■□ Heart of gold □■
ロクス、ヴァイパー  イベント「毒蛇」より・ロクス視点

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 …嫌いじゃないんだ。ただ下手に出られないだけ。
俺は騒がしい酒場の中、酔っ払いたちの間をすり抜けながら、ヴァイパーとやりあった二階からシルマリルをつれて一階に降りた。おせっかいな天使様は「俺が気に入らなきゃほっとけ」と釘を刺したにもかかわらず、お仕事上仕方なくなのかそれとも俺のことが心配なのかわからないんだけど、ちょくちょく顔を見せては何かとお小言を残してくれる。今夜もどうやらそんな風で、しかし無謀にもこの美貌の持ち主なのに、人間の姿で酒場に現れた。…おとなしい性格と見かけの割に、かなりの無鉄砲ぶりだ。
無鉄砲では他人のこと言えた義理じゃない俺だけど、彼女は俺以上かもしれない。案の定絡んできた酔っ払いを振りほどけずにおたおたしていたところをヴァイパーのヤツに助けられてたみたいだけど…ヴァイパーのツラ見に二階に上がった時に気がついたんだよ。シルマリルがいる、ってこと。
またかって思ったけどその時はまだこっちのこと伺ってただけだったから知らないふりしてたけど、俺とヴァイパーが話してる間、気づかないうちにバカが絡まれてた。
 助けてやりたかったさ。でも正直なとこ少し懲りてほしかった。善人しかいない天界じゃないだから自衛ってヤツを覚えろって思った俺はあえて少しの間様子見、って選択をしちまった。
そこに酒を取りに降りてったヴァイパーが、そばを通りかかったついでに…まさか、とは思ったが、ヤツはあっさりと彼女に助けの手を伸ばした。俺とは違うやり方でうまく場を収めて、その場でシルマリルの顔を覗き込んだりして二言三言話してたけど、結局人間の男になんて興味ない可愛い天使様はヤツのことなんて眼中にあるはずも入るはずもなくさっさと袖にして俺の元へとやってきた。
気づいてても助けに行かなかった薄情な俺、だ。こうなったら彼女に声をかけられた瞬間に初めて気づいたふりをするしかないだろう? 思うとおりに進まないといらついてひねくれる俺の悪い癖、今夜もどんなに席を勧めても座ろうとしないでお小言をくれる彼女につい本性を現しちまった。
こうなったらもう品行方正な僧侶のロクスとやらを演じてもしょうがない、その点腹をくくったことで少しは肩が軽くなった気がするけど――――困ったことに、毒蛇君が彼女を気に入っちまったらしい。
シルマリルを相手にしてると、ヤツは俺に向ける嫌味ったらしい笑みじゃなくてニコニコニコニコまるで色気づいたばっかのガキみたいにご機嫌な顔を見せていた。
アイツ、俺より年上っぽいけどまさか少女が趣味だったとは…頭痛の種が増えた。
とりあえずの自衛の一歩、俺は彼女を連れてヤツの近くになる二階から降りてカウンターに腰を下ろし天使様を隣に座らせて、ようやく酒にありついた。…顔を上げずに向けずに二階を目だけで見ると、やっぱりヴァイパーはこっちを…多分シルマリルを見てる。シルマリルはすぐにヤツの視線に気づいたみたいで顔を上げて見てたけど、ヴァイパーが手を振ったのを見てこのバカは間抜けにも引きつった愛想笑いなんてつけてちっちゃい手を振り返しやがった。
俺の抵抗はカウンターに酒瓶を派手な音させて置くことぐらい。けどまあシルマリルはそれでびくっとして手を振るのをやめたから…そのぐらいしかできないなんてなんだか空しいけどな。
「酒は…その外見じゃ飲ませたくはないな。かといってミルクじゃ当てつけにしかならないし」
 俺が飲んで彼女は何もなし、じゃあまりといえばあまりだろう。彼女が天使で人間のそれとは違うってのはわかってるけど、この見かけだと酒なんて勧められない。でも酒場にある飲み物で酒が入ってないなんて思いつくか?
