猫と少年 4




火曜日の昼。
京子とあんずは、校舎の屋上で昼食を採っていた。





「昨日、海南に行ったんだけどよ」
「……二週間に一回は絶対行ってるね」
「定期的にシメとかねーと、また調子に乗り出すバカがいるからな」





京子の言う“海南”とは、近くにある海条南工業高校の事だ。
校則の緩い男子高校で、偏差値も低く、他校に落ちた不良学生の溜まり場になっている。


京子は度々、この海条南高校の生徒とケンカ問題を起こしており、その歴史は一年生の頃から始まっている。
女だてらに腕っ節のある京子を、生意気だと言う輩もいれば、手篭めにしてしまう等と言う奴もいた。
スマートな誘い方など知らない男達が殆どなので、自ずと手段は力技に限定される。

しかし、京子が海条南高校の生徒と初乱闘をして以来、京子の完封勝利が通例となっていた。

不良の溜まり場で知られ、周囲からも疎まれていた海条南だが、当時一年生だった京子に三年のリーダーの男が負けてから少し風向きが変わった。
相変わらず不良の吹き溜まりではあるものの、誰彼構わず絡んで乱暴をする事はなくなった────いや、出来なくなったと言うのが正しいか。
京子はあらゆる所に知り合いがいる為、海条南高校の生徒が何かしらトラブルを起こすと、程なく彼女の耳に入る。
その都度、「調子に乗るな」と黙らせに行くのが通例となっていた。





「今度はなんで行ったの? 前は集団万引き騒ぎだったけど」
「あれもまた再発すんだろーけどなー。あの店のばーさん、前にもやられてやがったし……で、今回は、この間のあいつ」





其処まで言って、京子は固まる。
“あいつ”が誰であるのか言おうとして、名前が出て来ないようだ。





「あれ。あいつ。……なんだ、アレ」
「…あたしに聞かれても」
「アレだ、アレ。オレの学生証持ってきた奴」
「りょーた君?」





ああ、それそれ、と京子は頷いた。





「あの時、あいつに絡んでたのが海南の奴らだったんだよ」
「……海南の生徒って、西成の子によく絡んでるらしいね。西成出身の子に聞いたけど、四年前とか酷かったって」
「中坊ってのと、私立だからじゃねェの。ただのヒガミだな」





阿呆のやる事だ、とばっさり切る京子。
購買で買った焼き蕎麦パンを齧りながら、京子は話を続ける。





「放っとくと、またやらかすだろうからな。その前に黙らせといた」
「なんかすっかり京子が海南の番長みたいになってるね……」





京子のお陰で海条南の生徒が大人しくなっているのは確かだ。
海条南の生徒が揉め事を起こす度、京子が間に入って被害者を宥め、海条南の生徒には体で学習させる。

四年前の海条南工業高校は、あんずの言う通り、本当に酷かった。
それが京子が塚川高校に入学し、海条南で大乱闘騒ぎが起きて以降、大人しくなったのだから、京子の存在と言うのは、海条南の生徒に取って、一種の印籠となっていた。





「んで、まぁ取り合えず黙らせといたけどな。帰りにあのバカが」
「……誰?」
「……………………」





京子の中では顔が浮かんでいるので、あれ・これ・バカ・アホで片付くのだが、あんずにとってはそうではない。
あんずが京子と仲が良く、学校にいる間は殆ど一緒にいるとは言え、荒事にまで首を突っ込むことはない。
だから、京子が指す人物が誰なのかは、あんずにはまるで分からなかった。


京子は、紙パックのコーヒー牛乳のストローに口をつけた形で、しばし固まる。
目線が上に行ったり、左右に揺れたりして、思い出そうとしている。

数十秒ほど停止してから、





「アレだ。桃太郎。あいつらの頭っぽい、鼻ピのバカ」





桃太郎────これも京子が勝手につけた呼び名だ。
海条南の生徒で、いつも三人グループでつるんでいる男達がいる。
リーダーが猿垣、その取り巻きが戌井・季路野と言い、これらの名前をもじって、京子は「桃太郎」とひっくるめて覚えていた。





「あいつ、オレが海南に行く度にしゃしゃり出て来るんだよなー。こっちゃお前に用なんざないっての」





この「桃太郎」は、あんずも知っている。
京子が荒事に首を突っ込まなくても、向こうから此方にやって来るからだ。
京子と一緒に登下校していると、あんずも遭遇現場に居合わせるのである。


煩い、うざい、鬱陶しい。
ぶつぶつと呟く京子に、あんずは災難だな、と思う。
京子にではなく、京子に其処まで言われる猿垣と言う男に。

猿垣が何かと京子に絡んでくる理由を、あんずは恐らくではあるが────予想がついている。





(モテるんだよね、京子って。意外と)





愚痴を零す京子を眺めながら、あんずは思う。



短気で乱暴な性格ではあるものの、誰にでも暴力を振るう訳ではない。
所属している剣道部では後輩によく慕われ、主将を任されるほどに信頼されている(予算会議などの類は副主将に丸投げだが)。
海条南高校の近所に住んでいる人にも、「不良でも良い子もいるのね」と言われている事もあった。

