僕だけの
俺だけの

君でいて欲しいと願うけど

















Let's share! 前編



















三日ぶりに『女優』に戻ったら、いつものように熱烈な歓迎の抱擁を受けた。
止めろと何度も言うのに、彼女達はいつまで経ってもこれを繰り返す。
特に夏場は止めて欲しいのに。

それでも他の人間のように殴り飛ばしたりしないのは、京子も彼女達の事が好きだからだ。
面と向かってそれを言うほど、京子は素直ではないけれど、彼女達もそれを判っているから抱擁を繰り返すのだろう。




「あァん、お帰りなさい京ちゃァ〜ん!」
「だーから京ちゃん言うなっつーの!」




キャメロンの太い腕に抱きしめられて、逃れようとじたばた暴れながら京子は叫ぶ。
頬を擦り寄られて、剃ったばかりの髭の後がじょりじょり当たるのに、また悲鳴を上げた。


一頻りスキンシップをして、キャメロンはようやく落ち着いた。
腕の力が緩んだ瞬間、京子は逃げるようにキャメロンから離れてアンジーに駆け寄る。
京子よりもずっと背の高いアンジーの後ろに隠れる京子に、スキンシップの順番待ちをしていたサユリが残念そうな声をあげた。

子供の頃から京子はアンジーに一番懐いていて、それは恐らく、過剰なスキンシップが他の二人に比べて少ないからだろう。
京子の事を最初に“京ちゃん”と呼んだのはアンジーだが、あのスキンシップに比べれば些細な事だった。



自分の影に隠れてキャメロンとサユリを警戒する京子に、アンジーはくすりと笑み、




「京ちゃん、お客さんが来てるわよ」
「あ?」




京子が顔を上げると、アンジーは此方を見下ろして笑っている。
楽しそうに、嬉しそうに。

アンジーが言った事で、キャメロンとサユリも思い出したらしい。




「そうそう、そうなのよォ」
「京ちゃんのお部屋にいるから、さ、早くッ」
「早くって、アンタらがオレを離さなかったんじゃねーか!」




キャメロンとサユリの熱烈な抱擁がなければ、今頃京子は部屋でゴロ寝している所だ。
客人を待たせてしまったのは決して自分の責任ではないと京子は思う。
ビッグママも、グラスを洗っていないで、一言言ってくれれば良いのに。


アンジーから離れて、京子は足早に住居スペースに続く扉へ向かう。

ドアノブに手をかけてから、京子は肩越しにアンジー達へと振り返り、




「客って誰だ? アン子か?」




京子に来客と言うのは滅多にない。
いるのは真神のクラスメイトの他、如月や雨紋、織部姉妹など戦友ぐらいのもの。

それから吾妻橋達のような舎弟が精々だが、彼らは住居スペースに入った事がない。
彼らがこの店で時間を過ごす時、溜まっているのは専らバーの店内だ。
京子が中で寝ていて、彼女に用事があると言う時でも、彼らが部屋まで来た事はなかった。


バーはもう直、営業時間になる。
それを踏まえて奥で待たせるのなら、男よりも恐らく女だろう。
男連中は営業時間前でもバー店内で屯しているだろうから。

女性で京子が此処にいる事を知っているのは、真神のクラスメイト位のものだ。
葵と小蒔はついさっき別れたばかりだから、後の選択肢は遠野しか残っていない。



京子の問いに、アンジーはふふ、と笑みを深くする。
それに首を傾げると、キャメロンとサユリが先に答えた。





「苺ちゃんと」

「八剣君よォ〜!!」






───────高らかに述べられた名前に、京子は数瞬停止して。








「なにィイィィィ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!??」








蓬莱寺京子、17歳。
これまでの人生で、過去に一度でもこんな声を出した事があっただろうか。

……………ない。



ひっくり返った声を上げた京子に、アンジーは眉尻を下げ、カウンター向こうのビッグママは溜息。
キャメロンとサユリだけがなんだかやけに楽しそうだった。




「京ちゃんったらモテモテね!」
「羨ましいわァ〜」
「いや、ちょ、待て…ちょっと待ってくれ!」




二人手と手を合わせているキャメロンとサユリに、京子は慌てて駆け寄る。
その足取りも縺れ勝ちで、彼女の動揺具合をよく表していた。




「来てんのか!? あいつら二人でッ」
「ああ、揃って来たよ」




答えたのはビッグママだ。

京子の首がぐるりと巡って、ビッグママに向けられる。
その瞳はなんでどうしてと言う言葉がありありと記されているが、ビッグママはそれには答えてくれなかった。
いや、答えなくても判っているだろうと、表情が語っている。



