■□ 舞い上がれ、舞い踊れ。 □■
×ロクス、ティタニア   →ヴァイパー

 秋の始まりの気持ちの分だけ冷たい風が吹き抜ける。
季節は秋だけど気候はまだ夏で、日が高くなれば当然暑くなる。けれど朝晩は過ごしやすくなった。
そんな季節に「彼女」は生を受けたらしい。
 背に舞い上がるための、天駆けるための純白の翼持つ金の髪青い瞳の乙女。天使シルマリル。
人間の少女の姿を持ちながらその姿は人間を超越するほどに美しい少女は、人間と同じに年齢は重ねなくても守護星座の影響があるらしく、天界にて生を受けた日付が暦に記されているらしい。
その日は、9月の11日。シルマリルは自身も乙女であり聖乙女の加護を受けし幼き天使。
罪な慈愛を抱く控えめで愛くるしい姿の少女は片っ端から男を魅入る。
 しかし現実はそう甘くなどない。シルマリルを守護する乙女は正義を司る。
そのせいかそれとも天使という立場ゆえか、シルマリルは麗しく美しすぎる女性の完成形を持ちながらも罪作りに潔癖で仕事熱心で生真面目で、そんな彼女に女たらしが惚れてしまったらそれはもう拷問、針の筵でしかない。
彼女との甘い時間をいくら望もうと応えてはくれず、甘やかしてはくれず。仕事に打ち込んでようやく一人前にまで認識レベルを引き上げてはくれても、それから先には発展しない。
常に己をアピールしなければ忘れ去られてしまいそう、しかし男をアピールしたらたちまち彼女は困惑という拒否を即座に返すから、
「……ったくどうすりゃいいんだか。」
女たらしの優しげな唇からはことあるごとに呪詛にも似た言葉が吐き捨てられる。
「乙女座の女が夢見がちで口説きやすいとか抜かしたのはどこのどいつだまったく。
 仕事熱心で融通利かなくて石頭でと、まるで真逆じゃないか。」
 当然それは乙女座の女性に限った話ではないのだけれど、星座というものはとかく何かにこじつけられることが多い。そして世には他愛ない戯言以下の分析術とやらもまことしやかに蔓延していて、少しでも信じてしまうととてつもない赤っ恥をかかされることとなる。
毒づいた声の主はまだ恥をかかされる段階にまでは達していないのだけれど、少しでも世間に蔓延している分析術の類を信じてしまったことで神経が少々疲れてしまっていることは否定できない。己の気持ちに気づいて天使様に甘い顔を見せれば、彼女はたちまち困った様子を隠そうともせず表に出してくれるから、後から「しまった」と思ってももう遅い。
少し疲れて彼が荒れると、天邪鬼に彼女は必要以上にかまってくれてまた困らせてしまうから――――
「……女に不自由なんて、したことなかったのになあ。」
 少々疲れた調子の独り言の中身はとんでもないもので、しかも声の主が着ている服は、なんと重厚さあふれる純白にさらに重厚な十字の金刺繍を施してある法衣。
つまりは僧籍にある者、しかも相当の高位に当たるだろうことは白い法衣と高貴な紫の上着と帽子から容易に察することができる。けれどその中身はあまりにも有名な破戒僧、宗教国家のエクレシア教国はその首座に当たる教皇不在が長いこと続いているが、資質ある者がいないからの空席ではなく、資質ある者がいても空席のままであることも知る者ぞ知る事実。
10数年前にようやく資質持つ者が現れたが、いまだ「彼」が教皇としてその名を語られたことはない。
 教皇「候補」ロクス=ラス=フロレス。その肩書きを与えられてもう10年以上経ってしまった。
成人しても教皇の椅子に座ることを許されない男、理由は至極簡単で、数々の戒律破りとそれを改めようともしない放蕩ぶり。一番わかりやすい戒律破りである姦淫を、一度ならずその両手両足の指すべて使っても足りないほどに繰り返し、賭け事に興じ膨れ上がらせた借金はおそらく当人しか知らないほどに膨大で。
当然とばかりに酒も毎夜、浴びるほど。
「博打はもうする気になれないし、酒も程ほど晩酌程度、女はー……あれ以上にお目にかかれるんだったら自信はないけどとりあえずあれ以上なんてそうそういるもんじゃないし。
 あと何を善処すれば天使様のお気に召すんだか……。」
 そう。まず女が目に入らなくなった。
 そして。博打を知らぬはずの天使様にこてんぱんにされて博打に興じる気力を奪われ。
 彼女のお望みのままに善行と激しい戦闘を繰り返しているうちに、体が適量以上の酒を受けつけなくなった。
これではていのいい下僕、恋心を利用された奴隷でしかないことなど、使役される立場の彼が一番わかっている。それでも天使という人間の上位にいる存在の持つ引力は計り知れなくて逆らうことなど不可能で、時に彼はすべてを投げ出したくなることがある。
けれどすべてを捨てたつもりになっても己の個に深々と刻まれた天使の名は消えるどころかさらに深く痛みとともに刻まれるから、彼は多くの聖者と同じに茨の蔓でその身を縛り上げられる。聖者たちと明らかに違うのは、その蔓の本質が信仰ではなく束縛の慕情ということ。己の気持ちに縛り上げられてばかりいる。
 今彼は、その心境と同じに薔薇の花に埋もれていた。
もちろん物理的な話ではなく秋薔薇の咲き乱れる中にいるというだけの話だけど、何を思い美しくすらある青年が薔薇の中で物思いにふけるかと言う風情なのだけれど、中身は非常に俗っぽく、けれど来るか来ないかわからぬ女を待つにはあまりにも彼に似合いの舞台でもある。
黄色みも香りも強い大輪の薔薇の中で、彼は時折独り言をつぶやきながら色恋沙汰にとんと疎い天使様を待っている。
春を盛りに次々と咲き乱れ夏を跨ぎ秋まで咲き誇るそれらはもうじき終わりを迎える、花の数もずいぶんまばらになったけれど、それでもその香りの存在感はたいしたもの。
残り少ない花たちも個々の存在感は大きいままでいる。
夏から秋に渡る狭間の季節は一瞬だけ彩が褪せてまた華やぐ、今はちょうどそんな時期だった。



