──────僕が、傍にいるから

















STATUS : Enchanting 3




















ぐったりと。
朝一番のHRに珍しく出席した生徒は、自分の席で力なく突っ伏していた。

HRに出席したと言う時点で、「ひょっとして調子が悪いんじゃ…」と囁かれている京一である。
同クラスで今年に入ってから付き合いの深くなった葵、小薪、醍醐の面々も同じ感想を抱く。
龍麻も京一が教室に入ってきた時は、おや? と首を傾げていた。
ついでにマリアからも保健室に行かなくていいの、と藪から棒に言われ、日頃の自分の評価を、京一は再確認した気分だった。


ヒソヒソと京一の様子を窺う声が聞こえるが、京一はそれをどうこうしようとは思わなかった。

………否。
どうこうしようと思う気力すら、なかった。




今日、この3-Cの教室に一番乗りをしたのが誰なのか。
それを知ったら、この場にいる誰もが驚き、そして天変地異が起きるのでは、と騒ぎ出すだろう。

遅刻、無断欠席、サボタージュは当たり前の素行不良の蓬莱寺京一が、なんと本日教室一番乗りの登校であった。


剣道部の朝練習に顔を出した訳でもなく(何せ彼は万年幽霊部員である)。
何かとよくつるむ転校生と気紛れに一緒に登校してきた訳でもなく。
優等生と言われる生徒会長・美里葵に進言された訳でもなく(大体、そんな事で更正する男ではない)。
周囲にとっては全く原因不明に、京一は朝早くに真神学園に登校した。



そして、HR前からずっと、自分の席から動かずに突っ伏したままになっている。






(あ─────………)





ぼそぼそと鼓膜を僅かに震わせている、クラスメイト達の囁く声。
いつもなら煩わしいからとさっさと教室から出て行き、出来ることなら今日もそうしたかった。

しかし悲しいかな、彼は疲労困憊で動く気力は残されていなかった。






(なんだって……こんな目に…………)






朝から───いや、昨日からの災難を思い出し、既に何度目か知れない溜め息が漏れる。


そして、頭痛の原因の筆頭である──いや、全ての現況か──の顔を思い出し、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。







(なんでオレだ、なんでアイツなんだ、なんでよりにもよって!)

(オレが何したってんだ、いや戦ったけど、負けてでも勝って、それから)

(あの場の状況っつーか成り行きっつーか、とにかくそんなんで)

(──────それで終わりの筈だろう!)


(でもってなんでオレはいつまでンな事ばっか考えてんだ!!)








朝から京一はこの調子だ。
ぐるぐる回る思考回路は無限ループにハマり、いつまで経っても終わらない。

────もう、一種の逃避行動だ。


時折意味不明な唸り声を上げているとは、全く自覚していなかった。




常とかなり様子の違う校内一有名な不良生徒を、クラスメイト達が遠巻きに眺めている中。
気心が知れているからか、いつものように、京一の無二の親友───緋勇龍麻が動き始めた。





「京一」





呼ぶと、京一が緩慢な動作で顔を上げた。





「………よう、龍麻」
「うん」




顔を見て挨拶をしてから、ああ今日はまだコイツの顔を見てなかったか、と気付く。
一番に教室に来れば当然此処は藻抜けの殻で、以後誰が入ってこようと京一は机に突っ伏していた。
マリアが出席を取った時も、返事こそしたし、心配の言葉になんでもねェとは言ったが、顔は見なかった。

─────だってそんな気力は根こそぎ尽きているのだから、仕方がない。


そんな訳で今更に挨拶をした京一に、龍麻はいつもと変わりなく頷いて、





「なんかお疲れだね、京一」
「…………おう」




一言目からそれを言われるほど、自分は疲弊しきっているのか。
いや、でなければマリアに心配される事も、恐らくないだろう。


足音がしてそちらに首を捻ると、葵、小薪、醍醐がいた。





「………よう、お前ら」
「お…おはよう、京一君……」
「……どうしたのさ、京一…」





力ない挨拶をした京一に、葵が挨拶を返し、小薪がストレートに問う。





「お前がそんな顔をしているのは、俺も初めて見るぞ」
「あー…そうだっけかァ…?」





中学時代からの付き合いの醍醐に言われ、そんなに酷いのか…と京一は他人事のように思った。


実際、京一の顔色は酷いもので、体調が悪いのでは───とマリアが思ったのも無理はなかった。

そういう姿を見れば葵は直ぐにでも心配の声をかけそうなものだったが、それも憚られる程。
小薪も常ならば茶化して発奮させてやろうとするのだが、覇気の無さに出来ないまま時間が過ぎた。
醍醐に至っては今まで本当に見た事の無い姿だったから、心配し過ぎて声をかけられなかった。

だから龍麻が声をかけた時、やっとタイミングが掴めたと思ったものだ。



…今の京一には、周囲のそんな事情なんて、どうでも良かったけれど。




京一の疲労度を慮っての行動なのか。
ぽんぽんと頭を撫でる龍麻の手を、京一はこの時ばかりは振り払わなかった。
寧ろ癒されている自分を自覚してしまう辺り、相当参っていると再認識する。





「龍麻ァー……」
「なに?」
「…いや、なんでもねェんだけどよ…」
「ふーん」





何があったのかと問い出さない相棒。
駄々捏ねの子供を宥めすかすように、いつものぼんやりとした表情で頭を撫でて来る相棒。

間近にある相棒の、少し幼さを残す面立ちが、本当に今に限っては癒しだ。





「龍麻ァ、今日お前ンとこ泊めろよ…」
「命令形じゃないか。緋勇君の都合も考えなよ」
「じゃあオレの状態も考慮しろ。ンで、泊めろ」
「………本当に何があったの?」




自分本位な発言をする京一を、葵が心配そうに覗き込む。
どんなに言い方がキツいものであっても、京一は決して自分勝手な人間ではない。
相手の都合も考えずに行動する、という事は考えられなかった。

