STATUS : Enchanting








──────それは、人が最も無防備になる場所である。

















STATUS : Enchanting 10




















それじゃあ、また明日。
そう言って、葵、小蒔、醍醐の三人は『女優』を後にした。

常ならば其処に龍麻の存在もあるのだが、その当人は、現在京一と並んで三人を見送っている。



ネオンが灯り始めた歌舞伎町の街並みに、三人の姿が消えて、ようやく京一と龍麻は『女優』店内へと戻った。




12月の外気は、酷く冷えて肌に突き刺さる。
然程厚着をしていない京一には、少々堪えるものがあった。

暖房器具によって温められた店内の室温に、京一はほっと息を吐く。
龍麻も京一よりは着込んでいるが、それでも寒さに強い訳でもない。
悴んだ指先を擦り合わせ、そんな互いに顔を見合わせ、小さく笑みを漏らした。





「寒くなったね」
「ま、そりゃ12月だからな」




当たり前の事だと返す京一の表情は、数時間前の苛立ったものでも、疲れ切ったものでもない。
戯れの些細な会話を楽しむだけの余裕が戻っていた。


カウンターでグラスを拭きながらその様子を見ていたビッグママが、口を開く。





「京ちゃん、お風呂入るかい?」
「おう」
「背中流してあげるわよ♪」
「……遠慮する」





ビッグママの台詞に肯定の意を返す京一に、アンジーが楽しそうに告げる。
胡乱げな目をしてきっぱりと断わる京一だったが、アンジーは気を害した様子もない。
寧ろ昔は一緒に入ったのにね、と言うものだから、京一は耳が熱くなるのを感じた。
それを確りと龍麻に気付かれているのが判るから、余計に恥ずかしい。

クスクスと笑う龍麻の顔を、腹いせ交じりに掌で押し退けてやる。


店奥に設けられている風呂場に向かう京一を、龍麻はすぐに追い駆ける。





「京一」
「あ?」
「お風呂、僕も入っていい?」





突然の申し出に京一はしばしきょとんとしていたが、何も不思議な台詞ではない。





「ああ……別にいいけどよ、狭いぞ」





店に泊まる従業員は少なくない。
美容を気にする彼女達の為に、化粧室等と一緒に風呂場も小さいながら設置されている。

京一が子供の頃は、彼女達と一緒に入る事もあって、それ位なら充分なスペースがあったが、既に京一も高校三年生である。
大人と言う程出来上がった体ではないが、身長は平均よりも上だし、龍麻もそれと同じぐらいある。
大の男が二人入って余裕を保つ程、此処の風呂は大きくはない。


窮屈になるが、それでも良いかと問えば、龍麻は迷う様子もなく頷いた。





「でもお前、着替えとかどうすんだ」
「別にいいんじゃない? この格好でも。京一もそうでしょ」
「まぁな」




風呂が終われば、布団に入ってしまえば後は寝るだけ。
制服の上着を脱いで、アンダーシャツだけでもあれば十分だ。
女子供じゃあるまいし、夜着を気にするような性格でもない。


他に気にする事もないので、さっさと行くかと風呂場へ向かうべく方向を変えた。

と、その先に一人、立っている男を見付ける。
渋面になったのは最早条件反射であった。





「……なんだよ」




無視すれば良いと、思ってはいる。
思ってはいるのだが、無視したらしたで後に何が起こるか判ったものじゃない。
考え過ぎと言われるかも知れないが、それほどに京一の警戒心は育っていたのである。

憮然と睨まれた八剣は、クスリと口元に笑みを浮かべた。
毛の逆立った猫宜しくの京一の態度にも、この男は気を咎めた様子を見せなかった。





「風呂、俺も一緒に入っていいかな?」
「絶対嫌だね」




きっぱりと言い切った京一の返答は、恐らく最初から予想していたのだろう。
やっぱりね、という呟きが聞こえ、じゃあ聞くんじゃねェよと京一の顔は顰められた。


そのまましばし睨み合い(睨んでいるのは京一だけだったが)が続くかと思ったが、あっさりとそれは終止符を打たれた。





「京一、早く行こう」




手を引いたのは勿論、龍麻である。

先に視線を逸らすのは負けたような気がするので、あまり良い気分ではなかったが、促されたのだから仕方がない。
このまま延々睨み合って事態が変わる訳でもないし、また八剣の方が何某か妙な事を言い出し兼ねない。
訳の判らない問答の相手をするのは疲れるだけで、おまけに八剣はそれさえ楽しむ節を見せるから尚更腹が立つ。
そんな事にいつまでも付き合っているような暇があるなら、さっさと風呂に入って寝てしまうのが一番だ。


