八剣の部屋に飾られた、小さな人形。
こんなモン前に来た時はなかった────と思いつつ、それを眺めていたら、




「雛祭りだからね」




茶と茶菓子を盆に乗せて、キッチンから戻ってきた八剣が言った。

振り返って八剣の顔を見返せば、いつもと同じ、掴み所のない笑みを浮かべている。
何故だかそれにじっと見られるのが気恥ずかしくなって、京子は無言で持ったままだった鞄を投げつけた。




「おっと、」
「ちッ」




特に意味のない行動だったし、避けられるのは百も承知だった。
だが実際に避けられてしまうと、なんだか腹が立つ。

腕を組んでもう一度方向転換すると、また人形が目の前にあった。
鞄を投げただけで、其処から一歩も動いていないのだから当たり前だ。


澄ました顔でちょこんと座る、内裏雛と女雛。
白い顔に薄らと笑みを梳いた化粧を施された内裏雛が、見ていて無性に癪に障った。
伸ばした指でピンと弾けば、錘でも仕込んであるのか、ゆらゆらと前後に揺れただけで倒れはしない。

それを見てから、何故こんなにこの人形に腹が立つのか考えて、────ああそっくりなんだと合点がいった。
目を細めて笑い、濤と佇む様が、今正に背後に迫っている食えない男と同じなのだと。




「何しようとしてんだ、このセクハラ男」
「あらら。連れないねえ」




回されそうになった腕を避けて、京子はととっと左へ移動する。
抱き締め損なって空ぶった手に、八剣は苦笑を浮かべた。




「京ちゃん、人形は好きじゃないかな?」
「興味ねェ。腹が膨れるモンなら、まだともかくな」
「ふむ。じゃあこっちの方が良いか」




言って八剣は、着物の袂から小さな袋を取り出す。
何かと思って受け取れば、スーパーやコンビニで売っているような、雛あられの袋。

手の平大程度の大きさの袋に、こんなモンで腹が膨れるかと思う。
思うが、相変わらず澄ました面で微笑んでいる人形よりかはマシだと、受け取ろうと手を伸ばす。
─────が、それが届く前に、八剣は袋を袂へと引っ込めた。




「……くれるんじゃねェのかよ」
「あげるよ。あげるけど、その前に」




にっこりと笑う八剣に、京子は嫌な予感を覚えた。




「一つ、お願いがあるんだけどね」
「じゃあいらねえ」
「そう言わず。ちょっとおいで」
「うわッ! やめろ馬鹿、下ろせ!」




ひょいっと抱き上げられて、そのまま寝室へ連れて行かれる。
まさか───と思った瞬間、顔に血が上るのを自覚して、京子はじたばたと暴れ出す。




「馬鹿、てめえ、何する気だ! 降ろせ、離せ、このッ!!」
「そんなに暴れたら、降ろす前に落ちちゃうよ」
「構うか!」




いっその事落としてしまえと叫ぶ京子だったが、それは叶わず。
外見の割りには確りとした腕に抱えられたままベッドまで運ばれてしまった。

丁寧にベッドに降ろされて、腕が引いた瞬間、京子はベッドの端まで這って逃げる。
それが返って自分を袋の鼠化させてしまう事に気付いたのは、眼前に迫る男の姿を再確認してからだった。




「来るな! マジで来るな、引っ込め、帰れッ!」
「帰れと言われても、俺の家は此処だからねェ」
「地獄に帰れッ!! 線香の一本ぐれェはあげてやるッ」
「それで、京ちゃんが俺の事だけ考えて拝んでくれるのか。悪くないけど、味気ないねえ。こうやって触れなくなるし」




京子の頬を長い指が滑る。
それだけで、京子の背筋を何かが走って、彼女はふるりと身を震わせた。

襟元のスカーフが解かれて、制服の裾が捲り上げられる。
京子は益々暴れたが、八剣は全く意に介さない。




「大丈夫、怖くないから」
「いや怖い。お前が怖い。だから離れろ。今直ぐに!」




肩を押して退かせようとする京子。
普通の男ならこれで十分凌げるだけの力を彼女は有しているが、生憎、此処にいる男は普通ではない。


両の腕を捕まれて壁に押さえつけられる。
逃げる術を失い、ゆっくりと近付いてくる男の顔に、京子は顔から火が出ると思った。
もう仕方ないか腹を括るかと、近付く男を凝視して固まったまま、京子の思考がぐるぐるとループする。

そうしている内に、二人の距離はあと少しで触れると言う所まで来て─────







2011/03/03

京子のツン全開(笑)。
長くなったので分けました。