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5/12 新し物嫌い
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以下、本文
MMORPGもあまりしなくなったので、右クリックのへたってきたマウスをワイヤレスの物に替えました。
ネットゲーマーは有線マウスじゃないとダメであるという事は、経験者ならば誰でも分かると思います。PT組んでいる時に電池が切れると大惨事に成り得るのですが、電池の残量なんてプレイ中には全く気づきません。しかし、そんな悪夢のような環境とはおさらばし、今はただケーブルの張力が邪魔なので、ワイヤレスにしました…が、
やっぱりワイヤレスである以上、遅延はどうしようもないんですかね。入力デバイスからの遅延だけで3フレーム以上ともなると脳がひきつります。僕は酔狂にも液晶テレビをLCDの代わりに使っているもので、それによる遅延も上乗せされますし、合計6フレーム前後ともなると操作に支障を来たしまくります。
拡張ボタンの位置と論理ボタン番号の割り振りは、とっとと規格を定めるなり、OS標準ドライバで好きにアサインできるなりしてほしいものです。左ボタンと右ボタンが逆になってるマウスなんて左利き用でもなければ明らかにおかしな代物であることは当然だと思うのですが、「奥ボタン」「手前ボタン」が逆さまになってても誰も気に留めないんでしょうか?いや、そんなはずはない。
とにもかくにも、士郎正宗マウスの5ボタン版が出たら喜んで買いたいんですが…。士郎正宗デザインマウスは決して色モノなどではなく、
と、使う人間の事をとことん考えてデザインされており、欠点といえば
このくらいしかない、と、僕にとっては3ボタンマウスの最高峰であり、人間工学上の偉大なるマイルストーンと認知されて欲しいほどのマウスだったのですが、今や製造も終了し、再販の目処も無いという状況だそうで…。
と、ここまで書いたところでやはり遅延が気になって気になって仕方が無いので、ケーブル付きマウスを新調することにしました。
LogicoolのM500がなかなかに良い評判のようだったので、それに。
ああ、これはいいですね。さすがはトップシェアを取るメーカーだけあります。ハードウェア的にホイールの摩擦を2段階に変えられる、というギミックにより、
つまり、縦長のドキュメントをパラパラと縦覧したいのか、より詳らかにゆっくり読みたいのか、という用途に応じていつでもホイールの特性を変えられるわけです。これは手放せない。
やはり、支持されるメーカーの作品は、支持されるべき理由があるのだと実感しました。
ピアノの演奏も飽きずに続けています。いくつになってもなにがしかの練習というのは精神的苦痛が伴うもので、開始時間が遅れつつあるのが気がかりですが。
それにしても、200年近く前に譜面に書かれた旋律を、自分の手で、電子ピアノが、レンダリングしている、というのはなんとも不思議な気分です。しかし、着々と、一日に一小節程度の遅々とした速度でも、200年前の天才によって意図された波形に近づいているという実感が沸くので、モチベーションが上がります。
そんな感じで、最近はピアノの演奏動画やピアノ曲の視聴をする割合が増えてまして、クラシック漬けになっています。譜面の入手も容易ですし。しかし、現状ではどうにも技巧の面でさっぱりなので、とりあえず指が回るようになりたいという思いから、二冊の練習曲集を買ってきました。
fig.1 鶴30とハノン
何のことは無く、ツェルニー30番とハノンなんですが、ツェルニー30番は1曲目から指定テンポ的な意味で中級者向けであることがひしひしと伝わってきます。最初から最後まで右手の旋律はL12の音符が続き、指定テンポはT200なので、要するに10hit/secな訳です。5本指のうち3本くらいは連打に参加させれるので数値にするとなんか大したことがなさそうなんですが、薬指にかなり負担が掛かります。
