──────だって君がいないと、始まらないだろう

















STATUS : Enchanting 7




















ふゥ……と異口同音に判り易い溜め息を吐いたのは、オカマバー“ごっくんクラブ”の従業員達である。



営業時間にはまだまだ余裕のある午後4時半、開店準備も終えた従業員達は、只管暇を持て余していた。
大抵この時間は各々お喋りなり、ちょっとキャッチをしてみるなりと、それぞれ行動しているものらしいが、
此処二日間ほど、ごっくんクラブではこのような光景が見られるようになっていた。

その大きな要因としては、彼女達のお気に入りの少年が、今週未だ一度も顔を見せていないからだ。



少年が最も長く付き合いがあるらしい此処に、彼は頻繁に訪れていた。
理由は誰も聞かないが、家に帰る事を良しとしていない彼は、食事をしたり寝泊りしたりと、此処の世話になっていた。
“歌舞伎町の用心棒”として顔の広い彼の事、此処意外にも行く場所は幾らでもあるのだが、
やはり長年の付き合いであるこのクラブが最も居心地が良いらしく、三日に一度は顔を見せてくれていた。

それが今日で一週間、彼は未だ此処にやって来る気配がない。


少年が何処で何をしようと、それは少年の自由。
誰も過去のことなど詮索しないのが暗黙の了解であるこの空間で、何処で何をしているか、聞くのは野暮な話だ。
増して彼は一介の高校生であり、日中は学生生活、それ以外は至ってフリーの身。

だがやはり顔を出してくれないとなると、彼が来るのを楽しみにしている従業員一同は、溜め息も出ようというものであった。



それを眺めているのは、十日程前からこのクラブに住み込ませて貰っている、八剣右近。





(─────ふぅん………)





窓の外を見ては、少年の来訪を待ち侘びる従業員達。
なんともいじらしい面々を眺めつつ、八剣は口角を上げる。





(随分、好かれてるんだねぇ)





少年の噂は幾らでも聞いた八剣だったが、此処までとは思っていなかった。

性根は曲がっていないのだろうが、一見して彼の良さを理解できるものは少ないだろう。
世辞も何も言うまでもなく、彼は口は悪いし、あの年頃特有の生意気さがある。


だが、此処にいた時の彼を、八剣はほんの僅かしか見ていないけれど────確かに、彼は愛されていた。





(しかし………)




一週間前に見た時の、あの時の店の華やかさを思い出す。
店の内装は何も変わっていないのだが、あの時に比べ、今は随分寂れてしまった雰囲気だ。
三日前はまだ幾らか遜色なかったように思うのだが、たった二日でこうまで変わってしまうとは、八剣も意外だった。

それほどまでに、あの少年の来訪は、此処に居場所を持つ人々にとって渇望して止まないものだったのだ。
頻度としては三日に一度の割合でやって来るのを、彼女達は今日か明日かといつも待ち侘びていた。


それが今日になって一週間、彼の足は遠退いたまま、やって来る気配はない。
流石に仕事にその影響は見せないが、ふとした瞬間に持て余す時間が、今は無性に寂しく堪えるようだ。







(これは、俺の所為なのかな?)






また溜め息を漏らす従業員の面々を眺めながら、八剣は思う。


彼の足を此処から遠退かせた要因を探すとしたら、間違いなく、八剣自身だ。
ごっくんクラブの中で変わった事と言ったら、それ位の事。

そして、一週間前の己の言動を、八剣はきちんと覚えている。





(よっぽど嫌われたかな)





彼が八剣の言葉を何処まで本気で受け止めたか、八剣には判然としない。
世間一般で普通に育った若者であれば、それは普通の反応だろう。
彼はオカマバーと言う一種特異な場所へ現れる事は多くても、中身は至って普通の高校三年生なのだ。

