■□ after… □■
×シーヴァス ED後

      3

 火遊びの尻拭いと言うかツケは必ず巡りめぐって返って来る。
シーヴァスはそのことを痛感する日々と本来の公務に追われる日々を送っていた。
元々貴族の子息として育てられたこともあり、騎士として女性には紳士的に接し守ることを己に課するものなのだけれど、彼は少々それを曲解して花を渡りすぎた。
 神ももっと早く彼女を私の前に降ろしてくれれば、もう少しましになったろうものを。
すべて恋花は偽りで、ともすれば一夜限り、などということもあった。誰かを傷つけることはあっても傷つくほどのことはないままに彼は成人して、そして――――澱んだ時の中で、彼の運命が舞い降りた。
彼の運命を抱いて現れた存在、それは自らを「天使」と言った。背負う純白の翼と頂く光輪は確かに宗教画に描かれるそれらと同じような偶像なのだけど、だからと言ってああそうなのですねと素直に信じられるはずもなくて、シーヴァスも最初は彼女の言葉を半信半疑で聞いたものだった。
興味をそそられたのは、天使だと告げた彼女が今まで花を渡り続けた不実な蝶の見た誰よりも美しい少女の姿を持っていたこと。神々しくありながらも手を伸ばせば触れられそう、腕を伸ばして抱きしめることも出来そう。
実際に、シーヴァスは彼女の唇を求めるふりをしてからかったこともある。
 けれど半分本気、半分冗談だったことで緊張は保てずに彼女に気づかれ怒らせて、結局その時は未遂に終った。未遂ではあったけれど…そう、半分は本気だった。
その時はすでに囚われて逃げられぬ神の尖兵の自分を痛いほどに感じさせられたものだった。
神と言う者もずいぶんと残酷で、容赦がなくて、俗っぽい。男ひとりを操るために麗しい女の姿の御使いを降ろすなどとは。
 その御使いが、己と彼女の勇者の役目から解放された後、天界に翼を置いて男のもとへと戻ってきた。
彼女はシーヴァスの独白を真摯に受け止めていてくれた、神の忠実な御使いではなくて彼女も人格を持っていて、神の御使い、天使に思いを寄せていた彼の身のほど知らずな求愛を真剣に考えていて――――そして彼女は、己が下僕に等しい男の求愛を受け入れ翼を天に返した。
翼をなくした彼女はただただ小さくてか細くて、今度は自分が彼女を守る番だとシーヴァスは自ら背負った責任の重さを改めて感じた。
 一族のものは、唐突に彼が伴い戻ってきた少女の姿に驚いたものだ。けれど彼女は反論すべてを許さぬほどに神々しく、そして美しかった。彼女を伴い戻ってきた若い当主の意思は今までとは別人のように固く、彼女を婚約者として迎える、と告げてそれを覆さなかった。当然周囲からの反対は激しいものだったけれど、
『ならば家を出る』
当主にあっさりとそう言われては、皆口をつぐむしかなかった。ただでさえシーヴァスの出自が彼の母であるこの家の娘としがない画家の駆け落ちの末のものだから、その息子が同じ行動を繰り返すと言えばそれは恐ろしいほどの説得力を持って響く。それに彼の女遊びの派手さもまた一族の頭痛の種で、幾度となく大家の初心な娘が彼に引き摺られてはもめているから、鎖につなげるのならば多少のことには目をつぶっても、という嫌な見方をする者も出始めて、彼女はシーヴァスの望んだとおりに今では婚約者として同じ屋敷に暮らしている。
事実彼女を婚約者と定めた後のシーヴァスは、まるで別人、実に堅い有能な男へと変身した。はたから見れば一体どこのどこのご令嬢なのか、彼が連れてきた天涯孤独の少女はかなり世間知らずで最初は何も出来なかったから、今は彼の妻となるために日々礼儀作法や家事などについて勉強の日々を送っていた。
飲み込みの速さは教育役の折り紙つき、どうやら彼女はレース編みや刺繍など物を作ることが好きな様子らしい。繕い物などという貴族にはあまり縁のないことをやっていると年寄りたちは彼女を苦々しげに見るのだけれど、当のシーヴァスはそれをする彼女を見つけるのが好きだった。
彼の母もよくそうやって繕い物をしていたから、まったく母の面影などない彼女が同じように針を動かしている姿を見ると、シーヴァスはひどく懐かしいものを感じるのだった。
けれど彼女はいつも年寄りたちに見咎められるから、シーヴァスの姿を見るとすぐに手を止め隠してしまう。だから、シーヴァスはいつも盗み見るばかり。けれどそれがまたなんだか新鮮な感じで…今まで浮名を流した自分はどこへ消えた?
母の面影を婚約者に重ねている自分に気づいては、シーヴァスはいつも「らしくない自分」相手に苦笑いを浮かべるばかりだった。
 シーヴァス=フォルグガング 24歳。ようやく歳相応の幸せと言うものを手にしたような毎日だった。



