■□ Overture □■
             /   樫宮/薫+オリジナルヒロイン    4月頃。

「せんぱーい、図書館どっちですか?」
 ああ、あたしの後輩はおバカな芸人もどきだったはずなのに。

 さまよってるこの場所は、あたしの行動範囲のはずなんだけど。
「どこらへんって教えてくれれば何とか自分で行きますけど。」
 気にしてない風を装いながらあたしをしっかり立ててくる後輩の言葉が耳に痛い。
そう、あたしが図書館なんて行くはずないんだけど、もちろん場所なんて知ってる(覚えてるって言わないとまずい?)はずないんだけど、可愛い後輩が困ってる顔を見て、一肌脱ぐって言ったあとにものすごく後悔する羽目になった。いや実際今すごく後悔してる。
 ぶっちゃけあたしは自分の講義がある場所とカフェテリアとか中庭とかあと門ぐらいしか知らない。なんて言うか、一応受験してここに受かったのは間違いないんだけど、そのあとは楽しいキャンパスライフ、勉強は必要最低限。講義とかは切羽つまらないと顔を出さないことも結構ある。
そんなあたしを頼ってきた可愛い後輩、いっつもバカ騒ぎしててとんでもない、笑い飛ばすしかないことばかりやらかしては笑わせてくれたちっちゃな後輩も、今年受験だとかでお勉強にお忙しいってのは聞いていた。志望校がここの大学なんだとかで当たり前にあたしを頼ってきたんだけれど、フタ開けてびっくりした。
あたしのおバカな芸人まがいの後輩ってば、学年でもトップクラスの成績なんだって聞いて血の気が引いたけどもう遅い。
受験だって一般入試じゃなくて推薦狙い、論文を提出するためにそれ関係の本を探してる、って言ったからつい「あたしにまかせなさい」なんて言っちゃったんだけど…はぁ、よく考えようよ今居薫。
そこまでやってる人間が学校の図書室とか市の図書館とか調べてないはずないじゃないの。あたしを頼ってきたのは最後の砦、つまりは勉強してる専門分野の本探してる、ってことじゃない。
…って気がついたのも、こうやってぐるぐるしてしばらくたってからの話だから気づいたところでどうしようもなかったんだけど。
「…薫先輩、実はキャンパスライフえんじょい?」
「…野暮なこと訊くんじゃないの。」
 ほら、やっぱり疑ってる。いや疑わない方がおかしい。
あたしならぐるぐるいつまでもたどり着けなきゃ切れてる。
考えたらつきあい長い明里がよくやってあたしがつい突っ込むこと、今あたしがやってる。なのにおとなしく、あたしを立てながらついてきてるこの子、見かけによらず、辛抱強い。
言えなかったけど、後輩の探してるって本の題名見て固まっちゃった。何の本かとかまったくわかんない、宇宙人語が並んでた。んで返事濁してたら自分で探すから案内して、って言ってきて、今日の今につながってる。
 あぁ、いつまでたっても図書館にたどり着けないあたしをものすごい疑ってる目で見てるし。
残念なんだけど、あたしがこうならあたしの友達も類友で図書館なんて縁のない人間ばっか。けどひとりで、って言っても、一応この子は部外者だし。男に捕まったらいろいろとアレだし。
これでも一応責任ってのは感じてる。
「…日、改めましょうか?」
 うわぁぁぁぁぁ。こんな頼りないあたしに気を遣ってる。こんなでもあたしを立てて自分の都合みたいに切り上げようかって暗に言ってくる。実は負けそうになる、そうだねって返したいあたしがいるけど、ここであきらめちゃ女がすたる。
こうなったら何が何でもこの子の目的、かなえてあげるのよ頼りがいのある先輩として!!…かなり苦しいけど。
「うっさいわね! 後輩が変な気遣わないの!!」
「いや変な気ってかここ通るの3度目だし。」
「………ぐ。」
 考えることでいっぱいいっぱいのあたしと違って、この子はきちんとまわりを見てた。歩いてきた道順とか、多分そろそろ覚えてるんだろうな。実際同じ場所ぐるぐる回ってるってわかるぐらいになっちゃってるし。
今まで一度も頭がいい素振り見せたことないんだけど、思い出してみればどんな話でも食いついて話を続けたり出来たっけか。…それって頭よくなきゃ多分出来ない、うん。
目的があってもあたしの顔立ててあたしにくっついてるあたりが可愛いってば可愛いんだけど…可愛い後輩だから、あたしを頼ってきた以上はなんとかしてあげたい。
ああでもあたしにだって出来ることと出来ないことがっ!!

