでしょうか(笑)
(シャングリラなら水も生成できるんでしょうけれどね)