 しかし、天使様は甘ったるい物思いにふける余裕などない。
最下級の、ただ天使であるだけの幼い天使なのに、天使シルマリルはその高すぎる素養を見出されて身に過ぎた責務を与えられた。箱庭世界とは言え、そこに確かに人々が生きている「アルカヤ」の守護を、大天使ラファエルより直に命ぜられて彼女は毎日が戦争状態。
いつもはアルカヤで勇者たちの間を飛び回っているけれど、たまに天界に戻ると休息などそっちのけで駆けずり回ってばかりいる。
 そして今日は翼を畳みに天界での休息を選んだ。……はずなのだけど、シルマリルはあわてた様子で長い衣の裾を踏まぬように淑女らしくつまみながら、淑女と言うには少々はしたなく美しい石畳の上を駆けていた。
戦う力も持たない、書庫の番すら任せるには心許ない彼女なのに、箱庭世界アルカヤを盤上に見立てながら、矮小なる人間より7人選び己の勇者と定めての陣取り合戦。天使や神などと言う無責任な権力者にありがちな盤上遊戯ではなく、彼女はまるでアルカヤに生きている者のように世界に渦巻く黒い陰謀を暴き取り去るために日々うなってばかりいる。
そこに彼女自身淡い感情を感じるようになっても、己には責務があるからと押し殺してばかりいる。

