■□ 月も眠る夜 □■
ルーファス×アリーシャ Chapter6頃
戦乙女は泣くことすら許されないらしい。
父に打ち捨てられ。母と引き離され。孤独と共に緩慢なる生を強いられ。世間からは抹殺され。唯一の居場所からも追われ。苛烈な運命に翻弄され。それでも強くあれと内なる声に叱咤され続けても、戦乙女は泣くことすら許されないらしい。
何度も涙を青い瞳にたたえてもそれをこぼしそうになっても、戦乙女には嘆く暇すら与えられない。泣くことで己を保つことすら彼女は許されずにただひたすらに追い詰められるばかりだった。
亡国となったディパンの王女アリーシャ。ふたつの魂を抱えし戦乙女。
はちみつ色の髪が麗しいか細い乙女。
己にかせられし運命と重責に耐えるために、生き延びるために細腕で剣を繰るのだけれど、彼女自身はひどく脆くそして優しい。平穏なる治世ならば何不自由なく暮らせただろうものを、神とやらは彼女を贄にでも望んでいるのだろうかその魂からも苦痛と悲しみを絞り続ける。
そんな彼女の目の前で、彼女に苦痛と孤独を与えるきっかけを与えた父王が、断頭台の露と消えた。
罪の名は神に対する反逆。それに疑いの余地はない。しかしその暴挙は残酷にも愛娘のため、娘に与えた苦痛が彼女のためを慮ってのものだとその場で他者から明かされて――――アリーシャは父の首が跳ぶ瞬間を眼窩に焼き付けられただけではなく、わずかに残された幸せな思い出までも、短すぎた幸福な日々を共に送った幼馴染までもその死を穢された。
世界のすべてが彼女に刃を向けたかのような、あまりにも苛烈な日々に彼女は何を思うのだろう? おどおどした臆病で気の弱いアリーシャがずいぶんと強くなったけれど、その強さは彼女自身までも傷つけていそうで、彼女の運命に絡みついた者はその動かない眉を見ているだけで歯軋りを禁じえなかった。
彼女の運命に絡みついた者たち。もうひとりの彼女・シルメリア=ヴァルキュリアが従えし英霊たちは別として、長い時間ひとりでい続けたアリーシャにとって初めて感じた姉への慕情のようなあたたかい日々をくれた剣士レオーネはシルメリアを追い続けていたアーリィ=ヴァルキュリアの仮の姿で、機会をうかがい続けていた彼女はついにアリーシャに剣を向けて、そのあまたの目的のひとつ・ディパン王バルバロッサの処刑を成し遂げた。
レオーネと組んでいた流れでアリーシャの運命の流れに巻き込まれた屈強の傭兵アリューゼは、真の姿を矮小なる人の前に現したアーリィの手で彼女の英霊と言う下僕としてねじ伏せられ短い生を閉じアスガルドの門を叩く羽目になり。
過去より来たりし忠実なるディパンの戦士ディランもまたふたつの魂絡みし存在で、大恩あるシルメリアを救うために現れたもうひとりの彼に呑まれてしまい、アリーシャたちの知る彼の人格…「ディラン」は消えてしまったらしい。絡みあうもうひとつの魂・不死者王ブラムスもディランと大きな性格の差はないのだけれど、忠誠を誓いし王家の姫に戸惑いながらも優しかったディランはもういなかった。
もうひとりのアリーシャの運命に巻き込まれ生き延びている魔道士レザードは、彼は彼のままであり続けるのだけれど、ディパン王国が地上から殲滅されたその日の、戦乙女たちとの乱戦の中で行方がわからなくなってしまった。
そして。今のアリーシャに唯一残された、彼女の運命に絡みし魂。神の器たる重き宿命を背負わされ青年の姿で時を止められた「運命に弓引く者」ルーファス。主神オーディンと同じ肉体構成を持ちながらも、アリーシャの運命の流れに巻き込まれついにオーディンにその弓を引いた。
かつてのささやかなあたたかい日々は失われ、アリーシャにはルーファスだけが残された。ただ、今の彼はかつてのすべてをあきらめきった逃亡者で流浪の民ではなく、オーディンに取って代わる存在としてようやく己の歩く道を定めた。
今はアリーシャが彼の運命に寄り添う同行者。シニカルで少々頼りない皮肉屋の青年の軽口に何度も救われたアリーシャは、亡くした幼馴染のダレスよりもルーファスを意識しつつある。
それほどまでに、幼い頃の幸福の日々より苛烈な戦いの最中で垣間見る男の横顔の方が彼女の胸に小さな火をともしたほどに、乙女の時間というものは重いらしい。
重いという話では、ルーファスの体も同じだった。
身軽な体捌きで敵を狙うのが身上の男なんだけど、あまりにも激しい戦いの日々と急転直下の出来事に身も心も疲労困憊。無駄死にしないためだけに廃都ディパンを抜けた彼とアリーシャは、最も近場にある港町ゾルデの宿に駆け込んだ。
