STANDBY 01





龍麻が葵達に連れられて来たのは、都内にある広い運動公園。
其処には数日前から大きなステージセットが組まれ、照明が設置され、スピーカーやら何やらと機材が運び込まれていた。
周囲にはテントが並び、それはステージ周辺だけではなく、公園の外周をぐるりと囲う程の数となった。

何が行われるのかとわくわくしている子供達を尻目に、大人達は黙々と準備を進め、今日に至る。


─────多くの音楽アーティストを迎えての、大型サマーライブ当日であった。



龍麻の手には花束があり、『神夷へ』とメッセージカードが添えられている。
同様に、葵、小蒔の手にも色鮮やかな花束が抱かれ、醍醐は差し入れの重箱を抱えていた。

花束受け取りの受付所に向かうと、スタッフTシャツを着た若者が書類をテーブルに置き、




「此方に花を贈るアーティスト名、此方に代表者のお名前をご記入下さい」
「緋勇君でいいよね?」




スタッフからボールペンを受け取った小蒔が言った。
龍麻がそれに返事をする間を待たずに、小蒔はペンを走らせる。

花束と重箱をスタッフに預けると、遠野は早速と言った風にホットパンツのポケットからデジカメを取り出した。




「さーて、行くわよッ!」
「やる気満々だな、遠野は」
「そりゃそうよ!」




拳を握って高揚としている遠野に、醍醐は眉尻を下げて苦笑いしている。


遠野は今日のライブの様子をしっかりと記録に収め、来週の真神学園校内新聞に掲載する予定だ。
記事のメインとなるのは京子が率いる“神夷”だが、仲の良い“CROW”は勿論、他のバンドにも突撃インタビューすると言う。

でもそう言うのって警備とか煩いんじゃないの、と小蒔は言ったが、其処は遠野である。
万事抜かりなしとばかりに、またポケットから何かを取り出した。
それは白い腕章で、青色の文字で『撮影許可』の文字がプリントアウトされている。




「あたし、サマーライブは毎年来てるから、殆どのスタッフさんと知り合いでね。もう先に貰っちゃえるんだ」
「凄いじゃん、アン子!」
「代わりに、学校での宣伝お願いね〜って言われてるんだけどね」




後は、京子のお陰でもある、と遠野は言った。



新宿を中心として活動する音楽グループの中で、一際人気を誇るのが“神夷”と“CROW”。
プロのアーティストは勿論の事だが、インディーズで参加するアーティストの中では、この二グループが目玉とされている。

だから、プロ程の事はなくても、京子の言うことにはそれなりの影響力が伴う。
同級生の新聞部の一人を広報役に参加させ、ライブ中の撮影の許可も彼女あってのものだった。
勿論、遠野が何某か粗相をした場合は、全て京子の責任にもなってしまうが。

主催者側としても、学生が自分の学校丸々全体に対して宣伝してくれるのは、集客の余地があるので有難い。
本来ならば広告費を払わなければならない所を、宣伝する人間が無償で行ってくれるのだから。
しかもその学校には、目玉である“神夷”のリーダーである京子が通っており、同校のファンも多いのだから、───学生間や教育委員会云々で揉め事が起きなければ───使わない手はなかった。


要は、利害の一致と言う奴だ。



遠野は腕章を腕に通し、短い袖口に安全ピンを留めた。
と、其処で一同に後ろから声がかかる。




「お、アンタら来てくれたのかァ!」




少ししゃがれた声に振り返れば、厳つい顔の男が四人。
いつもよりも少しだけ洒落た格好をした、吾妻橋達“神夷”の男性メンバーだった。


よく来てくれたと笑う吾妻橋に、遠野が胸を張る。




「あったりまえでしょ、京子のライブだもん。あたしは取材もしなきゃいけないしね」
「毎年毎年、ありがてェ事っス。アンタのお陰でこの間の新曲も売れ行き好調で」
「またまたァ。あたしが書かなくたって、“神夷”の人気はホンモノだって」




お互いに言葉に照れあう様子に、龍麻は小さく笑った。
その隣で、葵、小蒔、醍醐もおかしそうに笑みを漏らしている。

しかし、醍醐が辺りを見回して、




「蓬莱寺はどうした? 一緒じゃないのか」




“神夷”の中心には、常に京子の存在がある。
彼女があっての“神夷”だと言っても良い。


別段、京子がこの四人と一緒にいない事は珍しくはない。
京子には京子の生活があるように、彼らには彼らの生活がある。
出来るだけ京子のリズムに合わせてはいるようだが、それでも四六時中一緒、と言う訳ではなかった。