二人揃って来た。
何でよりによってそんな事に。

京子の頭はそれで埋め尽くされ、サーッと血が下がっていく音が聞こえた気がした。



そのまま棒立ちになりそうだったが、そんな暇はない。
希望としてはそうしていたかったけれども。

京子は壊れる勢いで、住居スペースへの扉を開けた。
扉を開け放したままで、いつも使っている自分の部屋へ向かう京子の背中に、アンジーが「頑張ってね」と声をかける。
……何を頑張るかなんて、判っていても判りたくなかった。






緋勇龍麻。

八剣右近。



………この二人が顔を合わせる事は、京子にとって災厄の前兆とも言える出来事だった。


























使い慣れた部屋の前まで来て、京子は足を止めた。
走って来た勢いのままにドアを開けようとした手を、ギリギリで引き止めて。



あまりの出来事に、勢いで此処まで来たが、これからどうすれば良いのか判らない。
この一枚扉の向こうにいるのは、例えるのならば龍と虎で、正に今戦場と化しているのだろう。
そんな場所に無防備に突っ込んだりしたら、確実に死ぬ気がする。

小学生の頃から荒事には慣れ親しんでいる京子だが、今回に限っては駄目だ。
あれらを竜虎に例えたら、自分は精々ヤマネコだろう、敵う訳がない。


京子は負けず嫌いだ。
しかし、あれらが相手の時は別である。

だって食い殺されるのは御免だ。



そんな場所に今、自分は無防備な状態で突進しようとしていた。
危ないところだった、あと少しで自分は確実に死ぬ所だったのだ。




とは言え、このドアを開けない訳には行かない。

正直言って入りたくないが、此処で店に戻っても何も変化はないだろう。
今から吾妻橋を呼び出しても、あの野良犬達は自分以上に竜虎に太刀打ち出来ない。
ならば出来るだけ早く、穏便に、怪我をしない内に事を収めて竜虎にはお帰り願おう。


そう決めて腹を括ると、取り敢えず中の様子を確認しようとドアノブを回す。
出来るだけゆっくりゆっくり、中を伺うように、少しずつドアを押して──────





「そんなに怖がらないで、入っておいで」

「んなッ!?」





開けようとしていたら、ドアの方が勝手に開いた。
否、内側から引かれたのだ。

ドアに半分寄りかかる形で中を覗こうとしていた京子は、支える力を失って部屋の中に倒れるように進入を果たす。
足が縺れて踏鞴を踏むと、直線上に立っていた人物の胸に飛び込むようにぶつかった。




「お帰り、京」




─────緋勇龍麻である。


声を聞いて京子がそろそろと顔をあげると、いつもの笑みが其処にはあった。

転びかけた京子を龍麻が抱きとめて支えた為に、距離が近い。
その距離が無性に恥ずかしくて、京子は離れようと試みた。
が、龍麻の体はびくともせず、抱きとめた際に背中に回された腕の力も緩む事はなかった。