ぐいぐいと、おいちょっと痛ェんだけど、と言いたくなる強さで、手を引っ張られる。
半歩前を歩く相棒に文句の一つでも言おうかと思ったが、面倒だったので結局止めた。
その背中が聊か棘立ったように見えたのも、理由の一つであるが。

今度は何処で失敗したんだと思いつつ、京一は龍麻の半歩後ろをついて行くのだった。






















そこそこ体躯の出来上がった男二人が入るには、狭いだろうと思った風呂。
案の定揃って湯船に入るなんて広さはなく、一人がシャワー、一人が浴槽となった。



浴槽の縁に頭を乗せ、龍麻は何故か上機嫌だった。
表情筋が活発に動く事は少ないので、あまり表情に変化は見られなかったが、やはりそこそこ長い付き合いだ。
風呂に向かう間の若干の刺々しさを思うと、今は随分と機嫌良く見える。


実際、龍麻は機嫌が良かった。

これまた広くはない脱衣所には、ご丁寧に龍麻の分のタオルも用意されていた。
そのタオルは、現在龍麻の頭の上に綺麗に折りたたまれて乗せられている。
にこにこという擬音が聞こえてきそうな位、京一にとっては判り易い程、龍麻の機嫌は右肩上がりだ。



……さっきの不機嫌はなんだったんだ?




思ったが、その疑問は口にしない事にする。
何某かの不機嫌の理由があの場にあって、今はそれを忘れているのなら、忘れてくれていた方が、正直ありがたい。


少々考えてみると、ひょっとしてアイツか? と八剣の顔が脳裏に浮かんでくる。

拳武館との一件は一先ず片付いたけれど、綺麗サッパリ、と言う訳ではないのだ。
互いが利用された末の闘いであったとはいえ、争い、傷付けあった事は事実。
京一に至っては生死の境を彷徨った程(あまり思い出したくはない)で、龍麻もそれを知らない訳ではないのだ。
八剣によって断ち切られた木刀の一端を持っていたのは龍麻だったから、京一も言われなくてもそれは感じられた。

龍麻は、例え見ず知らずの人間だとしても、人が傷付くのを嫌う。
友人知人と言うなら尚更で、くすぐったいが、京一自身もその一人なのである。
八剣が京一に重傷を負わせた事を思うと、今でも八剣に対して憤りに似た感情が湧くのかも知れない。




─────考えてから、京一は無性にむず痒くなって、シャワーのコックを思い切り捻った。
勢い良く飛び出した飛沫に頭を突っ込んで、がしがしと乱暴に撫ぜる。

京一の急と言えば急な行動に、龍麻はふっと視線を向けたが、首を傾げただけで何も言わなかった。




友達だとか。
親友だとか。
相棒だとか。

言われる事は増えたし、そう呼べるだろう人間も増えた。


醍醐は中学の時から知っているが、話をするようになったのは真神に入学してからで、つるむようになったのは今年の春────龍麻が転校して来て、力に目覚めてからだ。
葵や小蒔ともちゃんと話をするようになって、遠野ともスクープだのなんだの抜きで普通に話をするようになった。
彼等は間違いなく友人と呼べる類で、如月や雨紋、織部姉妹も友人知人と言える。

龍麻とは言わずもがな。
妙な噂を立て回される位に、長い時間を一緒に過ごしている。
出逢ったのはほんの数ヶ月前の事だと言うのに、だ。



だけど、未だに慣れなかった。
そういう相手がいて、そういう相手に“そう”呼ばれる事が無性にくすぐったい。






(……なんだかな)





何年前だっただろう。
ビッグママに「友達いないでしょ?」と言われたのは。

あの時、自分はなんと答えたのだったか。
ああ、気持ち悪ィって言ったんだ。
事実、あの時は本当にそう思っていたし、一人でいるのが楽だった。
『女優』は別に考えるとして。


あの時は顔を顰めて「気持ち悪い」と言った関係が、いつの間にかこんなに増えて、広がって。






(…こいつの所為だな。どう考えても)





湯船の中で、タオルを膨らませて遊んでいる龍麻を見遣って、一人ごちる。

≪力≫だの、猟奇事件だの、鬼だの。
色々あったけれど、京一にとってはそれ程鮮明に記憶に残る事はすくなかった。
あの桜の木の上で、初めて龍麻の姿を見つけた時に比べれば。