「あらあら、そんなにあわててどこへ行くのかしら?」

 シルマリル自身はあっぷあっぷしていても、高位の存在にはそうは見えないことも多々あるらしい。
今もそうで、今にも倒れてしまいそうな顔色でふらふらよたよたとどこぞへ向かう幼い天使の姿を見かけからかった女の声は、本来ならば修行の入り口に立ったばかりのひよこたちでは声を聞くことすらできない立場にあるはずの「妖精の女王」ティタニアがついこぼしたものだった。
透ける蜻蛉のような水晶のような羽と波打つ長い髪、妖艶な美女の姿を持つ彼女はシルマリルが振り返ると、人懐こくすらある笑顔を浮かべてさらに言葉を続ける。
「まるで恋人に会いに行く乙女みたいね。」
「勇者との面会の時間をうっかり過ぎてしまって……申し訳ありませんティタニア様、彼を待たせていますので」
 気軽にからかったティタニアの戯れすら額面どおりに受け取るほどに余裕のないシルマリルの姿に、女王はふと微笑を消し、少しだけ驚いた。シルマリルは長じればおそらく四大天使の中で唯一女性であるガブリエルに匹敵するだろう素質と麗しくたおやかな美貌を持っているけれど今は未熟な天使でしかなくて、背負わされた役目にいつか倒れてしまいそうなほど必死の様相で立ち回っている。
その姿は盤上で人間を駒に遊戯する立場にある神や、その忠実なる剣である天使のものではない。
けれど恋する乙女とはまるで対極にいる。
落ち着きなく悪意なきいたずらも好きな幼い天使の闊達さはシルマリルにはなくて、ティタニアはそれが気がかりでならない。外見は少女のそれなのに、シルマリルの衣服は爪先まで隠れるほど長く質素、つまりは地味。
お役目に追われるあまり己だけでなく彼女の長所、魅力までも殺している仕事人間、いや仕事に生きる天使の姿に、ティタニアは冗談を言っている余裕はないと言う台詞をため息に摩り替えた。
ラファエルは彼女の素質を見抜き大仕事を任せたのだろう。それは異例の抜擢のようで実は適材適所でしかないことは、高い位に座している者ならば容易に察することができた。しかし肝心の当人には重責でしかないらしく、いやもしかしたらラファエルですら見通せなんだことが彼女の前の前にあるのかもしれない。
なんにしろ、このままではシルマリルが持ちそうにない。
「誰に面会を申し込まれているの?」
「え?……ロクス、ですけど…………」
 何か足がかりを、と迷いながら無難な言葉を選んだティタニアが、シルマリルの口から聞いた名に――――ほっとした様子でくすりと微笑んだ。
ティタニアは妖精の女王、天使の補佐を勤める妖精たちを統べるもの。そして彼女は天使とは違う。
勤勉だけどいたずら好きな妖精たちの女王だけあり、他愛のない噂には目がない。天使が根拠のない噂を鵜呑みにできずとも、彼女たち妖精は「噂は噂」と割り切った上で参考にしたり、もっと単純に楽しんだり。
ティタニアも例外ではなくて、彼女はシルマリルが選んだ勇者たちについても、まるで面識があるかのごとくよく知っていた。
「まあまあ、やっぱり彼は押しの一手ねぇ。引くって事を知らないのかしら。」
「は、い???」
「あなたもとんでもない男に見込まれたというか、あなたを落とすまで彼は多分諦めないでしょうね。」
「落とす……ですか?」
「聞き流して頂戴、多分あなたには一生わからない言葉よ。」
 ティタニアが片手で頬を包みながら、シルマリルから視線をはずしどこぞを見やりつつため息混じりにそう口にする。
人間に若干近いものの考え方の妖精は、天使に理解できないというか彼らが拒否を示す言葉もさらりと使う。どれだけ説明してもシルマリルには理解できない、理解できたらできたで厄介極まりない言葉をうっかり使ってしまったことを悪びれるでもなく、ティタニアは困惑してばかりのシルマリルから視線をはずしたまま、さてどうしたものかと思案に遊ぶ。
 ロクスという男は人間の男としては並外れて美しくすらある容姿を生まれつき持ち、突然市民階級から一国の最高位をいずれ与えられると約束され、何不自由ない暮らしと最高の教育がそれに拍車をかけそうなほど洗練された、非の打ち所のない立ち居振る舞いまで与えた。
厄介なことに、この手の男には珍しく、多少の努力は厭わない。特異な成長の過程で性格は歪みエゴイズムとずるさを内包していても、それを柔和な微笑で中和し女だけでなく自分の利になりそうな者を簡単に魅入り騙し都合のいいように振舞っている、そんな男。
美しかろうと己には無頓着で、自信がなくてもただひたすらに一所懸命で、生真面目が服を着て飛んでいるシルマリルとは対極にいる男。
 しかし己にはないものばかり持っている美しい女に、彼自身は己の好みの年齢には到底達していないと頭ごなしに否定しながらも、捨てられるはずなどない男の本能は惹かれたらしい。
ティタニアはただゴシップ好きな女ではない。妖精の女王として恥じない洞察力と懐の深さは当たり前のように持ち合わせている。
「役目で精いっぱいのあなたにはいい気分転換になりそうね。
 彼はあなたを頼りにしているだけではなく、頼りにしてほしいなんて頼もしいことを思っているわ。」
「え、ええ……事実ロクスは勇者としてよく働いてくれていますし」
「……あなたの欠点はそこね。
 ロクスに限ったことではないけれど、勇者としてではなく個人を見てあげなさいな。
 それにしても……蓮っ葉に見せてるけれど、年齢(とし)の割に一途でいじらしいわねぇ。」
「は、はあ…………。」
「じゃあ、行ってらっしゃい。急がないと怒って帰っちゃうかもよ?」
「あひゃぁあぁぁあぁぁっ!!」
 意味深な言葉を独り言のように口にして。説明すらせず少女をたきつけて。
たきつけられたシルマリルは人を待たせていることを思い出させられてひっくり返る勢いで走り出す。
女王だろうと妖精はいたずら好きで少し不真面目で、ティタニアはたきつけておきながら走り出したシルマリルの小さな背中をにこにこしながら見送っている。
ティタニアは矮小なる人間の男の欲望の底で蠢く本音と、そのさらに底の底に沈められたあまりにも純粋すぎる本意に気づいている。
彼女には、そのすべてが、シルマリルのあどけないあわてぶりまでもが、すべてがただ愛しかった。
単純な善悪だけでは図れない人間と、善しかなくてそれゆえに苦悩を繰り返す天使がただ愛しいばかり。


