IRRITATION 01





隣でかーかーと平和な寝息を立てている京子を見て、龍麻は小さく笑う。


授業中であるにも関わらず爆睡している京子だが、彼女を注意する者はいない。
黒板の前で教科書を棒読みしている教師は、ずっと前に眠る彼女を注意した時、右ストレートを食らったらしい。
同様の被害に遭った教師は他にも数名存在しており、いつしか眠る彼女を起こすのはタブーとされた。

とは言え、眠る彼女を無事に起こす事が出来る者が皆無と言う訳ではない。
3−Bの担任であるマリア・アルカードと、3−C及び三年の生物を担当している犬神杜人だけはこのパンチを避けられる。
最も、犬神は殆ど京子を起こすような事はしないらしいが。



現国の授業を終えて、昼休憩を迎えても、京子は起きなかった。




「疲れてるのかな」




揺すっても小突いても起きる様子を見せない京子に、小蒔が言った。

最近の京子は、こうして授業中も休憩時間も寝ている事が多い。
よくよく見れば目の下に隈も出来ていて、どうも睡眠不足らしい事が伺えた。


龍麻は昼食の入ったコンビニ袋を鞄から取り出しながら、小蒔の言葉に頷く。




「そうみたい。PVの編集が終わらないんだって」
「で、夜通し作業か」




繋いだ醍醐の言葉に、龍麻はまた頷いて肯定する。


プロモーションビデオの撮影を終えて以来、京子は次の作業に追われているようだった。
収録した動画の中から、使う部分を切りぬいて加工し、音楽に合わせて繋ぐ。
必要な作業とは言え、京子はどうもこう言った作業に不向きなようで、よく行き詰ってはキレて吾妻橋達に当たっているらしい。

今朝、龍麻が通学路で京子と逢った時、彼女は夜の全てを憎んでいるかのような形相だった。
彼女を囲んでいた舎弟達が縮こまっているのを見て、相当イラついているらしい事は感じられた。




「“CROW”の人達も手伝ってくれてるらしいんだけど、上手くまとまらないって言ってた」
「大変ねー。でも学校には来るのね、ちょっと意外」




遠野の言葉に、小蒔と葵がうんうんと頷いた。




「前は学校に来る事もしなくなっていたし……」
「そうそう。たまーに来たと思ったら、朝の点呼で出席だけ取って直ぐいなくなったり」
「留年しても良いとか言ってたよねー」




京子の優先順位は、バンドが一番、学校は二の次三の次。
成績や出席日数を心配した葵が何度か声をかけていたが、全く効果は見られなかった。
それこそ、よくぞ無事に進級できたものだと周囲が感嘆する程のものだった。

しかし最近は、授業を真面目に受けるかはさて置くとして、学校には毎日顔を出している。
屋上に逃亡する事はあっても、少なくとも放課後まではちゃんと校内の何処かで暇を潰していた。


そんな事を話す友人達を眺めながら、龍麻はふと思い出す。




『アニキがガッコ来るようになったのも、アンタと逢ってからです』




龍麻が転校してきてから、龍麻と逢ってから。
京子は学校に来るようになって、その間、よく龍麻を構い倒している。

思い出したら、心の奥がぽかぽかとなんだか暖かくなってきた。





「緋勇くーん」
「うん?」
「何笑ってるの?」




ひょっこり顔を覗き込んできた遠野の言葉に、龍麻はぱちりと瞬き一つ。




「笑ってる?」
「うん、笑ってる。なんか嬉しそうだよ」




嬉しい─────ああ、確かにそうかも知れない。
龍麻は机に突っ伏しているクラスメイトを見遣って、そう思った。

若しも、京子が学校に来るようになったのが、龍麻と一緒にいたいからだとしたら。
龍麻と一緒にいるのが楽しいから、学校に来るのだとしたら、龍麻にとってこんなに嬉しい事はない。