 そんな多忙な毎日の中、シーヴァスは昨日久々に夜会に顔を出した。
神の奇跡と己が剣で平穏と未来を勝ち取って以降、今までも数回夜会は開いたのだけれど、それまでのように楽しいものではなくなってしまってシーヴァスはいつも早々に引き上げるばかりだった。
開いたと言ってもつきあいの延長上、開かされた、というのが正しいのかもしれない。主催者が色とりどりの花に目を奪われることもなくなって、彼の目をただひとり奪うことが出来る質素な花はそこにはないから、彼はただその花を眺めたくてそれなりに失礼のない時間その場にいて、時間が来たらまるでおとぎ話の灰かぶり姫のごとく姿を消してしまう。
そのうちに彼が密かに婚約したと言う噂がもれ流れて失意の淵に身を投げた令嬢たちは夜会に来なくなる。以前の彼に望みを託し通い続ける令嬢もいるが、シーヴァスが本気でなかったのと同じに男は彼だけではない、と表に出さずに思う現実的な令嬢もまた多かった。
 けれどシーヴァスはそう思われていることに気づきながらも意に介することはなくて、いつもそそくさと夜もふけた自室へと戻る途中で婚約者の部屋の前に立つのだけれど、騎士である自分がドアノブに手をかけるまででそれ以上のことを許さないから、いつも寝顔すら見ることなくやるせない嘲笑をわずかに浮かべるだけでその場を後にする。
 さびしい思いをさせていないか。
 肩身のせまい思いをさせていないか。
思い返せば自分と言う男はなんて傲慢で自分本位なのだろうかと何度思ったことだろうか。彼女は天界に戻ればこういうさびしい思いもせず肩身がせまいこともなく満たされた毎日を送るのだったろうに、たったひとりの男だけの天使として、天界にその白い翼を置いて彼のもとへと戻って来た。
なのに人間はしがらみばかりで縛られて生きていて、本来ならば崇め奉られる側の彼女なのに、よくもまあ毎日不遇な扱いに我慢していられるものだとシーヴァスは今さらながらに彼女の忍耐力に感心するばかり。
…いや今振り返れば自分も彼女に見出された当初はまるで今の年寄りたちと同じように彼女を見ていたことは否定できない。信じきれず、しかし信じるより他はなさそうだからと反発も隠して接していた。
彼女はおそらくそれの繰り返しだったのだろう、疑惑を抱かれることに慣れていたのかもしれない。
今こうなって振り返れば、それだけで彼女を傷つけていたのだとシーヴァスは申し訳ない思いでいっぱいになってしまう。
 申し訳ない。もうしわけない。そればかりで満たされているばかりではいられなくて、昨日の夜会は婚約者の顔見世もかねてシーヴァス自ら、進んで開いた。いつかはしなければならないものならば、今だって構うことはないだろう。そう思い立って開いた夜会、婚約について明言はしなかったけれど彼女の手を引き彼女とだけ踊り葡萄酒を片手に、彼女を傍らに。
美しい日差し色の髪と蒼い瞳は少女の完成形のようで、招待された殿方はすべて質素なドレスで身を包んだ彼女に目を奪われた。他にも花は色とりどりに咲いていたと言うのに、抑えた若草緑と白のドレスはその中では埋もれかすんでしまうと言うのに、男は彼女に目を奪われた。
その静かな花を腕にしている騎士の姿は誰が何を、当人が語るまでもなくて、誰もが噂であったことを確信するのには充分だった。
 シーヴァス=フォルグガングは間もなく美しすぎる少女と結婚する。
彼を射止めたご令嬢の名はシルマリル、それ以上のことは誰も知らない。


 だがしかし。男はそればかり、清らかなばかりの空気の中では生きていけない。
そのことは他ならぬ彼自身が理解していることなのだけれど、しかし生まれそのものが清らかな存在であるシルマリルにそれが理解できるとは到底思えなくて、いまだに指一本触れられずに今までを過ごしてきた。
振り返れば、からかったつもりのあの夜に唇のひとつも奪っておけばよかったなどと思ってみてももう遅くて、シーヴァスは夜毎募る熱を堅固な騎士の信条で縛りつけて隠し続ける日々だった。