「自分の誕生日すら忘れるなんて、仕事熱心もちょっと行き過ぎよねぇ。」



「あひゃぁあぁぁあぁぁっ!!」
 間抜けな悲鳴も、本日二度目。それを耳にした瞬間、長く波打つシルクグレイの前髪が、その奥の紫の瞳が鋭く動いた。視線が動いたのとほぼ同時に彼は立ち上がり長い腕をすばやく伸ばし、墜落してきた飛行物体を腕だけでなく体全体で受け止める。
腕に飛び込んできた質量は確かなもので、その質感は人の体温とやわらかさを持っていた。
「……こういう来訪に慣れてしまうというのも物悲しいものがあるな。」
「あひゃぁあぁぁぁ〜…………」
「目を回す勢いで駆けつけてきてくれたのは嬉しいが、もう少しなんとかならないのか?
 本当に間抜けなんだから君は……。」
 見目麗しい若い僧侶の腕の中に、美しすぎる少女の姿の天使が抱かれている。
しかし受け止めた当人は待ち焦がれた天使の来訪にあきれ果てていて、約束をぶっちぎる勢いで遅れても駆けつけた天使は自分の速度に目を回してすぐに自力では立てそうにない。
しかも、これが初めてではなくて。彼はその対処にまごつく素振りすら見せぬ程度に慣れている。ロクスはしっかりと受け止めた天使の小さな体をすぐに手放し、倒れないよう支えながら彼女を地面に降ろした。
 天使シルマリルは宙に舞い上がるその存在感とは裏腹に、地に降り立つと人間の娘よりも小柄でか細い。
すらりとした美しい容姿に僧服を纏うロクスといると、そこはまるで宗教画の中の世界のようだった。
「ほら、立てるか?」
「は……はい。ごめんなさい、遅くなって…………」
 息も切れ切れにそれだけ言うと、シルマリルが大きく咳き込んだ。シルマリルは天使でその実体は精神界にいるのだけれど、地上に降りる際には少しでも己の助力者たちの近くにありたいと望み受肉しそこに立つ。それは勇者たちには身近さをもたらすのだけれど、同時に人の限界という制約を課せられるから、勇者たちは逆に心配にもなる。
「いいよ、こんな必死な様子を見せられちゃ怒る気なんて失せてしまう。
 せっかくの秋薔薇を見せたくて呼んだんだから、少し待たされたからって怒り出すほど心は狭くないつもりなんだけどな。」
「…………え?」

