■□ Overture □■
             /   カズマ/絢子/水無月+オリジナルヒロイン    4月頃。

「…ったくあのサド眼鏡、先輩にはニコニコしてあたしにはあの態度! 二重人格かっての。」
 往来のど真ん中で、女子高生がひとりで悪態をつくのも無理はない。あのあと彼女はあれだけ迷ってたどり着かなかった図書館にいとも簡単にたどり着いて探し物を集めることに成功したんだけれど、案内役が気心知れた先輩から初対面の男に替わり、ちくちくと精神的に来るダメージをもらった。
ファーストインプレッションの「ひねたインテリ」らしくいちいち嫌味で高圧的な物言いをするんだけれど、案内してもらってる身としては食ってかかるわけにも行かない。
帰り道もよく覚えていないのに、頼りにしていた薫はこと勉強の話になったからとすたこらと退散していった。出来ることならば他にもっと話しかけやすそうな人を選んでお願いしてこんなのうっちゃって薫が逃げてったのと同じに逃げたかったけど、薫の知り合いならばそんなことが出来るはずもない。
結果針の筵の気分を心行くまで味わう羽目に。
確かに交代した案内役の性格は悪かったけど目的は遂げた、道順もこれだけのことがあったせいで記憶には焼きついた。あの男とはこれっきり、そう思って溜飲を下げるしかないけど…
「それにしても思い出すだけで腹が立つ。
 薫先輩もどーしてあんなもてない君に声かけたんかなぁ。」
 それでも。「あの男」は何冊もの専門書を抱えた小柄な女子高生を放り出しはしなかった。
駅までは方向が同じだったらしく、彼女の帰り道につきあい駅まで本を持ってくれた。あとは反対ホーム、預かった後輩が電車に乗るまで見送って。
彼女は不躾な男の姿を見送りながら動き出した電車の中で釈然としない思いを小さな体の中に渦巻かせていた。彼女が電車に乗るまで彼はずっと重い本の入った袋を持っていてくれた、責任感は強いらしいが、それにしても少々世話焼きの感は残る。
しかしそれを素直に感謝するには、当てこすりも少々過剰。彼女はお礼の言葉を口にするタイミングを逃したままで電車は無情に動き出した。
 少し歩く時間帯が遅くなっただけで、街はがらりと顔を変える。
繁華街のはずれを通りバスに乗って帰る道のり、学校から直帰とは違って華やかなネオンに誘われた虫のように人があふれてるその光景は、真面目に学生をやっている彼女にはかなり異質に見える。
この時間はいつもならすでに家にいて食事してたりするけれど、今日は図書館に寄ると言って朝出たから問題はない。口実を探して遊ぶほどの余裕もないのは自分が一番わかっているから、横目で眺めるだけなんだけれど…それにしても、なんだか少し気味が悪い光景。
灯と人間が殺虫灯と虫に見えてしまう。
「…帰ろ。」
 ネオンの世界にまだ興味がないどころか気持ち悪くすらあるのなら、早く帰って今日のことは忘れるに限る。
もうあの不躾な男の世話にならずとも、今度は薫の後をついて大学の中に入れば、後は自分で行動できる。あの広さとあの人間の数の中で、探してない一人の人間に当たる確率なんてどれだけ低い?
そのことに気づいたから、探し物がちゃんとできたことだけ感謝して、その態度はとりあえず黙殺してやれそう。

