──────今一番欲しいもの? ……平穏って奴だな。

















STATUS : Enchanting 8




















どういう事、と仲間達の視線が背中に───若しくは頬に───突き刺さる。
自分だって逆の立場ならば同じ事をしただろうから、その不躾な視線を振り払おうとは思わない。

けれども。



眼前をゆっくりと近付いてくる男について問われたとて、京一は返す言葉を持たなかった。




ゆらゆらと、掴み難い足取りで近付いてくるのは、最初の邂逅から変わらない。
変わらないが、何故それをそうと認識するほどに何度も見なければならないのか。
京一には、その事の方が理解不能であった。

何故この男が学校の校門にいるのかという事よりも、何故この男の顔をまた見なければならないのか。
己とこの男の間に何があるというのだ、何もないなら何故この男の顔を何度も目にしなければならないのか。


そして何故この男に、こんな台詞を言われなければならないのか。





「京ちゃんが来なくなって寂しくてねぇ。迎えに来ちゃったよ」
「ンな謂れはこれっぽっちもねェッ!!」





間合いに入った八剣に向かって、躊躇う事無く、太刀袋から引き抜いた木刀を振った。
予想していたのか見切られているのか、難無くかわされる。





「近寄んな! つーかなんでテメェが此処にいんだよ!?」
「言ったでしょ。迎えに来たんだよ」
「だからなんで……待てやっぱ言うなッ!」





問うた直後に八剣が浮かべた笑みに怖気を感じ、京一は質問を撤回した。
木刀を構えて戦闘態勢で睨み叫ぶ京一に、八剣は何故か残念そうな顔をして見せる。
嫌な予感しかしなかったのは絶対に気の所為ではない、と京一は確信する。

八剣が何をどう言おうとしたのか(それが真実であっても虚偽であっても)判らないが、良い予感はしなかったのは確か。
知人から散々野生の勘だとか言われている己の直感だが、この時ばかりは感謝する。


尻尾を膨らませた猫宜しく、威嚇する京一に、八剣はやはり平然として言った。




「俺に逢いたくないのは、まぁ仕方ないけどね。でも、彼女達にまで寂しい思いさせちゃ可哀想だろう」
「お前が消えりゃ即解決すんだよ!」




校門手前で物騒な遣り取りをしている面々を、生徒達は皆遠巻きにして見ている。
その視線に気付いて、ギラリと尖った京一の眼光が生徒達を射抜いた。






「見せモンじゃねェぞ、コラ!!」






校内一の不良と名高い京一の怒声である。
生徒達はぱっと身を翻して、思い思いに校門の外へ、グラウンドへと散って行く。

蜘蛛の子を散らすという言葉がよく似合う風景を一頻り睨んで、京一は苛々と木刀を振り下ろした。


触れば噛み付きそうな京一に、それでも平静と声をかけたのは龍麻である。




「京一、どうどう」
「オレは馬か!」
「取り合えず落ち付きなよ」




今はなんでも癪に障る様子の京一を、龍麻はいつもの笑顔で宥める。

目の前にある見慣れた親友の笑顔に、ささくれ立った感情は少しずつ沈下する。
それでも刺々しさは残るが、今にも木刀を振り回しそうな状態よりはずっとマシになった。
それを見た葵、小薪、醍醐も二人に近付く。



─────それから、面白そうに京一を見ている八剣へと、視線が向けられた。



龍麻達と八剣との関係は、なんと言っても微妙なものである。
拳武館の人々と戦ったのはそれほど前の話ではなく、まだ記憶に鮮やかに残る。

八剣と京一が刃を交えた所は、誰一人として見ていない。
その現場にいたのは、京一の舎弟である吾妻橋一人だけだった。
だが、八剣が京一の木刀を真っ二つに断ち切った事、
戦いの場に一人遅い到着となった京一の体が包帯で覆われていた事を思えば、彼の実力は想像するに難くない。

あの場では八剣が自ら敗北を認め、一時休戦───共闘となったが。




八剣を捉えた醍醐の目が、剣呑な色を帯びる。




「貴様……一体何をしに来たんだ?」
「…だから何度も言ってるだろう。京ちゃんを迎えに来たんだよ」
「京ちゃん言うな! いらねぇっての!!」




何度も同じ台詞を言わされてか、それとも相手が醍醐であるからか。
聊かうんざりしたように八剣が言うと、京一も何度目か知れず拒絶の台詞。

そのまま噛み付いて行きそうな京一を小薪が押し退けた。




「要するに、京一ともう一度闘おうってつもりなの?」




小薪の言葉に、八剣は判り易く溜め息を吐く。
それが癪に障った小薪は青筋を立てた。




「一体なんなんだよ。京一! なんなのさ、コイツ!?」
「ンなもんオレが一番聞きてェよ!」




矛先を向けられた京一が、小薪に怒鳴り返す。
何故自分がそんな風に責められなければならないのかと、泣きたい気分にもなってくる。

自分だって最初に八剣が再度目の前に現われた時には、それ目当てだと思った。
事情を知っている者が見れば、きっと誰もが思うであろう事だ。
だが八剣はそうではないのだと、ずっと否定している。


そして続く言葉は、京一にとって意味不明であるとしか思えないもので。






「俺は京ちゃんに逢いたかっただけだよ」






その整った面に笑みを浮かべて、京一を見つめながら八剣は言う。
向けられた眼差しに京一が怖気を覚えたのは、無理もないと言えるだろう。





「気色の悪い事言ってんじゃねェッ!」
「そうは言っても、本気だからね」
「尚更止めろッ!!」




狙い寸分違わずに振り下ろされた木刀は、八剣には当たらなかった。
敵意どころか、殺気を振りまきまくっている京一だ。
暗殺者として洗練されている八剣に、その剣撃が届く筈もない。
ないが、そうせずにはいられなかった。



