猫と少年 2 抜き打ちの持ち物チェックに引っかかった。 そのお陰で、ホームルームの時間の殆どを使って説教されたのが、京子にとって腸が煮えくり返るほど、腹の立つ事だったらしい。 不機嫌全開と分かる表情で、京子は不穏なオーラを撒き散らしている。 それをじっと眺めていたのは、ショートの天然パーマの金髪少女。 瞳は京子と正反対にまん丸で大きく、顔の輪郭も丸みを帯びており、人懐こい雰囲気をしていた。 「しょうがないじゃん、校則なんだもん」 そう言った親友を、京子はじろりと睨み付ける。 京子は、はっきり言って目付きが悪い。 釣り目で尖り勝ちなので、本人にそのつもりはなくても、相手を睨んでいるように見える。 それが不機嫌全開とあれば、睨まれた人間が萎縮してしまうのも当然と言えた。 しかしあんずは慣れたのもので、けろりとした顔でそれを見返している。 「鞄の中とかスカートのポケットとか、入れっ放しにして置けば良いんだよ」 「してたんだよ、スカートの方に。してたのに、なかったんだよ」 「じゃあ、何処かでケンカした時とかに落としたんじゃない?」 京子の行動パターンからして、そんな所だろうと言うあんず。 京子もそうだろうと思っている。 が、思った所で、見付かるものとは思えなかった。 京子に取ってケンカと言うのは日常茶飯事で、街のあちこちで大立ち回りをしている。 要するに、思い当たる場所があり過ぎて、見当がつかないのである。 京子が持ち物検査で引っかかったのは、学生証だった。 使う機会があろうとなかろうと、生徒は学校にいる間は常に携帯しなければならないと、校則で定められている。 これに違反すると、生徒指導の教師に説教を食らう。 京子はこれが嫌なので、面倒だが生徒手帳は常に持ち歩くようにしていた。 「なくしたのって今朝?」 「……どーだろーなー」 確認を取るあんずに、京子は答えられない。 ポケットに入れっ放しにしているのは確かだが、一々有無を確認する事はなかった。 だから、確認したのが今朝の持ち物チェックと言うだけで、随分前からなくしていた、と言うのも十分有り得るのだ。 「再発行するの?」 「あれ金かかるんだろ」 「うん」 「めんどくせー……」 机に突っ伏して唸る京子。 しかし、持っていないとまた説教を食らう事になる。 京子は、生徒指導の教師に睨まれている。 中学生の頃から素行不良で知られ、他校の生徒と日常的にケンカを起こしているのだから、当然だろう。 授業のサボタージュは当たり前、教師に反抗して手が出る事も少なくなく、風紀を乱す張本人の一人として認識されている。 京子は自分が誰にどう見られようと気にしないのだが、目の敵にされるのはやはり面倒だった。 何かにつけて京子のやる事に目くじらを立てているので、京子にとっては鬱陶しいことこの上ないのだ。 煩く言われる前に、再発行の手続きだけでもしておかなければ。 なくした事だけでもきっとネチネチ言ってくるのだから、出来る事は早めに済ませておくに限る。 「再発行、明日でもいいんじゃない? 心当たりがある所、何箇所か探してから」 「どうせ見付かんねーから、無駄だろ…」 「念の為ってだけだよ。再発行の千円って結構バカにならないし、後からひょっこり出てきたら嫌じゃん」 「まぁ、そうか……」 千円あれば、京子のお気に入りの店の肉まんが五個は買えるのだ。 見付かるかも知れないと言う可能性がある内は、無駄にしない方が良い。 でも探しに行くのも面倒臭い……と呟く京子に、あんずは嘆息するしかない。 そんな二人の下に、クラスメイトの少年が声をかけてきた。 「キヨ、災難だったね」 聞こえた声に二人が首を巡らせれば、黒髪の穏やかな面立ちの少年が微笑んでいる。 学ランの前を開け、Yシャツの第一ボタンを外しているその少年は、京子の幼馴染の羽山龍弥であった。 「龍弥か……そーだ、お前ンとこになかったか? オレの学生証」 「見てないけど、探してみるよ」 幼馴染の二人は、今でもよく互いの家に遊びに行っている。 休日は勿論、平日の放課後にも、家に帰らずそのまま相手に家に行っている事も少なくはなかった。 確認しておくと言ってから、龍弥はそれより、と切り返す。 