カチャリとドアが閉まる音と、鍵のかかる音が聞こえて、抱きしめられたまま京子は首を巡らせた。
するとドアの前には金髪で着物姿の男─────八剣右近が立っている。




京子の顔色がどんどん青くなっていった。




「なんで…お前ら……」
「さて、どうしてかな」




京子の小さな呟きに、八剣はドアに背を預けて腕を組み、微笑んで言う。




「俺は、京ちゃんが一番よく判っていると思うんだけどね」




八剣の言葉に、益々京子の血の気が下がる。
その様子は至近距離にいる龍麻にも伝わっていた。




「あ、判ってるんだ」
「いや、ちょッ……待て、龍麻。取り敢えず離れろッ」
「いーや」




肩を強く押してみるが、やはり龍麻はびくともしない。
どころか、背中に回っている腕の力が強くなって、京子はすっかり龍麻の腕の中に納まってしまった。

そんな事をしたら、八剣が何を仕出かすか。
いやしかし、だからと言って龍麻を突き飛ばしても、それは同じだろう。
あちらを立てればこちらが立たず、正にそんな状態。


だが予想に反して八剣は端正な顔を笑みに染めたままで、それ以上何もして来ない。
密着しあっている龍麻と京子を前にしているのに。

京子には、それが返って恐ろしい気がした。




「なんで…なんでお前ら一緒にいんだよ!?」




とにかく怯めば終わりだと、京子は龍麻を睨み付けて声を荒げる。
それでこの竜虎が慄くとも思えないが、穏便に事を運ぶ方法などもう見付からない。




「どうしてって、京ちゃんが自分で招いた事だろう」
「そうだよ。酷いな、京」
「判ってるだろう?」
「自分が僕らに何をしたのか」




まるで示し合わせたように交互に喋る二人。
前後に挟まれて、京子の顔は引き攣っていた。






京子が二人にした事────── 一言で言えば、とどのつまり“浮気”と呼ばれるものである。




京子が初めて経験を持った相手は、龍麻だった。



切欠は京子が龍麻の部屋に泊まった時、健全な青少年ならありがちな代物が一つもなかった事だ。
龍麻と性欲がイコールで結ばれるイメージもなかったので、それ自体は別に良い。
だが知識の方はどうなのだろうと、なんとなく疑問を持ったのが始まりだった。

最初に京子は、経験があるのか否か、正面から聞いてみた。
答えは否で、じゃあ知識はあるのかと聞いたら、馬鹿にされていると思ったのだろう、龍麻は珍しく顔を顰めた。

京子も歌舞伎町で長年暮らしているものの、未だ未経験であった。
興味はあったが自分が男に組み敷かれている様も想像できなかったし、捧げたいと思うような相手もいない。
かと言ってよく知りもしないチンピラに足を開くのはプライドに障る。
喧嘩をした相手の中には京子を自分の女にしようとする者もいたが、漏れなく殴り飛ばしていた。


お互い知識や興味はありながらも、未経験。
だったら初心者同士でやってみないかと、持ち掛けたのは京子だった。



それから数回、京子は龍麻と体を重ねた。

互いに、他の誰かと行為をした事はない。
京子は龍麻以外に身を任せる気にならなかったし、龍麻も京子以外に興味を示さない。


……数回体を重ねた後、龍麻は京子に「好き」と言った。
京子はそれに返事をしていない、なんと言って良いか判らない。
それに対して、龍麻は「待ってる」と言っただけだ。

それからも二人は、そのままの関係で情交を重ねた。
親友以上恋人未満、今の二人の関係を表すならそう言うのだろう。




そして拳武館の一件から暫くした後、京子は八剣と関係を持った。



八剣は京子の事を随分と気に入っており、反対に京子は八剣を苦手としていた。
初めて大敗した相手である事と、何かと八剣が自分を“女”として扱うからだろう。
京子は出来るだけ八剣と逢いたくなかったから、道端で見掛けただけでも回れ右して逃げる程だった。

それでも繰り返し顔を合わせていると、麻痺して来るのか、慣れるのか。
気付いた時には八剣が生活する拳武館の寮───それも八剣の部屋だ───にも入り浸るようになってしまっていた。


八剣の部屋と言う空間にも慣れた頃、京子は少し荒れた心情で其処を訪れた。
何があったのか八剣は問わなかったし、京子も言わなかった。
ただ、真神のクラスメイト達の前ではあり得ない程、京子は荒れていた。

散々当り散らした後、京子は泣いた。
八剣の前で。

そんな京子を八剣は抱き締め、口付けて、そのまま褥を共にした。
成り行きのようにも思えて、それを求めていたような気もして、京子はその時自分が何を思ったのかよく覚えていない。
拒まなかった事が答えのようにも思えたが、それが何とイコールになるのか、京子は判らなかった。