俺は酒場に来たら酒を飲む。当たり前なんだけど他の、酒の入ってない飲み物なんて口を濯ぐ水か少し飲みすぎた時のレモネードぐらいしか飲んだことなんてない。
酒に関しては正直ガキの頃の背伸びと自棄酒から始まったからあまり思い入れもいい記憶もないけれど、それでもそれなりの時間飲み続けて味だけはかろうじてわかるぐらいになった。バカ騒ぎの酒じゃなきゃゆっくり飲むのが好みだ。…って言っても、バカ騒ぎじゃない酒なんて最後飲んだのはいつだったか思い出せない。
「あ、私は」
「レモネードでいいだろ? あれなら酔いざましにどこにでもあるし酒は使わないし。
 ここのは飲んだことないから味のほどはわからないけどね。」
「…はい。」
 今度はおとなしく俺の隣に座ってくれた、美しすぎる天使様。でもどう見ても16ぐらいの少女に見えるし、さっき見て気がついて驚いたけど、身長だけなら頭のてっぺんは俺の顎にも届かない。…まるで子どもだ。
美しいだけ、態度もどこかおどおどしてておおよそ天使――――信仰の対象、祈りを捧げても現れることなど期待のしようもない奇跡の発現者の威厳なんてどこにもない。
まあそんな彼女だから俺もすんなり受け入れたってのはあるんだけど。これで書物の中の天使の記述通りに偉そうなのが来たなら適当に外面繕って最低限のことすらやるか怪しいもんだけど、あんまりいじめちゃ可哀相なのが来たから俺だって最初はおとなしく様子をうかがわせてもらった。
それで気がつく彼女の幼さ、無邪気さ、あどけなさ。さっきのヴァイパーじゃないけど少女が好みの男なら、この押しの弱さもあるし天使だってことを忘れそう。
 俺たちは二階から場所を変えてカウンターに座った。二階はあいつらが先客だしでもシルマリルが一緒だとあいつが何かとちょっかいかけてくるのはわかりきってるし、そんなじゃ酒の味なんてわかりゃしない。ヤツが持ってきたワインは確かにいいワインを出す土地の当たり年のやつで、この酒場だとそれなりの値段はするだろう。味もまあ申し分ない部類だと思う。
こんなワインを飲むんだったら確かにほどほどの美女を数人侍らせるより、とびきり美しい女がひとりいた方が味わえるだろう。
「…ま、君がつきあってくれないことはしょうがないか。」
「え?」
「子どもに酒なんて飲ませられないからな。酔わせて何が出来るわけじゃなし。」
「そ、そう言う見方やめてくださいっ!!」
「悪い悪い、僕はそう言う楽しみ方をするもんでね。
 だから言ったろ? 僕は君のお気に召す人間じゃない、って。」
「………………………。」
 やっとシルマリルの前にレモネードのグラスが来た。けれど彼女は俺の言葉の前に、当たり前みたいにふてくされた顔でそれに手を伸ばす素振りを見せないどころか身動きひとつしない。
…生真面目なんだ、このお嬢さんは。冗談も通じない。
「でも僕は君が嫌いなわけじゃないぞ。
 女性はみんな好きとかそう言う話抜きで、君のことは気に入ってるんだ。」
 そう切り出したことでやっとシルマリルが顔を上げた。そう、別に機嫌取りの嘘なんかじゃなくて、
「心配性だしお節介だしそのくせすぐ予想できないことが起こると慌てるし…」
「…それってあまりいい意味ではないと思うのですが」
「外見が完璧で礼儀作法も言葉遣いも非の打ち所のない君だけど、中身はそそっかしくて可愛いって言ってるんだ。」
 そう。伝承どおりなら天使様は完璧すぎて人間の矮小さってヤツばかり強調しかねない。
そんなのに顎で使われてみろ、すぐに嫌気がさしちまう。けど逆らえなくて結局言うこと聞くしかないなんて、それじゃただの奴隷じゃないか。
「冗談が通じないってのはあるけどそんなの人間の女だって探せばいるし。
 高みの見物決め込まないってのは君の性格なのだろうな。」
 けれど実際はまるで違った。シルマリルは善性が強いだけの少女みたいで、偉そうでもなければ自信満々といった素振りもほとんどない。まだそんなにつきあいは長くないけど俺のところに来ても何か言いつけるでもなく俺のことを訊いてきたりなんだったりの雑談ばかりで、とりあえず彼女がそそっかしくて生真面目で優しいことだけはよーくわかった。
 俺は感じた印象を端的にまとめて言ってみたけど、シルマリルは俺が何を言ってるのかどうやらよくわからないらしい。可愛いことに小首なんて傾げて、そうすることでシルマリルの細い金髪がゆらゆら揺れて、美しいと言うより可愛らしい。
可愛らしい女が嫌いな男なんてそうそういないだろう? ただ俺はもう少し育ってる方がいいから普段の彼女に魅力を感じないだけ。
「こうして僕の隣で、ほぼ対等の立場に立っての話もできるだろ?