一緒の登下校も、一緒の昼食も、京子にとってはなんでもない事かも知れない。

けれど龍麻に取っては、何者にも代え難い唯一無二の時間だった。






長い事間が開きましてすみません。




IRRITATION 02





新曲の収録を終え、次にプロモーションビデオも後は編集のみとなったが、京子はまだまだ忙しいらしい。

楽器を除けば電子類にてんで弱いらしい彼女は、動画の編集も少しずつしか進められない。
吾妻橋達も手伝うことは出来るが、彼らとて機械類には疎いようで、あまり頼りにはならないそうだ。
まだ“CROW”の雨紋や亮一の方が頼れると京子は言うが、彼らは彼らで忙しい。
あちらもそろそろ新曲を出すとかで、最近は其方に尽力を注ぎたいとの事だ。



いつもの廃ビルに来た京子と龍麻だったが、最近は其処で音楽が鳴り響くことはなかった。
ビデオ編集に追われる面々は、ストレス発散に音を鳴らす事はあっても、長時間それに感けてはいられない。
休憩ついでに数分音が鳴った後、また黙々とパソコン画面を睨んでの作業に没頭する。

龍麻が此処に来るのはすっかり当たり前になっていたが、相変わらず自分にやれる事はない。
パソコン関係に強ければ何か協力出来たかも知れないけれど、生憎、龍麻も電子類には殆ど縁がないのである。


カチカチとマウスのクリック音が何度か続き、再生ボタンが押されて、音楽が流れる。
小さなパソコン画面の中で映像が目まぐるしく動き、数秒後、それは直ぐに停止された。




「……もー無理だ。もうやってらんねェ」




ごんッと硬い音がして、見れば京子がテーブルに突っ伏していた。
音の発信源は、多分、彼女の頭部だろう。

離れた位置でビニールに包まれた毛布に座っていた龍麻は、傍に置いていたコンビニ袋を手に取る。
がさがさと中からコーラを取り出して、京子の下へと歩み寄った。




「まだ終わりそうにない?」
「……いや、これで終わる。っつーかもう終わりにする。もうやらねェ」




差し出したコーラを受け取って、京子はぐったりとした声で言った。




「明日にゃインタビューがあるんだよ。こんなモンにいつまでも手ェかけてる暇ねェっつの」
「インタビューって、遠野さん?」
「いや、インディーズ系の音楽雑誌」




編集画面の保存ボタンを押しながらの何気ない一言に、龍麻は少し驚いた。

“神夷”や“CROW”が高校生のバンドでありながら、アマチュアバンドで無類の人気を誇る事は教えて貰った。
実際、初めて行かせて貰ったライブも盛況だったし、遠野が“神夷”の特集を組んだ新聞はあっという間に売れてしまった。
とは言え、本屋に置かれているような雑誌にまで出演する事があるとは。




「アンケート書いとかねェといけねェんだよ」
「なんのアンケート?」
「なんだっけな……おい、吾妻橋!」




パソコンの電源を落として、京子は吾妻橋を呼びつけた。
部屋の隅で何処かに電話していたらしい吾妻橋は、閉じた携帯をポケットに仕舞って振り向く。

紙何処だ、と端的に問うた彼女に、吾妻橋の反応は早かった。
数秒思い出すように停止した後で、壁際に並べられた棚に近付く。
書きかけや没の楽譜が散らばった中から、吾妻橋はB5程度の大きさの紙を持って来た。


紙にはアンケート用紙と大きな文字で綴られ、その下から幾つかの質問項目が並んでいる。
質問は新曲を作るにあたるエピソード等の他、最近した買い物だとか、些細なものもあった。




「あー……マジで面倒臭ェ……」
「吾妻橋君達は書かないの?」
「どうせロクな回答にならねェからな」




シャーペンをくるくると回しながら言う京子に、四人は苦笑いを浮かべる。
芯でテーブルを二、三回鳴らした後、京子は早い手付きで回答を書き込んで行く。




「曲の思い入れだぁ〜……? ねェよ、そんなの」
「…それもどうかと思うけど」
「判ってるよ、ンな馬鹿正直に書く訳ねェだろ。あー……どーすっかな…」




がしがし乱暴に頭を掻いて、京子は天井を仰ぐ。
使えそうな話を探していると言うよりは、創作の方で埋めてしまうつもりらしい。

そうして数分を過ごしてから、京子の手は再び動き出し、回答欄に書き込む。




「学校でのエピソード……なんかあったか?」
「僕に聞かれても……」




問われた所で、龍麻も此処数ヶ月で気に留めるような出来事は起こっていない。
龍麻に取っては京子との出逢いこそ特別だったが、それは龍麻個人の話だ。
時期が違えば文化祭だの体育祭だのと話の種があったのだろうが、生憎、龍麻が転校してから今日までは平穏なものである。