今のところ、どうしても4指が3・5指と一体になって動いてしまうので、指定テンポで弾ける様になる頃には4指の独立が達成できそうです。目下のところ、やっと1曲目をT120程度でまともに弾けるようになってきました。T150までなら4指がもつれながらもなんとか弾ける感じですが、まだまだ覚束ない。ショボいなぁ…
手首を使って弾け、と色々な所で読んだのですが、確かに指の根元から先の筋肉を使ってゴツゴツ押さえるようにして弾こうとすると、指がカチカチに緊張してしまい、思うように速度も出ませんし、手首まで固まってしまうので広い範囲のアルペジオなどには全く対応できません。手首から先の力はなるべく抜くようにして、もっと尺骨、撓骨の上腕側1/3くらいの所(つまり、指根屈筋の筋腹の付近?)に意識を傾けると意外に滑らかに、素早く指が動かせます。でも、そんな弾きかたに慣れてないのでミスタッチが明らかに多くなります。修練修練。
ハノンは技巧の修得用というより、なんとなく、身に付いた技巧の確認用という感じで使っています。今のところ取り組んでいる課題曲は「背伸びもいいところ」な曲なもので、技巧の修得も割合に早い気がします。レベル差のある敵と戦うと経験値が多いというアレです。なので、ある程度課題曲をやったらハノン弾いてみて、以前より音の粒が揃うようになってきた、とかそんな事を実感しています。
ところで、本業の方でいささか疲れも嵩み、しばしばピアノの演奏を聴き漁ってるだけ、という状態になりがちでもあるのですが、ショパン以外にも年代を問わずいくつかピアノ作品を聴きました。そんな中で、アルカンという作曲家の作品がいたく気に入ったので、いくつか紹介したいです。
まずは「短調による12の練習曲 第1番 風の如く」いきなり自動演奏なんですが、人力による演奏でいい音源が見つからず…。というのも、インテンポで乱れず弾けると美しい旋律が浮かび上がるという仕掛けの曲なのに、毎秒16打(勿論、左右ともです!)という恐ろしい速度を要求してくるため、当時はアルカン本人やリストくらいしかこの曲を音にすることで評価できる人物が居なかったのではないかと想像できます。それにしても、16連射というのは、19世紀初頭に既に実現されていた技術だったのですね。高橋名人涙目。
個人的にはキーボードマニアなどの音ゲーにも採用されてほしい楽譜です。弾いてみやがれ!
次に、「練習曲 鉄道」こちらは自動演奏ではなく「バルバロの人」氏による演奏。アマチュアとはとても信じられない超絶技巧の持ち主です。
聴けば分かる通り、鉄道をモチーフとした標題音楽であり、弾き出した途端、ピアノが列車に早変わりし、爆音とともに部屋の中を蒸気機関車が走り回ります。恐ろしい勢いで走り回る蒸気機関車の威容だけでなく、車窓を流れていく美しい風景や、軽快なリズムとともに鉄橋を渡っていく様が音として切り取られた、写実性の高い作品です。
他にも、アルカンは標題音楽的な作品として、「隣村の火事」などを残しています。なんだか変なタイトルですが、作品自体も良い意味で変です。こうした音楽を聴くだけで情景がまざまざと蘇る、写実性に優れた音楽を作るのも、アルカンの持ち味だと思います。
「短調による12の練習曲 第10番 ピアノ独奏による協奏曲 第3楽章 蛮族風のアレグレット」アムランによるライブ映像です。凄まじい難度の曲ですが、指定テンポより2〜3割ほど速い演奏となっております。とても人間業とは思えない。
ピアノ独奏による協奏曲、という時点でもう無理感が漂うのですが、実際「もうムリ」という感じの曲です。しかし、困ったことに曲自体は難易度に見合うだけの素晴らしい作品であり、これだけの作品が大して知られもせず埋もれているのは本当に勿体無い事だと思います。単なる技巧のひけらかしや独創性だけを追い求めた結果、何を主張したいのか「分かる人」にしか分からなくなってしまったような曲ではなく、誰の心にも響き得る名曲である、と僕は思います。技巧と演奏効果の成す線形関係の、最先端にあるような、そんな作品ですね。
しかし、練習曲集の中に3楽章仕立ての協奏曲を持ってくる作曲家とかアルカン以外に知りません…。