 天使に忠誠誓うってのは僧侶の僕である時だけにしてほしいとこだけど、まあ君もこうしてつきあってくれるんだから僕もつきあわないとあんまりだよな、って気にさせてくれる。」
 小首を傾げて考え込んで――――理解しようとしてる仕草は可愛いし、可愛いだけじゃない。彼女のそれは上っ面だけの俺とは違う。彼女に上っ面を装うだけの理由も必然性もない。
これが天使の魔性なのか、それともシルマリルの性格なのか。
彼女の性格だとしたら、…俺が守ってやるしかないんだろうな。特にあのヴァイパーとか言うのから。
アイツは間違いなくシルマリルをひと目で気に入った。惚れたかもしれない素振りを隠そうともしてなかった。世話焼きでお節介で心配性で…確かに、後腐れなく遊ぶにはこんな女だけは避けたいけれど、………

 …いい女だとは思う。
本気になるんだったら、どうせならこんな風に心配してくれる女の方がいいよな。

 何らしくないこと考えてるんだろうなんて気がついて、俺はついため息なんてついちまった。
何考えてるんだ、こんな子どもに。天使様に。惚れたら一番つらい相手じゃないか。
…抱くことはもちろんキスすら出来ない相手だぞ。わざわざ高い女を選ぶ必要がどこにある?
本業以外でつらい思いなんてごめんだ。
それに俺は女では不自由してないはずだ、気の迷いからまさかなんて生みたくはない。
「君もそれを早く飲んでしまえ。僕も今夜はこの一杯でおとなしく寝ることにするよ。」
「え、でも、ワインってしまっておけるものなんですか?」
「ワインは瓶を開けたら飲みきるもんだ。」
「じゃあ」
「…いくら僕が酒好きでもひとりで一本は無理だよ。それに今夜のはタダ酒だ、飲めなきゃ振る舞うだけさ。懐も痛まない。」
 …たとえ懐を痛めようと振舞い酒ばかり、バカ騒ぎばかりして気を紛らわしている俺の台詞じゃないとは思うけど、自棄酒ならともかく幼いとは言えちゃんと話に耳を傾けるいい女とさしつさされつの酒だから、いや別にどっちもお互いに酌はしてないけど差し向かいでゆったりと飲んでるって意味ではそんなだから、なんだか体に回るのが早い気がする。自分で感じるぐらいに酔ってるんだったら、結構飲んだことになると思うんだけど――――まあ、嫌な酒じゃない。
けど限界は思っていたより早く来た。
「…そう言う飲み方、やめてください……。」
 俺の言葉に彼女は案の定と言った具合のお小言を口にした。
人が飲んでる時にそんなこと言うか? 酔っ払いの俺は当然カチンと来てシルマリルの顔を見るんだけど、
「あ、命令とかそう言うことではなくて、その…ワインは葡萄の命の滴です。もっと大事に飲んでほしいと言いますか…うまく言えないんですけど……」
 俺は酒場の喧騒に消え入りそうに続いたシルマリルの言葉にとっさに言葉も出ないほど驚いた。
『葡萄の命の滴』――――確かにそうだ。言われて初めて気がついた、ワインは葡萄の房を丸ごと酒にする、当然摘まれてワインになった葡萄は次の世代を残す役目を負えずに人間に飲み干される。
俺はそんな酒を、飲めなかったからと振舞い酒をする――――彼女がそう思っているんだったら俺は相当の悪人に見えていたことだろう。
命を無駄にすることはどういう事情があっても犯してはならない大罪だ、それを法衣を着ている、僧侶の俺が、放蕩のついでとばかりに浴びるように煽るなんて…命を無駄にしてるように見えりゃ、彼女が怒るのは当たり前だ。
「…私のこう言うところが嫌だってロクスは言ってるんですよね…ごめんなさい。」
 謝るなよ。この状況じゃ、お前の言葉じゃどっちが悪いのかなんて明白だろうが。
まいったな…こういうの。教皇庁の連中の、副教皇のお説教なんかより骨身にまで痛いくらいにしみちまう。先に自分の短所を認められちゃどうしても自分の非ってヤツがはっきり見えるだろうが……。
