■□ Heart of gold □■
ロクス、ヴァイパー、ラツィエル、レミエル  イベント「毒蛇」より
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「ねね、このドレスなんてどうかしら?」
「あら、こちらの色と丈なんてシルマリルに似合うと思うのですが。」
「あー、それもいいわね。この髪飾りを合わせたら無敵だと思うわぁ。」
「その髪飾りを使うのならこのイヤリングも合わせてみてはどうでしょう。」
 …さっきからくるくるくるくる回されている。
シルマリルがとある用を抱えてフロー宮を訪ね、ついでの用を思い出して頼んだところのこの状況、フロー宮の主ラツィエルだけでなく、エミリア宮にいるはずのレミエルまでも出張してきて幼い天使ひとりをモデルにしてのショーを楽しんでいる。
楽しんでいるのは大天使だけでシルマリルはなすがままなのだけど、彼女が逆らえないのをいいことに?美しい女性の姿と人格を持つ大天使たちはまた次の衣装とアクセサリをどこからともなく引っぱり出してきた。
「このネックレス、存在感がありすぎて誰も使いこなせなかったの。
 せっかくだからそれに合う衣装探してみない?
 合うのがあったらそれに決めましょうよ、レミエル?」
「まあ! このネックレスがあったのですね。
 ガブリエル様ならお似合いかもしれませんけど、石の組み合わせが若々しすぎると言いますか、少し派手なのですよね。シルマリルはガブリエル様に雰囲気が似ていますから」
「ああああのっ私のような幼い天使ががががガブリエル様に似ているなんておそれおおいっ」
 黙っていては娯楽の少ない大天使たちのショーが終わるとは思えないけど逆らえない下っ端のシルマリルはおとなしくしていた。しかしおそれ多くも四大天使のひとりガブリエルに似ているなんて言われては冷静でいられるはずもなく、どもりながら舌を噛みながらわたわたと慌ててみたんだけど――――そんな彼女をラツィエルが軽く羽交い締めにして、動けなくなった幼い天使にレミエルのたおやかな白い手がいかにも重そうな翡翠のネックレスをかけさせた。
まるでレースのように美しく編み上げられるみたいに作られた銀の台に大小の翡翠をあしらった華やかなネックレス。ドレスの襟ほどの幅を持つそれは確かに身につける存在も衣装も選ぶどころかえり好みする存在感を放っていて、今シルマリルが着せられている白と鮮やかな青紫のドレスでは主張し合いすぎてまったく似合っていない。
「そそそそれに粗忽な私は色々物をなくすかもしれませんからこんな身に過ぎた物を身につけたら表を歩けませんっ!!」
「…そう? じゃあ仕方ないわね」
 必死に訴えるシルマリルの言葉へのラツィエルの返事はあきらめを含んでいて、シルマリルはさらに必死の様子でうなずくんだけど、
「ではネックレスだけにしましょうか。
 人界で作られた物とは違いますから、シルマリルが首から外しさえしなければ石が落ちたり鎖が切れたりすることはありませんし。
 私たちが身につけても似合わなかったこれを身につけられそうな存在がようやく見つかりましたからね、ネックレスのためにももう少し衣装を選びましょう。」
 シルマリルの抵抗は、レミエルの空気を読まぬ、いやあえて読まずに黙殺した言葉と笑顔の前に不発に終わった。…いや彼女だから天然なのかもしれないが、どちらだろうとシルマリルには大差ない。
この状況がもうしばらく続くことは間違いない以上、シルマリルにとって今がどうだろうと差などなかった。
『人間の姿を現すこともあると思うので、それに見合うような衣装が欲しい』
 その言葉から始まった終わりの見えないファッションショーに、シルマリルは身から出た錆と言うにはあまりにもささやか、いや必然に近い理由なのに、なぜこんなことになったのか皆目見当がつかない。
宙を舞う時に踊る裾を持つほどの丈のいつもの衣で地に立つと裾を引きずることになるから、足首が隠れるくらいの丈の服が欲しかっただけなのに。
「シルマリルは可愛いからどれだけ着せても飽きないわねー。」
「あなたはおとなしくて気が弱そうに見えますから、このネックレスに天使らしく堂々と見える衣装を合わせましょうね。」
 堂々と見せては人間らしくないんですけど。
そんなことを思いながらも思うことだけしかできないシルマリルは、もうしばらくの間彼女たちのなすがままになる。



