■□ reincarnation □■
ルディエール    ロクス    クライヴ

 満天の星空に、はらりはらりとほのかに光を放つ純白の羽根が舞い落ちる。
それは来訪の合図みたいなもので、ルディエールが顔を上げると同時にまだ姿見せぬ存在に呼びかける。
「どうしたんだ? こんな夜中に…急な事件か?」
 その呼びかけの通りに、時間帯は深夜になるだろう。ルディエールも今夜の宿で休む準備をしていた。
いつもならばそのあとに大きなあくびが続くんだけど、今夜の彼はいつものそれを見せなかった。
「…どうしたんだよ、なんかあったのか?」
 呼びかけに少し遅れて姿を現したのは、今夜もふわりと美しい様を見せつつ舞い降りた幼い天使。
少女の姿持つ彼女の背には大きな純白の翼があり、それからほのかな光があふれている。
ルディエールの天使は時々見当はずれと言うか失礼な時間に来訪して慌てた様子で用事を済ませて戻ることもよくあるから、来訪そのものは珍しくなくて、寝入り端を襲われても怒るほど不愉快とまで思わない彼も彼女のずれに慣れてずいぶんたつ。ルディエールはこの温厚で美しい少女の姿を持つ天使に、友情にも似た親近感を抱いているから、今夜もいつもと同じに眠気は感じつつも邪険な態度など見せずに彼女を宿の部屋へと迎え入れた。
「シルマリル、なんかあったんだな。」
 最初は問いかけ、次は確認、そして確信。いつもは穏やかながらどこかのんびりしていて朗らかな性格のシルマリルなんだけど、ルディエールの問いかけに彼女はなにか言いたげに唇を動かしても、それが声にならないらしくすぐに口をつぐんでしまう。
 シルマリルの青い瞳が揺れている。けれど彼女は何も語らない。
親しい者の様子が気になるのは人として当たり前のことで、ルディエールは彼女からの助力にうなずいてまもなくから彼女の変化には気がつくようになった。たとえば彼女が自信をなくした時、そして今夜みたいにひとりで背負いきれないなにかを背負った時。
ルディエールはどことなく感じては彼女につきあい一見時を無為に過ごすようになった。
それは彼女が彼にしてくれたことと一緒で、ルディエールがつらい時彼女はそばにいてくれる。
何を語るでもなくてもそばにいて押し迫る孤独だけでも和らげる。
 ただし、それはいわゆる恋ではない。ルディエールもそれはわかっている。
友人とまで呼べそうな親しい者を立場上得られなかった彼にとって、彼女は気のおけない古い友人みたいなものであり、それに…彼女には、どうやら想い人がいるらしい。彼女が口にした訳でもにおわせた訳でもないんだけど、ルディエールはその振る舞いの中でなんとなく感じて取った。
 なによりも、あの幼い天使だったシルマリルが、突然、そう、ある日突然急に美しくなった。
友人として相手を訊いてみたくはあるけど、訊いたところできっと彼女は
『サヴィアは?』
…なんて返して来ることだろうし、そう来られたら困るから、ルディエールは訊くに訊けずにいる。
お互いに別のほのかな想いを抱えながらも、その感情が目の前の異性に向かうことはない不思議な関係。
それを性格の相性がいいとでも言うのだろう、シルマリルはその外見年齢相応の振る舞いを彼に見せることもよくあり、ルディエールも彼女相手だと、肉親の前では何とか張ろうとする虚勢を張らずにありのままで体も心も力を抜いていることができる。
そういう距離感は、お互いを異性として意識してしまっては保てるものではなくなることをお互いに気づかずにいた。
 さて。シルマリルはなにか背負いきれないものを背負ったのだろうけど、それを言葉にできるまでにまとめられないらしい。その思いはルディエールも記憶に新しいから先をせっつきたくはないけど、今にも泣きそうな彼女の様子は心配。
自分の天使は見かけよりずっと強い気持ちの持ち主だと知っているのだけれど、それでも女性には変わりないから、泣きそうな顔を見せられると心配になってしまう。
あんなに強かった眠気など彼女の顔を見た瞬間に飛んでしまった。
「……背中」
「え?」
「貸して下さい……」
 不意に聞こえたか細い声に、ふるえる声に、ルディエールが一瞬ぽかんとする。しかし彼は反射的にうなずいていて、それを見たシルマリルが背中の翼をなくして人の少女と同じ姿になると、今夜の寝床に腰を下ろしたままのルディエールの背中に回り、まだ広さが足りない彼の背中に小さな背中をそっと合わせた。
友人感覚に近いと言っても異性と背中合わせになる経験などほとんど、いやまったくないルディエールは別の人間の、いや存在の体温はなんだか違和感が大きくて背中がむずむずして、けれど反射的とは言えうなずいた以上少し力んでそのむずがゆさを無理やり押さえつけた。
夜更けの闇の中降り注ぐ星の光は空が近い南国ならではで冴え冴えとしていて、ルディエールは何も言葉が見つからなくて黙り込んだままそれを見上げて数え始める。
「…シルマリル」
 しかし星を数えるなど無謀なことで、すぐにどこまで数えたかわからなくなったルディエールが様子を伺いながら彼女の名を呼んでも、返事はない。
いったいなにがあったと言うのだろう? 小さなことでおろおろと右往左往することもある彼女なんだけど、大きなことがあると信じられないほどの豪胆さを見せることもある。共通しているのは「いつも体を張っている」ことで、高みの見物を決め込まない彼女をルディエールは信頼しているし気に入っている。
それ故に他人の不幸に共鳴し追いつめられそうな危うさがあって――――ルディエールも似たような受け取り方をするためか、無意識のうちに彼女に他人事ではないような親近感を抱いていた。
 こんな時、自分はどうしてもらった? 彼女はなんと言った?
ルディエールは彼女の名を呼びかけたあとに言葉が続かない。