眉尻を下げて返答に窮した龍麻に、そんなもんだよな、と京子は呟く。
此方には潔く“特になし”の回答が記された。


それから幾つかの質問を埋めた所で、テーブルの隅に投げられていた京子の携帯電話が鳴る。
ピリリリリ、と無機質な電子音に、京子は煩そうに眉間に皺を寄せて手を伸ばした。
液晶画面に映っていたらしい名前を見ると、また更に皺の谷が深くなる。




「なんの用だ、あの馬鹿。こっちゃ忙しいんだっつーの」




ブツブツと文句を言いながら、京子は椅子から腰を上げる。

通話ボタンを押して「なんだよ」と乱暴に電話に出る彼女。
苛々とした表情を隠さない姿を見詰めて、大変だなあ、と龍麻はしみじみと思うのだった。





知らない世界がどんどん近くなるけれど、やっぱり其処は別世界。




IRRITATION 03






「はあ!? 冗談じゃねェぞ!!」




唐突に響いた声に、全員の視線が一点へと集まった。
其処には携帯を耳に当てた京子が立っている。

周囲からの目など気にする様子もなく、京子は苛立ちを壁を蹴りつける事で表した。




「なんであのブタ野郎のツラ見に行かなきゃいけねェんだよ」




一体何事かと、吾妻橋達がそれぞれ顔を見合わせる。
しばらくそうしてつき合わせた後、何か思い当たる節でもあったのか、音なく口だけで「あれか」「あれだ」と言った。

彼らの言う“あれ”が何を示すのか、京子があれだけ怒鳴る事に何があるのか、龍麻だけがさっぱり判らない。
こういう事は特別珍しい事ではなかったのだが、その都度、龍麻は胸の奥がざわざわとするのを感じていた。
今日、学校で感じていたような暖かさとは真逆のそれは、何度感じても、慣れそうにない。


蟠りのある胸中を黙して押し殺し、龍麻は京子を見詰める。
京子は壁に向き合って寄りかかり、声を潜めていたが、壁に反射した声が龍麻の耳にまで届いていた。




「…嫌だ。絶対ェ嫌だ。バラードなら我慢してやる。もう録音もしたし、次のライブでも歌ってやる。次の曲も何来たって文句言わねェでやってやる」




僅かに覗いた彼女の横顔は、苦虫を噛み潰しているような色をしていた。
壁に当てた腕の拳に、ぎりぎりと白むほどの力が篭る。




「だから、あのブタはお前がどうにかしろ。オレは死んでも会わねェぞ。あの話も聞かねェ。あ? ……知るか、馬鹿!!」




吐き捨てるように言って、京子は携帯電話を閉じた。

通話が切れた携帯だったが、直ぐにまたコールが鳴る。
京子は米神に青筋を立てて、それをコンクリートの床に叩き付けた。





「……あの、アニキ、」
「るせェ、黙ってろ!!」




呼びかけた吾妻橋を、京子は睨んで怒鳴りつける。
反射的に背筋を伸ばした吾妻橋に、キノコ、押上、横川が同情の目を向けた。

今のは完全に八つ当たりだろう。
傍観していた龍麻としても、流石に吾妻橋が不憫に思えた。


龍麻は腰掛けていた毛布を離れると、床に転がった京子の携帯電話を拾う。
床に叩きつけられた瞬間にコール音が途切れたのは、衝撃で電池パックが飛び出してしまったからだった。
暗がりの部屋を見渡して、龍麻は見付けた電池パックも拾った。
電池を押し込んで、携帯電話の電源ボタンを押すと、無事に液晶画面に明かりが灯る。

持ち主に返そうと京子へと振り返った龍麻だったが、────それから彼の足は止まってしまった。




(京?)