「学生証持ってなかった事は注意されても、教材を何も持って来てない事は注意されないんだね」 「……いつもの事だからじゃない?」 不思議そうに呟いた龍弥に、あんずが目を細めて答える。 京子の鞄の中はいつもスカスカで、入っているのは筆記用具と財布が精々である。 学校に置きっ放しにしている訳でもないので、授業中、彼女の机の上が綺麗なままなのは珍しくない。 一年生の時からその調子なので、三年生の現在となっては、教師の方も慣れてしまったのだろう。 生徒指導や、(京子に言わせれば)頭の固い年配の教員以外は、気にしなくなったのである。 それに、学生証と言ったら、学生にとっては身分証明なのだ。 悪用されないとも限らないから、単純に不携帯であるならともかく、紛失となったら一大事。 そういう意味もあるから、此方は無視出来なかったのだろう。 「早めに見付かると良いね」 「ん」 ふんわりと笑って言った龍弥に、京子はやはり机に突っ伏したまま、短い返事をする。 直後に一時間目開始のチャイムが鳴って、龍弥は早足で自分の席へと戻って行った。 念には念を。 そう言う龍弥とあんずに推されて、京子は本日の休憩時間を全て使って、学校中を探し回った。 教室の落し物入れは勿論、昼食の時に訪れる校舎の屋上や、サボる時に使う校舎や体育館の裏など。 ついでに学校を抜け出して、最寄にある常連のコンビニでも探してみたが、成果は上がらなかった。 京子は、既に見付からないだろうと踏んでいた。 灯台下暗しで家の自室にあるかも、とも思うが、彼女の部屋はお世辞にも綺麗とは言えない。 本気で探そうと思ったら、年末大掃除並みに働かなければならなかった。 それは面倒臭いので、だったら千円は惜しいけれど、再発行してしまったほうが手間をかけずに済むので、生来の面倒臭がりの京子としては、そっちの方が楽なのである。 時刻は放課後となり、今日の部活のない京子は、同じく部活のないあんずと共に帰路につく事にした。 「ケンカした時に落としたとかかな」 「ま、そんなトコだろうな。スカートのポケットだし」 「次から鞄の方に入れておいたら? スカートよりは落とさないよ」 「どーだか」 「…そっか、投げたりしてるもんね。京子の鞄の口、壊れてるし」 塚川高校の鞄は、皮製のブリーフケースだ。 形を崩さない為の板も縫い込んであり、そこそこ硬く、京子はケンカになると臨時の武器として使うことも多い。 お陰で京子の鞄はボロボロで、皮が傷んで剥げているだけでなく、蓋の金具部分が壊れて、ロックが出来なくなっている。 「鞄、買い直したら?」 「どーせまた壊れるから必要ねえ」 「せめて蓋の鍵直そうよ」 其処さえ直せば…と言うあんずだが、京子は欠伸をしているだけ。 友人が促す注意にも、聴く耳を持たない。 いつもの事なので、あんずも特に気にしなかった。 野球部とサッカー部がスペース争いをしているグラウンドを横切り、校門へと向かう二人。 途中、あんずが陸上部の生徒と目が合い、ひらひらと手を振った。 京子は何処を見る訳でもなく、面倒臭いな、と口癖のようにブツブツと呟いている。 このまま放って置くと、学生証を探しに行くのは勿論の事、再発行手続きにも腰が重くなってしまう。 そうなると、生徒指導の教師と揉めて、教師相手に手が出る事も、あんずには容易に想像できた。 ちょっと話題を変えよう、とあんずは自分の鞄の蓋を開ける。 「あのね、京子。京子が前に食べたいって言ってた店、ここであってる?」 鞄から取り出したのは、グルメ雑誌。 折り目をつけていたページを開いて、見開きを使って掲載されている店を見せる。 「ああ、そこな。あってるあってる」 「これって夏紀ちゃん家のお店がある商店街でしょ。夏紀ちゃんから商店街の割引クーポン貰ったから、今度皆で行こうよ」 「夏紀に貸し1か……また陸上部で助っ人する羽目になるんだろうな。ま、いいけど」 塚川高校の運動部は、グラウンドや武道館などの使用スペースが固定されていない。 それぞれの部で常に争奪戦が行われており、月に一度のペースで小運動会のようなものが開催されている。 