──────もっと見たいと、思ったんだよ

















STATUS : Enchanting 2




















開いた口が塞がらない────とは、この事か。



振って湧いた目の前の男に、京一は呆然とした。
目を剥いて口をぽかんと開け、カウンター向こうから此方へ近付いてくる男を凝視する。

艶やかな着物姿のその男は、不躾とも言える京一の態度を、薄らと笑みをすいて甘受していた。
近付く足取りは軽やかなもので、見ようによっては、踊るようにと表記されるかも知れない。
流れるような無駄の少ない足取りである。
嘗て京一を翻弄させた、フラフラとした流れの掴めない動きだった。




そしてその男、八剣右近はフフッとまるで嬉しそうに笑みを浮かべ、






「やっと逢えたね、京ちゃん」
「──────ッ京ちゃん言うなッ!!」






京一のその反応は、殆ど条件反射の行動だった。
日頃色々な人から京ちゃん京ちゃんと可愛らしいあだ名をつけられて、京一はそのあだ名が嫌いだった。
ごっくんクラブの人達には言うだけ無駄なので諦めたが、やはりそう呼ばれるのは恥ずかしい。
高校三年生の男子が、“歌舞伎町の用心棒”の異名を持つ男が、よりにもよって“ちゃん”付けである。
……京一にとっては、プライドが許さぬ呼び名だった。

行きつけのラーメン屋の店主にも、毎回その名で呼ばれ、その度「言うな」と返している。
散々呼ばれ、その都度繰り返す台詞だったから、もう京一にとっては一つのスイッチとなっていた。


初めてこの男にその呼び名で呼ばれた時も同じ。
病み上がりで心底ダルい状態だったので、噛み付きはしなかったが、それでもこの台詞は返したと覚えている。




立ち上がって当人とってお決まりの台詞を返した京一に、八剣は満足そうな表情を浮かべる。






「元気そうだね。結構バッサリいってたから、心配だったんだけど」
「そりゃどうもありがとう頼んでねぇよってか誰の所為だ! ────ビッグママ! なんでこの野郎がいるんだよ!?」





捲くし立てて心にも無い感謝の言葉と、拒絶の言葉と。
並べ立てた後、京一はカウンターで成り行きを眺めているビッグママに声を荒げた。





「京ちゃんの知り合いって言うからねェ。話がしたいってサ」
「じゃなくて! なんで普通にコイツを受け入れてんだって話だ! コイツは─────」





拳武館の、と言い掛けて、京一は口を噤んだ。



あの出来事は、吾妻橋が此処に駆け込んだ事によって知られている。
彼は律儀にも太刀袋を持って此処に来て、京一が帰ってくるまで預けて行った。
その時の此処の面子の様子は、太刀袋を取りに来た時、号泣する吾妻橋からしこたま聞かされた。

だが彼は、京一を負かした男の詳しい容貌までは伝えていなかったらしい。

京一が負けた相手が目の前の男であると気付いていたら、アンジ達は黙っていなかっただろう。
彼女達のお気に入りの少年が、生死の境を彷徨う羽目になったのは、この男の所為なのだから。


だが、それを言うのは京一のプライドが邪魔をした。
中学時代からケンカで負けなし、“歌舞伎町の用心棒”と呼びなわされ、この界隈ではそれなりに有名だと自覚がある。
それが幾らプロの暗殺集団の一人であったとは言え、負けた事実は、京一にとって苦い過去であった。
二度目の邂逅こそ戦わずして京一の勝利であったが、それも八剣の潔さと粋があってこそ。

……敗北の話を自分の口から他者に告げるには、京一はまだまだ若く、自尊心が強かった。



コイツは? と問い掛ける面々と、口元に笑みをすく男をギリギリ睨み、京一は唇を噛む。



大体、拳武館は暗殺集団。
下手に他者に素性を知られる訳にはいかない。
此処で京一が下手に口走ったら、クラブの人々がどうなるか────






「ああ、あっちの事なら心配要らないよ」
「────あぁ!?」






突如、思考の中に割って入った八剣の声に、京一は威嚇の声を上げた。
八剣は警戒心剥き出しの京一に構わず、続ける。





「色々あって、閉鎖になってねえ。館長直々にお暇貰ったトコさ」
「………閉鎖だぁ?」
「あの一件の後片付けもあるし。館長も思うところあるようだし」





長テーブルを挟んで、八剣は京一の眼前に立つ。





「で、お暇貰ったのは良いけど、特に宛もなくてね」





八掛の袖口に腕を入れ、腕組しながら八剣はしんみりと呟く。
それから憂いを帯びた眼が、京一へと向けられて、



───────嫌な、予感、が。







「って訳で、しばらく此処のご厄介になろうかなと」
「なんでそうなるッッ!!」






バンッと長テーブルを叩く。
手のひらが思った以上に痛かったが、気にしなかった、そんな余裕はなかった。





「というか、三日前からもうご厄介にはなってるんだけど」
「なんで此処なんだよ!?」
「此処なら京ちゃんに逢える確率も高いだろうと思って」





声を荒げる京一に対し、八剣はあくまでも滔々とした姿勢を崩さない。
初めて見えた時と似た位置関係──環境はまるで違うけども──に、京一の苛立ちは更に募る。
隣のアンジがまぁまぁ、と宥めて来たが、全く効果はない。