 結局彼女たちから解放されて急いで人界に降りた時。彼女の目的地はすでに宵の口も過ぎていた。しんと静まる夜の闇…のはずなのだけど、シルマリルが降り立ったそこは下卑た喧噪で満たされていた。
当然そんな場を選んだ彼女は自衛も考えて砂色のマントで頭から隠していて、旅人も多く行き交うこの場に不自然なことなくとけ込んでいる。ただこのマントを少しでも脱げば、彼女の美貌は隠すことすら出来なくなる。
天使とはそう言う存在、人間の完成形を持って存在している。
 神聖なる存在が人界の中でも混沌の坩堝に降り立った、つまりはここに何かしらの用があるということ。人間にとっては息抜きの場なのだけど天使にとっては息苦しくて、砂色のマントの中のシルマリルの顔色はすでに褪せている。

「おうロクス、お前に会いたいってやつが来てるぜ。」

 人の渦の中でも欲望の坩堝でもある薄暗い酒場の中、その言葉でようやくシルマリルが目的を見つけだした。こんな場にどこか不釣り合いな優れた容姿を躊躇なくこの空気に置く男、…シルマリルの助力者、いやこの世界を混沌から救う可能性を抱く「勇者」。それだけではなく宗教で国を統治する国家の次の頂点に立つはずの男が、酒と博打と女という欲望と混沌に身を晒しているなど、その信仰を捧げられる立場でもある天使のシルマリルが黙認できるはずもなくて――――だから、彼女は無理を押してここへと足を運んだ。
息苦しいことをわかっておきながら、つらい選択だろうと必要ならば選ばざるを得ないのはもはや善なる存在の持たされた業、と言ったところだろうか。
シルマリルは軽い吐き気を覚えるほどの場所なのだけど、彼女の勇者というなにかしらの力を持つだろう美麗ですらある青年は脚を組んだままで声をかけてきた知人らしい男と談笑に興じていた。
「誰だ?」
「あそこにいるやつだ。
 ヴァイパーって仲間うちじゃ呼ばれているらしい。」
 そこここで騒ぐ客と同じにテーブルで脚を組み酒を飲んでいたロクスと、彼に声をかけたその知り合い、知り合いの彼が親指で差したその先、二階の手すりあたりに少々空気の違う柄の悪い一団がいた。
シルマリルもロクスにばれないように人混みにまぎれながら視線だけで見上げると、その中に、目立つ翡翠色の上着と同じ色で左のこめかみ側の一部だけ染めた銀髪の青年の背中が見えた。
どうやら街の不良少年が足抜け出来ずに大人になった、そんな雰囲気をまとうささくれだった若い男のようで、ロクスとあまり差のないぐらいの長さの髪を逆立てているみたいな彼は、あまり造りが丈夫に見えない酒場の手すりなんかに腰掛けている。
その姿は危なっかしくもあるんだけど、どうやら彼はそんなこと気にしている様子などなかった。
「ふーん、毒蛇か。勇ましいあだ名だな。」
「何でもすご腕のギャンブラーって話で六王国周辺じゃ有名なんだと。」
「面白い、会ってこよう。」
 ロクスの知人の言葉の通り、毒蛇の通り名を戴く彼は、この場には少々不似合いな白い手袋をした手で使い込まれたらしいカードを弄んでいた。シルマリルからもその様子がちらりと見えて、しかし凝視している余裕はなさそうで、組んだ脚をほどき立ち上がりどこか気だるげに二階へと繋がっている階段を上るロクスを目で追い、見失わないように…する必要もなく彼は目立つし彼が足を向けた先もわかっていてそちらも目立つから、シルマリルは充分に距離を保ち間隔を置いてすぐにロクスを追いかけずに、まずは一階から彼らの様子をうかがうことにした。
「よう、ロクス。待ってたぜ。」
 しかしシルマリルはすぐに彼らを追うことになる。一階からだとロクスの声はかろうじて聞こえても、彼が顔を見に行った青年が何を話しているのかまったく聞こえない。
間抜けにも幼い天使様はぱたぱたと二階へと上がろうとしたけれど、慌てるあまり落ち着いてるけどそそっかしい天使様は勢いよく砂色のローブの裾を翻しその小さなつま先を包んでいる翡翠の色した天鵞絨の靴を見せてしまった。

「僕になんの用だ、毒蛇君。」
「なに、顔見せさ。
 俺の名はクラレンス・ランゲラック。あだ名はその通り、ヴァイパーだ。」
「僕の名は、名乗る必要がないな。」
「ああ、知ってる。
 女たらしの不良僧侶で借金王のロクス・ラス・フロレスだろう。」
「ふん、まあ、不良と借金の部分はよけいだがな。」
「ま、今日は挨拶だけだ。今度会ったときは俺はお前と勝負したい。」
「勝負? ケンカか? カードか?」
「ばか、別になぐりあいなんてのはしたかねえ。カードの方さ。
 お前も好きなただのギャンブルさ。」
「ハハ、僕の借金を知ってそんな申し込みか?