しかし今日は此処で生ライブなのだから、その現場に京子がいないと言うのは、少しばかり不思議だった。


吾妻橋は、醍醐の言葉に少々言い難そうに口を篭らせる。




「あー……まあ、ちょいと。お客さんが来てるモンで」
「お客さん…?」
「俺らはお邪魔なんで、ちょいとお暇させて貰いやした」
「打ち合わせとかは…」
「その辺のこたァ、朝の間に済ませやしたから。ライブの方は問題ねェっスよ」




だから気にしないでくれと言わんばかりの、笑顔。
それが引っ掛かったのは龍麻だけではなく、葵は小蒔と、龍麻は醍醐と顔を見合わせた。

けれども遠野の「そっか」の一言に、これ以上の問い掛けは封殺されたのだった。





晴れ舞台。




STANDBY 02





開催時間が刻一刻と迫る中、運動公園内はどんどん人の波で埋め尽くされていく。
ステージ前に設置された長いベンチは、すかkりファンで埋まり、その外周を立ち見の人々が囲む。

運動公園には、音楽ライブに興味のない人も集まっている。
出店目当ての親子連れ、野次馬気分の若者、部活帰りの学生など、全体的には若い世代が多い。
テレビ局の撮影クルーの姿もあり、遠野のように『撮影許可』の腕章をしたフリーの若者もいる。


龍麻達はそれらを遠目に見ながら、吾妻橋達四人と出店を回っていた。

仮にも吾妻橋達は出演者なのだから、大騒ぎにならないのかと思ったら、それは杞憂だった。
時折声をかけられたりはするものの、パニックと言う程の事はない。

龍麻は興味がないので判らなかったが、実は彼ら以外にも、出店周りをしているアーティストは少なくなかった。
その殆どはインディーズで知名度が低いのだが、中にはプロのアーティストも混じっている。
それぞれ帽子を被ったり、サングラスをしたり(日差しが強かったので不自然ではなかった)と、変装をしており、また素顔を晒して歩いている者もいた。
つまり、来ているライブ客の殆どが、この場に限ってはそうした状況に慣れていると言う事であった。



照りつける日差しへのせめてもの抵抗に、龍麻達はソフトクリームを買った。
これを食べたら次はカキ氷! と息巻いていたのは、小蒔である。

そんな五人を尻目に、吾妻橋達は焼き蕎麦やら、ホットドッグやら、がっつりとしたものを買い込んでいる。
恐らく、京子への土産だろう。




「アニキ、マスタードで良かったよな?」
「…どうだっけな。取り合えず、ケチャップと両方買っとこうぜ」
「アイスな〜、溶けるよなー。あそこ結構蒸し暑ィんだよな」
「ラムネ買って置こうぜ、ちょっとはさっぱりするだろ」




彼らは自分のものそっちの気────と言う訳でもないらしい。
買っている物の殆どは京子に渡されるが、彼女が気に入った品物以外は、そのまま彼らに返品される。
それらが彼らの取り分と言う事になるのだ。

そうした姿を見ていると、確かに彼らは“メンバー”よりも“舎弟”と言う呼び方が合う。
そもそも彼らは音楽などからきしで、チンピラと呼ばれて久しかったらしいのだから当然か。


手元のソフトクリームを舐めていた龍麻は、なんとなくそんな事を考えていた。
考えていて、ふ、と。




「……あれ、」




龍麻は、前方に見つけた人影に動きを止めた。
それに気付いた醍醐が龍麻を呼んだ。




「どうした、緋勇」
「あそこ」




龍麻の指差した先。
それを醍醐、葵、小蒔、遠野が追って、




「八剣さんだ! おーい!」




小蒔が駆けて行くのを、直ぐに葵と遠野も追い駆ける。
釣られて龍麻と醍醐もそれを追った。

が、その足は揃って直ぐにストップしてしまう。



八剣右近の周りには、相当な人だかりが出来ていた。
本人は特に気にした様子もなく、出店でリンゴ飴など買っているのだが、その周りの興奮の度合いが尋常ではない。
パンクファションの若者などは乗り出して携帯電話のカメラを構え、女性は失神しそうな程に息を忘れている者もいた。