ディパン陥落の報のせいだろう、ディパンに最も近い港を持つゾルデはその位置関係ゆえに町はすでに閑散としていた。
どこで聞いても、穏やかな波の音は高ぶった神経をまるで赤子をあやすゆりかごのように静めてくれる。
気持ちが強かろうとか細い乙女の体しかないアリーシャは食事と湯浴みを済ませるや否や、粗末なベッドで深い眠りの淵へと引きずりこまれた。
他に泊り客もほとんどいない小さな宿は、珍しい顔なじみの客を見て彼らの無事を喜び、アリーシャへの配慮か一部屋分の料金で二部屋使っても構わないと申し出てくれた。しかし他ならぬアリーシャがその申し出を丁重に断り、外見年齢だけだろうと青年と同じ部屋で一晩過ごすことを選んだ。
なのに。何を思うのか肝心なあたり世間知らずと言うか怖いもの知らずの王女様はご自分がお先にお休みになられてしまって、ルーファスは久しぶりに彼女らしい一面を見た懐かしさも同時に感じながら、やはりあきれたため息が最初に出てしまった。
「男と同室なのに先に寝るかよ…」
その言葉のとおり、アリーシャは着の身着のまま、腰に下げた細い剣も帯びたままでベッドに仰向けに身を投げ出し眠っていた。片やルーファスは重い体を気力で動かし、久しぶりにまともな寝支度を調えてここにいる。体を守る防具も弓も矢筒も厚いストールなどもすべて脱いで薄いシャツだけで、長い緑の髪が彼の特徴的な耳を隠すことなく、彼が動くとそれに合わせてしなやかに揺れた。
その端正な唇から下司な台詞がつぶやかれても、得なことにルーファスという男はそれを中和させる何かを持ち合わせている。つまりは「冗談で片付けられる」、アリーシャ自身は理解できてない可能性は多分にあれども、性質の悪い軽口や少々下品な笑いを彼は過去に何度もさらりと口にしてはその場の笑いを誘った。神の器たる類まれなる偶然を抱えていても彼自身はごく常識的というか尊大にも上品にもできていないらしい、そのせいなのかさすがに年頃の乙女が眠るベッドのそばにはなんとなく近寄ることがはばかられ、ルーファスは月のない夜の窓を開けてその桟に腰掛け片足を乗せた。
こうしていると、この世界は一見穏やかに見えるのに。
しかし崩壊の火蓋は切って落とされた、均衡の楔・ディパンが神の手で滅ぼされ、虎視眈々と領土拡大を狙っていた宗教・軍事国家がそれ見たことかとばかりについに他国へと攻めるらしいとの噂もある。
商業国家として独自の道を進んでいた国も戦争のきな臭い風を感じ、自衛かそれとも利を求めてか軍備を増強するとも聞いた。
人が人同士殺しあう。それは人が望んだ道なのか、それとも神々の息吹なのだろうか。
神になれる可能性を秘めてはいるがルーファス自身は人の世で生きる存在にすぎなくて、かつてのヴァルキリーのシルメリアが同時に彼女の中にあったアリーシャとは違い、今のこの状況に介在する力などを感じることはできなかった。
今までは導き手でもあったアリーシャも、シルメリアと分離されてからは運命に翻弄される少女でしかない。少しずつではあるが人には過ぎた力を得つつあるが、ルーファスに科せられた神々の力の束縛に比べれば、まだまだ彼女は人間だった。
そしてそれを感じて彼を見出したシルメリアも、今はいない。
海風が洗われて軽くなった森色の長い髪をかき乱す。
ルーファスの長い髪は森の民のそれ、深いけれどどこか明るさを感じさせる緑は森の木漏れ日のよう。それを邪魔にならないように、そしてあまりにも特徴的な耳を隠すために平時は幅広のバンダナを頭に巻いて、長い髪ながら視界を開いている。
森の民にしてはしっかりした体格も人間と比べたら明らかに細く、すらりと背も高い。
いつもは髪をまとめている小さなビーズも宿に泊まれば当然外す、縛るものがない長い緑の髪はまるで女性のそれのようにしなやかで美しい流紋を夜の闇に描き出した。
血腥い戦いの最中に振り回される髪は、同じように髪の長いディランと共に彼らの勇猛さを語るけれど、森の民は必要以上の戦いを好まない。ルーファスはその血筋ゆえに気の荒さは人間のそれを反映しているが、薄汚れ戦いに傷みがちな服やらを脱げば、彼もやはり森の民の血を間違いなく引いていた。
少々容姿が優れている程度の人間の男とは明らかに違う美しい容姿の青年が、長い緑の髪を夜風にたなびかせつつ窓に腰掛ける姿は、平時ならば女性の目を奪いそうなものだった。そんな青年が物憂げに目を伏せ、その奥の緑の瞳もやるせなさそうにぼんやりと宙を眺めている。しかし誰も見る者などいないこの状況、ルーファスは大きなため息を吐き出すと頭の後ろで手を組んでそのまま桟にもたれかかった。