 ずいぶんと弱い者いじめが好きなのだな。」
「心配すんな。金なんかいらねえよ。
 お前が負けても俺は手前からはなんにも取らねえ。
 ただ、もし俺が負けたら、借金を帳消しにする金をやるよ。」
「ふん? 話がうますぎるな。
「なに、嫌ならいいんだ。
 俺は、ここいらへんで有名な女たらしのお前を負かしたって証が欲しいのさ。
 そうすりゃ、俺に冷たいここの女たちも振り向いてくれるだろ。」
「名誉と金をてんびんにかけるわけか。」
「そうさ、所詮ギャンブルはギャンブル、気楽にやるのが俺の趣味さ。」
「僕の借金は、ぼう大だぞ。」
「なあに、心配するな、金には困ってねえ。大船に乗った気でいろ。」
「泥船じゃなきゃいいがな。」
「ははは、まあ好きに言え。
 今夜は俺がおごってやるよ。たくさん飲んでいけ、遠慮するな。」

 酒場の片隅で男たちのヒリつくような静かなやりとりはしばし続けられて、ヴァイパーと名乗った彼はひとりで手すりからひらりと身を翻し立ち上がり、なにやら用があるのか階下に通じる階段へと足を向けた。
「ああ、誰が金を払おうと酒は酒だ。遠慮なく飲ませてもらうよ。」
 しかし彼の連れの柄の悪い男たちはその場に残るらしく、残されたロクスは恩着せがましい申し出に棘のある言葉で返し、空いている椅子に腰を下ろさず手すりにわずかに腰掛けた。
もたれるには低い手すりだから長身のロクスではどうしても腰掛ける形になり、またそんな立ち居振る舞いが様になるほどの容姿を持つ彼の無言の嫌みにヴァイパーの連れの男たちは軽く舌打ちした。
「ついでだ、駆けつけの酒は持ってきてやるよ。ワインでいいんだな?」
「おごりならなんでもいい。選り好みはしないよ。」
 階段を降りながら振り返り問いかけたヴァイパーに、ロクスは素直とも取れる言葉を当てつけとも取れる口調で返した。その言葉が予想の範疇だったらしいヴァイパーは特に返事など返さずそのまま階段を下りきって――――その瞬間、足を止めた。
「おいよせよ、どう見たって酒場女じゃないだろうが。
 酔っちまったんだったらとっとと帰って寝るんだな。」
 明らかに酔っているらしい男が、砂色のローブの背の低い人間の手首なんてつかみ絡んでいたところに、ヴァイパーが割って入った。男の肩を白い手袋で包んだ大きな手でつかみ低い声でたしなめながら、有無を言わせぬ空気を発しつつ一見穏やかに声をかける。ひとつしかない鋭い目が薄暗い酒場の中でも酔っぱらいを貫くほどの力でとらえて、しかし彼の肩に置いた手は静かに同じリズムでぽんぽんと叩き――――彼のその言葉だけで酔っぱらいが固まった様子から察するに、ヴァイパーとはロクスとは違った意味でこの店では「顔」のようだった。
そしてヴァイパーはこの薄暗い中で砂色のローブ…シルマリルを女と看破した。
つま先まで薄闇が落とす濃い影に隠れていても、酔っぱらいがつかんだ手は白く小さく、肌はきめ細かくて、わずかに見える顔、口元、朝露でしっとりと潤う薄紅の薔薇の蕾の花びら色のその唇はこんな場には不釣り合いどころか別の世界のもののようで、ヴァイパーのよく知る類の女とは明らかに異質で、見抜くことはたやすかった。
「おおかたあそこにいる女たらしを追いかけてきた初心なお嬢さんってとこだろ、お貴族様のご令嬢とかだったら後が厄介だぜ?
