■□ カレイドスコープ □■
×ロクス

 


 今年の蚤の市は晴天もあいまって活気に満ちていた。
宗教国家エクレシアの首都アララスのそれは、6つの国が連合制を取りこの世界に居場所の少ない存在とされている魔道士達がギルドに属し活動している六王国連合のグランドロッジ所在地アルクマールで開かれるものと同列に語られる。アルクマールでは曰くつきとか伝説の、の表現が冠されるものが多く見つかり、アララスでは主に宗教にかかわるものやこの世にふたつとない美術品の類がガラクタに紛れ込む。
 ロクスはアララスで生まれ育った人間で、蚤の市の存在は当然知っている。しかし覗くことはほとんどない。
真面目に僧侶をやっていた頃は遊ぶことが許されず、遊びを覚えてからはガラクタ市に興味はない。教皇庁に引き取られる前に来たことがあるかもしれないけれど、ロクスはただの子どもでいられた頃のことを記憶の奥に封じてしまった。
それからあとに来たことはない。
「わあ、すごい!」
 素直に規模に驚いた天使シルマリルとは違い、連れて来ておきながらロクスはどこか不機嫌そうに彼女のあとを黙ってついて歩いていた。
シルマリルは来たことがなくてその驚きは当たり前で、足首まで隠れそうな黒いワンピースと可愛らしい刺繍を簡単に施してある丈の短い上着で町娘を装ってみても、薄紅の薔薇の花びらみたいな肌に、降り注ぐ日差しと同じ細い髪、そしてサファイアのような青い瞳が彼女を町娘には見せてくれなかった。
珍しいことに天使様は自分の感動で手いっぱいで、自分で誘っておきながら過去を思い出し不機嫌になったロクスに気づかずに今にも駆け出しそう。その様子はリスが駆け出そうとする瞬間にも似ていて、ロクスは回想をやめ軽くため息をついて気分を切り替え顔を上げた。
「シルマリル、この人ごみだ、はぐれたら探すのも一苦労だからな。
 僕からはぐれるなよ。」
「あ、はい。
 でもうっかりしていると流されてしまいそうですね。」
「じゃあ手でもつなぐか? もっとも僕としてはご遠慮願いたいが。」
 その言葉は照れ隠し。ロクスは女相手に無関係の第三者には到底見せられぬことはできても、いわゆる気持ちが相手に伝わりそうなことはできないし嫌がる。
シルマリルといると思っていることを見透かされそうで不機嫌な顔ばかり見せてしまうのも無意識下にそれがあるからで、しかし最近は彼女もそう万能でないことをようやく知って警戒を解き始めていたりする。
己で提案しておきながら暗に拒否してといつもの複雑な性格を言葉に覗かせた矢先に、小柄なシルマリルが人波にあっけなくまぎれて見えなくなって、そんな様子にロクスは慌てて手を伸ばし彼女がいるだろうと見当をつけたあたりに差し伸べた。
「ご、ごめんなさい。」
 差し伸べられた線の細い男の手を握り返した小さな手はやわらかく、彼女の声が聞こえて人の向こうから流れに逆らいつつ同行者のそばへと戻ろうとする様子に、ロクスが胸を撫で下ろす。
ごめんと言われたけれど彼女が悪いわけではないのは明らかで、しかしやはり手をつないだりするのはどうも苦手で好きになれない。けれどまた離したら小柄な彼女は人の波に流されそう。
ロクスはその手を取り続けるしかなかった。
「それにしてもすごいですね、アララスの人たちは教養深いと言いますか」
「違うな。強欲なだけだ。
 手に入れたガラクタの中に聖遺物や美術品の真作があれば、あとは好事家が勝手に取引を持ちかけてくる。それを探し出したくて目の色変えてるのさ。
 じゃなきゃ自分の手でそんなのを探したいケチくさい好事家が大挙して押し寄せてきてるだけだ。
 なんにしても一攫千金を狙ってる奴らが大半だろう。」
「そんな言い方しなくても…私たちのように好奇心でのぞきに来ている人もいると思うのですが」
「祭じゃあるまいし、遊ぶのに向いてると思うか、この状況が?