 ………ん?あれは………

「…晶ちゃん?」
「はい?」
「どうしてここ通ったの3度目だってわかったのかなー?」
 そう。いくら覚え始めたとは言っても、初めて来たはずの、道も建物も知らないここでそんなことわかる方が不思議。訊いてみたら、晶は指を上げていくつか並んでるベンチを指差した。
「あそこに座ってる眼鏡の人、見かけるのが3度目だから。
 ずーっと同じ感じであそこに座って本読んでるし。」
「…委員長!」
 晶が指差したベンチにいたあの眼鏡、そのさえない顔には覚えがある。んで可愛い後輩を押しつけ…もとい! 託すにはうってつけ!!
「晶ちゃん?」
「は、はい?」
「図書館にどーしても用があるのよね?」
「え、ええ…市立の図書館は最初に当たったけどお目当てなかったし。」
「だけどあたしはどーにも頼りない。」
「そ、そんなことー…」
「…目をそらすな。
 まあいいわ、今日は先輩として大目に見たげる。」


「樫宮くーん、ちょっといいかなぁ?」


 突然女の声で名を呼ばれて、祐一郎は瞬時にこちらの世界に引き戻された。
膝には借りたばかりのハードカバー、春の終わり夏の前、天気がよかったから埃っぽい図書館ではなく構内のベンチで読んでいた。日陰との狭間を選んだら明るさもちょうどよくて、すっかり没頭していたと言うのに…しかし大学の構内で女に苗字で呼ばれる覚えはあまりなくて、ページを指先で押さえながら顔を上げると、すぐそばに覚えのある顔と、彼女に手を引かれている覚えのない巻き毛の女が自分を見ていて思わずぎょっとした。
こんな場所で、女ふたり組に逆ナンパされるような、そんな学生生活は送ってないつもり。
「今居…さん、だったっけ?」
「あ、覚えててくれたんだぁ?
 ねね、ちょっといい?」
「…ああ、いいけど。」
 そう。片方は名を思い出せる。だって高校の同級生。
その他にも少々事情があるんだけれど、ともかく忘れる顔じゃないのは確か。
けれどいくら同じ大学でも、彼女と自分との接点が見つけられない祐一郎は怪訝そうに言葉を濁した。
しかし薫はそんなことを気にする性格でもなくて、祐一郎の態度など意に介さずに言葉を続ける。
「樫宮君って図書館使ったことある?」
「読みたい本が出たらよく借りてるけど…それが?
「あぁよかったぁ!
 あのね、この子あたしの後輩なんだけど図書館を見てみたいんだって。でもあたし図書館使ったことなくてさー。」
 怪訝そうな青年にずけずけと言葉を続ける薫の様子に、あっけに取られている祐一郎からははっきり見えるほど手を引かれていた巻き毛の女が嫌そうな、いや「信じられない」と今にも言いそうな顔をした。
「先輩先輩、それちょっとあつかましいッス。
 見ず知らずの人にこんなかあいい後輩押しつけるんですか?」
「あんたはだーってろ。見ず知らずじゃなーい。」
「いやそーゆー問題じゃないし」
 薫の後輩と紹介された女の方は、どうやら恥とかそのあたりわからないでもないらしい。ふたりのやりとりを見ていて、祐一郎もなんとなくではあるけれど自分がなぜ呼び止められたかを察することは出来る。…逆ナンパではなかった。
しかし察することは出来てもそれ以上何が言える? 祐一郎と目の前の同級生の接点はないに等しい。お互いに名前と顔を知っている、その程度の関係。
「先輩あたし出直しますってばぁ。
 知らない人についてっちゃダメっておとーさんおかーさんにも言われてるから」
「樫宮君、悪いんだけどこの子図書館まで頼んでいい?
 んで帰り道教えてくれると助かるんだけどー。」
「…あぁ、言っちゃったし。」