 幸いロクスも見てねえことだし、俺なら見なかったことにしてやれるから失せな。」
 言いながらヴァイパーのひとつしかない目が二階に見える白い法衣の背中を捉え、水を差された酔っぱらいはようやくシルマリルの手を離した。そして舌打ちしながら席を変えるべく場を離れる。
ヴァイパーは宙に浮いてしまった手をそのまま自分の腰にやり、明らかに戸惑って固まったままの砂色のローブの女の頭のてっぺんから闇に隠れたつま先までを舐めるように眺め値踏みする。
「さて、と…お嬢さん、俺につきあわないか、って言いたいところだが……」
 人を食った笑みを唇に貼りつけて誘いをかけてきたヴァイパーも結局は同類、彼は言いながら白く無骨な指先でシルマリルのローブのフードをわずかに上げて中を覗き込んだ。
「……ほう、こりゃすげえ…! 逃すわけにはいかないな。」
「あ、の……そのっ」
「別に取って食やしねえよ、恩を感じてるんだったら酒の一杯もつきあってくれりゃ俺はそれで満足だ。さっきのヤツよりはマシだと思うが、どうだ?」
「ごめんなさい、人を捜して来ているんです…さっきはありがとうございました、お礼は改めて後日させてください。」
 フードの奥の美しいサファイアの瞳から視線を外さずに、唇に貼りつけた笑みを女を誘うそれに変えて渾身の誘いをかけるヴァイパーだが、シルマリルは礼の言葉なんて口にしながらも心ここにあらず、あっさりと彼の前からすり抜けるように逃げ出した。急ぎ足で二階へと昇ってゆく小さな後ろ姿を、ヴァイパーは追いかけずに今度は彼が、また振られたことに舌打ちをする。
 それは彼の存在が何か足りなかったなどではなくて、シルマリルが真正面しか見ていないから。人の男性になんて興味がないからで、ヴァイパーがどう足掻いても彼女の興味を惹くことは出来ないだろう。
あくまでも彼女の目的はロクス、階段を駆け上がる自分の染めている髪と同じ色の小さく美しい靴を、ヴァイパーは名残を惜しむみたいについぼんやりと眺めて不意に我に返りわずかに視線を上げると、二階にいるロクスが駆け上がる砂色のローブの人間を嘲笑混じりに見ている様子が見えた。
あの様子なら駆け上がる彼女が女だと言うことを見抜いているのだろうし、あの男の評判に偽りがない、またはそれ以上なら、この状況すら、女が他の男を蹴って己の元へと駆けつける今の状況すら楽しんでいるに違いない。
 …いつか、その端正な顔を苦悶で歪ませて絶望の淵を覗かせてやろうか。その時あの男はどんな様子を見せてくれるのだろうか――――それを思うことでヴァイパーは逃げてしまった大きすぎる魚を奪われた悔しさを腹の底に沈めて何事もない顔を装う。

「ロクス、いいですか?」

 ロクスが手すりからゆっくりと離れて目の前に開いていた席に腰を下ろした直後、喧噪にかき消されそうな穏やかな声が彼を呼んだ。ようやく声をかける機会を得た、いやお節介にも押し掛けたシルマリルはわたわたと慌てる様子を見せながら今まで自分を隠していた砂色のローブの留め金を外し姿を現した。
さっきヴァイパーが見ていた嘲笑の正体はその声の主の来訪とお節介に対してのそれで、しかしロクスは今気づいたかのような口振りで大袈裟に驚いてみせる。
「ああ、いたのですか? 人の姿でいる時も美しいですね。」
 その言葉はお世辞などではない。事実突然現れた美しすぎる少女の姿に、ヴァイパーの連れを始めとする酔っぱらいたちは当然色めき立つ。
ヴァイパーの連れに至ってはローブを脱いだシルマリルを見た瞬間嬉しそうに口笛なんて吹いたほど。