「あのさ」

 息を飲んで。口の中が気持ち乾いている。緊張しているのだと嫌でも感じる。
それでもルディエールは口を開き、この空気に不似合いな明るさで切り出した。
「泣きたいのをこらえるともっと泣きたくなるんだってさ。
 だから泣きたくなったら思いっきり泣くとすっきりするんだって聞いたことがある。
 男だといろいろあってちょっと考えたりするけど、ほら、泣けるのって子どもと女の子の特権じゃないか。シルマリルは天使だけど女の子だし、…そのっ………」
 自分が彼女に励ましてもらったから、存在が救いになりずいぶんと支えになったから、自分も自分でできることで返したいと思うのは真っ直ぐさを抱く彼ならでは。けれどやっぱり言いながら気恥ずかしくなって、ルディエールは言葉につまり舌を軽く噛んでしまった。
それでもここでやめたりしてはよけいに恥ずかしくていたたまれない空気に包まれるから、

「思い切り泣いてしまえよ、シルマリル。
 そんな顔は俺の所に置いて行ってさ、帰る時には笑って帰れよ?」

 言い出してしまったんだからとルディエールが勢いに任せて少々気恥ずかしい台詞を最後まで口にする。
そう。彼女はルディエールが兄までも国さえも失った時でさえありのままを受け入れてくれた。
軽率に叱らず、空気も読まずに励まさず、彼の悲しみに向き合うために、惜しむことなくたっぷりと時間をくれた。状況は一刻の猶予もないだろうことはルディエールもわかっていたけどどうにも体が動かなくて重くてどうしようもなくて、動けずにいた時に彼女はそっとしておいてくれた。
そんな彼女の気配りと態度の影に、自分の変わりに動いていた人物を感じることができた時に、ルディエールはうつむくことをやめた。それまではこの儚げな友人のような彼女が奔走して何も言わずになんとかしてくれていたのだろうけれど、結局自分に関わることは自分しか解決できないと気がついた。
確かに他の人間でも別に構いはしない、けれど行動してからの後悔と行動できなかったことへの後悔とでは比較にならない隔たりがある。…どうせなら、やることをやったあとに後悔したい。
遣り残して過去に気持ちを置き去りにするよりはそっちの方がずっといいと顔を上げることができたのは、背中合わせの彼女のおかげだと臆面もなく思っている。
それを素直に口にするのはさすがのルディエールも恥ずかしいのだけれど、言えないのなら振る舞いで返したい。彼女は確かに天使だけど友情に近い尊敬を抱く以上、自分から歩み寄り近い存在でいたいと思っている。
恋ではなくても、彼女が大事と言うことには変わりはない。
「あの…ルディ、」
「うん?」