シャワーを出しっぱなしのまま、立てた膝に頬杖を付いて、龍麻の横顔を眺めてみる。

しばしそうしていれば、やはり気配に敏感な龍麻は、京一のその視線に気付いた。
何? と言いたそうな目で龍麻が此方を見るが、何も言わずに、京一はその顔を観察してみる。


………間の抜けた面してんな。


何処が、という訳ではない。
眺めた末に思いついたのが、そんな感想だった。

見慣れた顔だったから、そう思ったのかも知れない。
だって今年の春から、毎日のように見ている顔なのだから仕方がない。
今更改めて感想を述べる方が無理だった。


目を窄めてそのまま眺めていると、今度は龍麻が動いた。
膨らませたタオルを見せて、にっこりと笑う。





「京一もやる?」
「やらねェ」
「あ」




タオルの膨らみを、掌で上から思い切り叩いてやった。
空気を逃したタオルは、龍麻の手の中でペッタリと無残な形に潰れている。

龍麻はしばし唇を尖らせるような顔をしていたが、別段、気に障った様子はなく、綺麗に畳み直すと、京一に向き直り、





「京一、背中流してあげよっか」
「は? いらねェよ」
「でも、ちゃんと洗ってないでしょ」
「女子供じゃあるまいし……」
「いいから、いいから」




言って浴槽から出ると、龍麻はさっさと京一の背中に回った。

人の話を聞けよ。

思いながら、結局は好きにさせる事にした。
何か言った所で、同じ終着点に行き着く押し問答が延々続くだけなのだ。



泡を含んだタオルが背中に押し当てられる。
ごしごしと擦られるのは気持ちが良かった。





(……そういや、こんなのガキの時以来だな)




『女優』に来て、此処にも幾許か慣れた頃。
修行の疲れもあって、一人で入ると湯船の中でうたた寝してしまう事が何度かあった。
溺れはしなかったものの、逆上せてしまう事が増え、万が一があっては大変と、誰かが一緒に入るようになった。
大抵はアンジーで、彼女は何かと世話を焼いて、出来るという京一をやんわり諭して、背中を洗ってくれた。

成長に伴って回数は減り、身長がそれなりに伸びた頃には、体格も理由に再び一人で入るようになった。


─────それ以来だ、誰かに背中を流されるなんて。



そもそも、背中を向けて無防備になれる程、気を赦せるような人間が極端に少なかった。






(………まただ)





むず痒さが再発して、京一は頭を掻いた。
後ろの龍麻からは顔が見えないのが幸いだった。


そう思った時、脇腹をやんわりと擦られて。




「─────!」
「あ、熱かった?」
「じゃねェよ!」




のんびりとした龍麻の台詞に、京一は肩越しに振り返って言い放つ。





「背中だけだろ。ンなトコまでしなくていい」
「いいから、いいから」
「よくねーよ! いらねェからすんなッ!」




龍麻の手からタオルを引っ手繰る。

空っぽになった自分の手を見つめて、龍麻はしばし思案していた。
京一は、そんな相棒から視線を外すと、シャワーを出して背中の泡を流した。
泡を含んだ龍麻のタオルは、桶に引っ掛けて、自分は湯船に入る事にする。


が、それは阻まれた。
両脇を悪戯に刺激する指によって。





「ひっ、ちょ、龍ッ」
「まだ洗い終わってないよ」
「じゃなくて! お前ッ…やめろ、バカ! 離せ!」
「だーめ」




肩越しに見た龍麻は、にっこり笑顔。
面白がっているのがよく判る。





「ひ、龍麻ッ、やめ…ははッ、バカ、くすぐってェッ」
「ちゃんと洗わなきゃ駄目だよ」
「わかった、わかった! 判ったからやめろーッ!」
「だめー」
「何がしてェんだ、お前はッ!」




クスクスと楽しそうな笑い声が鼓膜に届く。
機嫌が良いのは、悪いよりもずっと良いが、急に始まるこの悪戯はなんなのか。


如何に身体を鍛えていようと、こんな刺激にまで耐性はつけられない。
一度笑い出したら後はもう堪えようがなく、風呂場には暫く京一の笑い声が反響した。








後で解放された京一が、報復と称して龍麻に冷水シャワーを浴びせたり、石鹸の泡で滑りやすくなった床で足を縺れさせ、二人揃って浴槽にダイブしたりと、色々騒がしくなり。



散々じゃれ合って、風呂を出た時には、互いが逆上せかける寸前であった。










少々間が開いてしまいました……。
ラブラブお風呂でじゃれあい。くすぐりっこでえっちぃ想像した人、挙手ッ!(←ホントはちょっと書きたかった(書いたら八剣の立場がないのでカット(笑))