■□ カレイドスコープ □■
×ロクス

 


 男と女の「出会って半年」という時間の経過は微妙な距離感を孕んでいる。
「つきあって半年」ではなくて「出会って半年」、つまりは交際も何もない時期も当然含まれる。何かの事情で関係が切れずに続き、上っ面のやり取りだけではしのげない、そんな場面もちらほらと見え隠れし始める時期。
これが男と女ならすでに交際が始まっているか、どちらかもしくはお互いに相手を意識し始めていることも多いだろう。情念のまったくないさらりとした関係も当然あるだろうが、この話の中の「男」にはそういう思考回路は存在しないに等しかった。
 ロクス=ラス=フロレス。次の秋の終わりに23歳になる聖職者。しかし現実はその恵まれた容姿と最高の教育がもたらした行き届いた立ち居振る舞いをあまりよくない方向にばかり使う破戒僧。
教養も品もあり物腰は柔らかく穏やかで、すらりと背は高く、優しげに整った目鼻立ちに紫の瞳、そして清潔に整えられた襟足と背反するゆるく波打つ長い前髪の色は絹のような銀。
そんな容姿の男が微笑んでいれば、多くの女はころりとだまされるらしい。
つまりは、僧侶のくせに女たらしの遊び人。なまじ顔がいいだけに手に負えない。
遊びほうけることにはそれなりの事情と背景があるんだけれど彼はそれを語らず己の中に閉じ込めて、真白い法衣をまとったままで憂さ晴らしに酒をあおり女を誘う。
そして博打で作った借金も、尋常な額ではないらしい。