どうにも近付き難い様子に、流石の遠野も尻込みしてしまったらしい。
何アレ、と小蒔がぽかんとした表情で呟いた。


と、呆然と立ち尽くす五人に、振り返った八剣が気付く。
彼はひらりと此方に向かって手を振ると、踵を返し、興奮中の周囲の人に何事か言った後、人ごみに紛れて行った。

龍麻達が我に返ったのは、それから十秒余りが経ってからの事だ。




「……行っちゃった」
「だね」
「…なんだか、凄かったわね」




彼を中心に固まっていた人々は、既に散らばっていた。
いや、彼を追っていったのか、それとも────龍麻達には判らない。

判らないが、一つだけ感じた事は共通している。




「八剣さんって、有名なの?」
「え? ……うーん…?」




小蒔が、詳しいであろう遠野に問う。
しかし遠野は首を傾げただけで、思い当たる節がないようだった。




「どうなんだろ? カッコイイから目立ってた…だけじゃなかったわよね、アレ」
「写メ撮られてたね。実は芸能人だったとか?」
「あれだけ囲まれる程人気なら、テレビか雑誌で見る事もあると思うが…」




醍醐の言葉は最もで、となると、彼の正体を知らない自分達は余程の世間知らずなのか。
いや、龍麻だけならまだしも、遠野も知らないのだから、その線とはまた違うだろう。



八剣右近と言う人物は、龍麻達の中で、まだいまいち人物像が掴み切れていなかった。


降って沸いたように現れた、京子の従兄だと言う彼。
京子の縁者と言うには礼儀正しくて、柔らかな印象があったが、時折不思議な押しの強さがある。
誰に対しても傲岸不遜に振る舞う京子だが、彼に対しては暖簾に腕押しのようで、調子が狂ってしまうらしい。

また、龍麻と遠野だけが知っている事だが、彼は“神夷”の活動にもよく顔を出している。
練習に使っているビルでは龍麻と頻繁に顔を合わせるし、先日の新曲レコーディングにも来ていた。
基本的に京子は“神夷”への干渉を嫌う傾向があるので、これは───龍麻もそうなのだが───異例であると言って良い。


────と、龍麻達が把握している事はこの程度。
ふらりと姿を見せる彼が、普段何処で何をしているのか、それは全く知らないのである。




「実はモデルさんだったりしてねー」




あはは、と笑って言った小蒔に、遠野がありえる、と頷く。
葵も笑みを浮かべ、醍醐も納得したようだった。
龍麻も、その言葉を否定する気はないし、そんな事が出来る理由もない。



葵達が歩き出し、龍麻もそれに倣って進む。
それから振り返って、一緒に行動していた筈の吾妻橋達がいなくなっている事に気付いた。

何処に、と思いかけて、ステージから鳴り響いた音と歓声に、ああ時間になったのだの知った。






京子もそうですが、八剣も自分の事は語らないイメージです。
訊かれたら答えるけど、多分それもごくごく最低限。



STANDBY 03





ステージでトップバッターを飾ったグループを、龍麻は知らなかった。
プロのバンドマンだと言うのだが、生憎、龍麻は音楽にこれと言った興味がない。
父の影響のお陰で、古典雅楽や筝曲の方が詳しいかも知れない。

そんな龍麻がこのサマーライブに来た理由は、京子が出演するから、それ以外にはないと言って良い。


一人撮影すると言ってステージ前まで走って行った遠野を除き、龍麻達は並べられたベンチの後ろに固まって立っていた。
小蒔によると、トップを飾ったのは、もうじきメジャーデビューをすると言うバンドグループらしい。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムに加え、サックスを取り入れたジャズを思わせる音が人気を博している。

一曲を歌い、しばしのMCを挟んでライブのタイトルコールをした後、バンドは人気の三曲をメドレーで披露した。
またその後にコーナーなどで寄せられたファンの質問に答え、彼らはステージを後にした。



日差しが燦々と降り注ぐステージは、さぞかし暑い事だろう。
焼けた肌を露にして音を奏でるバンドマン達に、龍麻は一曲一曲拍手を送った。




「京子の出番ってまだ?」
「ちょっと待って、確かパンフレットに…」




小蒔の問いに、葵が鞄に入れていたパンフレットを取り出す。
数ページを捲り、並べられた出演者を上から順に追って行く。




「京子ちゃんの出番は、お昼前になるみたい。午前の部の最後。それで、えーっと今は……」
「なんて言ったっけ? このバンド」
「確か、グングニルとか言ったか」




北欧神話をモチーフにしていると言うこのバンドは、衣装もまた、他のバンドとは一線を画している。
顔のメイクも濃いもので、まるで歌舞伎のような隈取を思わせる。
小蒔曰く、ヴィジュアル系バンドと呼ばれるのだそうだ。