アルカンの活躍した19世紀前半においては録音技術が無かったため、あまり行われなかったアルカン本人のコンサートに行かなければ、まずアルカンの曲に触れることが出来ず、楽譜を手にしても「音にできないので良さが分からない」という状態であったようです。例えば、批評家としても非常に活躍したシューマンはアルカンのグロテスクな楽譜を手にしてボロクソに貶しています。一方、リストはアルカンを大絶賛しているわけですが。リストはどんな楽譜でも初見で完璧に弾きこなせたと言われるほどなので、アルカンの楽譜を実際に弾いて、その良さを評価できたのでしょうね。現代では自動演奏という手段も発達してきたため、やっとアルカンを評価できる下地が整ったというところでしょうか。
実際にはアルカンの作品は上に挙げた様な超絶技巧の結晶といえる曲もあれば、比較的平易(人類に弾ける程度)ながら情緒豊かで味わい深い曲もあるので、そうした曲にも是非触れていただきたいと思います。メロディは綺麗なのに最初から最後まで両手で爆音を轟かさないといけない「アレルヤ」や、無調音楽に挑戦した「海辺の狂女の歌」など、面白い曲も多いですよ。
ところで、アルカンはショパンの親友の一人であり、生まれも1812年とショパンより2年違い、つまり再来年がアルカン生誕200周年ということで、なんとか再来年までには今より評価されるべき作曲家だと思います。来年はリスト生誕200周年ですから、超絶技巧繋がりで「知られざる超絶技巧ピアニストコンポーザ」としてクローズアップされたりして、再来年には大々的にアルカン・イヤーを迎えられるといいですねえ。
あとそれから、わりとどうでもいいことなのですが、
Fig.2 どうでもいいわりにデカい
DirectX11の動作テストなんかをやってみました。
とりあえずDirectX11 SDKとVC++.net2010Expressを入手してみたのですが、DirectX11のサンプルはVS2008を対象にしており、2010ではコンパイルが通らないという体たらくに憤慨し、Delphiでのビルドを試みました。
今のところ、d3d11.pasのコンパイルを通すためのユニットだけ変換できました。ので、画面をクリアするところまではできるのですが、シェーダをまだ定義できないのでポリゴンの1枚も出せないという切ない状況です。
そして、シェーダを定義するためには僕の天敵であるD3DXが必要という…。
D3DXもスタティックリンクされるライブラリではなく、DLLを呼び出して使うモノなので言語に依存しないんですが、D3DX11は内部的にD3DX10の変数なども流用しているため、Direct3D11をまともに使うためには
を全部変換しなければいけないという眩暈のするような状況に陥ってしまいました。
けれど、実際の作品作りの血反吐を吐くような労力に比べれば、ヘッダの変換なんてゴロ寝しながらDVDプレイヤーでビリーズブートキャンプを再生して「ああ、大変そうねぇ、明日からやらなきゃ」と呟く程度の事に過ぎません。
…相変わらずブートキャンプから除隊してません。懲りないですねえ。
ともかく、D3DXがあればQuadruple Dとかいう中途半端な物は不要な気がするので、QD4は作らなくていいような気がします。でも、DDSDとDDIDEXは自分で重宝してますし、今後よほど魅力的なフィーチャーが音声・入力周りで付加されたりしなければ、この二点はずっと使えそうですから、QD3はQD3でそのまま公開して、「DirectX11使いたかかったら勝手に使えば」的にDirectGraphics11ヘッダも併せて公開すればいいのかな、と。
グラフィック周りだけDirectGraphics11+D3DX11を使って、あとはそれに対するちょっとしたユーティリティ。例えば初期化ルーチンとかフォントキャッシュ付き文字列描画ルーチンとか、そんな使い回しの効きそうなモノを寄せ集めていけばなんとか2010年代は凌げるのではないかと妄想しています。
ていうかですね、TDirectX11フォームにTOctetTreeとかTMeshContainerとかを貼れば(以下略
Taku Hayase(SANDMAN)