それが、親友相手であるとは言え、こんな発言をする位に参っている。
葵が心配しない訳がない。


黙っていても葵の心配を煽るだけになるのは、京一も判っている。
下手にあれこれと探りを入れられるよりは、さっさと自分で話してしまった方が良い。

の、だけど。






(あ─────………)






また脳裏を過ぎった顔に、京一は机に突っ伏した。





「京一君、私達で良かったら力になるから」
「………そりゃありがとよ……」




無駄だと思うけどな、とは言わない。
言っても葵は引き下がらないだろうし、小薪と醍醐も突っ込んでくるに違いない。

仲間の気遣いは、正直言って照れ臭いし恥ずかしいが、素直に嬉しい。
ただ問題は……その気遣いによって引き起こされる記憶が、京一を再び撃沈させてしまうという事であった。



再び沈黙した京一に、葵、小薪、醍醐がどうしたものか、と顔を見合わせる。




京一の頭をなでていた龍麻が、口を開いた。






「京一」
「…………あ?」
「保健室行く?」
「……………屋上……」
「うん」






休む為の場所でなく、サボタージュの場所を示す京一に、龍麻は頷いて。
行くよ、と腕を掴んで引っ張る力に、京一は逆らわなかった。



……ついて歩く足取りは、嘗てない程に重かった。





























場所を変えても、京一の無気力は変わらない。
心身共に疲弊した状態なのだから、無理もない話だ。




給水塔の日陰に寝転がっている間に、京一は眠っていた。
そういうつもりはなかったのだが、疲れた心身は無意識に休息を欲していたらしい。
目覚めた時には陽が高く昇り切り、時刻は昼前という有様。

陽が高くなれば影も狭まり、強い日差しに目が覚めそうだったのに、京一は起きなかった。
それもその筈で、龍麻が自分の学ランを使って簡素な日除けを作っていた。
いつも制服の下に着ているパーカー姿で、龍麻は、京一が眠っている間に買って来たのだろう苺牛乳を飲んでいる。
それから京一はひんやりしたものが額に当たるのを感じ、其処に袋に入った缶ジュースがあるのに気付いた。





「─────起きた?」
「………おう」




起き上がった相棒に問い掛ける龍麻に、京一は缶ジュースを取り出しながら頷く。

プルタブを開けると、ひんやりとした冷気が立ち上る。
季節は既に秋に入っていたが、衣替えを終えて間もない今日、まだまだ日差しは夏の濃さを残している。
缶ジュースに張り付いた水滴が手に付着した。





「今、何時間目だ?」
「四時間目に入ったとこ」
「そうか。ああ、これ、ありがとよ」




日除けに使用されていた龍麻の学ランを回収し、差し出す。
龍麻はそれを受け取ったが、着る事はなかった。
日差しが強い分だけ屋上は暑くなっている、上着は必要ないだろう。
京一も熱の篭った学ランを脱ぎ、給水塔横に僅かに落ちている影に突っ込む。




「二時間目が終わった後、遠野さんが来たよ」
「……へー…」
「京一が体調が悪いって、凄い大騒ぎになってるみたいで」
「……オレをなんだと思ってやがんだ、アイツは……」




人間なんだから体調悪くもなるっつーの、と呟く京一に、龍麻は何が面白いのか笑うだけだ。




「あと、さっき美里さんも来てた」
「葵が?」
「保健室に行かなくて大丈夫? って」
「…行ってもやる事は一緒だ」




行く先が保健室だろうが、この屋上だろうが、授業をサボっていた事には変わりあるまい。

大きな違いとしては、保健室なら珍しかろうとなんだろうと、体調が悪いのであれば正当な理由で授業を休める。
ただし、しばらく眠って目が覚めたら、授業に戻らなければならない。
どんなに気分が乗らなくても。

屋上ならば見付かった時に大目玉を食らうのは当然だが、気が向くまで好きなだけサボれる。
他人の気配を伺うような必要もなく、誰の目を気にする事も無い。
見付からない限りは、という限定条件ではあるけれど。
ついでに、こうしてジュースを飲んでも怒られない訳だし。





「午後の授業は?」
「………サボる」




今日はもう、授業なんて出る気にならない。
マリアの英語の授業があったように思うが、無理だ。




ああ、しかし。
今日は何処で一晩過ごそうか。

授業に出ないなら出ないで、浮かんできた問題に、京一は大いに顔を顰める。


龍麻はそれを視界の隅でひそりと認め、






「京一」
「ぁん?」





がしがしと、ほぼ無意識に頭を掻いていた京一に、龍麻は笑んで、







「今日、僕ん家来る?」






龍麻のその言葉は、何も突然とは思わなかった。
屋上に上がる前、HR後、京一は泊めろと龍麻に言った。
あの時は小薪が割り込んできたので、返答はお流れになったが。



ともかく、龍麻のその言葉は、今の京一にとって何よりもありがたいものだった。








「帰りにビール買って行こうぜ、龍麻」
「冷えたのが家にあるよ」







そりゃ好都合だ、と。
京一は手の中にあった缶ジュースの中身を、一気に飲み干した。













お疲れ京一、ヒーリング龍麻(笑)。
お酒は二十歳になってからー(でもゲームでも飲んでたね、京一)。