 僕も誘っておきながらだけど後悔してるよ。」
 投げやりな物言いをした時に混ぜっ返すとロクスはとたんに不機嫌になる。すでに不機嫌そうな顔を見せているからとシルマリルはのどまで出かかった余計な一言をぐっと飲み込み、自分からつないだ手を離した。
ロクスの言葉を真に受けて、手をつながれるのを嫌がった彼に配慮して手を離した。
「なんだ、どうした?」
「え?」
「はぐれるなって言っただろ。手を離したらはぐれる。」
「でも手をつなぐのは遠慮してほしいと…」
「苦手だけどそうも言ってられないなら仕方がない。ほら。」
 この男は何を思って、ここまで悪し様に言うような催しに自分を連れてきたのだろう?
シルマリルの中に疑念が生まれた。
差し出された男性の割に細い、線の美しい手が手を差し出せと促すけれど、シルマリルはそれを見つめてしばしの間動かず、そして――――
「シルマリル!?」
 青い瞳が見えなくなり金の髪が翻ったかと思うと、彼女は無言でロクスに背を向けた。流れる人の波に逆らわず、当然ロクスから離れてゆく。
「おい待て! シルマリル、待て!!」
 一見無碍に扱われた少女がすねてしまったような一連の動作だけど、違うのはその表情。シルマリルは無表情のまま手を取ってくれず、そのまま人の波にまぎれてしまった。
離れ始めてロクスが人ごみを掻き分け追いかけようとしても、相応の体格の青年はなかなか前に進めなくて、小柄なシルマリルが完全に見えなくなるのに時間など必要なかった。
 引き止める言葉は聞こえたはずなのに、彼女はそれに一度も振り向かなかった。
こんな仕打ちを女から受けたことのないロクスは行く手を阻まれ足を止め、その場に呆然と立ち尽くす。
恋の終わりという概念がない青年は、その光景がどこか恋の終わりがもたらす別離に似ていることに気づかなかった。



 ただ、シルマリルとしてはそこまで意味を含めた行動ではなかった。
単純に楽しめずにいるロクスを案内役として選ばなかっただけで、場に連れてきてもらったことだしとあとは自分で楽しむことにしただけ。町娘として人ごみにまぎれてしまったあとは考えていたよりも気楽に動け、きょろきょろと見回す光景はどれもこれも新鮮で楽しくて仕方がない。
ロクスが「ガラクタ」と言った品々はそれぞれに己の物語を饒舌に語るみたいで、人だけでなくこの場すべてがにぎやかで、シルマリルにこの喧騒は心地よい。まだ腰を下ろしてまで眺めその物語の続きを聞きたいほどに気を惹かれたものには巡りあっていないけれど、巡りあっていないから、どこかにいるかもしれないそれの物語を聞いてみたくてシルマリルはとことこと歩き続けている。
ロクスの誤算は、シルマリルの知的好奇心の強さを見誤ったこと。おとなしいのは性格だけど、シルマリルは無鉄砲な一面も持ち合わせていた。
「………………わあ!」
 そして、彼女はとうとう巡りあった。
ごちゃごちゃした混沌の中からシルマリルを呼んだのは、彼女の手にちょうどいいぐらいの太さと長さの筒。豪華ではないが手のかかった装飾が美しいのだけれどそれは古ぼけて煤けて見る影もなくて、けれどシルマリルは意に介さずにそれに手を伸ばししげしげと眺め始める。
「お嬢さん、いい物に目をつけたね。
 それは有名な工芸家が自分の子どものために作ったものだよ。
 万華鏡なんて子どものおもちゃだって思うだろ? ところがそいつぁそれじゃもったいねぇぐらいの細工が施してあるんだ。」
「のぞいてみてもいいですか?」
「どうぞどうぞ。」
 すかさずに売り込んできた店主の言葉を、シルマリルは疑いもしない。現にそれは汚れた外見だけで充分美しくてシルマリルの感性に訴えてきて、そして語られたそれの曰くはもっともらしい説得力を持っている。
シルマリルがわくわくするのを表情に出しながら小さな穴から中を覗き込むと、彼女の歓声はひときわ高くなった。
「すごい!」
 閉じられた空間の中に一羽の黒い蝶がいて、細やかな透かし模様に別の色を持つ片が重なると蝶が色を持ち中を優雅に飛び回る。色が変われば蝶も変わる、時に欠片が花を描き出す。冷静に聞けば眉唾物だろう店主の言葉もシルマリルには真実のように聞こえて、彼女はすっかり蝶のとりこになった。
「気に入ったみたいだね。お嬢さんは可愛いから40にまけとくよ?」
 手に取られる前に無造作に立てかけてあった紙片には50と書いてあったけれど、シルマリルの容姿だけで値段が下がり、物の価値がわからない天使様ははっと我に返った。
 いくら欲しかろうと、彼女は人間の通貨を持ち合わせてはいない。
当然ながら代金がなければそれとは別れるよりほかにない。しかし閉じられた空間の中の蝶はシルマリルを魅了してしまった。それを手にしたままで現実を突きつけられた天使様は困った顔で店主を見るけれど、彼女の事情が図れるはずもない店主は人のよさをのぞかせながらさらに続けた。
「持ち合わせが足りないかい?