伸びのある声で歌い上げるボーカルに、観客席から黄色い声が沸き立つ。
中には立ち上がって叫ぶファンの姿もある程だ。


十組以上の参加バンドの内、半分はインディーズが占めている。
しかしインディーズとは言え、人気のあるグループばかりが集められているのは間違いない。
だから集まるファンの数も多く、また、中にはファン同士で険悪なムードとなっている所もあった。




「桜井さん、あそこ……さっきからケンカしてるみたいなんだけど…」
「ああ、多分対バンとかの関係なんじゃないかな」
「対バン?」




バンドがライブを行う時、単独で集客が見込めない場合など、複数のバンドグループを集めてライブが開催される事がある。
その際、共演(競演)する事を「バンド対決」と称する事から、「対バン形式」と呼び成すようになった事が語源と言われている。

とは言え、二つのバンドが同時にステージに立つ事は少ない。
だから「対決」とは呼ばれているものの、互いを鼓舞してライバルとし、演奏技術を磨きあう事はあっても、バンドグループ同士が仲が悪いとか言う事はなかった。
無論、行き過ぎた競争が互いの研磨を通り過ぎ、険悪な仲になる事もあったりするのだが。


これにファンも続く事があり、「対バン相手」=「競争相手」「勝負相手」と思う者もいる。
バンド同士が仲が良くないと、更に悪い事に、ファン同士まで同じようにいがみ合う事もあった。

龍麻が見ていたベンチのファンが、正にこれだったのである。




「アン子から聞いたけど、京子の“神夷”と“CROW”も昔は対バンだったんだって。こっちは割と仲良かったみたいだけど」
「ふぅん……」




今はお互いに十分な力をつけているし、単独でもファンが見込めるようになったので、京子も“CROW”も対バン形式で顔を合わせる事はなくなった。
代わりにどちらかのライブでゲストとして登場し、一緒にセッションする事が増えている。
ファン同士も仲が良いようで、お互いのバンドを行き来して交流を深めている者も多いと言う。

バンド本人は勿論、ファンにも色々と事情があるらしい。
龍麻は、手元の苺シェイクのストローに口をつけて、しみじみと考えた。



ステージに立っていたバンドが、最後の曲を終える。
彼らは去り際、手に持っていたペットボトルやタオル、ギターやベースのピックを投げた。
ファンが悲鳴のような歓声を上げて手を伸ばす。

しかし、次のバンドメンバーがステージに上がると、それらは更に大きな歓声に塗り潰される。




「京子だ!」




“神夷”の出番が回ってきたのだ。


京子は黒のタンクトップ姿に、鋲の打たれたパンクロックのホットパンツ。
手首には髑髏を連ねたブレスレット、首から下げられたクロスのシルバーネックレスが鈍く光る。
黒と赤のライン模様のサイハイソックス、足元は黒のラバーソールを履いていた。

彼女はメイクも施しており、唇は赤、目元には紫色に近いアイシャドウ。
一度目に龍麻が彼女を見た時にも、似たようなメイクをしていたように思う。


マイクと共に設置されていたベースを手に取ると、その後ろで、吾妻橋達も配置に着く。
歓声が鳴り止むのを見計らい、ドラムがチッチッと小さな音を鳴らした。



ベース、リードギター、サブギター、シンセサイザー、ドラム────全ての音が交じり合って響いた瞬間、今日一番の大歓声が上がった。




「うわッ、かっこいー!」
「あそこで跳ねてるのは遠野だな」
「ふふ、夢中になってるわね、アン子ちゃん」




流石はインディーズの中でもトップ人気である。

観客は激しいロック音楽に合わせ、腕を振り上げ、体全体で跳ねる。
京子達は音の世界に没頭するように、弦を弾き、鍵盤を鳴らし、スティックを打つ。
ボーカルを持たないインストゥメンタル一つで、この世界は完全に京子の手中に治められた。


観客席よりも前、ステージとの間には、侵入防止用のバリケードが設置されている。
遠野はその許されるギリギリの場所まで行って、カメラのシャッターを繰り返し切っている。

京子の視線が一瞬、遠野へと向けられる。
それを遠野はばっちりとカメラに抑えたようで、京子に親指を立てた。
僅かに京子の口元から笑みが零れ、しかし彼女は直ぐに演奏へと意識を引き戻す。



