■□ ろくでなしの恋 □■
×ヴァイパー(クラレンス)、ロクス 「盗まれた宝玉」後
→ ロクス


 カードは何でも語ってくれる。カードは彼を裏切らない。
ヴァイパーはいつものように昼間でも薄暗い酒場で、彼以外誰もいないそこで愛用のカードを切っていた。
少し荒れた指先で操るカードたちはまるで奇術師のようで、彼はいつしかいかさまに頼らずとも通り名を戴くほどの強さが伴うようになったけれど、それでもカード捌きはギャンブラーの命には違いないから、ヴァイパーはいつも、たとえ指の運動に過ぎない時だろうと気を抜かずにカードを切る。
それが彼の教示、カードが彼を裏切らない以上、彼もカードに真剣に向き合う。
それだけの覚悟をもって相対するから、半端者に負けるような腕前ではなくなったと信じている。
彼にとってさびしいことだけれど、愛用のカードは相棒であり、恋人でもあった。
 けれど今日はカード捌きの練習ではなくて、ある女の姿を思い浮かべながら。
今破滅に導こうと毒持つ牙を剥いて襲いかかろうとしている最中、獲物として狙われた女たらしのろくでなし――――すました顔で女を渡り歩く不良僧侶、次の教皇なんて肩書きまで背負わされて何不自由なく生きてる男を神様とやらは徹底的にひいきしたいのか、この世のものではなく美しい自分の娘を彼に遣わせた。
美しいとはああいう女のことを言うのだろう、間抜けにもそう思ってしまった美貌の少女。何のことはなくて神の娘、いわゆる天使。
金の髪と青い瞳の小柄な少女の姿の天使様に、ろくでなしが恋をしてしまった。
そして彼は己の腕、いや運だけを信じ恋敵に破滅を与える算段を考えると同時に、彼の天使様をどうやって奪い盗ろうかなどと大それた悪巧みをしている最中。

 カードをめくる一瞬にすべてを賭ける。信じる。
 俺は必ず勝つ――――!

 ヴァイパーの無骨な指先が、一枚のカードをめくる。
大きなサファイアの絵柄のそれは、彼の満足するものだったらしい。不敵に笑う口元がわずかにかさついている。
けれど、多くを語っていてはツキが逃げる。ヴァイパーは額の脂汗もそのままに力なくふらつきながら立ち上がると、薄暗い酒場から日差し眩しい表へと出て行った。
さっき彼に福音をもたらしたらしいカードたちは、美しくテーブルの上に並べられたまま何も語らず置き去りにされている。


「よぉお嬢さん、逢える気がしていたぜ。」


 そしてカードは彼を裏切らず、彼の望みに存在意義すべてをもって答えを示す。ヴァイパーが上機嫌の笑顔を見せながら声をかけたのは小柄で美しい金の髪の少女で、そのサファイアのような瞳が印象的。
「ヴァイパー…クラレンス、ランゲラック……!」
「さすが聖女様。聖女様に跪く男の名前をちゃあんと覚えていらしたなんて恐悦至極。」
 彼女もヴァイパーのことを覚えていたらしいが、その態度、その耳に優しい声色はどう見ても非友好的、いや敵視している。幼くも美しい花の顔に怒りと言う不似合いな感情を満たして、彼の名を呼んだあと開口一番噛みついて来た。
「どういうつもりです! ロクスを騙して奪ったものを返してください!!」
 彼女のご立腹も当然で、先日望みどおり男たちは3度目の勝負の席につきクラレンスはそれまでのだらついた勝負を忘れさせる圧倒的な強さを剥き出しにしてついに恋敵の喉笛に噛みついた。そこでも彼の相棒、恋人のカードは彼に応えて女に弱い男を魅入り操ると、クラレンスは望むものを彼の女を騙す唇からありかを引きずり出すことに成功した。
その時にも、この少女は純白の翼を広げあの男の後ろにいたから、クラレンスはそれが悔しくてならなくてつい軽口が過ぎてしまった。
 目の前の彼女が天使様だということに気づいてもうしばらく経つ。もう少し秘密にしておいて出し抜いてやるつもりだったけれど口が滑ってしまった以上別の手を考えるしかなくて、クラレンスはその切替が実に速くて、相手を出し抜くことにかけては右に出るものがいなかった。
「騙したなんて人聞きの悪い。お嬢さん、いや天使様もご覧になっていたでしょう?
 あれは勝負そのものは真っ当でいかさまなしの真剣勝負だ。負けたロクスから賭けの代償をいただいただけ。
 それとも、アレをお返しする代わりに聖女様をいただきましょうか?俺としてはあんなものよりそっちの方が」