 そこまで気に入られたんだったらこいつもお嬢さんが次の持ち主なんだろう、35、いや32でどうだ?」
 それでもどうしようもない。だってシルマリルはお金を持ってない。
けれどまた戻すこともできなくて彼女はしばし悩み、そして…やわらかな髪をそっとかき分け己の耳に手をやった。
「…これと交換していただけますか?」
 言いながら指先は髪に隠れている小さなイヤリングを外そうとしている。もう片方の耳は髪で隠れてなくて、町娘の格好をしているのに装飾品の精巧さに気づいた店主はぽかんとシルマリルを見てばかり。
多少曰くつきでも子どものおもちゃに過ぎないそれと、精巧な細工を施してある装飾品では価値が違いすぎる。それに気づかないということは、持ち合わせがないのに身につけているものは上等だということは――――彼女の身分がただならぬ、と語ったことに等しくて、思わぬ上客の世間知らずぶりに思いもかけぬ幸運を手にしかけた店主はいまだに狐につままれたような顔をしている。
「足りないようならもう片方も」

「それで50はふっかけすぎでしょう。
 せいぜい30、いやもう少し安いかな?」

 手元が暗くなり、彼女を隠すほどに大きく落ちた影とその声にシルマリルがぎょっとする。振り返る余裕ももらえずに声の主がすぐ隣に腰を下ろし彼女がイヤリングを外すためにひとまず置いた物を手に取り、冷静に品定めをして…
「ろ、ロクス…」
「…イヤリングを付け直せ。それ片方でこれが何個来るか見当もつかないぞ。」
 すぐそこにある紫の目が世間知らずを冷たく一瞥して、いつもの口調と彼女に聞こえる程度まで抑えた声でシルマリルの暴挙を遠まわしにとがめる。
「こ、これは司祭様。
 でもこれはあの大聖堂の内装を手がけた名工が自分の子どもに作ってやった品でして」
「…作られてせいぜい20年、いや10年といったところかな? 意図的に汚されてるみたいですね。
 大聖堂は築何年か説明しましょうか?」
「で、でもこちらのお嬢様が気に入るほどの細工物ですよ?
 子どものおもちゃにはもったいないぐらいの代物だと」
「30。」
「勘弁してくださいよ、50から32にまで下げてるんですから。」
「こんな汚れたままで売りに出されていたんですよ。
 もう少し値切ってもいいところだけれど、彼女が気に入るほどの細工とやらに免じて30の値段をつけたのですが。
 教会の建造物にまつわるものだと語られたことに対して、僕からなにか言われたいですか?」
「…わかりましたよ。
 30でいいからいわくについてはいいっこなしですよ。」
「交渉に応じてもらえるのならば、あとは別に。
 女性が手にするものだから丁寧に包んでいただきたいところですが、ずいぶんと値切ったことですしそのままで構いません。」
 突然現れたロクスは、己の興味のないものに対して代金を支払おうと数枚の銅貨を店主に差し出した。片方だけのイヤリングはシルマリルの手の中に、低い台の上に置かれたままの万華鏡は新しい持ち主の手に取られずにそこにある。
「さ、シルマリル、どうぞ。」
 ロクスがそれを手に取り、あの柔和な、優美ですらある微笑なんて浮かべてシルマリルに差し出すけれど、彼の裏の顔を知るシルマリルはそのあとのことが容易に読めて顔色をなくしてしまった。
この男は自分を天使と思っていない節がある。彼のご機嫌を損ねれば容赦なく怒り出して理不尽とも思える雷を落とすこともある。
シルマリルがその後のことを思うあまり固まってしまった様子をどう思っているのか、ロクスは目が笑ってない柔和な微笑を崩さずに、片手でシルマリルの手を取り小さな手のひらにたった今手に入れたばかりの彼女の物を手渡した。
彼の一連の動作はその外見や物腰のとおり優しいのだけれど、その優しさに裏があることを知ってしまったシルマリルは人間ごときの顔色ばかりを伺いひたすらに怯えてばかりいる。