 シルマリルが肩を激しく上下させたまま、矮小なる人間風情の腕の中に抱かれたまま顔を上げると、その視界いっぱいに黄色い花吹雪が舞い上がった。

「すごい……!!」
「だろう? 僕もつい最近見つけたんだけど、偶然とは言っても今が一番見頃だと思ってね。
 暑い時期だと花のにおいで倒れそうになるし、確かに盛りの花は減るけど見るんだったら今が一番いい時期だ。
 誕生日おめでとう、シルマリル。
 君が人間と同じに歳を取らないことはわかっちゃいるが、去年の僕の誕生日にくれた本の礼になるぐらいのものを返したかったんだけど……。」
 ロクスがひと言、ひと言を噛みしめるかのように語っている間につむじ風は吹き抜けてたちまち黄色い花吹雪はおさまったのだけれど、静かになったその場はまた別の顔を見せる。
薔薇たちはかつて美しい白亜の宮殿のごとき屋敷を中庭を飾っていたのだろうけれど、今は朽ち果てて退廃的な美しさだけを残し、しかし同時に生き物でもある薔薇たちは実にたくましく蔓延る勢いで茂り時期が来ると見る者がなくても咲き誇る。
いや、薔薇たちには己に生を与えた主の存在が感じられるのかもしれない。誰も見てなかろうとただひとり、たったひとりのために、見返りなど求めず咲き続ける。
薔薇は種の本能で咲くのだけれど、それを目にする人間はそこに物語を描き出す。知識を持つロクスがこの屋敷の没落の話を知っていてもおかしいことではないのだけれど、
「……見合うだけの物を贈ろうと思ったけれど、君に渡すにはどれもこれも見劣りしてしまうんだ。
 君は花が好きなことを聞いていたから、物よりも喜んでくれるかもと思ったけれど」
 意外なことに、女たらしの不良僧侶は本気になると純情になってしまうらしい。同時に浪漫人にもなるらしい。
気になる女性の気を惹こうと彼女の誕生日という記念日を口実に謀に興じてみたはいいけれど、いざ何を足がかりにするかと考え始めたら、絹のドレス、美しい細工の装飾品、宝石、思いつくすべてが彼女の前では色褪せることに気がついた。
それは彼女が天使だからではなくて、彼女が特別だから。「惚れた欲目」だということぐらい、彼だって気づいている。
それでも何もしないままではいられなくて、見劣りすることを承知の上で、彼女が何を喜ぶかを思いそして彼はここを選んだ。
「……人間のご婦人なら、こんな荒れた庭になんて連れてきたら馬鹿にしてるのかと火でも噴きそうな勢いで怒るけど、君はありのままを素直に受け取ってくれるから。
 植物は強いな、人の手を借りずともこうして生き続ける。」
 美しく咲き誇る秋薔薇の園を見つけた。
 それを一緒に見たい相手がいる。
 彼女はきっと素直に喜んでくれる。
それがロクスの理由。永遠に等しい時を生きる天使に、人間の栄枯盛衰なんて瞬き以下のものだろう。
それよりも本質を捉えるその眼差しを信じたい。
「ロクス、ありがとうございます。あなたの気持ちがとても嬉しいです。
 こんなに華やかな薔薇園が自然にできるなんて……」
 ロクスは表に出さずに様々なことを頭の中で考えるけれど、シルマリルは女性らしくも感覚的に捉えたらしく、嬉しそうに微笑みながらはらりと一筋涙をこぼした。
人間の女性ならば己に酔っていそうでたちまち興醒めするその表情も仕草も、天使なら、いやシルマリルならなにも不自然ではない。
温厚だから、相反する感情のどちらかを押し殺すことを忘れて両方を表に出すことがあるから不思議ではない。
「人の没落は悲しいことですけど、意思がないとかもっとも弱いと思われがちな植物はこんなにも強くて……。」
 やはり天使にとって、人の一生など瞬きに等しい。今彼らがこうしてすごしている時間も、彼女の中ではいったいどれほどの長さを持っているのか、ロクスには図ることすらできない。
ロクスには彼女とこうして過ごしている1年余りは今までの生を根底から覆しそうなほど、すべてを吐露しそうなほど濃密だというのにそれさえ彼女の中では瞬きに等しいのだろうか? 少女の姿を持つ天使はその姿が年齢を表す訳ではないらしい。
幼げな少女の姿を持ちながらも、シルマリルは間違いなくロクスより精神的に年長だろう。それが理由なのか、彼女は男の表情を見せる聖職者殿を時に絶望の底へと叩き落す。
今もそうで、彼女は腰のない日差し色の髪を風にかき乱されながら、ロクスを見ずに静かに咲いている薔薇ばかり眺めている。小さな手が、丸く優しげな指先が視界の端で舞う髪をそっと押さえて彼女の表情がようやく見える――――悲しげな微笑は少女のそれではない。
そんな顔を見せられては、男は何かしてやりたくなってしまうというもの。けれどロクスは嫌われたくない一心で男の自分を押さえつけ押し殺す。
心臓は握りつぶされそうなほど痛く苦しいというのに、戯れに何度口にしたかわからない言葉が、今になって喉の奥に引っかかって出てきてはくれない。
しかし実体も行き場もないこの痛みが力に換わることをロクスは知っている。
「……誰かを立ち上がらせる力を与えられる存在に弱い者などいないよ。」
「え?」
「いや、なんでもない。
 気分転換に呼んだんだけど泣かせちゃしょうがないな。」
 風の吹き抜ける音と薔薇の生み出すざわめきにロクスの声はかき消され、聞き逃したシルマリルが聞き直そうとすると彼はわざと明るい声色でごまかした。ここの薔薇は家屋敷が朽ちてゆく中でその歳月すら美しく彩り続け、戦う力を持たないことを「弱い」と嘆くシルマリルは、そんな彼女の代わり以上に戦える力をロクスに与えた。
「あ、ご、ごめんなさい。ここを見せてくれたのはとてもうれしいです、ただどんなものにでも終わりがあることがつい悲しくて……」
「さすが天使、哲学的だ。僕なんて君が見たらきっと喜ぶだろう、で終わったのに。」
「よ、喜んでますよ。すごく素敵な場所ですし、私はあなたが思うとおり花が大好きですからとてもいい気分転換になりましたし」
「気にするな、秘密の多いご婦人は素敵だよ。
 もっとも君は秘密をしまってる引き出しが多すぎてこんがらかることも結構あるけどな。」