そんなに時間はたってないはずなのに、シルマリルの前の口もつけられてないレモネードがずいぶん汗なんてかいていた。
「あのっ、私少しなら飲めるかもしれませんから」
「無理しなくていいよ。誰かが飲むんだから無駄にはならずにすむだろ。」
 そしてシルマリルが思いつきの無茶を口にしたけど、…おいおい勘弁してくれよ。飲めなかったらどうするつもりなんだこのお嬢さんは?
酔っぱらった男にいつもの理性なんて期待されちゃ困る。今はただの女なんだ、俺がいなかったらさっきみたいに酔っぱらいどもにつかまった挙句、下手したら輪姦されちまうぞ。…って。
俺がいなかったらこんな場所に来るはずないか。
「それより君は目の前のグラスをさっさと空にしたらどうだ?
 それもレモンの命の滴なんだろ?」
 …結構、可愛いって思っちまった。もし彼女が人間の少女なら、手放さずに成長を眺めるのもまた楽しいことだろう。そして彼女の器量ならそれは美しい女性になる。
好みの年齢に達したところでゆっくりと、ってのもありなんだけど…それもこれも彼女が人間だったら、の話。
酔っ払いお得意のたらればの妄想に過ぎない。
 シルマリルは俺の言ったあてつけをあてつけとも思わずにいるのだろう、小さな手でグラスを持つと、ようやくレモネードに口をつけてゆっくりと飲み始めた。最初は片手で持ったグラスを、すぐにもう片方の手で底のあたりを支えながら、ゆっくりと――――作法の行き届いた女性ならではの、品のある飲み方だ。
嫌いじゃないどころか、俺としては好きな仕草のひとつだ。
「いい香り…甘ずっぱくておいしい…。」
 おそらく人間の飲み物を口にしたのは初めてなんだろう、彼女はそれを半分ぐらい飲み干して、感動したみたいに笑顔をこぼしながらそれだけ言うと、もう少し、と言った具合にもう一度グラスに口をつける。
その一連の仕草が可愛くて、俺はカウンターに頬杖なんてつきながらシルマリルの様子を眺めていた。
「あ…私の顔に、何かついていますか?」
「ん? いや、僕の知ってるご婦人とはまるで違う仕草をするのが珍しくてな。
 意外につきあいはいいんだな、もう少し大人になったらその時こそワインで乾杯しようか?」
「はい。お酒には飲み方があると聞きました、ロクスはお酒が好きみたいですし、ぜひ教えてくださいね。」
「僕の飲み方はほめられたもんじゃないよ。見習っちゃいけない。
 それはそうと」
 やっといい酒を飲める空気に戻り、俺は改めてシルマリルを眺めた。
「はい?」
「その服、よく似合ってる。勿忘草色のワンピースなんて目立たない服でも、君が着ればドレスになってしまうあたりが天使様たる所以、ってところかな。」
 お世辞でもなんでもない。事実彼女の丈の長い色気も何もないおとなしいワンピースは、彼女だからそれは品のある着こなしになっていて、翡翠色の靴もそのワンピースにも目立った装飾らしきものはないのにどこか華やかさがあって、けど悪目立ちはしない。まるで彼女の存在感そのものだ。
天使が身にまとうものだから仕立ては極上なのだろうけど、至って地味な衣装だから派手な首飾りが悪目立ちしないでしっくり来ている。
 それにしても…詰め物してるかとか服の皺かと思ってたけど、ずいぶん立派な胸をお持ちで。
普通に体の脇にくっつけてる腕に胸が乗っかっちゃってるよ。相当でかいな。
ああでもご婦人方は自分を美しく見せるためなら厚塗りの上に新しい顔を描くことも肉体改造も厭わないからな。思い返せば俺も何度かだまされて蓋を開けてびっくり、ってこともあったっけか。
…結局その胸の中身も、実際に見て触らないことには永遠の謎、か…まさに永遠、だな。
天使の、シルマリルの裸なんてどうがんばれば拝めるんだか。命と引き換えにしたところで見るだけ、じゃあなぁ。
「あ…この首飾り、派手ですよね? 悪目立ちしてますよね?