 淡い淡い勿忘草色の清々しいドレスの裾から、翡翠色の天鵞絨の靴が見えている。そして彼女の細く頼りないほどの白い首を、そしてそこからなめらかに繋がる豊かすぎるふくらみを飾りそこから注意を逸らす幅のある銀の首飾り、それには靴と色を合わせた翡翠が深い光を湛えていた。
冷静に見れば貴族の普段着に近い作りの服にも関わらず、天使が着るとそれはドレスに姿を変える。首飾りの作りが繊細で目を惹くのだけれど、それ以外は実に質素な彼女の姿と立ち居振る舞いを見て、ロクスは甘い笑顔なんて見せながら隣にあった椅子を引き
「どうです? 今日はタダ酒だ。一緒に飲みましょう。」
 なんて天使を誘った。
翼を隠した彼女を初めて見たのだけれど、確かに人の姿を持とうと彼女の美貌に翳りなどない。
「え? ええ……。」
 しかし椅子を勧められたシルマリルは、立ったままで自分の用件をさっそく口にする。
「あの、ロクス聞いてもいいですか?」
 この生真面目な天使様に臨機応変なんて求めてないが、勧められたものぐらい応えてからでもいいだろうに…せっかちなシルマリルの様子にすでに半分ぐらい興が冷めてしまっていたロクスは、さらに興ざめした様子で頬杖なんてつきながら鼻だけでため息をついた。けれど明らかに不快感を表に出さず、口にも出さず。
ロクスが返事を返さずにいると、シルマリルはいつもそうするように勝手に口を開いて話を続けた。
「ヴァイパーという彼は、いったい何者なのですか?」
「さあ、よくいる手合いです。
 僕にからんでくる相手は多い。まあ、有名税みたいなものかな。」
「はあ……そう、ですか……。」
 ありのまましか語らない、どこまで知っているのかそれとも知ろうとしていないのか、と言った具合のロクスの台詞に対する煮え切らないシルマリルの返答など予想するまでもなくて、ロクスはついいつもそうするようにテーブルの上のグラス…は、ここに来る前の席に置いてきてしまった。杯を持ってきてやると言ったヴァイパーはまだ階下にいる。
ロクスが今度はテーブルに置いたグラスを取ろうとしてグラスがなかった少々間抜けな今の構図に舌打ちする。だが納得してはいないけどとりあえず自分の隣からシルマリルが離れようとしない様子に、そんな彼女を酒場中の男が凝視しているこの状況に、彼女が追い求めてきた相手になる自分に集められているだろう嫉妬と羨望の大きさを思うことでロクスはようやく溜飲を下げた。
何に対しての溜飲かは彼にもわからない。薄闇の中で限りなく黒に近い男の目がふと天井を仰げば当然本来の色――――紫水晶に似た表情を見せる。
酒場中の男がロクスを突き刺す視線で見ようと、彼の容姿でようやくその隣に立つ小柄な少女に釣り合う現実は覆らなくて、誰もが高嶺の花を眺めるばかりで行動なんてできやしない。
さっき行動を起こしたヴァイパーのこともあり、それを見ていた酒場中の目は、ロクスほどでないが見劣りするほどでもない彼だろうとあっさりと袖にされたから、それにロクスという連れがいる以上声をかけるためには彼の前に立つしかなくて…酔っぱらいたちはこれ以上酒をまずくしないために行動を起こせずにいる。
酒場女たちもこの店一の美形を小娘に奪われただけでなく男たちが彼女ばかり見ているから商売上がったりで忌々しいったらありゃしないのだけれど、結局どう転んでもどうにもならないのだからそれぞれにあきらめて、程なく店に喧噪が戻った。
誰もロクスを、シルマリルを恨まない。安酒を煽る場でそんなことをしても、安酒がまずくなるだけだし、飲み過ぎて悪酔いするだけ。
だからなのかロクスもシルマリルも自分たちが場違いなのだということにも気づかずに自分たちの話を進めている。
「…座ったらいかがですか?」