 いつかその全部を開けて見せてほしいけど。

 ロクスは軽口でとどめ、あからさま過ぎる口説き文句まで口にせず笑顔に摩り替えた。笑いかけられたらとりあえず笑顔でお返し、のシルマリルもつられて引きつった笑顔を浮かべるんだけど、いつからだろう、ロクスの目にその引きつった不自然な笑顔が愛らしく見えるようになった。
「……次の5月、またここで薔薇たちが咲き誇れるようにがんばらないといけませんね。」
 引きつった笑顔が一瞬で翳る。それを見たロクスの表情からも笑みが消えた。
物憂げな、翳りある笑顔が美しい少女。その翳りを消したくても消せなくて、背負いたくても背負えない。
だからロクスは彼女の憂いの元になりそうなものすべてをその手で片づけたくて更なる力を手にする。
自分ひとりではたどり着けない強さを手にしても、それはすべて彼女がいなければ何の意味も持ちはしない。
 吹き抜ける風はもう秋の気配。日差しの色も色褪せ始める。
だけど彼女の笑顔の色を褪せさせたくなくて、それだけでロクスは日々を立ち回る。

2008/11/01
少しずれましたが、ロクスの誕生日を祝いたいので、前哨戦とばかりにシル子の誕生日ネタです。
ロクスが二度目の誕生日を迎える頃にはゲーム終盤どころかED直前、どのネタで行こうかしら。