「そういえば蚤の市が立つ時期だな。
 どうだシルマリル、冷やかしに眺めてみないか? アララスの蚤の市は大きいぞ。」

 そんな彼が、ここ半年ばかりはおとなしくしている。理由は至極わかりやすく、女。
ただし色っぽい意味ではなくて…彼の視線の先には、小柄な、しかしこの世のものとは思えぬほどに美しい少女がいる。
女を誘う際には必ず甘ったるいとすら思えるほどの笑顔を見せる男が笑みなどまったく見せずに、しかし言葉の中身は明らかに誘い文句。
その行く先は健全極まりないが、誘われた美しい少女はすぐにうなずかずに小首をかしげた。
「君に声をかけられてから、確かにこの付近で起こる小さな事件なんかに首を突っ込むことが増えたが、天使の勇者なんて大それた肩書きの割に僕でないと解決できないなんて派手な事件は一向に起こらないし。
 どうせ暇なんだ、断る理由なんてないだろ?」
 そう、ふたりは使役者と被使役者の間柄。ロクスは半年前、年明けてすぐの冬の日に彼の元に唐突に舞い降りた自称天使の女性の申し出を受け入れて今こうしている。
天使だなんて普段の彼なら鼻で笑って相手にもしないでおしまい、だったけれど、呼び止められて振り向いたあの瞬間に視界の中に飛び込んできた神々しい御姿に魂をわしづかみにされてしまい、気がつけば胡散臭すぎる天使様の申し出にうなずいてしまっていた。
ちょうどその後に控えていた用事の流れでロクスは宗教の総本山・聖都アララスから放り出される羽目になり、天使様の申し出を受け入れて退屈を紛らわせようなんて小ずるい思惑を胸に、肩書きを「教皇候補」から「天使の勇者」に変えてはみたものの――――最高の教育を受けた男の知識の中にその名を記されていない幼い天使様の持ってくる「事件」は、派手ですらある容姿と派手好きな性格の彼にはあまりにも慎ましいものばかりだった。
「…私はそれほど暇ではー……」
「僕は暇なんだ。ただでさえ教皇庁には戻れない身分だし、遊ぼうにも君がいつ仕事を持って来るかわからないから体は空けておかなきゃならないし。」
 しかし暇だというのはロクスの事情でしかなくて、彼女は少々違う。天使シルマリルの勇者は彼だけではない。実はそちらの方は少々お忙しいのだけれど、だからといって用事がないからとロクスを放り出すつもりはない。
生真面目な彼女は己の善意の協力者たちと平等に接することが己の義務、と気負いすぎなほどに気負っていて、いつしか彼女といえば思い出す「微笑み」を消してしばらくたつ。
 慎ましい事件ばかりを持ち込んでくる幼い天使様、しかしその御姿は慎ましいなんて話ではない。薄紅の肌に肩にかかるかかからないかぐらいの日差し色のやわらかな髪、瞳は高く澄んだ9月の海と空の青。静かな声は耳に心地よい。
小柄な少女のお姿をお持ちの天使様は、矮小なる人の男の目にはあまりにも美しすぎて目がつぶれそうなんだけど、その美貌に当てられて女好きのロクスは彼女の下僕となったのだけど、天使と言う人間とは明らかに違う存在は当然人間の女性とは違い思うようにはいかない。
今が顕著な一例で、少しひねくれた誘いをかけてみたけれど、間髪いれずに返答を濁されてしまった。
「今は特に頼みたいことは」
「…そんなに僕につきあうのは嫌なのか?
 あーまーねー僕みたいな放蕩者が生真面目で勤勉な天使シルマリルのお眼鏡にかなったことから奇跡だし気晴らしに遊ぶにしても僕みたいな危ない男なんて選ばなくても」
「ロクス、そんな自分を卑下する言い方はやめてください。
 わかりました、今日一日おつきあいします。…姿は見せておいた方がいいのですよね?」
「もちろん。ひとりでブツブツ言いながら蚤の市見てるなんて頭がどうかしてるって思われるだけだからな。」
 シルマリルがロクスを放っておけないと感じるもっとも大きな理由はこれ、少し気に入らないことがあると彼は自分を卑下するような捨て鉢な物言いをしてすねてしまうところがある。
出会いからしてすれっからしの男が捨て鉢な行動を取っているような印象があって彼女は気が気ではないというか彼に危ういものを感じてしまい、できるだけ目を離さないようにと心配ばかりしているけれど、心配されているロクスはというと、実は彼女の善意を逆手にとってわざと振舞っている節があった。
 善意のみで構成されている天使様は、あからさまな拒否を表に出すことはほとんどない。そんな彼女が言葉を濁すということは拒否に近いのだけれど、今回ロクスはあえて鈍いふりをし気づかないふりをし早口で畳み掛けて彼女の罪悪感をちくりとつつく手に出た。
どれほどの女の目を集めたかわからないこのロクスの誘いに対して軽いため息をついたあたりが気に食わないといえば気に食わないけれど、そも天使様がそんなに簡単に人間の男に興味を持つとも思えないから、ロクスは誘いに乗ってくれたことを素直に喜ぶことにする。
うまくのせられた天使様は、おそらく自分がのせられてうなずかせられたことを気づいている。少しあきれた表情も絶世の美女予備軍ともなればご愛嬌でもあるのだけれど、そんな彼女を多くの人間は見ることができない。
天使様は特別な存在で、ごくごく限られた者しか姿を見ることはできない。当然言葉を交わすことなどそうそうできるものではない。ほいほいと姿を現していてはありがたみもうせるからそれはそれでいいのだけれど、ロクスは彼女を見るたびにいつも同じことを感じてしまう。
「…君がもう少し大人びていれば、僕のやる気も違うんだけどなぁ。」
「そればかりはどうにもできませんからあきらめてください。」
 けれど天使シルマリルは優しくはあれども妙な期待や誤解を抱かせることはしない。己の好みの年齢に差し掛かっていない彼女のことをぼやくロクスに、シルマリルが珍しくにべもない返答を返した。ロクスは彼女のこういうギャップを見ると一瞬気を惹かれる。
それを何度も、細かいことを何度も繰り返して、すれっからしの不良僧侶は自分を顎でこき使える立場にいる少女の姿の天使様に少なからぬ興味を抱いた。
「まあ人間だってはいわかりましたなんて成長したりできないもんだし、そこらへんは目をつぶろう。
 しかし天使ってのも万能じゃないんだな、もっと融通が利くもんかと思ってた。」
「上位の天使にもなれば多少のことはできると聞きましたけど、私は見てのとおりに幼い天使です。祈ることで奇跡が起こせることと空を舞うことができること以外はあなたたちと変わりはないと思います。」
「ふぅん…不自由なんだな。そんなのにひとつの世界の守護を押しつけるなんて、君たちもよっぽど人材不足なのかそれとも人間ってのがすべての火種なのか。」
 ロクスの言葉に、シルマリルがぎくりとする。
彼は確かに素行に問題があるけれど、大事なことから目をそらしたがる傾向があるけれど、皮肉にも本質を捉えるだけの洞察力が備わっている。彼の言葉に並べられたふたつの問題、どちらも正しい。
幼い天使に大それた責務を負わせねばならないほどに天界は問題を抱えていて、その原因は良くも悪くも中庸な人間たちと、それを誘惑し堕落させて意のままに操り機をうかがう堕天使たちの存在。図らずも原因の中核を見事射抜いたロクスの言葉にどう返せばいいのかシルマリルは目を伏せて悩むけれど答えが出せるはずもなく、彼女は悲しげに目を伏せたまま顔をあげられなかった。
「…僕は君にそんな顔をさせるようなことを言ったか? 気に障ったんだったら謝るが…」
「あ、い、いいえ! …こちらの問題です。」
「そうか。なら追求はしないでおくよ。しても僕に理解できるとは限らないし。
 あまり遅くならないうちに行こうか。蚤の市といっても規模が大きいから掘り出し物もよく出るし、そういうのは好事家たちが二束三文でさっさと引き取っていくもんだ。
 出遅れないためにも時間は大事だしな。
 そのままの格好じゃ仰々しいな、誘った以上町娘の服ぐらい僕がなんとかしよう。」
 シルマリルが1なにか言えばこの男は2も3も返す。口で押し切られて言い負かされるなんてしょっちゅうで、シルマリルはいつもそうされるのと同じに今度も押し切られ流されてしまった。
 けれど、それに疑問は抱かない。この男の性格、それでおしまい。
シルマリルはありのままを素直に受け取る傾向が強く、それが相手に与える安心感がどれほどに大きいのかを、人間でない彼女だけが知らない。
人間は相手をあるがままに受け入れることを理想としながらもそれができなくてたびたび軋轢を生じさせることを、温厚な天使様は知らなかった。

 

2008/08/14