「あら、晶じゃないの。ごきげんよう、しばらくぶりね。」

「絢子姉ちゃん!」
 とことこと歩道を歩いていた晶のそばに黒塗りの高級外車が横付けされて。濃いスモークの窓がゆっくりと開いた向こうに見えたのは彼女の見慣れた顔だった。子どもっぽい呼びかけにゴージャスな美女は困ったようなけれどうれしさを隠し切れない複雑な表情で笑った。
「子どもみたいな呼びかけはよしてちょうだいな。あなたももうすぐ18でしょう、…と言っても、それがあなたの可愛いところでもあるものね。お小言だなんて私らしくもなかったわ。」
「わぁ、その服新しく作ったんだね? すっごい似合ってる、そーゆーの服に着られず着るのって絢子姉ちゃんぐらいだから。あ、髪の巻き方も少し変えた?」
「あら、よく気がついたわね。
 もう…ゴージャスに行って当麻さんに一番に気づいてもらいたかったのに、嫌な子。」
「えへへー、絢子姉ちゃんのこと真っ先に気がつくのはあたしに決まってるじゃない。」
「とりあえず、お乗りなさいな。
 私はゴージャスで降りるから、斉藤、この子を家まで送ってちょうだい。」
 外車の中と外とで少しの間にぎやかにやり取りして、彼女は車の切れ目を待って後部座席のドアを開けて乗り込んだ。大荷物を足元に置くと、それをきょとんと見ていた絢子ににこりと笑いかける。
「そういえばあなた今年受験生だったわね。
 その様子だとずいぶんがんばっているみたいだけれど、そんな荷物は女性の私たちが持つものではなくてよ。持ってくれる気のつく男性をお探しなさい。」
「あ、これでも大学の駅までは持ってくれる人がいたんだけど方角が違ったから。」
「気がつかないわねぇ、その男性も。女性にこんな重たいもの持たせるなんて。」
「いや方角違うのについてきてまで荷物持ちなんて下心ありありでキモいよ姉ちゃん。」
「まあいいわ。自分のことを自分でやると言うのはあなたのいいところですものね。
 けれど遠縁とはいえ私の親族なのだから、少しは」
「あたしは姉ちゃんみたいに美人じゃないから男に相手されるどころか女って思われてないし。
 いいもーん、あたしは女扱いされるより絢子姉ちゃんとか薫先輩にしがみついてすりすりする方が好きだから。」
「あら、およしなさいな、こら!」
 動き出した車の中はもっとにぎやかで、しがみついたり逃げようと身をよじったり、女ふたりでも充分にかしましい。その様子は実の姉妹以上に仲がいいように見える。
「そりゃそうと、姉ちゃん最近ホストクラブで遊んでるんだって? 大丈夫なの?」
「あら、耳が早いこと。
 そうね、中にはいかがわしい店もあるけれど、私はきちんとした店にしか行かないわ。
 特にゴージャスは店長の当麻さんがしっかりなさってて、男性の教育も行き届いているから安心よ。
 あなたもお酒が飲めるようになったら一度連れて行ってあげる、「きちんとした男性」をしっかりとその目でごらんなさい。」
「…いや2年以上先ですし。」
「こういうことは早い方がいいのよ?
 2年を待っている間、つまらない男性につかまったりしたらどうするつもり?」
「姉ちゃんが言うと説得力が違うんだよなぁ。」
 車の中で子どものようにはしゃいでいるうち、程なく絢子の目的の場所へとたどり着いた。
その豪華とは言えない佇まいに、晶がきょとんと目を丸くする。ギンギラギンのネオンとどこの素人劇団員かと思わせるほどの派手な男性陣を想像していた彼女なんだけどそれも無理はなくて、テレビに出てくる映像や役者など実にわかりやすく主張しているものを素直に鵜呑みしているあたり、大人びた観察眼を持ちながらも中身はまだまだ子どもだと如実に物語っている。
絢子が二言三言運転手に告げて車のドアを開けると、まるで計ったかのように重そうな黒扉の奥から出てきた男性が彼女に手を差し出した。
「いらっしゃい絢子ちゃん…ん?
 そっちのお嬢さんはまだ早そうだけど、違うよね?」
「あら当麻さん。直々にお出迎えなんてうれしいわ。
 彼女は見てのとおりの真面目な学生よ、着杜駅の前にいたから、変なお店の人に捕まらない様にって声をかけたの。今から送らせるところですのよ。」
「あはは、そうだよね。たくさん本抱えてるし、どう見ても勉強がんばってる学生さんだ。」
 想像よりもはるかにつつましいネオンの中に絢子が降り立ち、そこに出迎えた男性が微笑んで晶を覗き込んでいる。それだけで彼女の知らない夜の世界がそこに開けて、見知っているはずの絢子がきらきらと星をまとって女王様みたいに笑っていた。
「それでは、晶、ごきげんよう。おじ様とおば様によろしくと伝えてね。」
「あ…うん、はい。」
「当麻さん、2年後にはこの子も連れてくるから現役でいらしてね?」
「おやおや、そういうことならがんばらないと。
 ほかならぬ絢子姫の頼みごとですし、2年の月日は女性を変えるのに充分ですからね。」
 そこに開けているのは、違う世界。きらびやかな男と女を、酒と作り物の愛とやらが飾り立てている。絢子だからそれを作り物と知りつつ楽しんでいるのはまだ子どもの出口から出ていない晶の目にもわかったんだけれど、出迎えた男性はともかくその向こう、多分同じ職業の男性たちはどう見てもイミテイションで――――
「………あれ?」
 絢子の向こう、彼女の陰に隠れて目の前の黒扉を開けようとした男性の横顔に、晶がはじかれたみたいに体を跳ねさせて、何を思ったか車から転げ降りる。降りる姿は絢子の縁者らしくしっかりと淑女だったことに水無月はひどく驚いたけれど、彼女は意に介さず短い制服のスカートのすそを翻して見覚えのある横顔目指して駆け寄った。

「カズマ、知り合い?」

「…いいえ。
 いやだなあ、高校生じゃないですか。知っているはずないでしょう?」
 そこにいたのは、女性客と出迎えのホスト。しかし息を弾ませて表情を険しく固まらせて駆け寄った晶の様子に、行き交う車の風圧で踊る巻き毛に、明らかに「カズマ」なるホストは視線で動揺していた。そんな彼の様子に晶は何か言いかけたけど…
「…晶? カズマと知り合いなの?」
「お嬢さん、うちのカズマが何か?」
 車から飛び降りた女子高生と出迎えのホストに何のつながりがあるはずもなくて、絢子も水無月も何事かとすっかり驚いている。
「ごめんなさーい、人違いでしたぁ。」
 しかし彼女は何を思ったのか、まるで何かのスイッチが入ったみたいにからりと笑って彼らに背を向け絢子と水無月に言い放ち笑い飛ばし、言葉とは裏腹に悪びれた様子はかけらも見せずに車へと歩き出す。

「いえねぇ、今日大学の図書館で案内してくれた人にあまりにも似てたもんだからぁ。
 そうですよねー、大学生のあの人がまーさーかぁ〜ホストやってるはずもないしぃ。」

 前半は絢子と水無月に向かって、後半は独り言。独り言のはず、なんだけど…晶はゆらりと「カズマ」をもう一度振り返り、巻き毛の向こうで口元を隠すみたいに小さな手をやり悪女のごとく笑った。
そんな彼女にカズマが笑い返せるはずもなくて、どこか殺伐とした空気がその場を満たしたけれどおそらくそれを感じていたのは発生源と、その対象のカズマだけ。
絢子と水無月は「人違い」の言葉を信じ切って笑っている。
 カズマは背筋に気持ち悪い脂汗が噴出す感触を、嫌でも感じてしまっていた。


前に戻る