「…俺でよければ。」

 にっこり笑って、眼鏡を上げて。祐一郎はそのどこかとっつきにくい容貌からはすぐには想像が出来ない人当たりのよさで「あつかましい」と後輩からまで言われた薫の頼みごとにうなずいた。言いながらすでに膝の上の本に赤い紐の栞をはさんで閉じて――――
「あ、いいです。あたし帰ります。だから続きどうぞ。
 せーんぱーいあんまりですよー本読んでた人つかまえてあたし押しつけるなんてー。
 先輩がわかんないならあたし帰りますって。」
 けれど薫の連れ、後輩とやらは知らない人に対する気の遣い方はわきまえているらしい。立ち上がろうと片付けている祐一郎の様子を見ると慌ててさえぎり、自分をつかんで逃がそうとしない薫の手を少し派手に振り回す。
「樫宮君、ダメ?
 この子推薦のための論文書こうとしてるみたいだから市の図書館じゃ本が足りないって言っててねぇ。」
 しかし薫はこの後輩のために一肌脱ぐと決めてしまった、決めた以上使えるものは何でも使う。
それに彼女の記憶が間違っていないのなら、「委員長」、樫宮祐一郎という同級生は、そのどこかとっつきにくい冷たそうなルックスとは違い、柔和で人当たりも愛想もよい方で、面倒見だけが悪かったと言う記憶もまたなかった。
面倒を見てもらったりその現場を目撃したりした記憶もないんだけれど。
「いいよ、俺は。
 で、今居さんはどうする? つきあうの?」
 …彼は快くうなずいた、かに見えるけど…実はいい具合に引き込まれていたところに水を差されてちょっとむっと来ていたりする。けどそれを表に出さないのが祐一郎の処世術で、それに…ちょっと、思うところもある。
だから表向きだけいい返事を返した。つまりは下心、あり。
「あ…あたしはパス。だって、ねぇ?」
「そう。忙しそうだからな。」
「でしょでしょ?
 じゃ、その子よろしくねぇん。」
「あ、ちょっと先輩!?」
 案の定薫はすたこらさっさと逃げてゆく。薫の方はほとんど面識がないだろうけど、祐一郎は薫のことを多少なりとも知っていて、どう話を振れば思うとおりに誘導できるかぐらいは察しがついた。
可哀相なのは知らない男と残された薫の後輩で、薫を追うに追えず、けれど初対面の祐一郎についてゆけるほどあつかましくはないらしい。祐一郎が立ち上がり気がついたのだけれど、薫が押しつけていった後輩とやらはまるで子どものように背が低くて肩にかからないぐらいのくるくる巻いた明るい色の巻き毛が印象的。
当たり前なのだけれど、不安げに祐一郎を見上げている。
「えー…と……いいん、ですか?」
「何が?」
「薫先輩とそんなに親しくないんじゃないです?
 あたし門の方角教えてもらえれば自分で何とか帰れますから。」

「変な気を回すな。今居には恩を売りたいだけだ。
 ちんちくりんを図書館まで案内するだけでいいんだから楽なもんだしな。」

「ち、ちんちくりん!??」
 そう。家族以外の誰も知らないけれど、祐一郎は意地悪な面がある。薫には彼の中で付加価値があるし、この後輩を利用すれば、彼の思惑では言葉どおりに彼女に恩が売れることになるから引き受けたけど、邪魔されてむっと来た分は返してやりたいなんて大人気ないことを思っていることもまた事実。
「探している本のリストはあるのか?
 確認しておかないと、市の図書館で事足りるかもしれないからな。」
 小馬鹿にしつつ鼻で笑う不躾極まりない男に、彼の後輩にも当たるこの女は何を思う? その気の強そうな外見よりも辛抱強くはあるらしく、かなりむかむか来ている表情のまま、しかし食ってかかることはしないでがさがさと制服のポケットを探って、すぐに1枚のメモを祐一郎の鼻っ面に突きつけた。そのメモにはずらりと専門書の題名が列記されていて、タイトルがわからないものは傾向などを書きつけてあった。
祐一郎は差し出されたそれを指先ではさみピッと取って、わずかに眉間に皺を寄せながら傾向を読み取る。確かに傾向を見る限り市の図書館では足りないものかもしれない、けれど…小娘のお遊びにはつきあうのもバカバカしい、それが彼の本音。からかって憂さ晴らしをしておこうか、それが目的。
手にしたところで読める本だとは限らない。
「まあいいだろう、確かに見かけたことがあるのが何冊かあるからな。案内だけはしてやる。」
「…それはどうも、樫宮先輩。」
「名前ぐらい教えておけ。ここに来たら俺の後輩になるんだからな。」

 彼女が探していたタイトルはほぼ経済関連の専門書籍ばかりだった。
彼女の志望はおそらく経済学部だろう。やり取りの中で彼の名を探り出したり、薫と似てるようでもしかしたら正反対かも知れない。


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