葵がおろおろと止めるタイミングを探しているように見えるが、京一は止まらない。
小薪は最早意味の判らない八剣の言動に付き合うのに疲れたらしく、もう知ったことかと溜め息を吐いた。
割り込めるような状況ではないと、醍醐も早々に見抜いたらしく、京一が疲れるのを待つ事にする。

そんな調子だから、校門の前で続く物騒な遣り取りを、止められるものは誰もいない。


────かのように見えたが、唐突にそれは終わりを告げた。





「京ちゃん、ちょっとストップ」
「するか!」
「仕方ないな……」





言葉でいなされて止まれる筈もなく、もう一度京一が木刀を振り被った時。
スッと目の前にいた八剣の姿が消えて、京一は瞠目する。


────同じ感覚は前にもあった。
初めて八剣と相対し、一方的に攻撃を避けられ、莫迦にされているような気分だった、あの瞬間。
振り下ろした木刀の先に標的の姿はなく、その気配を再び感じた時には、背後にいて。

二度も同じ手を食わされて溜まるかと、転身、愛用の獲物を強く握り直した。




が、その木刀を振り切るよりも、先に。
項を這った細い感覚に、ぞわりと背筋が凍る。







「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!」







声にならない悲鳴が上がる。
喉が引き攣って、呼吸が詰まった。

お陰で校内一の不良生徒と謳われる、歌舞伎町の用心棒の矜持は(辛うじて)保たれた訳だが、
ぴたりとフリーズしてしまった京一に、葵達は顔を見合わせる。


数秒前の怒りの勢いは何処へやら、京一は完全に固まっていた。
そんな京一の顔を見た八剣は、可愛いねぇ、などとのたまい、楽しそうに笑う。





「もうちょっと可愛がってあげたいけど、ちょっと待っててね?」




言って、八剣はするりと京一の横を通り過ぎる。


京一の肩がわなわなと震える。
それに真っ先に危険を察知したのは醍醐で、慌てて京一に駆け寄った。







「──────ブッ殺す!!!!」






予測に違わず、振り返って木刀を振り上げた京一を、醍醐が羽交い絞めに押さえつける。
京一とて細身であっても鍛えているし、剣に通じる武道家だ。
しかしレスリング部主将であり、体格差のある醍醐に抑えられては逃げようがない。
にも関わらず、京一はそれを振り払おうと暴れる。




「放せ醍醐! あの野郎、いっぺんシメてやる!!」
「止めとけ京一! 洒落にならん!」
「誰が洒落で済ましてやるか!」
「気持ちは判らんでもないが、とにかく落ち着け!」



身長差にものを言わせて持ち上げられて、足元が地面から離れる。
上半身の力だけで京一が醍醐に叶う訳もない。

それを肩越しに見遣って、八剣は後でね、とでも言うようにひらひらと手を振る。
益々それが京一の神経を煽り──確実に判ってやっているだけに、余計に──、ブチッと言う音が醍醐に聞こえた気がした。
言わずもがな、京一の血管である。
吼えるように声を上げて遮二無二暴れ出した京一に、醍醐だけでなく、小薪も止めにかかる。




「離しやがれぇえええ! あの野郎────ッ!!」
「京一、待て! お前、殺しそうな勢いだぞ…!」
「ったりめーだろーが!!」
「幾らなんでも殺人はヤバいだろ! ああもう!」
「京一君、落ち着いて! 此処、学校だから!」
「構うか、そんなモン!!」
「いいねぇ、若い子達は元気で」
「アンタの所為だろッ!!」



散々煽っておいて、他人事のような八剣の台詞に、小薪が噛み付くように怒鳴る。

が、八剣は小薪の台詞など気に止めず。
この場にずっと存在していながら、静かに佇んでいた人物へと目を向けた。




─────緋勇龍麻である。




龍麻の表情は、一見、常どおりの何処かぼんやりとしたもののように見えた。
十人が見れば九人がつも通りであり、何か変わったことがあるかと思うような表情。

しかし、八剣は確かに、それが表面上のものである事を見抜いていた。


京一が判り易い程に敵意を振り翳し、木刀を振り回し、派手に大立ち回りしていたからだろう。
ひっそりと目立たない場所にいた彼の目に、気付けた人間は一体どれだけいるだろうか。





「怖いねェ」
「なんのこと?」





呟いてみれば、不思議そうに首を傾げて返される言葉。

学校指定の学生鞄を持つ手が、必要以上に力が入っているだとか。
ふわりと口元に笑みのような形を浮かべながら、その目が酷く冷め切っているとか。


恐らく、見抜けたのは八剣だけだろう。






「龍麻ァ!」






醍醐に抑えられて身動きが取れない京一が叫ぶ。
その瞬間、龍麻の冷たい瞳が僅かに和らいだ。

それを見て、今度は八剣の目が冷えてゆく。







「ふぅん………」







八卦の袂に手を突っ込んで腕を組み、龍麻を眺める八剣と。
京一には一つ笑顔を見せて、次の瞬間には冷めた目をして八剣を見る龍麻と。

忌々しげに八剣を睨む京一と。






只ならぬ事態が起こっていると正確に把握できたのは、残念な事に、当事者達以外の人々であった。









遂に(つーかようやく(汗))龍麻vs八剣です。