──────判っている事を改めて人に言わると、やっぱり腹が立つものだ。

















STATUS : Enchanting 11




















……危うく逆上せる所だった。

誰かと一緒に風呂に入るなんて事が久しぶりだったからだろうか。
その程度の事ではしゃぐような幼稚な歳ではない筈だが、やはり気の知れた相手だったからか。
らしくもなく、羽目を外したという自覚はあった。


年甲斐もなく風呂場で騒ぐという行為をしてしまった事に、今更ながら恥ずかしさを感じつつ、京一はシャツに袖を通した。
その隣で、同じように龍麻もインナーを着て、制服のズボンを履く。





「あったまったね」
「そうだな」




にこにこと、火照った頬にタオルを押し付けながら言う龍麻に、京一は頷く。

少々羽目は外したが、お陰で温まった。
大抵カラスの行水宜しく短い入浴で終わるのだが、気兼ねなく長風呂するのもたまには良いものだ。


肩にタオルを引っ掛けて、京一はバーへと向かう。
しかし、カウンター奥から見た店は既に営業を始めていて、客も入っていた。

居候の身である自分が出て行っても、邪魔になるだけだ。
カウンター内に座るビッグママが此方を見たので、それに言葉なく風呂上りを告げてから、京一は其処から離れた。
龍麻もビッグママに一つ頭を下げて、直ぐに京一について行く。
盛り上がる声が背中越しに届いた。





「んじゃ、もう寝るか」
「うん─────あ」





する事もないからと告げた言葉に、短い返事をして、龍麻が正面を向いて立ち止まった。
同じように京一も。




見据えた正面、それ程奥行きのない廊下である。
元は従業員用に作られた部屋も、数は然程多くはない。
一見ですぐに全体が見渡せる。

その廊下の突き当たり、一番奥にあるのが、京一がいつも使っている部屋だった。


小さな店とは言え、壁は薄くはないが、初めて京一が此処に来たのは、自身がまだ小学生の頃。
謂わば水商売である店の影響は必ずしも良くはないもので、アンジーが配慮した結果だった。
幼い頃の京一は、よく意味が判らず、店で流れるCDの音楽に眠りが妨げられないなら良いと思った程度だったが。

今となってはそんな配慮も必要なくなったが、染み付いた習慣とでも言うのか。
すっかり、一番奥の部屋は、京一の部屋になっていた。



─────その部屋の前に、佇む男が一人。






「ちゃんとトリートメントはしたかな?」
「……なんの話だよ」






八剣の言葉に、京一はくっきりと顔を顰めて返した。






「綺麗な髪なんだから。きちんと手入れしないと、勿体無いよ」
「女じゃあるまいし、ンな事誰が気にするか」
「男でも身だしなみには気を遣うものさ」





口元に笑みを浮かべて言う八剣に、京一は益々眉間の皺を深くする。
その反応すら楽しそうにして見せるから、余計に京一の神経は逆撫でされた。





「つーか、其処退けよ。邪魔」
「ああ、ごめんね」




謝っているが、邪魔だと判っていて其処に立っていたのは明らかだ。


ついと塞いでいた部屋への道を避ける八剣。
京一はしばしその顔を無言で睨み付けていたが、それに気付いた八剣が笑みを刻むものだから、また眉間に皺を刻んで視線を逸らし、奥の部屋のドアノブに手をかけた。
そのまま扉を押し開けようとして、京一はまた八剣を睨み、





「入って来んじゃねーぞ」
「勿体無い」
「何が………言うな」





聞きかけて、止める。
確か此処で初めてこの男と対面した時も、同じ遣り取りをした気がする。

聞き返そうとしていながら、嫌な予感が過ぎるのだ。
聞かない方が良い、聞いたってどうせ碌な話ではない─────と。


返す言葉を遮られた八剣は、またクスリと口元に笑みを浮かべた。
その顔面に一発食らわしてやろうかと物騒な考えが浮かんだ京一だが、結局止めた。
実行した所で、学校のようにかわされてしまうのが容易に想像が付く(甚だ癪ではあるが)。



八剣から視線を剥がして、京一は龍麻を見る。





「龍麻、お前は好きな部屋使えよ」
「何処でも良いの?」
「ああ」




じゃあ……と少し考える声が聞こえ、京一はそれを待たずに部屋に入った。








程無く、扉は少し軋んだ音を立てて、閉じた。



























慣れた足取り───実際慣れている───で部屋に入った親友を、追って部屋にお邪魔させて貰おうとして、阻まれた。






「何か用?」
「いいや?」





肩を掴んだ相手に向かって問えば、あると思うかい、と言うニュアンスで返される。
ないと思う、と龍麻は迷うことなく首を横に振った。
それで正解だった。


八剣は口元に薄い笑みを浮かべていたが、瞳の奥はそれと矛盾している。
睨むと言う程剣呑でもないのに、全くの隙がない。

八剣の左腕が、腰に挿した刀に引っ掛かる。
食指は鞘にも柄にも触れないが、その気になれば龍麻にさえ知覚できない速度で抜刀することも可能だろう。
いや、正確には相手に知覚されない角度からの攻撃する事が可能なのだ───この男の得意とする“鬼剄”という技は。
同じ剣技を扱う京一でさえ一度は破れた技である、リーチで劣る龍麻が即座に対応出来るかは少し怪しかった。