毛を逆立てた猫宜しく威嚇を続ける京一に、八剣は笑みを浮かべるのを止めない。
面白がっているのが癪に障り、京一の苛立ちは更に更に募り────悪循環。






「オレに逢ってどうするってんだ。戦り合おうってんなら、受けて立つぜ……」





手の中の愛用の獲物を強く握り締め、京一は鋭い目付きで八剣を睨む。



一度目は京一の完全な敗北、二度目は戦わずして八剣が負けを認めた。
純粋な力のぶつかり合いは、まだ一度しかしていない。
もう一度戦えばどちらが勝つのか、京一はそれには興味があった。

中学生の頃からケンカに明け暮れ、真神の三年生になってからは鬼との戦闘。
師に散々扱かれた剣技と、場数を踏んだ身のこなし、そして今は自分自身への自信がある。
だが八剣は暗殺集団・拳武館の中でも相当に強い人物。
研ぎ澄まされた剣技や身のこなしは、ケンカ闘法と比べて、無駄が無い。

剣技を扱う者同士、強さを求める者として、強者と戦いたいという欲求は半ば本能によるものだ。




だが八剣は首を横に振る。






「そのつもりはない。言っただろう? 勝てない戦いをするほど、愚かではない」
「ケッ……どうだか」





じゃあなんだよ、と続けて京一は問うと。











「京ちゃんの事が知りたかったんだよ」









──────と、のたまった。


だから京ちゃん言うな、と呟いた後、待て今なんて言ったどういう意味だ? と京一は首を傾げた。






「オレの事も何も、お前色々知ってたじゃねえか」





最初の邂逅で、八剣は京一の容姿こそ知らなかったが、異名や噂は知っていた。
またそれだけなら歌舞伎町界隈で幾らでも聞けるだろうが、八剣は京一を呼び出すのに吾妻橋達を利用した。
ご丁寧にふざけた形で果たし状まで突きつけて─────其処まで手を凝らせて。
此処しばらくの間、何かと構いつけてやる事の多い舎弟達が何処の誰か、それも八剣は知っていたのだ。





「まぁ、噂程度は。でもそれは、人から聞いた話だけだ」
「此処にいる間にもどーせアレコレ聞き出したんじゃねえか」
「ああ、快く教えてくれたよ」
「………にーさん………」
「だって京ちゃんの事知りたいって言うからァ」
「嬉しかったのよォ、京ちゃんの事知ってくれる人が増えて!」
「……だからってなんで寄りによってコイツ……」





弁解するアンジ、キャメロン、サユリを一瞥し、京一は頭を抱えてソファに沈む。
一体何をどういう形で(真偽の程はまず置いておくとしても)伝えられているのか。
甚だ良い予感はしなくて、京一は頭痛に見舞われる。

その様子を八剣は楽しそうに見ている。
京一のそんな姿も、彼はこの時、初めて見たのだ。





「やっぱりねえ。百聞は一見にしかず。京ちゃんのそういう所は、あの時限りじゃ見られなかったな」





ほら、知らない事だらけだろう、と。
言う八剣の顔面に、無性に木刀を振り下ろしたくて堪らない京一だ。

オレで遊ぶのも大概にしろ。

頭を抱えた京一の思いはその一点。
周囲からは気分が悪いの? という、微妙にズレた心配の声が降って来た。
なんでもないとも、放っといてくれとも言う気力がなく、京一は長い長い溜め息を吐いた。






「じゃあもう気が済んだだろ……」
「いいや、全く」






間髪入れずに返された答えに、京一は胡乱な目で顔を上げる。



と、顔を上げて間近にあった八剣の顔に、思わず驚いて退いた。
ソファに座っているままなので、すぐに逃げ道はなくなったが。


テーブルの向こう側にいた筈なのに、一体いつの間に。
自分が頭痛と疲労感に苛まれて俯いていた時に違いない、いやそれは判る。
問題なのは、足音も気配も一切感じさせなかったという事だ。

そんな事では、いつ首を取られるか判ったものではないというのに、京一は全く気付かなかった。
それとも、八剣が気付かせなかったのか─────どちらにしても失態であった。


ギリギリ歯を噛んで威嚇する京一に、八剣はフフ、とほくそ笑み、





「俺は、もっと京ちゃんの事が知りたいんだよ。そして、京ちゃんに俺の事を知ってもらいたい」
「………何薄ら寒い事言ってやがんだ、お前」
「判らないか? ま、京ちゃんはそういうトコ鈍そうだしね」





じゃあ言い方を変えようか。
そう言った八剣の顔が、更に近いものになる。

手の中の木刀を強く握ったのは、殆ど無意識。
危機的状況、予測不可能な事態へ防衛本能。












「お前を、俺のものにしたくなった」












──────その言葉の意味を、すぐには理解できず。
ぽかんと京一が間の抜けた顔をすると、八剣は可愛いねぇその顔、と呟いて。
更に近付いた顔との距離がほぼなくなりつつある頃、アンジ達が騒ぐ甲高い(しかし野太い)声が聞こえ。

ようやく我に返り。








「──────ッッッざけんじゃねぇええええッッ!!!!!」








力の限りを持って振った木刀は、空を切っただけだった。











八剣さん告白編(爆)。

髪型変わってから落ち着いた京一ですけど、やっぱり噛み付いて欲しい…