…………男に告白なんてされて、真摯に対応する訳がない。


更に言えば、彼が最後に此処に泊まった日、散々構い倒したのが悪かったのだろう。
先の八剣の言動と相俟って、彼は一晩中警戒して、全く眠ることがなかった。
眠ったら何をされるか判らないと思っていたのだろう────実際、それは彼にとって正解だった。
夜が明けても彼は警戒を解かず、学校に行く時は脇目も振らずに猛ダッシュして行った。
いつもなら見送りのアンジやビッグママには、照れ臭そうに手を振るらしいのだが、それさえもせずに。



健全な高校生男子には、少々刺激が強過ぎたか。
あれでも控えていた方だったんだけど、意外と純情なのかな、等と思う八剣である。



それならば。
彼女達が待ち侘びる少年を遠ざけてしまったのは、世話になっている以上、やはり多少は申し訳なくも思う。


第一、八剣が此処に来たのは─────他でもない、彼に逢う為なのだから。










ならば、迎えに行くとしようか。































放課後のチャイムが空に響く。
がやがやと、生徒達は皆帰宅の準備をしていた。

そんな中で、




「京一、今日も泊まるよね?」
「あ? ああ、そうだな」





先日、遠野から聞かされた噂について気にする事なく、京一は龍麻の問いに頷いた。
それに嬉しそうに笑う龍麻に、京一は気恥ずかしさを覚えて頭を掻く。

何をそれしきの事で、と思う気持ちはあるが、こんな事でも喜ばれるなら悪い気はしない。



会話を聞いた小薪が、ひょいっと二人の間に割り込んできた。




「本当に仲が良いねェ、お二人さん」
「ンだよ、その含みのある言い方は……」
「別に。ただ、噂は知らないのかと思ってさ」
「それなら、この間遠野さんから聞いたよ」




龍麻の言葉に、小薪がそうなの? と瞠目した。





「あんな事になってて、気にならないの? 緋勇君は」
「じゃあ桜井さんは美里さんと仲が良いけど、ああいう噂を気にする?」





逆に質問を返されて、小薪はきょとんとして、後ろの葵を見遣る。
会話が聞こえていなかった葵は、こちらも不思議そうにして小薪を見つめ返した。

しばし考えた後、小薪は首を横に振る。





「噂なんて、ただの噂だしねェ……」
「ね?」





一緒にいるのは仲が良いから、ごく普通の事であって。
仲が良いのは一緒にいるのが居心地が良いから、別になんの不自然もある事ではなく。
念押しするように笑う龍麻に、小薪も納得した。





「しかし、京一……お前の方は本当に気にしていないのか?」





中学生の頃から付き合いのある醍醐だ。
京一の性質は理解しているもので、普段の彼なら「ふざけんな!」と怒りそうなものだと思ったのだろう。

問い掛けられて、京一はがしがしと後頭部を掻く。





「…気にならねェって訳じゃないが…気にしたからって、どうなるもんでもなァ」





人の口に戸は立てられない。
既に学校中で噂になっているなら、京一一人が怒った所で、容易く沈静化する事はないだろう。
龍麻との付き合い方を変えるつもりはないし、そんな噂を一々気にするほど神経質でもない。
噂の中身には色々突っ込みどころはあるが、龍麻が気にしないと言うなら、それに倣う事にした京一であった。

家に泊まりに行くのも前々からあった事で、揃って授業をサボるのも買い食いも、龍麻が転校してきた当初からずっと同じ。
今更態度を変える方が可笑しいだろう。


噂を聞いて最初は泊まりに行くのも控えようかと思ったが、一晩立てばもう開き直った。
だからなんだ、別に何をしている訳でもないし、後ろめたい事なんて何一つ無いのだからと。
大体、学校中で広まった噂が、京一が龍麻への態度一つ変えた所で収まる訳でもないのだ。