 ロクスは少しいらついた様子を隠そうともしないで、もう一度椅子を引いて、今度ははっきりと言葉に出して勧めた。しかしシルマリルはなんとしても彼をここから連れ帰るつもりで来たのだから、首を縦に振るはずはない。けれど横にも振らないのは、彼に読んで欲しいから。未熟故に強く出られない天使様、彼女は酔っぱらいから見れば美しいだけの少女と変わらないことに気づいていない。
現にロクスは頬杖をついたまま、座りもせずに少し怒った顔を見せている小娘の顔を、同じく少し険のある表情で見上げている。
「…シルマリル」
「なんですか?」
 そしてロクスはおもむろに立ち上がり、腕なんか組んでシルマリルを見下ろした。
「身長はどれだけなんだ?」
「は、はい?」
「君の身長だ。まるで子どもみたいな見掛けのくせにいちいち僕に突っかかってきて…君の正体を知ってるから僕も下手に出ていたが、いい加減にしてくれないか。
 言っただろ? 僕が気に入らなけりゃほっといてくれって。」
 そのロクスの物言いに、シルマリルが唖然とする。彼との出会いのあの時の柄の悪い男相手の啖呵ほどではないけれど今の彼の物言いはずいぶんと偉そうで天使を前にした敬虔な聖職者のそれではなくて、生意気な小娘相手の大人のそれ。
「それとも何か? 僕を諫める立場に…束縛したいなんてお望みなのかな、美しすぎる天使様?」
「ろ、ロクス!?」
「座れ。次言うこと聞かなかったら置いて帰るからな。」
 ロクスが怒った顔で椅子を指さしたのを見て、シルマリルが思わずすとんとそれに腰を下ろす。それは少女の仕草で、基本的に女性が好きなロクスはようやく満足げに、しかし邪な笑みを浮かべた。
「話がしたいってんなら相応の態度ってもんがあるだろ、天使様。
 天使の年齢の概念がどうだなんて僕にはわからないが、君はどう見ても16、7の小娘だ。身長だけ見ればそれすらも怪しいもんだし。
 そんな君が偉そうにこの僕に説教したげな顔をしたところで聞く気になれると思うか?」
「え、偉そうなんてそんな…私はただ」
「僧侶の僕のため、ですか? はん、馬鹿馬鹿しい。
 僧侶の振るまい方なんて上っ面だけに決まってるだろうが。世間知らずもいい加減にしろ。」
「ロクス、突然どうしたのですか?」
「これが僕だ。君も見たろう、借金取りが僕を訪ねてきたあの時の一部始終を。
 それでもまだ僕の上っ面を無邪気に信じてたのか? 本当におめでたいことで。
 ま、無邪気なのにつけ込んで唇のひとつもいただいておけばよかったかな。
 そうしたら後の話も楽になる。」
「な、な、な………っ!!」
「比べようもないが、ご婦人方に言わせれば僕はなかなからしいぞ。
 その中に天使様が加われば箔がつくなぁ。」
「っ!!」
 彼女を座らせたのは、自分の術中に引き込むため。彼女には少々大きすぎる椅子にちょこんと座ってあべこべに説教されて、挙げ句に顔なんて寄せられていやらしい笑みと下品な物言いでからかわれたシルマリルが、真っ赤になって右手を振り上げた。
「はいそこまで。
 お嬢さん、酔っぱらいのおふざけだから許してやれよ。」
 しかしその手は振り下ろされず、シルマリルの小さな手は手首ごと白い手袋で包まれた大きな手に包まれていた。
「ロクス、そう邪険に扱うなよ、めったにお目にかかれないいい女じゃねえか。妬むぜ。」
「勝手に妬め。別に僕の女じゃない。」
「お、いいこと聞いちまった。
 では改めてお嬢さん、さっきの恩も合わせて俺につきあってくれないかな?」
 満面の笑顔とひとつしかない目、シルマリルの今夜の靴と同じ色の上着と髪。
「あ…ヴァイ、パー……」
「待て。妬むのは勝手だってのは言ったが口説いていいなんて言ってないぞ。」
「お前の女じゃないんだろ?