 ぱんっ。

「…おーいて……意外と気が強いご様子で。」
 金の髪黒いドレスの幼い貴婦人、口も性質も悪い男にからかわれて絡まれてお怒りになられたらしい。
ヴァイパー…クラレンスは左頬を軽く打たれて、しかし押さえもせずに楽しげに笑ってみせた。
事実頬を打たれたにもかかわらず楽しいのだから仕方がなくて、この聖女様は普段の佇まいはもとより怒った顔がぞくぞくするほどにお美しいから、クラレンスは困っている。
カードと言う恋人がいながら、彼自身は目の前の聖女様に首っ丈。しかし彼女は…何を思うのか、わからない。ロクスに傾く風など微塵もなし、クラレンスに至っては今のこの状況。
ろくでなしどもは聖女様に振り回されてきりきり舞い。
 クラレンスは彼女の正体を知っている。彼が狙いを定めた次の教皇、ロクス=ラス=フロレスの天使。
彼と同じろくでなしに神が遣わせた神の娘。文字通り、掛け値なしの聖女様。
まだ明らかに敵対してなかった頃はあろうことか意地悪ないじめっ子のロクスから奪い去り、彼女の慈悲にすがるように見せかけて調子に乗ったこともある。
「お嬢さん、ロクスを盲目的に信じると火傷するぜ?
 あいつと俺とは似たもの同士だ、お嬢さんに関しちゃ俺の方が幾分ましかもしれない。」
「…私はロクスから奪ったものの話をしています。私自身に触れられるものなら触れてみなさい…!」
 彼女はからかわれると怒るあたり見かけ同様のあどけなさがあって、クラレンスはそのあたりも気に入っていたりする。男あしらいのうまい女にはない初々しさ、とでも言えば的確だろうか。
素直で疑うことを知らなくて、それが可愛いから――――自分の好みに染めてみたくもあり、自分が彼女の好みに染まってみたくもあり。
背筋がジリつくような駆け引きを繰り広げる相手としては、幼いながらも申し分ない、クラレンスはそう思っている。
「おぉ、その気迫。さすがという他はない美しさだ。
 とはいっても、怒らせたお嬢さんに触れるほど俺は無鉄砲じゃない。
 言ったろ?ロクスより紳士かもしれない、って。べたべた触るつもりはないよ。」
 言葉のとおり、クラレンスはある距離をとりそれ以上不躾に近寄ろうとはしない。それは保身のためかそれとも彼のプライドから来るものか、幼い天使は計りきれずに彼のペースに巻き込まれてしまった。
彼女は普段誰の目にも見えない神々しいお姿だけど、そんな彼女が長い衣を引きずっていない時は誰の目にも姿が見えている。クラレンスはどちらの彼女も知ってるし気に入っているが、黒いシックなドレス姿をことさら気に入っていた。
「今日もロクスとご一緒ですか? 聖女様ももう少し男を見る目を鍛えないと。
 ロクスは性悪で聖女様だろうとただの女にしか見ていないってのに。」
「…ロクスを誤解しているのはクラレンス、あなたの方です。
 無理に彼と自分を重ね合わせて、あなたの望みはいったいなんなのですか?」
「聖女様、って言ったら、どうします?」
「そういう戯言はやめてください。
 私が何者かを知っているのなら、あなた方の思惑だけで左右されないことも気づいているのでしょう?」
「お父上であらせられる神様が、娘である聖女様を守るために不埒な博打打に天罰を下す…」
「クラレンス!」

「だったらロクスも同じ目に遭いますよ?
 あいつは俺以上に聖女様にこだわってる。表向きどう取り繕ってるか知らないが、内心ではあんたが欲しくて欲しくてたまらないはずだ。毎晩ベッドで身悶えてるだろうよ。」