愛想も口も悪く、腕っ節まであるものだから、怖いとか近付き難いと思われ易くもあるが、付き合ってみればそうでもない───と、遅かれ早かれ皆気付くようになる。
斜に構えてはいても、性根は良くも悪くも真っ直ぐな人間であると。


そして落ち着いて彼女の人となりを見て、改めて“京子”を知り、惹かれて行くのだ。
あんずがそうだったように。



しかし、当の京子はと言うと、





「桃太郎のバカ鼻ピと、サトイモと、……あと腰パンと…あーうぜー!!」





指折り数える京子の表情は、苦虫を噛み潰したようなもの。


京子のファンは案外と多い。

海条南の生徒の中にも、京子に惚れている人物は少なくない。
元が荒っぽい連中の集まりだから、京子の粗暴さは大して気にならないのだろう。
増して京子はスタイルが良いから、そういう意味で京子に興味を持つ者も多い。


しかし、京子はいつもこの調子だ。
休日に街に出てナンパされる事もあると言うのに、彼女自身は全くその理由への自覚がない。
クラスメイト数名との付き合いを除けば、遠巻きに怖がられている以外には、自分には敵意しか向けられないと思っているのだ。





(だから羽山君も鳴宮さんも大変なんだよねー)





弁当のポテトサラダに箸をつけつつ、あんずは思う。





(それと……りょーた君も)





先に話題に出た少年、日比野亮太。


絡まれていた所を助けてくれた京子に、彼は想いを寄せた。
落としていた学生証を拾って届けに来たり、助けてくれたお礼に実家の中華屋に招待したり。
気が弱い彼にとっては、精一杯の勇気を振り絞ったのだろうけれど────





「ああ、そういやクマもいたな。桃太郎とぎゃーぎゃー揉めてたが……何しに出てきたんだ? んで、帰りに龍弥に会ったな。あいつはオレと一緒にいる時に顔割れてんだから、一人で海南の近くウロつくなって言ってんのに、聞きゃししねえ…」





海条南の生徒はともかく、身近にいる人間相手でも京子は“こう”なのだ。
面と向かって想いを打ち明けない限り、京子が亮太の気持ちに気付くことはないだろう。


あんずは、ホッとしたように笑った少年の顔を思い出す。

どうしようかな、と頬杖をついて、あんずは考える。
色々な矢印を見ているあんずにとって、この件は酷く複雑な出来事になっていた。



あんずが空になった弁当箱に蓋をする。
京子も同じく、食べ終わった焼き蕎麦パンのビニールを丸めて、コンビニ袋に入れる。
飲み終わったコーヒー牛乳の紙パックも放り込んだ。





「五時間目、なんだ?」
「科学のテスト」
「寝る」





ごろん、とコンクリートの上に京子が寝転ぶ。





「あたしは教室戻るね」
「六時間目」
「現国だよ」
「……出てやるか。昨日出てねーし」





欠伸を漏らしながら言う京子に、五時間目の終わりにモーニングコールを約束して、あんずは屋上を後にした。

































五時間目の終わりに電話をしてみたが、京子は出なかった。
コール音は鳴るので、寝起きの機嫌の悪さから無視しているか、全く起きていないかのどちらかだ。

たっぷりコール音が十回繰り返すのを待って、あんずは携帯を閉じた。





「起こして来ようか?」




そんなあんずを見て、言ってくれたのは、羽山龍弥だ。





「キヨ、屋上にいるんだよね」
「うん。でもいいよ。起きないきょーこが悪いんだもん。電話したのは着信残ってるから、あたしは悪くないもーん」
「あはは」





放っといても良いよ、と言うあんずに、龍弥は笑う。
それでも彼の足は教室を出て行き、屋上へと向かった。


あんずの電話のコールで起きない時、京子はそのまま起きない場合が多い。
出てやるか、と言った現国の授業の事も、頭に残っていないのは確かだ。

だが、こうして龍弥が起こしに行くパターンも多い。
これで起きるかどうかも、確立としては半々と言った所だ。
その上、京子の寝起きの悪さには定評があり、タイミングが悪ければ起こした相手にアッパーを食らわせる事もある。
龍弥もよく被害に遭っているのだが、彼はそれを気にする様子はない。
寧ろ、彼女の世話は自分の役目、のように思っている所があった。





(……羽山君もなぁ。言えばいいのに)





いなくなった龍弥の顔を思い出しつつ、あんずは思う。



いつも笑顔でいる事が多く、柔らかな表情をしている事が多い龍弥だが、京子の前では少し違う。
幼馴染であると言う気安さもあるのだろうが、明らかに特別扱いしている節がある。

京子も、龍弥を他の男子とは一緒にしていない、特別扱いと言っても良いのではないだろうか。
そういう事を彼女の前で言うと、眼科に行って来い、と言われてしまうのだが。


だから、あんずは時々思うのだ。
言えばいいのに、と。

あの二人なら、きっとお似合いに見えると思うのだけど。





六時間目のチャイムが鳴って、空席になった二つ並んだ席を見て、あんずは溜息を吐いた。