 ほら、この店で一番いいワインだ。ボトルごとお前にくれてやるよ。」
「だから!彼女は置いていけ!!」
 ようやく酒を持って現れたヴァイパーが、ロクスの前にワインのボトルとグラスを置いて、シルマリルの手をつかんだまま連れていこうとする。
「彼女が酒代になるぐらいならそんな酒一滴も飲めるもんか。
 これは返す、…僕から女を奪おうなんざ大した度胸じゃないか、毒蛇君。」
 そんなヴァイパーから、今度はロクスがシルマリルを奪い返すみたいに引き寄せる。男たちにいいように遊ばれているシルマリルはどうすればいいかわからない困惑した顔で、しかし何も言えなくて不本意なことに強く腕を引いたロクスに抱きとめられた。
「…ったくお前はガキじゃあるまいし、そんな必死になって噛みつくコトぁないだろ?
 腕引っ張られるお嬢さんは痛いだろうが。」
「僕に勝負なんて挑んできたお前の動機を聞いてるからな。たとえ僕の女じゃなかろうと知り合いを連れて行かれて平気なわけないだろ。」
 苦しい。力まかせに自分を抱きかかえているロクスの腕は僧侶のそれではなく強すぎて、シルマリルは声すら出せない。男たちは実に身勝手な口論をまだ続けるつもりなのだろうか?
その間中ロクスは酔っているとは言え天使のシルマリルを少女のように扱うのだろうか?
彼女の正体を知らないヴァイパーはともかく、ロクスまで不遜で身の程を知らぬことをしてしまうのが、この喧騒が内包する魔力なのだろうか?
シルマリルは苦しいあまりこほこほと小さくむせた。
「あ、すまない。…苦しいなら苦しいって言えば離してやったのに。」
「言えなかったんだよ。ったく力まかせに抱きしめやがって、見せつけてくれるんじゃねえ。」
「お前が妙なこと言うからだ。
 …もういい、シルマリル、席を替えるぞ。
 彼女が酒代じゃないのならこれは遠慮なくもらっていくからな。」
「どうぞ。一度やったものを返せなんて言わねえよ。
 じゃあな。」
 男たちの決着はようやくついた様子だが、ロクスは帰るつもりはないらしい。片手に酒瓶を持ったまま、シルマリルの腕をつかんだまま離そうとせずに彼女を引きずり階下へと降りてゆく。
その姿は聖職者のそれではなくただの好色な青年そのもので、そんな彼を目だけで追うヴァイパーは終始ロクスの前では嘲笑めいた笑みを色褪せた唇からひと時も消さなかった。
けれどシルマリルの前では笑みを消した顔だけでなく女を口説く甘い笑顔、そしてロクスに見せ続けた笑みと豊かではなくてもそれなりに表情を変えて見せた。助けてもらったにもかかわらず例ひとつまともに言えてなかった失礼にやっと気づいたシルマリルが何か言いたげに彼を振り返るんだけど腕はロクスが引っ張っているからどうにもできず歩くしかできず、けれどヴァイパーはそんな彼女を許すみたいに笑いながら軽く手を振っていた。
それはまるで少年みたいで、シルマリルは何も言わず小さく頭を下げただけでロクスに逆らわず腕を引かれ続ける。
この場所の喧騒は朝が来るまで途切れることなどない。

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2008/06/08  前編公開    6/30後編追加。

ラツィエル様&レミエル様とロクス&ヴァイパーにもてあそばれる女天使。
ロクスの序盤イベント「毒蛇」を捏造してみました。
ただ台詞の多くは台詞集めしてるデータがあってそこから記録しているので。
捏造だから大差なしと言われたら反論の余地などありませんが、いつものようにまるっきり無視台詞までも捏造などと言う荒業は今回は控えております。

どっちが善人なのかわかりません。
どっちも悪党と言う見方もあります。
ヴァイパーは女天使相手には意外に紳士的に振舞ってほしいと言うか、ロクスと似たもの同士なら女に優しいのはある意味デフォだと思います。

片目ででかくて一見悪いお兄さんだけど中身は意外に優しくて笑うと少年みたい…なんだかヴァイパー像がどんどん加速してる気がします…。