「もしも…もしも、あなたの大事な人が世界の均衡を崩すような災厄へと変わってしまったら…あなたは、どうしますか?」

 その問いの意味するものはなんなのだろう? 咄嗟に問いかけの意味が理解できないルディエールが言葉を探すのだけど見つからずに思い浮かんだそれを飲み込むんだけど、彼には答えが咄嗟に見つからないことをシルマリルは抱えてしまったらしい。
それはかつての彼と同じ姿なんだけど、明らかに違うのは――――彼女はいつも「選ぶ側」。
いつも責任を押しつけられる側にいる。その重圧がいかほどのものなのか、ルディエールは想像すらできない。なのにシルマリルは普段穏やかに微笑んでばかりいる。
「どうする?」と問われれば答えはある意味決まったようなもの、
「…その時は…俺が、この手で止めなきゃ…って思う、けど」
 「けど」、そう、ルディエールは問いかけを振られた時に別の視点から物事を見てしまった。
「それを伝える側はたまったもんじゃないって言うか、その時が来たんだって気がついた時、ものすごく困る…と思う。」
 言葉にしてようやく彼女の問いかけの意味を理解できた気がする、つまりは
「…告げられ…ないよな、そんなこと。
 俺がもしその後始末を従っている立場なら、刺し違えてでも止めなきゃって思うのはシルマリルから見たら当たり前に想像つくだろうし。…そんな場所に追いやるようなこと、シルマリルにはできないよな…。」
「ルディ…」
「重たくて仕方がないこと、背負っちまったんだな。
 正直俺には君にどうすればいいよって助言みたいに言えないし、まして思い当たりすらない俺が縁もゆかりもない事件に首を突っ込むのもなんか違う気もする。君にどうしたいんだって聞き返すことなんてできないし…でも、俺が事件の外側にいるから多分わかるって言うか気がつくことは…」
 言葉ってなんて不自由なんだろう? 選んでも選んでも不安で仕方がない。
ただ、自分が彼女ならどうするか、彼女が自分の立場だったらどうするか…それを必死で手繰り寄せてつなげてルディエールは言いながらひたすらに考える。
「俺だったら、シルマリルの選択を責められない。
 だって君はずっとこの世界のことでがんばり続けてるんだってずっと見てたから、そんな君がその話だけ軽く考えるなんて思えない。それにさ、いつも一番いい選択肢を選べるとは限らないじゃないか。
 それを全部君のせいにするなんて無責任なことは俺にはできない。俺だったらなにもできずに終るかもしれないんだから、そんな俺に君を責められる資格があるなんて思えないんだ。」
 背中合わせだから。彼女が目の前にいないから言えることもある。
目の前にいて目を見られていたならきっと言葉すべてが姿を消したみたいに何も言えなくなる。

「…どうする? その人に切り出せないんだったら、俺も勇者として選ばれているのは間違いないんだから君が一緒に、って言うならもちろん一緒に立ち向かうけど…でもさ、よく考えて。
 君にはなにかまだ思っていることがあるんじゃないのか?」

 覚えていて欲しいのは、彼女はひとりじゃないということ。少なくとも自分は彼女の味方、いや同志、友人だとも思っているから、相談をされれば自ら行動を起こすつもりはある。
けれど、迷いと言うものはそんなに単純とは限らなくて、なにか他に絡む要素があるからそんなにまで迷い彷徨い途方にくれるのではないのだろうか?
彼女の望みが別の所にあるかもしれない気がしてならなくて、ルディエールは煮え切らないなりに今の彼の精一杯を言葉に代えてシルマリルに投げかけた。
「迷っている余裕がないことは俺にもわかるよ。
 打ち明けてくれてありがとう、俺も一緒に考えるから。
 ひとりよりふたりだし、…肉親同士命を懸けて戦うなんて、たとえ相手のことを思ってのことだろうと君が切り出せるはずないもんな。」
「ルディ…」
「…肉親同士戦って欲しくないって思うのは、俺が他人だからかな。
 でもさ、シルマリルがつらくてしょうがなくてそれでも決めたことなんだって、いつかきっと伝わるよ。
 つらくなったらまた俺のとこに来いよ。またこうして一緒に過ごそう。」
「………はい。」
 どうするかを決めるのは自分ではないことはわかっている。けれど一緒に悩むことはできる。
ルディエールはいつもと違い少し声のトーンを落として静かにシルマリルに語りかける。
感情に流されることを許されないシルマリルは今夜も泣かずに耐えてみせた、優しい彼女に今どれだけの負荷がかけられているのだろう?
更けてゆく夜を緩やかに過ごしながら、ルディエールはいつしか彼女のぬくもりに慣れてしまった自分に気づかずに背中を貸し続けている。

 しかし、幼い天使様は気づかない。彼女の勇者ルディエールもまた無関係ではないことを。
儀式の贄として捧げられるのは誰でもない皇帝エンディミオン自身。
ルディエールの数少ない友人がひそかに贄として邪悪な存在の宿る器として祀り上げられて、運命の歯車はきしみながら回り続ける。
それを止めるだけの力は、幼い天使の細腕にはなかった。



ルディエール    ロクス    クライヴ
2008/05/18

「復活の儀式」直前、初めてルディの話を書きました。
私の中ではルディは恋愛対象と言うより友人関係、それもこれも私の守備範囲が青年と呼ばれる年齢層だからでして。
青年と少年の端境期にいるルディはビミョーに外れてしまいました。
とは言えアウトオブ眼中とかではなく、彼は彼で好きです。ロクスと同じように事情を抱えながら放浪する彼なのだけど、無意識のうちにいろいろとちゃんと考えながら行動するあたりロクスよりも中身は大人のような気がします。

実行力ある理想家のユーグとは違い、闇の部分にきちんと触れた上で理解している。
兄ユーグとは違った意味で現実を見ていて捉えていて、兄とは違うタイプの王の資質をきっちりと備えている、そんな印象があります。
勇者としてわかりやすいスタンスにいるんだけれど、ヒーロータイプと簡単にカテゴライズ出来ない深さがあって、背景だらけの勇者たちの中で浮いてない存在感を感じます。