人間とは存在している次元が違う崇高なる存在が、矮小なる人間に怯えている。
「行きましょう。もうはぐれないように気をつけてくださいね。」
 そう。言葉は、声色は優しい。しかし有無を言わさず引いた手の強引なこと。
シルマリルにはいつも選択肢がなくて、それでもこの男の危うさを見捨てられないからどうしようもない。手にした万華鏡が歩くたびにシャラシャラ清かな音を感触に変えてシルマリルの手に囁きかけるんだけど、これを手にしたあの瞬間の感動はもうどこぞへ飛んでしまっていた。
「…どうしたんだ? そんな顔して。」
 何気ない言葉をかけられただけでも、シルマリルはびくりと肩をすくめる。
彼女の様子に今度はロクスが明らかに驚いて、シルマリルがそーっと、おずおずと顔を上げると…見上げたロクスの顔は逆光で少し暗かったけれど、別段怒ったり不機嫌そうな様子は見当たらなかった。
「ああ、そんなおもちゃに君のアクセサリーなんか代償に出すんじゃない。
 それは確かに細工は凝っているけど、イヤリング片方と引き換えるほどの価値なんてないよ。
 ったく目を離すとすぐこうなるんだから…。」
 石畳に戻ったロクスはぶつぶつと言葉ではぼやいているけれど、顔はそれほどでもなさそう。なにより彼の言葉はもっともで、いくら欲しいものが見つかったからと言っても、天界にいる時から身につけている装身具と交換しようとするなど、あのラファエルに知られたら…頭ごなしに怒ることのない大天使でも、それなりのお目玉は覚悟しておかなければならない。
ロクスはそれをかろうじて食い止め、それだけでなくシルマリルが欲しがった人間のおもちゃを天使様に買い与えてくれた。
「怒っていないのですか?」
「安心したよ、怒らせるようなことをしたとは思っちゃいるんだな。
 でもまあご婦人のわがままとしてはささやかで可愛いものだ。それに僕も口が過ぎた。
 それは君にプレゼントするよ、嫌な思いをさせた詫びとしてな。」
 ロクスは別段思うところなどなさそうな普段の口調で話しながらシルマリルの手を解いた。ここは彼女の手を引かないとはぐれてしまいそうなほど混んでない。
「…で、天使様を魅了したほどのおもちゃ、どんなものだった?
 30ってのは万華鏡としちゃ値が張ると思うけど。」
「あ、み、見ますか?」
「じゃ、失礼。」
「!?」
 懸念したような展開にはいたらずに安堵したシルマリルが、彼女が己の身につけていたものと引き換えにしても欲しがったほどのおもちゃがどれほどのものなのか、と興味を抱いたロクスの言葉に買ってもらったそれを彼に差し出すんだけれど――――ロクスは不躾にも彼女の手にそれを持たせたまま、自分が背中を丸め片目を閉じて中を覗き込んだ。
「へえ…確かにこりゃずいぶん凝ってるな。ご婦人が好きそうなおもちゃだ。
 しかし夢に出そうな蝶の群れだな、確かに美しいが少し怖くもある。」
 シルマリルの目の前で、波打つシルクグレイの髪が弱い風に踊る。
そしてそれはすぐにシルマリルから離れて逆の方を向いて流れた。至近距離でのやり取りだけどシルマリルは人間ごときを異性として意識することはなくて、女好きのはずのロクスは天使様が欲しがった細工物に気を取られてしまっている。
「ま、精巧なビスクドールとかこれとか、ご婦人は美しく薄ら寒いものを秘めている代物を好むからな。君は天使だから人間の物に興味なんてないって思ってたけれど、少し認識を改めないと。
 見せてくれてありがとう、これは君のものだ。一応男からの贈り物だから大事にしてくれよ。」
「あ、お礼を言うのは私の方」
「迷惑料代わりだって言っただろ。
 あんな顔見せられちゃ、多少値が張ろうと何とかするのが男の甲斐性だ。君は妙な気なんて遣わずに遠慮なく笑って受け取ればいい。」