それから京子は、何かあると八剣の下を訪れるようになった。
話をする事もあったし、当り散らす事もあったし、全てを誤魔化すように行為を急く事もあった。

そのどれもを八剣は受け入れて、京子が落ち着くまで好きにさせた。


何故いつも拒否しないのか京子が聞いたら、「好きなんだよ」と八剣は微笑んだ。
言の葉の持つ意味が、少し前に親友から聞いたものだと同じだと言う事は感じられた。

一度聴いた言葉の返事すら、京子は返せずにいる。
二度目の言葉も同じで、何も言えずに黙った。
八剣はそれにも微笑んで、京子の頭を撫でただけだ。


二人の関係はそのまま続いている。
付かず離れずの距離で。





……正直、“浮気”と言って正確かは微妙な所だ。


どちらも明確に付き合っていると言う訳ではなく、ただ京子が告白されただけ。
京子は拒否もしなかったが、頷いてもいないのだ。

ただ龍麻に八剣の事は言っていないし、八剣に対しても同じこと。
体の関係がある事も、告白されていることも、未だ答えが出ていないことも言わないまま、あやふやな関係のまま、京子は二人の男の間でふらふらしている。
気付けば、言えるような関係でもなくなっていて、京子が二人に言わなかったのも無理はないが。


けれども、二人にバレれば、血の雨が降るような気はしていた。
何かの折に二人が顔を合わせると、冷たい空気になるのは感じていたから。






背中を抱く龍麻の腕が痛い。
ゆっくりと近付く八剣の足取りが恐ろしい。

────未だ嘗てないほど、強固は戦慄していた。




「いや、いいんだよ。別に怒っている訳でもないし」
「……いや、嘘だろ、絶対ェ」




八剣の声がワントーン落ちている事に京子は気付いていた。


京子は八剣が自分に向けて怒りを見せる所を見たことがない。
自分が何をしても彼は受け入れて、笑みを浮かべていた。

しかし邂逅した時の事は忘れていない。
今の八剣は、その瞬間を髣髴とさせる。




「本当だよ。ちょっと意地悪な言い方しちゃったけど、付き合ってるとかじゃなかったんだし」
「……だろ? そうだろ? そうだよな!?」




未だ自分を抱き締めたままで告げた龍麻に、京子は思わず食いついた。

返事をしないまま、曖昧な関係を維持していたのは京子だ。
しかし二人とも返事を急かすことはなく、苛立つ様子を見せる訳でもなく。
二股と言えばそうなのだが──────。




「ただね」
「そう、ただね」




自分よりも少しだけ上にある、龍麻の瞳と。
いつの間にか手の届く距離にまで近付いた八剣の瞳が、京子を見据える。






「一人だったらのんびり待っていられたんだけど」
「競う相手がいるんじゃあね」
「今の状態がいつまで続くかも判らないし」
「横から攫われるのは一番嫌だし」


「だから」
「俺達二人で共有しようと思ってね」






竜虎の眼の内で、ヤマネコは割れんばかりの鳴き声をあげるのが精一杯だった。




「いーやーだあああぁぁぁぁぁッッッ!!!!!」




響く叫びは、まるで子供の駄々捏ねだ。
いや、似たようなものなのだろう、叫ぶ当人の眼前にいる人物達からしてみれば。


形振り構わず暴れ始めた京子だったが、龍麻はそれを簡単にいなしてしまう。
腕や足ではどうにもならないので、頭突きでどうにか逃げても、今度は八剣に木刀を持っていた左腕を捕らえられる。

この場にいる三人は、それぞれ武術に秀でている。
一人一人で勝負をすれば互角になるだろう。
しかし二対一で、おまけに力勝負となると、女である京子は分が悪い。


八剣からも逃れようと、思わず自由な右手を出したのが失敗だった。
パニック状態で逃げられるような相手ではないと判っていた筈なのに、今の京子には正常な状況判断が出来ない。
自分の行動が間違いだったの気付いたのは、八剣に自分の両腕を制されてからだ。

その後も遅かった、両腕が頼れなくなったことで益々パニックになる。
そうしている間に左手に持っていた木刀は、龍麻に取り上げられた。




「バカ龍麻ッ返せッ!」
「返すよ。後でね」
「今すぐだッッ」
「それは駄目だよ、京ちゃん」




捉えられている事など忘れたように龍麻に怒鳴る京子に、八剣が耳元で囁いた。
吐息がかかる程近くの囁きに、京子の肩が跳ねる。




「や、離せ! 嫌だっつってんだろ!」
「大丈夫、怖いことはしないから。ね?」
「今の時点で十分怖ェんだよ!!」




八剣は子供をあやすように笑んだが、今の京子にはその方が返って恐ろしさを助長させる。
元々京子は、八剣のこの内側を見せない笑みが苦手なものだから、尚更。

八剣は龍麻以上に京子に低い腰で接する。
怖いことはしないと言う言葉に、本人的には嘘はないのだろうが、京子の方はそうも行かない。
パニックと、先程から垣間見える八剣の感情の波が恐ろしくて仕方がなかった。