最後にギターとベースの残響を鳴らし、インスト曲は終了した。
ステージ端に待機していた司会者がマイクを持って壇上に現れる。





『と言う事で……午前の部ラストを飾ってくれるのは、“神夷”さんです!!』




割れんばかりの拍手と歓声が会場全体を包み込む。




『では皆さん、一度前に出て来て頂いても宜しいでしょうか?』




司会者に促され、京子達はそれぞれ楽器を手放して、ステージ中央へと集まった。


───────その直後。





ちなみにMCを担当しているのは、最近売れかけている芸人…と言うどうでも良い裏設定。




STANDBY 04





ガシャアン、と。
沸き上がった空気を一気に劈いた音に、一気に会場内は静まり返った。
それからざわざわと、穏やかでない囁きが広がっていく。





「何? どうしたの?」
「今……上、から……」




混乱している小蒔と、呆然とした葵の声で、龍麻は我に返った。
醍醐もまた同じようで、瞬きを忘れてステージを凝視している。



ステージ中央────正に京子が立っていた場所だった。
其処にはステージ上に吊るされていた筈の、大きな照明がガラス片となって鎮座している。

京子は吾妻橋と共に倒れており、呆然とした様子で上半身を起こしていた。
吾妻橋も顔を上げ、直ぐに他のメンバーが駆け寄り、控えていたスタッフも壇上に駆け上がる。
メンバーに支えられながら立ち上がった京子は、何が起きたか理解できていないようで、呆然とした面持ちだった。
それを引っ張るように促し、“神夷”メンバーはステージを降りて行く。


メンバーがいなくなり、スタッフが右へ左へ奔走するのを尻目に、司会者がマイクを取った。





『え、えーと…その、すみません、只今事故が起こりまして…ステージ上の吊り照明が落下しまして。只今より、急ぎ点検と確認をさせて頂きます。“神夷”さんは、控え室に戻って頂きました。ボーカルの京子さん、リードギターの吾妻橋さん、並びにメンバーの皆様には怪我はありませんでしたので、…あの、落ち着いて下さい!』




司会者の声など聞こえていないかのように、ファンのざわめきは止まない。

そのファンたちよりも前の場所でカメラを構えていた遠野が、慌てて龍麻達の下に戻って来る。




「アン子ちゃん!」
「アン子、京子は!?」




クラスメイトを心配する葵と小蒔に、遠野は肩で息をしながら早口で答える。




「吾妻橋が助けてくれたから、多分大丈夫。でも心配だから、あたし京子の楽屋テントに行って来る!」
「私達も行くわ」
「そりゃ嬉しいけど、でも部外者は……」
「お願い、アン子!」




今起きたばかりのトラブルもあるのだから、許可が下りない事は予想に難くなかった。
けれどもそれ以上に、葵も小蒔も、日々を共に過ごす仲間の事が心配なのだ。

遠野はしばらく迷うように目を泳がせた後、腹を括った。




「判った、一緒について来て。でも、スタッフさんに止められたら、ちゃんと言う事聞いてね。京子の所為にもなっちゃうから」




遠野がイベント会場のスタッフに対して融通を利かせる事が出来るのは、京子の口添えがあるからだ。
それでも遠野の自由が許されるのは、あくまで撮影スタッフとしてだけの事。
一般人をライブ会場の裏側まで連れて行ける程、幅を利かせられる訳ではない。

これが遠野の最大限の譲歩。
四人も素直に頷いて、こっち、と走り出した遠野の後を追った。



会場内は、パニックと言う程の騒ぎは起きていない。
けれども、設営側の準備がいい加減だとか、誰が確認したんだとか、他にも何か起きるんじゃないかとか、ざわざわと不安の声が上がっていた。

一体何がどうなったのか、何が原因だったのか、このままライブイベントそのものが中止されてしまうのか。
照明機材落下の被害者となりかけた“神夷”のメンバーは、本当に無事なのか。
ステージ上では司会者とスタッフがマイクを手に把握されている事を説明しているが、客は中々落ち着きそうにない。


龍麻達は人ごみを掻き分けながら、『STAFF ONLY』と看板の立てられたテントへ本部テントの裏に向かう。

先に遠野が事情を説明し、頭を下げて頼み込み、絶対に迷惑はかけないと言う。
スタッフは渋い顔をしていたが、本部の人間に何事か伝えると、幾つかの腕章を持って来た。
『イベントスタッフ』とプリントされたそれを腕につけて、案内するスタッフの言う事は絶対に聞く、周辺機材には触らない、テントにいる他のバンドに近付かない────これらを守る事を約束して、龍麻達は設営裏へ入る事を許された。





トラブル発生。
皆気が気じゃない。




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