 これ押しつけられたんです…似合う者がいないから、って。
 誰にも似合わないんだったら私にも似合わないのに…。」
 しかし彼女は胸ばかり見てた俺の視線を少し上に勘違いしてくれたらしく、厚みのある首飾りを見ていたと解釈してくれた。
「いや、よく似合ってる。
 それは身につける人間を相当選ぶ代物だろ? 君以外の誰かだととたんに下品になるな。
 君は何を着ても似合う様子だし、今度はぜひ丈の短い服を着て見せてくれないか。
 裾を引きずるいつもの衣も君らしいが、あれはさすがに不便そうだ。ほどほどに短い方が動きやすいだろ?」
 俺自身ころころころころよくもまぁ態度が変わるなとは思うけど、シルマリルという存在、いや女は不思議な女で、多少腹立たしいことがあってもすぐにそれがさめてしまう、そんな不思議な印象を与える。
それはかなり得な存在感だろう。それに加えてこの絶世の美女になることが約束されているとしか思えない容姿と、それが醸し出している近寄りがたさを和らげる、小柄さから来る幼さと愛嬌、…ホント、よくできてるというか神様も計算しつくしてるというか……
「あ、私は短いと落ち着かないんです。それに脚とかほとんど出したことがないですから慣れなくて…。」
「そんな風に言われると興味をそそられるじゃないか。」
「またそうやってからかう…。」
「ははは、しょうがないだろ。君の反応はいちいち新鮮なんだから。
 でも気分を悪くしたんだったら謝るよ。」
 少なくとも、嘘をついたりご機嫌取りはしていない。素直すぎて駆け引きが通じない相手なんてそうそういるはずがなくて、彼女の言葉には裏がなくて素直に受け取ればいいってあたりは気楽だ。
女には駆け引きってヤツがつきまとう、って思ってたけど、こうも素直だと装うことが馬鹿馬鹿しくなってくる。…もっとも、俺が素直になれるかって話になればまた別なんだけど。
 シルマリルは俺が笑ったことでしょげてたのから立ち直って、今度はあわてて目を丸くして
「あ、いえ、そんなわけではないので謝らなくても」
 なんて小さな手をひらひらと振って謝罪を拒否した。
「シルマリル」
「はい?」
「もう少し肩の力を抜いたらどうだ?
