猫と少年 1






ビルとビルの隙間の路地を行くと辿り着く、小さな公園。
其処は休日ならば、親に連れられた子供達がめいめい遊んでいるのだが、平日の昼間は閑散としていた。

それが今日は――――物騒な事に、何かが割れる音が響いていた。






振り上げた拳が打ち下ろされて、脂肪率の高そうな体系をした大男が地面に倒れる。
大男は頭に大きなたんこぶを作り、よれよれのシャツを泥に汚し、靴が片方脱げている。
周囲には同じような風体の男達が、死屍累々と散らばり、地面と仲良くなっていた。

屍しかないかと思われそうな風景の中、一人、両の足を地面につけて、立ち尽くしている人物がいる。
そのシルエットは、倒れた男達よりも細く小さく、見るものに華奢な印象を与えていた。



燦燦と照る太陽の光を反射させる、肩口までの長さの、茶色の髪。
目元にかかるか否かと言う長さの前髪の隙間から、アンテナのように立っている箇所があった。

顔の輪郭はシャープだが、尖り切ってはおらず、卵型。
顔立ちは悪くない、寧ろ上等な質。
切れ長の目尻は尖り、猫のように少し釣り上がっている。

服装は学生と分かるセーラー服で、腰に当てた左手の手首には、薄い学生鞄が引っ掛けられている。
靴下はゴムが伸びきったと分かるほど弛んで、ローファーも埃や傷が目立っていた。


十人近い男達を相手に、大立ち回りをしていたのは、一人の少女だった。





「なんでェ、こんなモンか。大した事なかったな」





少女は辺りをぐるりと見渡して、呟いた。



服についた埃と泥を、手の平で叩いて払う。

しかしこびり付いた汚れは中々取れず、ああこれでまたお袋に叱られる、と嘆息する。
ケンカをした事がバレるだけでも、大目玉だと言うのに。


だが、少女は直ぐに頭を切り替えて、汚れを払うのは早々に諦めた。
踵を返して、滑り台へと近付く。

滑り台は台形の形をしており、一方でロッククライミング、その反対側で滑れるようになっている。
その上で、一人の少年が小さく蹲っていた。
少女はロッククライミングに手をかけ、中ほどの高さ―――少年の姿が見える高さが見える所で、足を止めた。





「おい坊主、終わったぞ」





少女が声をかけても、少年は何も言わない。


少年は、ブレザーを着ていた。
肩に孔雀をモチーフにした校章があり、これが近くの中学校の制服である事は、少女も辛うじて覚えていた。

だが、少女にはそんな事はどうでも良い。
少年よりも、少年の腕の中にいる存在の方が気になった。
動く様子のない少年に焦れて、少女はロッククライムを登りきり、少年の前に立つ。





「終わったぞ」





もう一度言うと、返事があった。
にゃあ、と。

固まって動かない少年の腕の中から、小さな猫が顔を出す。
すると、それまで仏頂面と言われても遜色なかった少女の目尻が、くすぐったそうに細くなる。





「よし、無事みてェだな」





少女が手を伸ばすと、少年がびくりと肩を跳ねさせる。
それには構わず、少女の手は仔猫の頭をぐいぐいと撫でた。
程なく手の平が離れると、仔猫の方が不満そうな声を上げる。





「じゃあな」





猫の鳴き声にも、相変わらず動かない少年にも、少女はそれ以上構わなかった。
短いおざなりな挨拶をすると、滑り台を坂道の要領で駆け下りる。
着地場所は柔らかな砂場になっており、二、三歩蹈鞴を踏んだものの、姿勢を整え直すと、何事もなく歩き出した。




―――――少年が動き出したのは、少女の姿が見えなくなってから、五分後のこと。


ふらふらとしながら滑り台の上で立ち上がった時には、どんなに目を凝らしても、当然、少女の姿は確認できなくなっていた。

そのまま覚束ない足取りで斜面を滑って、砂場でバランスを崩し、尻餅をつく。
少年の腕で大人しくしていた仔猫が飛び出し、少年の回りをぐるぐると歩き回る。
「大丈夫?」と心配されているようで、少年は眉尻を下げて笑い、仔猫の頭を撫でてやった。


仔猫がくるりと踵を返して、死屍累々の絵図の中に飛び込んでいく。
途端に、少年は肝が冷えた。
屍が動き出したら少年では到底太刀打ちできないから。

しかし伸びた男達が目覚める様子はなく、仔猫は男達を踏みながら一直線に歩いて行く。
仔猫が足を止めた時、其処は目を回した男達の真ん中に至っていた。

そのまま仔猫を放っておく事が出来なくて、少年は恐る恐る、男達の輪の中に入って行く。
仔猫のように真っ直ぐではなく、出来るだけ、伸びた男達を避けて、足音を立てないようにしながら。


立ち止まった仔猫は、地面の匂いを仕切りに嗅いでいた。
………いや、違う。





(――――――学生証?)





其処には、『塚川高等学校 3−C 汪嶺寺京子』の文字が入った学生証入りのケースが落ちていた。