京一が龍麻の家に泊まることで再燃したという、この噂。
どうせこのまま、何も変化がなければ、また消えて行くだけに決まっている。





「でも、そういう噂は仲が良いからなのよね。そう思えば、大した事でもないんじゃないかしら」
「そうだよねぇ……周りが勝手に肥大化させてるだけだもんね」





葵の言葉に、小薪が頷いた。

そんなものかと呟く醍醐に、京一がニヤリと口角を上げ、





「お前もそんな噂が流れる位になってみろよ、醍醐」
「なッ…な、なんの話だッ!」
「なんのってそりゃーなァ?」





クツクツ笑いながら、京一が小薪に目を向ける。
にやにやとした京一の笑い方が癪に障ったのだろう、小薪の表情が険しくなった。




「なんだよ、なんの話?」
「い、いえ、なんでもないです桜井さんッ!」
「? なんで醍醐君が謝るの?」




睨んだのは京一に対してなのに、醍醐に謝られて、小薪はきょとんとして首を傾げる。
京一はさっさと二人の会話から退散し、龍麻の方へと収まっていた。

醍醐と小薪の上滑り気味の会話を耳にしつつ、龍麻と京一はグラウンドに出た。




「ったく、鈍いんだからよ、アイツも……」
「京一ほどじゃないと思うよ」
「あ? なんでオレだよ?」




龍麻の言葉の意味が判らず、京一は顔を顰めた。
意味を問おうとしても龍麻はいつもの笑顔で、なんだかタイミングを外された京一だ。
問い掛けたところで、「僕何か言った?」と返されそうな気がする。
コイツのこの笑顔はずるくないか、と思うのはこんな時だった。


結局その言葉の真意を問う事無く、京一は龍麻と伴って校門へと足を向けさせた。




─────と、その校門の方が俄かに騒がしいことに気付き、龍麻と揃って足を止める。
追いついてきた葵、小薪、醍醐もその後ろで立ち止まり、顔を見合わせている。



生徒達の流れは校門の向こうへと進んでいるが、その足取りは少々留まり気味だった。
女子が黄色い声を上げているから、何処か他校の男子でもいるのだろうか。





「なんだろう……」
「…さァな。野郎じゃ、俺達にゃ関係ねェよ」





言って、京一はまた歩き出す。


諸々の事情のお陰で他校の生徒に知り合いは多いけれど、彼等とは電話やメールで遣り取りしている。
いきなり学校に現れる、なんて事は早々ないだろう。



龍麻もそれに続いて歩き出し、そうなれば後ろの三人も並んでくる。

都内でも特に有名な真神学園。
何某かの用事で部外者が出入りする事も少なくないのだ。
校門周辺が騒がしいからと言って、今更気にする事でもない。



筈、だったのだけど。







「あら? あの人………」
「………あれ?」
「……ん……?」








校門に寄りかかる人物の陰影に見覚えがあって、一同はまた立ち止まった。



夕暮れが訪れるのが早くなってきたこの時期。
大きな校門が落とす影も色濃いもので、其処に立つ人物の横顔は、はっきりとは見えなかった。
けれども身にまとう紅梅色や緋色は遜色する事無く、何よりもその人物の場違いな格好が浮き出て見えて。


邂逅はただの一度きりで、それ程長い時間、その人物の成り立ちを確認した者は少ないだろう。
だがそれでも、印象を残すには十分過ぎた、そのパーツ。





「京一、あの人って」





見覚えのあるその人物について、傍らの相棒に声をかけようとして、龍麻は気付いた。
顔面蒼白になっている京一に。

どうしたの、と問う前に、校門に立つ人物が動いた。



校門の大きな影から、陽の当たる場所に出たその人の姿形が、今度ははっきりと映し出される。

紅梅色の着物に、緋色の八掛、足元は草履。
現代の高等学校には酷く不似合いな出で立ちを、その当人はまるで気にしていない。
いや、自分自身が今この瞬間、無駄に目立っている事さえどうでも良いのだ。


その人物─────八剣右近の視線は、ただ一点に向けられていて。










「迎えに来たよ、京ちゃん」











にこやかな、実にフレンドリーさを装っての言葉に、京一は一瞬気が遠くなった。














逃げられるのなら、追い駆けます。そして逃げ道塞ぎます。