意識していると言う話では彼も同じ。しかし彼は人間の男ではなくて、性格に荒さは残しているが人間の男性独特の衝動――――性欲の類とは縁薄かった。
そのおかげでアリーシャは清らかな乙女のままでいる、昔も今も忠臣だったディランはともかくとしてルーファスの性格で彼が人間だったら、いかなディパンの王女と言え清らかではいられまい。レオーネ、いやアーリィ=ヴァルキュリアが抜けたあと、一行に女ひとりになってもアリーシャが警戒を知らないままでいるのは、かつてはディランの存在のおかげだったが、今はルーファスの特殊な事情のおかげでもあった。
神の器たる青年は、その言動などとは違い存外臆病に、純情にできている様子だった。
ため息ばかりがこぼれて止まらない。
これから自分たちがやろうとしている大それた行為、それは文字通り「神への反逆」。
それを思うだけでルーファスは押しつぶされそうになる。
それしか道がないから選んだだけの話で、他に手があるのならば好き好んでアリーシャを道連れに死出への旅に等しい道行など選ばない。
自分ひとりならまだいい、しかし……
ルーファスの緑の瞳が、着の身着のまま眠っているアリーシャを無言で捉えた。
苛烈な運命を背負わされた王女様は勇猛果敢でもなんでもなく、そこいらにいる娘より気が弱いほど。眠り続ける無防備な表情は美しいがまだあどけなさを残していて、振る舞いは王族らしく毅然としていてもひとたび眠ればまるで幼子のようでもあった。
そんなアリーシャが彼女には少々大きなベッドで寝返りを打ち小さな体を少しだけ丸めてうつ伏せぎみになった。ブーツを脱いだ白い脚がぼんやりした明かりの元で艶かしく動く様は人間の男なら生唾を飲みそうな光景だけど、ルーファスは人間の男ではなくて、確かに素足の艶かしさに一瞬ひるんだけれど、彼は窓の桟からひらりと降りると緑の髪を吹き込んでくる海風に翻しながら仕方なしにアリーシャへと歩み寄る。
「アリーシャ。」
虫の声すら聞こえない夜だから、大きな声を出す必要はない。ルーファスは立ったままで少し声を抑えて彼女の名を呼んだけれど、彼女の眠りは相当深いらしく名を呼ばれただけでは眉ひとつ動かさなかった。
「ほら、そんなカッコで寝る奴があるか。せめて着替えろよ。」
しかし彼女の疲労の深さを知っているルーファスは不機嫌になることなく、今度は背中を丸め細い手でアリーシャの肩に触れた。美しい曲線を持つ彼女の服の肩は彼女の体の大きさがわからないくらいにふくらんでいるけれど、ルーファスの手がその形を確かめると驚くほどに小さかった。
この細い体で。細腕でアリーシャは自らを守るため神々に剣を向けた。
まとめていない緑の髪がルーファスの肩から滑り降りて、長いそれはアリーシャの体に絡みつくみたい。髪の向こうの緑の瞳はしばし疲れきっている彼女の処遇を迷うけれど、ルーファスはしばしの沈黙の後改めて細い肩を小さくゆすった。
「アリーシャ、風邪ひくぞ。」
「……………ん………」
ルーファスの呼びかけと手の感触にはちみつ色のしなやかな髪と長いまつげがふるえたけれど、アリーシャは目を覚ますにはいたらない。はちみつの河に森色の髪が降りて絡んでルーファスの手がたじろぐけれど、彼は人間の男とは違いそれから先を立ちすくむ。
それから先は、名を呼ぶことすらひるんでしまう。
けれど細い肩から手を外すこともまたできない。人間の激情と森の民の理性はルーファスの足枷で、いい歳の男のはずなのに己の表し方一つ知らずにいる。
一度は声をつむいだ彼女は再び規則正しい寝息を繰り返し、閉じた瞼もあどけない唇も目を覚ます気配すらない。その表情を見ているだけでルーファスの内側で何かが蠢くけれど、今まで彼の中でそれが形をなすことはなかった。
アリーシャのふっくらした頬を包んでいる髪を男の細い指がそっとかきあげる。
素肌をかすめた指先の感触にも彼女は起きなくて、緑の髪がゆっくりと、戸惑いや罪悪感を伴いながら彼女に絡みつく。吸い寄せられるみたい、罪悪感を感じながらも、それは彼女に対する裏切りだと思いながらもルーファスは自分を止められなくて――――
月さえも眠る隙をついて、男が乙女の唇を盗む。
アリーシャが起きていたら、視界すべてに降る木漏れ日のような緑の髪を見ただろうか?