「でも………」
「そんな所がまだ子どもなんだよなぁ。
 つまらないことにこだわるな。いずれ君に気に入ってもらおうと贈り物をする男は引きもきらなくなるだろう、それすべて断るのが気の毒だと思うんだったら、後は笑って当たり前みたいな顔して受け取るしかないぞ。
 君はそれが許される立場にいるんだ、もう少しそれらしく振舞ったらどうだ?」
「でも」
「『ありがとう、大事にしますね。』」
「…あ、りがとう…ございます。」
「そう。やればできるじゃないか。」
 押して引いてのやり取りの末、ロクスがようやく頑固な天使様に贈り物を受け取らせて満面の笑みで答える。気ばかり遣って顔色ばかり伺って、今のやり取りでようやく見つけ出したあとの彼女の態度の理由をなんとなく感じたロクスが、自分の仏頂面の程度をようやく察して、だから彼女が望むとおりの反応を返してくれた今、ことさら甘く笑って見せた。
「楽しかったか?」
「え?」
「君は意外と人間たちのやることが好きみたいだな。
 かけ離れた存在じゃなくて僕も少しほっとした。」
「…………はあ。」
「…それと……ごめん。
 僕はひとりでひねくれて君に余計な気ばかり遣わせていたんだな。」
 逃げられて初めて気がついた、彼女は自分という男と関わりを持って間もなくて、複雑な境遇を感じ察して配慮してばかりいた。女性に配慮するように見せかけて誘導していたロクスは実はとてもわがままで手に負えない男で、とうとうシルマリルはそんな彼を「そっとしておく」という選択肢を選んだだけ。
自分につきあわせても彼は面白くなさそうだからと、ひとりで行動しようと決めただけ。…そんなことまで読ませてしまった自分がさすがに申し訳なくて、ロクスが珍しく素直に詫びの言葉を口にした。
「やっぱり君は天使様だ。子ども扱いするのは失礼だってなんとなく感じたよ。」
 おもちゃを欲しがった天使様の配慮は子どものそれではなくて、薄汚れていても美しいおもちゃを手にした天使様のぽかんとした表情にロクスが改めて微笑んだ。
「…ったく中身と外見の落差がなければもうちょっとましな態度も取れるんだけどなぁ……。」
「え?」
「こっちの話。行くぞ。」
「………はい。」
 促されて素直についてくる様子やまごつく気の弱さなんかは確かに気の弱い少女のそれなんだけれど、細かなところではっとさせられるほど彼女に大人の女性の配慮を感じる。
ロクスは大人びた女性を好むが、少女はきかん気ばかり強かったりわがままだったり振り回されるのが嫌で、あと単純な好みの話でまるで興味を示さない。しかし彼に舞い降りた天使様は少女の外見を持つ淑女。その違和感に何度も驚かされ振り回されている。
困ったことに、振り回されているのに嫌ではなくて、我に返ると不機嫌になって――――自分のずるさや欠点を突きつけられた上で彼女がそれを許していることに何度も気づかされて余計にいらだつ。
シルマリルに心の中まで見透かすつもりなどなくても、自分からわかりやすすぎる行動ばかり取っているんだから彼女ばかりを責めるのは酷というもの。
彼女はロクスが思うほど万能ではなくて、距離感も礼儀も禁忌もわきまえている。
「ロクス。」
「うん?」
「これ、ありがとうございます。大事にしますね。」
 でも、淑女の礼儀と少女の笑顔を使い分ける天使様だって相当ずるい。
ようやく彼女の口から、彼女の言葉で語られた感謝の言葉に、ロクスは返す言葉がとっさに見つからなくて微笑んでごまかした。天使様だから人間の女のような他意はないことはわかっているけど、人間の男はその笑顔を勘違いしそうになる。
少女にはさして興味がないと自覚しているロクスでさえ足元が揺らぐ感覚を覚えるほどに、天使様の笑顔の力は強かった。

 

2008/08/14