龍麻が八剣と同調しているのも恐ろしい。

普段、顔を合わせればあれだけ冷え切る二人だ。
それが同じ方向を向いている──おまけに矛先は自分行きだ──となれば、怯えない訳がない。




「大体お前ら、何する気だよ!? 共有ってなんなんだ!?」




今度は八剣の腕に閉じ込められて、京子は叫ぶ。


先程、二人は“共有する”と言った。
なんとなく判るような気はしたが、正直、判りたくない。

確実なのは、京子を置き去りにする形で二人の意見は纏まっていると言う事。
それが想い人に対する仕打ちかと言いたくもなったが、その二人に煮え切らない態度を続けていたのは京子だ。
普段牽制しあっている二人の意見を合致させた原因は、自分であると言えなくもない。



捕まれていた両腕が頭上に引き上げられる。
八剣は京子の腕を右手一つで纏めていて、左手は自由な状態になっていた。
その左手が、京子の制服の裾をたくし上げる。




「ちょッ、てめェッ!」
「よいしょっと」
「わ、うわッ!」




京子が非難を上げるも、綺麗に無視されて。
一瞬前が見えなくなったと思ったら、腕が自由になって、かと思ったら肌寒くて。
するりと足元に何か落ちたと思えば、太股に外気が当たる。


とんっと軽く背中を押されて、京子は柔らかい床に沈んだ。

痛くはないが、あれよあれよと言う間の事で、京子は頭が付いていかない。
起き上がって頭を振ってから、京子はようやく自分の有様に気が付いた。




胸部と、秘部と、足元と。
頼りない薄い布地だけを身につけて、後は晒されている。
ほぼ裸身と同じ格好で、京子はベッドの上にいた。

まるで、竜虎に捧げられる生贄のようにして。





背中に感じた気配に、京子はびくりと肩を跳ねさせて、壁際に飛び退く。




「ね、京」
「……なんだよ」




ぎしり、龍麻がスプリングを鳴らせてベッドに登る。
京子はそれ以上下がれないのに、無意識に足が逃げを打った。


ベッドに座る京子に覆いかぶさるように、龍麻は自分の体全体で京子を閉じ込める。
唇が触れそうなほどに顔の距離が近くて、京子は真っ赤になった。

そんな京子に、龍麻はいつもとは違う笑みを浮かべる。
クラスメイト達の前で見せる、ふわふわとした“苺ちゃん”の笑みではない。
京子だけが知っている、“男”の顔。
体を重ねる回数を増やすごとに垣間見るようになった、相棒の表情。




「京、僕のこと嫌い?」




問われた言葉に、その聞き方は卑怯だと京子は思う。
嫌いか嫌いでないかで問われたら、嫌いでないとしか答えられない。

好きかと聞かれれば、京子は突っぱねる。
基本的に素直な性格ではないから、ストレートに愛情を表現する言葉に慣れていないのだ。
だがストレートではなくても愛情を表現する言葉はあるもので、龍麻は京子に好きか否かを問う時、決まって「嫌い?」と聞くようになった。
其処で「嫌い」と答えるほど、京子も天邪鬼ではないから。


間近で見詰める黒目勝ちの瞳に気恥ずかしさを覚えて、京子は下を向く。
けれども龍麻は追い駆けてきて、京子の顔を下から覗き込んだ。

そのまま、深く口付けられる。




「ん、ぅん……」




侵入してきた舌に、京子は逆らわなかった。
壁に背中を預ける京子の後頭部に手を添えて、龍麻は更に深く貪る。




「んぅ、んんッ…んはッ……」
「京」
「ふぁ……」




おっとりとした見た目の割に、龍麻は時々強引だ。
乱暴ではないけれど、若い上に、他に経験がないからだろうか。
京子も、比べられるほど経験や知識がある訳ではないけれど。