いつものように呼ぼうとして、声が出なかった。
吾妻橋のように怒鳴られるのを危惧したから、ではない。



京子は、壁を睨んでいた。
壁の向こうの何かを、射殺さんばかりに、睨みつけていた。


元々目付きが悪いと言える彼女だが、それでも何処か愛嬌があるものだった。
龍麻の贔屓目もあるかも知れないけれど、瞳の奥でひらひら閃く光は、決して冷たいものではない。
不機嫌になると凶暴さが増すものの、決して他者を傷付けるような色はしていなかった。

けれども、今現在、ぎりぎりと歯を噛んで壁を睨み付ける京子は、まるで獣のようだった。
触れれば喉元目掛けて飛び掛ってきそうな、怒りをその瞳に滲ませている。



龍麻が京子と出逢ってから、それ程長い時間は経っていないだろう。
それでも学校にいる時から夕方まで、殆ど毎日のように一緒に過ごしていたと思う。

だが、彼女のこんな表情は、初めて見る。


新曲が上手く作れない時も、プロモーションビデオの撮影が思うように進まない時も、彼女は不機嫌な顔をしていた。
それで吾妻橋達に当たる事は何度かあったが、宥められれば落ち着いた。
落ち着かなければ、龍麻が彼女と初めて出逢った時のように、一頻り怒鳴り散らして暴れて発散させていた筈だ。

つい今しがた、彼女は吾妻橋に黙っていろと怒鳴ったが、それも今までとは違う色だった。
明らかな拒絶の意味を持ったその音を、彼女は今まで、吾妻橋に向けた事はなかった。




龍麻は、吾妻橋達に目を向けた。
彼らはじっと京子を見詰め、彼女が動き出すのをただ待ち続けている。

京子は、それに気付いているだろうか。
壁を睨む彼女は、この空間が何処であるのかすら、頭から抜け落ちているように見える。
此処に自分以外の人間がいる事も、─────龍麻がいるという事すらも。




(……壁があるみたいだ)




思ってから、“みたい”ではない事に気付く。

京子と龍麻の間には、明らかな壁がある。
普段の京子は龍麻に随分と構ってくれるけれど、龍麻は時折、彼女を酷く遠く感じる事があった。
例えば、先日の新曲の収録の時、一枚ガラスの向こうの彼女を、別世界の存在に感じたように。


いつも学校で龍麻に笑いかけている京子と、“神夷”の京子。
それらは龍麻にとって、似て非なるものだった。




手に持ったままの彼女の携帯電話を、知らず知らずの内に握り締めていた。

そんな龍麻に、京子は振り返らないまま言い放つ。




「龍麻……お前、今日はもう帰れ」




……嫌だと大きな声で言えたなら、この見えない壁は崩れて消えてくれたのだろうか。





近いと思っていても、ふとした瞬間遠くなって、キミに伸ばした手が届かなくなる。

いきなり話が進み始めてすみません(爆)。




IRRITATION 04





─────携帯電話を返すのを忘れていた。
その事に龍麻が気付いたのは、吾妻橋のバイクに乗せて貰って五分程が経過してからだった。




「アニキの携帯ですかい?」
「うん。後で返しておいてくれる?」
「へい」




バイクを運転する吾妻橋の背中に掴まっている龍麻。

吾妻橋はバイクの二人乗りには慣れているようで、危なげなく走行している。
慣れていないのは龍麻の方で、カーブの時に吾妻橋に合わせて体を倒すのさえも、まだ少し怖かったりする。


赤信号に引っ掛かって、バイクにブレーキをかける。
ゆっくりとスピードが落ちていく間に、そこ右、と龍麻が言えば、ウィンカーが点滅を始めた。




─────京子に「帰れ」と言われた時、龍麻は何も言えなかった。
少しの間立ち尽くした後、毛布の傍に置いていた自分の鞄を持って、ビルを出たのが精一杯。

その後ろを直ぐに吾妻橋が追い駆けてきて、家までバイクで送ると言った。
最初は断ったのだが、京子に言われて来たと言われてしまうと、龍麻にはもう拒めない。
其処で要らないと言えば、吾妻橋も彼女の元に帰れなかっただろうから。