京子が所属する剣道部も、武道館の使用スペースを獲得する為、同じ武道館を使用する空手部や柔道部と混合模擬試合を行っていた。 所属していない生徒を助っ人にする事に制限はない。 陸上部は塚川高校内では弱小と呼ばれる程に人数が少ない為、このルールに助けられている部分が大きい。 剣道部の京子にとって、陸上部がどうなろうと知った事ではないが、友人からの頼みなら特に断りはしなかった。 代わりにこうして、何某かのお得情報を貰ったりするので、ギブアンドテイクと言う奴だ。 あんずがパラパラと他のページを捲る横で、京子は晩飯何かな、とぼんやり考えていた。 ―――――が、校門の前で足を止める。 「どうしたの?」 「……あれ、藍じゃねェか?」 前を見ていなかったあんずの問い掛けに、京子は校門を指差して言う。 あんずが校門を見ると、黒髪の少女が立っていた。 少女は後姿だったが、髪の一部をアップにしてバレッタで留めている事、スカート丈が校則通りの膝までの長さである事。 更に少女が持つ洗練された雰囲気を感じ取れれば、その人物がクラスメイトである美央藍である事は見当がついた。 「おい、藍!」 「――――京子ちゃん、あんずちゃん」 京子が声を張って呼ぶと、少女は直ぐに振り向いた。 予想通り、美央藍である。 「何やってんだ、お前」 「もう帰っちゃったと思ってた」 「うん、そのつもりだったんだけど…」 直ぐ傍まで近付いて、京子とあんずは気付く。 其処には藍だけではなく、ブレザーを着た小柄な少年の存在もある事に。 京子が少年を見ると、少年はビクッと肩を跳ね上がらせて、後ずさりする。 そうすると、藍を間に挟んでいる京子には、少年の姿が見えなくなった。 怯えられるのは、京子にとって珍しい話ではない。 お世辞にも愛想が良いとは言われないし、普通に見ただけで「睨んでいる」と思われるのはザラだ。 特に気にせず、藍に向き直る。 「今日は琴だかなんだか、あるんじゃなかったか」 「うん。その前に、この子が京子ちゃんに渡したいものがあるらしくて、待ってたの」 「オレ?」 この子――――って、こいつか。 藍の後ろにすっぽり隠れている少年を見遣った(見えないのだが)。 藍が一歩右にずれると、隠れていた少年の姿が露になる。 京子とあんずの二対の視線をぶつけられて、またしても少年の肩がビクッと跳ね上がった。 少年のブレザーは、隣町にある私立中学の制服だった。 あちこち汚れたり解れたりしているものの、作りはしっかりとしているし、着こなしもキッチリとしたものだ。 しかし顔立ちの方はよく分からない、長い前髪で目元が隠れてしまっている所為だ。 口や鼻、顎の形は悪くないが、頬にはそばかすがあり、素朴な印象を受ける。 少年は完全に硬直していた。 しかし、少年は確かに京子の方を見ている。 なんかヘビとカエルみたい。 あんずは横目で京子を伺いながら、胸中で呟いた。 藍もその隣で、同じような感想を抱いていた。 「……あんだよ」 焦れたのは京子の方だった。 尖った八重歯を覗かせて、双眸を窄めて問う。 「あッ、…あ、あ…!」 「あ!?」 少年が何か言おうとするが、まともな言葉にならない。 益々京子が焦れて、ケンカ腰になってしまった。 少年は慌てて肩にかけていた鞄を開けて、ガサゴソと漁る。 目当てのものを見つけると、ずいっとそれを京子に差し出した。 「……ん?」 「あ!」 少年が差し出したのは、塚川高校の学生証。 それも、京子の学生証であった。 「……なんでオメーが持ってんだ?」 「あッ! いや、あのッ、」 胡乱な目で問う京子に、少年はどもりながら答える。 「あの、け、今朝、今朝の、あのッ、公園でッ」 「今朝? …公園……ブチ猫公園か?」 確認すれば、少年はこくこくと頷いた。 ああ、あの時落としたのか、と京子も呟く。 それから、京子は目の前の少年が朧に記憶に残っている事を思い出す。 「なんだ。お前、今朝の坊主か」 言うと、少年はまたこくこくと首を縦に動かす。 そーかそーか、と京子は一人で納得したが、あんずと藍は顔を見合わせて首を傾げる。 「今朝って?」 「ちょっとな。今朝、海南の阿呆どもがまた屯して粋がってて」 「またケンカしたの? 京子ちゃん」 「煩ぇこと言うなよ、藍。