 人を食った台詞回しに徹するクラレンスの紳士的な距離感と不埒な物言いに、気が長くないらしい聖女様が優しげな眉をつり上げ彼の名を呼びつけたその時、クラレンスが初めて至近距離まで顔を寄せて吐息がかかりそうな距離から低く下衆な台詞を彼女にぶつけた。不敵な隻眼が彼女を見据え捕まえて、男の本性なんて叩きつけられた天使は咄嗟に反論できなかった。
その言葉にさすがの聖なる存在も耳まで真っ赤になってしまい、返す言葉まで失った。彼が口にしたのは露骨な男の生理と精神論で、同じ女を挟み背を向け合ったろくでなし同士だからこそ通じ合える話、すべてが善なる存在の、しかも女性の彼女に到底理解などできるはずもない。
「女に不自由してないロクスが小娘ひとり抱けずに悶々としてやがるなんて、俺としちゃかなり楽しいというか溜飲が下がるってのはこのことだろうな。
 気をつけな、あんたが聖女様だろうと天使だろうと男ってのは無茶ができる生き物だ。
 天罰かかって来いなんて開き直っちまっちゃ、あんたの処女と命を引き換えにしちまうかも知れないぜ?」
「く、クラレンス…なんてことを…!! ロクスは…ロクスは、そんなこと」
「ほぅら、あんたもあいつのこと心底信じ切れてない。
 でもそれでいいんだ。あいつはそういう男だし、俺もあんたのことを買いかぶってたなんて思いたかねぇ。
 俺はバカな女より賢くて手ごわいぐらいが好みなんだ。あんたのそういう賢いとこ、つっくづく可愛いって思ってるぜ。」
 クラレンスはすぐに離れてもとの距離感、立ち位置に戻り、男を疑いつつも愚かに信じている彼女に真理を説いてやる。あの憎らしくもうらやましい何もかもを手にして手放さない強欲坊主にどうやってとどめの一撃をくれてやろうか?
できるものならば、目の前の彼女までも奪い取り破滅を与えてやりたい。わなわなとふるえる花びらみたいな唇が愛らしくて可愛くて、そんな表情で男を煽る極上の女などそうお目にかかれるものではないから、クラレンスは毒蛇の眼で彼女までにらみつけたまま喰らいつく瞬間を狙っている。
「――――っと、チッ…カードは弱ぇくせにやたらとついてるヤツだ。」
 しかし神に、全能なる父に幼い頃より祈りを捧げ続けてきた男には理屈では説明できない幸運がつきものらしく、クラレンスは覚えのある気配に思わず舌打ちをしつつ吐き捨てた。
いや神に守られているのはむしろその娘である彼女の方だろう、ロクスはその彼女に見出され「ついでに」守られているに過ぎないのかもしれない。心配性のお父上がとりあえず使える手駒を動かし娘を不埒者から守るために行動を起こし、雑踏の中でも目立つ高貴な紫色の上着がクラレンスのひとつしかない目にも見え隠れしている。
「今見つかっちゃ俺はあいつに殺されちまう。お名残惜しいが今日はこれでさよならだ。
 じゃあな、俺の麗しい天使様。ロクスを信用するんじゃないぞ。」
 クラレンスは今の自分の立場を忘れていなくて、恋敵以上の敵対関係のロクスが駆けつける前に立ち去るべく別れの言葉を口にしながら――――
「!?」
 天使様の白くて小さな手を取りその滑らかな甲に笑いながらキスを捧げた。当然清らかなる乙女は即座に手を引き彼を振り払い、それだけでは済ませず今度は加減ができぬ左手でクラレンスの右頬をしたたかに打ち据えた。両頬を、特に右を赤く染めながらもこれ以上ここにいてはそれ以上の痛い目が待っているから、クラレンスはまた舌打ちしてなにやら石畳に向け吐き出すと、それでも不敵に笑い片手を挙げて挨拶に代えその場をあとにし雑踏に消える。
石畳に吐き捨てられたのは、彼の血だった。…さっきの平手打ちで口の中を切ったらしい。
「おい、今ここにヴァイパーがいなかったか?」
 入れ替わりに現れたもうひとりのろくでなしが響きだけは優しげな声を彼女にかけるけれど、彼は振り向いた青い瞳の揺れ具合と珍しい悔しげな表情に怪訝そうな顔をした。
「いました!」
「なんだって!? それでヤツは今どこに」
「私にキスなんてしてどっかに行きましたッ!!」
「……なにィ!?おいそれ思いこみとかじゃないだろうな、シルマリル、答えろ!!」
「された私が言っているのに思いこみとか言うんですかロクス!!」
「…落ち着け。俺も落ち着くから、君も落ち着いて簡単に説明しろ。
 どうせヤツのことだ、今から追っても無駄になる。」
 これまた珍しくヒステリックにわめく己の天使の姿に却って冷静になったらしく、ロクスは大きくため息をひとつついて彼女の小さな両肩に細い手を乗せて落ち着くようにと諭した。しかし被害者である天使様は悔しげに涙なんて浮かべているから…
「…どこにキスされた?」
 ロクスは質問を変えて誘導尋問と言う手を選んだ。誘導尋問とも言えないほどにわかりやすいんだけど頭に血が上っている彼女にはこれで充分だろう、それでも答えが的を射なければイエス・ノー式にすればいい。
「………………」
「シルマリル? 場所によって報復の度合いも変わるだろう?
 もっともこれだけの人目があるからたいしたことはできないと思うが。」
「……………手。」
「は?」
「手の甲に……。」

「お前バカかぁ!? 手の甲にキスされたからってべそかくヤツが今時どこにいるってんだ!!」
「ロクス声大きいっ」
「お前のバカさかげんがこうさせてるって少しは理解しろこのバカ!!」
「バカバカ連呼しないでください!」
「バカで気に入らなきゃお子様とでも呼んでやるよ、いいかげんにしろこの箱入り娘!」