多分、京子なりの気遣いだったのだと思う。
勝手に連れて来て、苛立ち任せに「帰れ」と言った事への。


龍麻としては、特別、彼女が気に留めるほどではないと思う。
元々自分があのビルに入り浸っている事の方がイレギュラーな筈だから。

龍麻が時折感じる京子との溝は、寂しさはあっても、致し方ないものだ。
クラスメイトではなく、“神夷”でいる時の彼女は、アマチュアとは言えミュージシャンでもあるのだ。
溝も見えない壁も、あって当然のものだろう。

あの「帰れ」と言うのも、苛立ちに支配された彼女にとっては、精一杯の譲歩であったに違いない。
無関係なのに当り散らしてしまう前に、と。



……例えそうした気遣いにこそ龍麻が壁を感じるとしても、それは京子の責任ではない。




信号が青に変わり、再びバイクが走り出す。
数百メートルを進んだ所で、吾妻橋が口を開いた。




「アニキ、ちょいと良い所から声がかかってるんスよ」
「……良い所?」




吾妻橋の言葉に、龍麻はよくよく意味が汲み取れず、首を傾げた。
それに対し、噛み砕くように説明される。




「結構デカい事務所から、所謂、スカウトとか引き抜きって奴です」
「……プロになるって事?」
「そっスね。さっきの電話、多分ソレ関係っス」




それは────京子にとって、どういう話だと思えば良いのだろう。


アマチュアからプロに上がると言う事が、決して簡単な事でないのは想像がつく。
なりたくてなりたくて必死になっても、声すらかからない人間は少なくないだろう。

だが京子の先程の態度を見ると、どうも喜んでいるようには見えなかった。




「……京、嫌なの? プロになるの」
「…さあ……プロになるのが嫌かってのは、俺らも判らんスね」
「でも、さっきの……」




会わないとか、あの話は聞かないとか。
今聞いた吾妻橋の話と統合させるなら、京子はプロへの誘いを蹴っていると言う事になる。

吾妻橋はバイクのブレーキをかけ、黄色の点滅信号の前でスピードを緩める。
左右を確認すると、アクセルをかけて落としたスピードを元に戻した。




「スカウトかかってんのは、アニキだけでね。俺達ゃ味噌っかすで。あちらさんが必要なのは、アニキだけなんです」
「うん、」
「だから、アニキが一人でプロになるって決めたら、“神夷”はなくなっちまいます」




“神夷”は京子の城。
彼女の為にある世界。

京子がいるから、“神夷”は存在している。


そんな京子が一人抜けてしまったら、もう“神夷”と言うバンドは消えるしかない。




「アニキは、それが嫌なんス」




京子は、“神夷”を守りたい─────いや、その表現は違う。
彼女は“神夷”の中にいたいのだ。




「だから、ずっと断っちゃいるんですがね。あちらさんもしつこいモンで。アニキが欲しいって煩ェったらねェ」
「……ね、聞いていい?」




まだ続きそうな吾妻橋の発言を遮って、龍麻は訊ねた。
背中越しの龍麻の言葉に、なんスか? と吾妻橋はいつもと同じ軽い調子で問い返す。




「京、どうしてそんなに“神夷”でいたがるの?」




踏み込んだ質問である事は判っていた。
自分が部外者である事も。

判っていたけれど、龍麻は聞かずにはいられなかった。


進行方向にあった信号が赤から青に変わり、吾妻橋はスピードを落とさずに交差点を通り過ぎる。
過ぎて少し進んだ所にあった路地を指差すと、バイクが傾いてカーブを曲がった。
広い大通りから、龍麻が見慣れた景色へと変わる。

少し傾きかけたアパートの前で、龍麻はバイクを降りた。
借りていたヘルメットを返すと、吾妻橋はそれを受け取らず、じっと龍麻を見詰めていた。




「……さっきの質問スけど」
「うん」




俺が言って良いのか判らねェけど。
そう前置きしてから、また数秒沈黙し、吾妻橋は言った。






「“神夷”は、アニキにとって形見みてェなモンなんです」







つまりは、聖域。




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