それともルーファスの緑に染まるまつげと伏せられた瞼か?
しかしアリーシャはそれでも目を覚まさなくて、ルーファスはゆっくりと唇を外すととたんに膨れ上がった罪悪感に襲われて思わず己の顔を片手で覆い隠し体ごと彼女からそらした。
…あろうことか、乙女の寝込みを襲い唇を奪うなんて。
誰でもない、たった一人罪を知る彼自身が己の愚行を一番信じられなかった。罪悪感は頭が割れるように痛いほどふくらみ己の鼓動なのに耳障りで煩わしく血が騒いでいる。
そして今まで形を成すことがなかった彼の内側で蠢く何かがついにはっきりと形を、姿を持った。…なんてこと、男として何かしてやりたいなんて思ってしまった。
それが表に出たら最後、彼との今の関係は粉々に打ち砕かれる。幸いと言っていいのか不意打ちのキスにもアリーシャは目を覚ます様子は微塵も見せなくて眠ったままなのだけど、他の誰でもなくルーファス自身が忘れることなどできないだろう。
もう、彼女を今までと同じようには見られない。
人間の男なら無防備すぎる彼女のせいにして己の蛮行を正当化し、下手すればそれから先を求めるかもしれない。しかしルーファスは人間の激情だけでなく森の民の理性も抱えたままでいるから、裏切られた彼女の悲しみが真っ先に頭に浮かんでしまうから、紳士的にも情けないことにもそこから先に進めず立ち尽くしてばかり。
今も知らん顔してなかったことにすれば彼女は気づかないまま関係は壊れることもないだろうに、馬鹿正直に耳まで真っ赤になって体ごと反らし顔半分を片手で隠した体勢のままどうしようもなくうろたえてばかりいる。
後悔するぐらいならなぜこんな愚行に及んだ? 自問しても当然答えは返らない。
触れた唇が別の場所を望み始めても、今の状況ではどうすることもできないとわかっていたはずなのに。
ルーファスがずるずるとベッドの縁に背を擦りながら、痛みを感じながらとうとう床に座り込んだ。それほどに彼の感じた、抱えてしまった罪悪感は大きかったらしく、頼りないランプの明かりでは彼に落ちる影までもぬぐうことはできなかった。
そして彼の吐き出した大きなため息のあと、それを最後に声らしい声音らしい音は朝まで聞こえることはなかった。
2008/09/21
最初の創作でいきなりエクストリーム競技(寝てる間にキス)選択。
見事な競技ぶりです。
でも男としてはダメなことを露呈している様子でもあります。
同じく「エクストリーム競技:寝てる間にキス」を題材に、フェバ純白のロクスでも話を書きました。
ただしこちらは競技としては成立していませんが殿方としてはいい男っぷりかと。
ルーファスは晩生で馬鹿正直で純情だと思っております。
でも一度切れてしまったら怖いかも。
だけど嫌われることに怯えすぎててなにもできずにいる期間が長かったりしたら、もォ。
ゲーム中では一切それっぽいこと皆無ですが、最後まで清い体のままあの終わり方ではアリーシャたんがあまりにも報われませぬ…。
男ならなんかやってほしいと思う私はダメ人間確定。