……目の前の男の氣は、そう働くつもりはないようだけど。






「駄目だろう、京ちゃんのお休みの邪魔したら」
「しないよ。一緒に寝るだけだから」





瞬間、ピシリと何かの軋む音がした。
が、二人の表情は笑顔のままで動かない。





「どの部屋でも好きに使うと良いって、京ちゃん言ったよね」
「うん。だから、京一と一緒に此処で寝るんだ」
「こう言っちゃ失礼だけど、狭いと思うよ。男二人は辛いんじゃないかな」
「僕、慣れない所だと一人で寝られないんだ。でも京一と一緒だったら寝れると思う」
「そんな風には見えないけどねェ」
「人って見掛けによらないもんね」





ピシリ、ピシリ。
見えない亀裂が広がっていく。

しかし、今此処でそれを追及するような人物は、誰もいない。
扉一枚向こうにいる少年は、さっさと寝る姿勢に入っているだろう。
『女優』の人々は、営業真っ最中だ。






「僕ね、気付いたんだ。京一と一緒だったら、凄くよく眠れるって」
「ああ、そうだね。不思議だねェ、京ちゃんは。寝顔も凄く可愛いし」
「見たの?」
「この間ね」





この間。
いつの事だろう。



ふと、龍麻は一週間程前の事を思い出す。


学校で終始疲れた顔をしていた京一、泊まる? と誘えば頷いた彼。
就寝前の酒盛りで、ハイペースで飲んで、酔っ払っていた京一。
いつもは安心できる筈の場所で、寝れる状況じゃなかったんだとぼやいた京一。

あの時、恐らく彼は言うつもりはなかったのだろう、どうしてと問うた所で真実を口に出すとは思えなかった。
けれどもアルコールに酔って緩んだ意識は、ポロリと答えを漏らしてしまって。





『──────あの野郎が寝込み襲って来やがるから』





……京一が前に『女優』に泊まった時、目の前の人物は、恐らく既に居たのだろう。


例えば、『女優』の人々が寝ている京一に何某かするとして。
それは恐らく、弟を構いつけている程度のものであるだろうから、京一があそこまで疲弊する事はないだろう。
何より、幼い頃から世話になっている人達を捉まえて、京一が「あの野郎」なんて言う訳がないのだ。
彼女達が京一に何かしたと言うなら、恐らく「兄さん達が……」と言う筈だ。

あの時の京一の口振りは、明らかに親しくない人物を示してのものだった。
仮定の話、如月や雨紋であっても、ああまで苦々しく言う事はないだろう。
第一、隠そうとする事もしないだろうし、笑い話の一つとして日常会話に昇っても可笑しくない事だ。
あの言い方は、親しくない上に苦手意識がある事を暗に感じさせていた。



京一の苦手なもの。

慣れないと言う意味で、好意を示す言葉。
嫌いと言う意味で、勉強だとか、真神学園生物教師など。


そして、ただ一度でも負けた人物。






「…………見たんだ、京一の寝てる顔」





京一は他者の気配に敏感だ。
しかし、気配を絶つ事に長けた人間はいる。

今は休業状態とは言え、八剣が身を置く剣武館は暗殺集団である。
八剣の体技もそれは例外ではなく、気配を殺して人に近付く事は容易な事だ。






「見るついでに、ちょっと味見もしたかな?」





みしっ。

握った拳の骨が悲鳴を上げた音だった。






「真っ赤になって、案外初心なんだね。可愛かったよ」
「…………ふーん」
「お陰で随分嫌われたみたいだけど」
「うん、そうだね」






そもそも、京一は八剣に対して好意を持っていない。
これは龍麻からの見方であるが、剣武館の一件を知る人々は往々にしてそう思うのではないだろうか。

たった一度でも負けた事と、それが完膚ない大敗であった事と。
会う度に繰り返す呼び方に加えて、八剣の言動そのものが恐らく京一の肌に合わないのだ。
其処で更にいらぬ事をすれば、京一の警戒心がMAXになるのも当然の事である。


しかし、八剣はそれをまるで気にしている様子がない。





「京一、八剣君の事凄く苦手みたい」
「そうだな。お風呂も断わられたしねェ」
「僕は一緒に入ったけど」





中身のない争いだ。
言っていることは子供の意地の張り合いと等しい。

………二人の纏う空気がそれを、大きく陵駕していなければ。





「随分楽しそうだったね」
「うん、楽しかったよ。一緒にお風呂」
「羨ましいね」
「そう?」
「さて、そうでもないかも」





自分で言っておいて否定する八剣。







「警戒されないって言うのも、ちょっとね」






壁に寄りかかって、どうやら八剣は此処から動くつもりはないらしい。
恐らく、龍麻がこの場を離れるまで、彼は此処にいるだろう。

同じく龍麻も、動く気はなかった。


京一が使う目の前の部屋の鍵は、かけられていない。
習慣づいていないのか、単純に忘れたか─────どちらであるかは、ともかく。
今どちらかがこの場を離れたら、残った側がどういう行動に出ようとするか、予想するのは簡単だった。






「されるより、されない方がいいよ」
「まぁ、ね。でも、」





八剣の笑みに、薄らと優越のような色が混じる。
龍麻の表情は変わらない。










「警戒するのは、意識してくれてるからね」








友達じゃあ、何したって気にしてもくれないだろう。












──────結局、二人は朝になるまで、其処に立ち尽くしていたのだった。














八剣vs黒龍麻!
ブラックって結構難しいねぇ。今まであんまり書いた事なかったんですよ…

京一は部屋の中で爆眠してると思います(笑)。