京子の瞳に熱が燻り、とろりと溶ける。
自分でも気付かない内に、京子は龍麻のシャツを掴んでいた。

シャツを掴む京子の手を握って、龍麻は京子の首筋に舌を這わせる。




「あッ…や……」
「ね、嫌い?」
「う……んん…」




口を開けば、自分のものとは思えない、甘い声しか漏れなくて。
だから龍麻の問いには、首を横に振るのが精一杯の答えだった。

それでも龍麻は満足したようで、京子の唇に触れるだけのキスをして、離れる。
握られていた手も開放されて、京子は思わず、離れた手を追った。
告白された言葉に未だ返す答えは見えないけれど、それは本人が気付いていないだけで、本当は既に答えは出ているのかも知れない。
こんな風に離れた瞬間を寂しいと思う位には。


追った手を取ったのは龍麻ではなく、もう一人の男だった。




「じゃあ、俺の事は嫌いかな」




手を軽く引いて問うのは、八剣だ。

抱き寄せた京子を膝の上に乗せる。
そうすると、上背のある八剣の体に京子はすっぽり包まれる形になった。


少し前なら嫌いだと大声で言えただろうに、今の京子にそれは出来ない。
龍麻達に言えない程にムシャクシャした時、今頼るのは、長年世話になってきた『女優』の人々でもなければ、岩山でもなく、此処にいる八剣なのだ。
それは、嫌いと言い切れるような相手にする事ではないだろう。

自分の中で八剣がどういう位置にいるのか判らないから、好きとは言えない。
けれども、信頼していると言えば確かにそうで、少しずつそれが消化されつつあるのは事実だった。




「……多、分……」




違う、と。
消え入るような声で京子は答えた。

八剣の双眸が笑みに細められ、キスされる。
最初は軽いものから、少しずつ深く。




「んぅ…ふぁ……ん…」
「ん………」
「んふ……ぅ、うん……」




八剣の膝の上で、京子はもぞもぞ身動ぎした。
それを頃合と見て、口付けが終わる。

八剣の抱く腕が離れると、支えの力を失った京子はベッドに倒れ込んだ。




「京ちゃんなりに、俺達の事で悩んでくれたのは判ってるよ」
「だから怒ったりしないんだ。それだけ、僕らのこと、京が想ってくれてるって事だから」




好意を受け取るのも与えるのも、苦手な京子。
そんな彼女なりにどう答えるべきか考えていたなら、それが京子の答えだ。
彼女自身は、言葉に出来る形の答えを未だに見つけていないけれど。

二人に告白されて、二人ともに悩んで、どちらも切り捨てられない─────人に嫌われるような発言をわざとするような彼女が、それを出来ないなんて。
そんな彼女を好きになったんだから、龍麻も八剣も、その気持ちだけで十分だった。


……あくまで、頭の中の理解は、だけど。




熱に染まり始めた頭で、京子は二人の言葉を聞いていた。


悪いことをしているような気はあった。
でも、本当に二人とも切り離せない。

龍麻以上に対等な位置にいたいと想う人間はいないし、彼に好きと言われて悪い気はしない。
八剣の傍にいると、虚勢も何も剥がれ落ちるようで、照れ臭くても甘える事が出来る。
都合の良い話であるとは思うけれど、本当に、京子にとっては二人とも一緒にいたいと思うのだ。



シーツを手繰り寄せて、京子は顔を隠すようにベッドに顔を埋めた。
二人からのキスで、躯はもう火照り始めている。
でもそれ以上に、顔が熱い。




「……いいのかよ、」




顔を埋めたままで、京子は言った。




「今のまんまで、良いってのかよ……」




二人は待っていた筈だ。
京子がはっきりと答えを出すのを。

それを今のままで、しかも恋敵を堂々認めて。
京子は公認で二股しているようなものだ。
普通、嫌だろうと京子は思う。


けれども、そろそろ顔を上げてみれば、二人は笑っていて。





「京が悲しむところ、見たくないんだ」
「其処はお互い様だからね」





どっちも切れないと、京子が言うから。
それで良いと、二人は言う。

愛されていると感じるのが恥ずかしくて、京子はまたベッドに顔を埋めた。










≫ 後編