「…はぁ疲れた。報復するのもバカバカしい。」
 あまりにも予想を裏切る彼女の言葉に疲労困憊といった素振りを見せながら、ロクスが長く波打つ前髪をその手でかき乱す。
「でもっ」
「うるさい。僕はてっきり顔とか唇とかやられてべそかいてると思ったのに、どうして手の甲ぐらいでお前は泣けるんだよ。そんなんじゃ騎士の国のお姫様は涙流しすぎて干からびるだろうが。」
「それとは意味が違うしっ」
「あーもういいかげんにしてくれ。これでチャラにしろ。」
「きゃ!?」
 投げやりなろくでなしは何を思ったのかシルマリルの小さな手を取り、ヴァイパーと同じく白い手の甲にその不実な唇で触れた。彼は放り出すようにすぐに手を解きさらに言い放つ。
「はいはい明日ぐらいまでお姫様に忠誠でも誓いますよ。
 僕はどうせ聖職者だからな、騎士みたいに永遠の忠誠とか誓う義理もないし。」
「ろ…ロクスっ……」
「で、何からわがまま聞けばいいんだ?
 君は無茶を言わないことを見越しての忠誠だからな、あんまりやりすぎたら置いていくぞ。」
「それは忠誠とは言いません。」
「僕としてはかなりのものだ。ご婦人のわがままを聞くことはほとんどないからな。」
 いかにも彼らしい不実な台詞を吐きながら、ロクスは唐突に微笑を浮かべてまだ納得がいかなさそうな彼女に細い手を差し出した。
「さ、お手をどうぞ。」
「…結構です。手を引いてもらわなくても自分で歩けます。」
「じゃあそうしてくれ。君の手を引いていたらご婦人が気後れして僕に近寄らなくなる。」
「そういうことでしたら、どうぞ。」
「…あまのじゃくな………。」
「あなたほどではありません。」
 つきあいよくあまのじゃくになってしまった天使様との押して引いてのやり取りのあと、ロクスは言い出した手前取り消すこともできずに先ほどキスを捧げた小さな手を取りそっと引いた。…こういうやり取りを繰り広げていると、ヴァイパー…クラレンスの戯言が真実の一端を射抜いているのだと思い知らされるから、シルマリルは彼にからかわれていると気づいていても引っかかってしまって逃げられなくなる。
 けれど、彼女は確信している。ロクスとクラレンスは似ていない。
ロクスはどこか危うげなものを隠しているけど、クラレンスは一度何もかもを捨て去ったかのような潔さにも似た投げやりさでそこに確かに立っていた。
ロクスはまだ何も捨ててないし、つかんだものを手放したがらないあきらめの悪さがある。
だってシルマリルの手をぶつぶつ言いながらもこうしてつかんだまま離さない。
クラレンスは何を思うのだろう、一度手にしておきながらもあっさりと捨てるみたいに手放す。
「…ロクス」
「ん?」
「…あきらめが悪いことは無様でもなく、欠点でもありませんからね。」
「いきなりどうした? あきらめ悪いのは僕の性格だ、どうにかなるものじゃないだろ。」
「…変わらないでくださいね?」
「だからどうしたって言ってるだろ、人間はいきなりそんなこと言われると驚くんだから。」
 手を引かれながら、彼の言葉にいつか安心を感じるようになった。
シルマリルはろくでなしどもに翻弄されながらもこうしてい続けるしかない。このろくでなしはシルマリルの影響を受け続けて少しずつ変化している、クラレンスは信じるなといったけれど―――――
「不安なら全能なる父と精霊にでも誓おうか?
 それで君が安心できるのならばいくらでも誓ってやるよ。どうせ子どもの頃からそうしてることだし。」
 信じるに値しない男なら、こういう言葉を、何の得もならない相手を安心させようとするだろうか?
投げやりな彼が安心させようとする、そんな扱いをする女ができたことをとやかく言うものも出始めた。
彼としては逆らいようもない天使様だからに過ぎないのだけれど…。
「とりあえず、ヴァイパーが手の甲にキスしたところで性格の悪さとか病気なんかがうつる訳でもないんだから忘れてしまえ。
 僕もしたんだから大したことじゃない。」
 そう言いながら彼は何を思うのだろう? シルマリルの手を引いたまま離そうとしない。
それはクラレンスの台詞を裏づけているみたいで、シルマリルは黙って手を引かれるままついて行きながらも得体の知れない疑惑が頭をもたげ始めていることを感じていた。

 毒蛇はこうして火種を撒き散らしながら狙った獲物を破滅へと駆り立てる。


2008/05/02

ろくでなしそれぞれのひねた感情表現、ロクスと同じに「カード」「ろくでなし」をキーワードにしてみました。
天使様は名前を大事にしそうなので、通り名ではなく本当の名前の「クラレンス」を呼ぶような気がします。