その阿呆どもが、こいつ囲んでイビってたんだよ。んで、見付けて胸くそ悪くなったからちょっとシメてやっただけだ」 京子にとっては日常茶飯事の出来事だ。 あんずも慣れたもので、またやったんだぁ、程度にしか思わない。 藍だけが顔を顰めて溜息を吐いている。 だが、京子のやった事がどの程度であれ、少年にとっては助けて貰ったのである。 「あの、ありがとうございました」 「別に。それよか、こっちありがとよ」 受け取った学生証をヒラヒラと振って、京子も感謝を述べる。 これで探す手間も、再発行の面倒臭さも気にしなくて良くなったのだ。 「あの、それで、あの、」 「ん?」 「あの……」 学生証をいつものようにポケットに入れた京子に、少年がまた何か言おうとする。 しかしもごもごと口を篭らせるばかりで、言葉らしい言葉は一向に紡がれない。 京子の苛立ちがどんどん募っていく。 良くも悪くも裏表のない性格をしている京子は、白黒はっきりしない事が嫌いだった。 少年の今の態度は、京子にとって正に苛々とする物なのである。 あの、その、あの、えっと。 延々とそんな言葉ばかりが連なれば、程なく、京子の堪忍袋の緒が切れた。 「はっきりしやがれ! ウジウジウジウジしてんじゃねーよ!!」 「はッ、はいいッ!!」 そのまま手が出そうな勢いで怒鳴る京子を、あんずが必死で止めている。 藍も慌てて京子の少年の間に割り込んだ。 「待って待って、京子! 怖がってるから!」 「ごめんね、大丈夫? ね、ゆっくりで良いから、ね?」 目を釣りあがらせる京子をあんずが、鞄で顔を隠して逃げ出さんばかりに腰が引けている少年を藍が、それぞれ宥める。 結局、あんずが京子の暴走防止に制服の襟を掴み、少年を後ろに庇う形で藍が間に入る。 これで少年が深呼吸をして、ようやく話が出来るようになった。 「あの、その、助けて貰って、…ありがとうございました」 「そりゃさっき聞いた」 「は、はいッ! それで、あの……お、お礼に、」 「礼だったらこれで十分だろ」 京子がこれ、と言ったのは、勿論、学生証の事だ。 少年は出かけた鼻を真正面から叩き折られ、呆然とする。 慌てて軌道修正に入ったのは、勿論、あんずであった。 「きょーこ、そういうの良くないって……」 「何がだよ」 「わざわざ隣町からこっちまで来てくれたんだし。好意は素直に貰っていいんだよ」 「……ンな事言ったって、オレぁ別に礼なんかされる事した覚えはねーぞ」 「でも、あの子からしたら京子に助けて貰ったんだよ。いいじゃん、あの子がすっきり出来るように、ちょっとくらい付き合ってあげたって」 藍の陰ですっかり落ち込んでいる少年。 少年は今までの言動を見る限り、引っ込み思案である事には間違いあるまい。 そんな彼が、隣町の中学校から、この塚川高校までやって来て、京子が来るまで校門で待っていたのだ。 落し物を返すのなら、事務室に持っていくなり、藍に預けるなりして置けば良い事なのに。 ―――――これをそのまま帰してしまうのは、あんずも藍も忍びない。 あんずに言われて、京子は睨むのを止める。 憮然とした表情ではあるものの、少年の反応を大人しく待つつもりのようだ。 「……で、礼って?」 「あ、あの…僕の家、中華飯店で…お礼に、うちで、その……」 「食べて行って欲しいの?」 最後がやはり尻すぼみに消えていく少年に代わり、藍が代弁する。 少年が小さく頷くのを確認して、あんずが京子を見上げる。 京子は、ヘの字に口を噤んでいる。 傍目に見ればやはり憮然として、少年の言う事にも興味がないように見えるが、あんずには分かる。 色気より食い気の京子の天秤が、かなり傾いている事が。 「中華飯店さんだって。良いじゃん、京子、好きでしょ。それとも、お迎えある?」 「嫌いじゃねェけど。あいつも今日は来ねェし」 「じゃあ決まり! ね、どこのお店? ついでにあたしも行っていい?」 「は、はい」 放って置くといらないと言って立ち去ってしまいそうな京子に、あんずが先回りして決定する。 恩返しが出来るとあって、だろうか。 俯いていた少年が、俄かに頬を赤くして表情を明るくしたのが、あんずと藍の目に留まった。 ≪ ≫ |