 他の勇者様たちは真面目で君の態度が当たり前かもしれないが、僕を見てみろ。
 君をからかうわ酒場に誘ってひっくり返らせるわ、今だって君は酒抜きとはいえ天使様を酒の席に誘って…おおよそ真面目なんて言葉と対極にいるような人間じゃないか。僕もそんな風に構えられると身構えてしまう。」
 俺はワイングラスの足を指先でつまんでくるくるとグラスの中のワインを回しながら、そしてそれをひと口飲んでさらに言葉を続ける。
「生真面目なのが君の性格だってのはわかってるつもりだけど、君はいちいちがんばりすぎだ。見てて危なっかしくて心配になる。」
 可愛い天使様。真面目な天使様。
だけど逆にそれが危なっかしくてしょうがないのは、俺が不真面目だからだろう。がんばりすぎて破裂しそうで、危なっかしいったらありゃしないんだけど、それが可愛くもある。毎日毎日一所懸命で目を回して倒れてしまいそうで、口に出したことはないけど心配でしょうがない、そんな女性。
用がなくても押しかけてくる彼女を最初は鬱陶しく思っていたけど、すぐに慣れてそのうち顔を見ることでなんとなく安心するようになった。
 でも、それでも多分心配足りない。彼女は美しすぎて、なのに彼女自身は純粋で人を疑うことを知らなくて、加減というものも知らなくて、自分に限界が存在するという当たり前のこともきっと忘れてるに違いなくて――――
「…ごめんなさい。」
「謝ることじゃない。心配してるのは僕の勝手な都合だ。
 君は手の抜き方なんて知らないんだろうけど、がんばりすぎちゃここ一番って時に破裂するぞ。
 僕を手本に手の抜き方を覚えた方がいい。」
 俺は彼女の対極にいるから彼女の見えてない欠点ってヤツが顕著に見えてしまうから、彼女が俺のことを心配してくれるのと同じように、心配されるだけじゃなく返すことだってできる。こんな薄暗い酒場の明かりの下でもシルマリルは淡く光を放ってるみたいに存在感が違っていて、そんな彼女に質素で上品な勿忘草色の衣装と厚みのある翡翠の首飾りが清楚でよく似合ってる。
 俺はグラスの底に残していた最後のひと口を少し名残惜しく思いながら飲み干した。いつまでもこんな子どもを酒場に置いておく訳にも行かない。それにヴァイパーのヤツは相変わらずこっちばかり見てやがる。
…相当、シルマリルは気に入られたみたいだ。まあ仕方ないといえば仕方ない、天使という存在は人間を魅入り神の下僕に変える、そんな存在。
俺が魅入られなかったのは半信半疑、疑っていたことと彼女が幼かったからに過ぎない。
シルマリルの前のグラスにはまだ少しレモネードが残ってる。
「帰るぞ、君もグラスを空にしてしまえ。」
「あ、はい。…………………………ごちそうさまでした。」
「どういたしまして。」
 素直な彼女は俺の言葉に従いそれを飲み干して丁寧にごあいさつ、それが可愛いったらありゃしない。
酒場女を両腕に抱えることはできなかったけど、たったひとりの極上の女になる予定の少女を隣に座らせて、いいワインを楽しんで…今夜は気持ちよく眠れそうだ。
いろいろ抱えすぎて気持ちいい眠りなんて忘れそうな俺が、小言に耳をふさいで笑うばかりの俺が、最近は、特に彼女が現れた日の夜なんかは我を忘れて眠れるようになった。
朝が気持ちいいものだなんて当たり前のことを確かめるようになった。
「君は思ってたよりつきあいがいいんだな。小言を言わない君と飲む酒は美味かったよ。」
 俺はそんなことを言いながら席を立ちつつシルマリルに手を差し伸べる。彼女は素直に俺の手に小さな手を載せ、俺はその手を引いて彼女も立ち上がらせて、酒場の夜に幕を引く。
「僕が君の役に立つかどうかわからないが、疲れたら息抜きに来るといい。
 僕は手の抜き方とか息抜きとかそっちの方なら誰よりも長じてるからな、どうせ君の勇者殿は真面目の上にどがつくほどなんだろう。」
「え!??」
「顔色が疲れてるぞ。
 面やつれした美女というものもいいが、君みたいな頼りなげな女性だと可哀相になってしまう。
 ――――少しは緊張もほぐれたろ、今日はゆっくり休めよ。」
「……はい。」
 俺は彼女をからかいながらカウンターから離れて、その喧騒から抜けた。
ドアを開ければ、外は別の世界のように静かだった。

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