──────共通点を見つけてしまった、ような。

















STATUS : Enchanting 12




















朝霞が晴れて、昇る陽光が少しずつ都心のビルの高さを追い駆け始めた頃。
京一は『女優』の横を流れる川の土手上で、木刀を振っていた。




日課と言うほど真面目にこなしている訳ではない修行であるが、行わなければ腕も勘も鈍る。
幼少時代に父から叩き込まれた基本の姿勢と、今は何処にいるかも知れない師に叩き込まれた技と。
繰り返し頭の中で反芻させながら、頭の命令どおりに体を動かせる。

見えない敵を頭の中で作って、目を閉じればそれが見える程に強く強くイメージする。
それが鬼であるか、ヒトであるかは関係なく。



上段から下段に袈裟懸けに切りつけ、一歩踏み込んで体を反転させ、返す刀で横一線に薙ぐ。
相手側から迫る刃に、地面を蹴って後ろに跳び、着地、一瞬の停止の後直ぐに距離を詰めて躊躇わずに剣を振う。

右から来たら、左から来たら、後ろから来たら─────架空の情報を脳はめまぐるしく作り、集め、計算し。
目が動く、腕が動く、足が動く─────脳から筋肉へと伝わる電気信号を、何よりも早く掴んで処理して、動く。


踏んだ草が朝露を散らす。
昨晩の内に雨でも降ったか、地面は少し柔らかかった。
コンディションは、はっきり言って悪い。

そういう事だってある。


ズルリとぬかるみに脚を取られて、バランスを崩した。
無理に立ち上がろうとはせずに、地面につけた左手を軸に前転して、隙を突こうとした相手を下段から切り上げる。

地面に脚をつけて振り返り、もう一度剣を薙ごうとして─────京一の動きが止まる。







「おはよう、京ちゃん」






『女優』の壁に寄りかかり、食えない笑みを浮かべ、悠長に朝の挨拶なんぞをして来る男。

朝からコイツの顔を見る事になろうとは。
京一の顔はその心情を判りやすく吐露していた。
が、相手は相変わらず京一のそんな表情を気にする様子はない。



動きを止めてしまえば、呼吸は普段どおりに戻る。
汗が噴出して、張り付いた前髪が邪魔だった。

シャツの袖で汗を拭って、京一は改めて手についた泥を見つける。
じっとりと湿った土を、両手で叩き合わせる事で払った。


そうしている間に、八剣は距離を詰めていて、気付けば後二メートル程の位置。




「……ンだよ」




言外にそれ以上近付くなと言う意味を込めて、問う。
八剣はそれを受けて、歩を止めた。




「熱心だねェ」
「別に」





日課と言うほど真面目にしている訳でもなく。
かと言って、不真面目と言う程にサボっている訳でもなく。

それでも習慣付いている事は否めず。


取り敢えず、褒められる程のものではないので、素っ気無い返事をして、また袖で汗を拭く。


代謝率の上がった体は、冬の寒空の下でもそれを感じさせない。
寧ろ今は熱い位で、火照った体を冷ましたい。
シャツの襟を引っ張り袂を広げれば、滑り込んだ冷えた空気が気持ち良かった。




「大胆───と言うより、天然だよね。京ちゃんは」
「あァ?」




八剣の言葉に、また何を訳の判らない事を……と京一は眉根を寄せる。
しかしどういう意味であるか、聞きたくはない。




「……フザけた事言いに来ただけなら、もう帰れ」




と言うか、帰れ。

判りやすく拒絶の意を示す京一だったが、相手がそう簡単に聞くとも思えない。
何せ今の今まで、此方の言う事をまるで無視して、こうして『女優』に居座り続けている男だ。
京一が帰れという言葉を今直ぐ聞くのであれば、今日のこの瞬間まで、何度もこの男と顔を合わせる筈がない。


案の定、八剣は帰る様子を見せないので、京一の方が先に背を向けた。
相手をする気がないと判れば、直に離れて行くだろうと予想して。



下ろしていた木刀を持ち上げ、構える。
其処でまた声がかかった。




「京ちゃん」




無視する。

静止したまま、京一は呼吸を整えた。





「京ちゃん」





一つ長く息を吐いて、同じ長さ分吸い込む。
吐き出さずに息を詰め、踏み込みと同時に一度剣を引き、突き出す。
半歩下がって構え直し、左から右へ、柄から右手を離し左手だけで左上へと斜めに振う。

見えない敵はガラ空きになった腹を狙って来る。
腕を振った勢いをそのままに、左足を軸にして反転しながら蹴り倒す。





「京ちゃん」





ぐるりと一転して、浮かした右足を地面に降ろす。
下ろした場所がぬかるんでいたが、体制を崩すことはなかった。
変わりに泥が靴底に纏わりつく。

小さく舌打ちが漏れた。
それでも止まらず、左足に体重を乗せ、反動をつけて跳ぶ。


着地場所目掛けて、大上段に構えて。







「京───」

「るっせぇぇええッッッ!!!」







繰り返し繰り返し呼びかけられる、呼ばれたくない呼び名。
無視だ無視だと言い聞かせるようにしていた京一だったが、元来、我慢強くはない。

明らかに意図して集中力を折ろうとする八剣に、堪忍袋の緒が切れた。




「なんなんだテメェは! オレの邪魔しに来たってか!?」
「いやいや。まさか、そんな事は」
「だったら帰れっつってんだろーが!! うぜェ!!!」




怒鳴りつける京一だったが、やはり八剣は飄々としている。

目の前でこれでもかと言う程の怒声を浴びせられているのに、おざなりな謝罪だけ口にして、あとはいつもの笑顔。
迫る京一を宥めるように両手を開いて降参のようなポーズを取るが、それも本気ではあるまい。



もう一度噴火するかと思うほどに、怒りで赤くなった京一の顔。
それを正面から受け止めて、八剣はいつもと変わらぬ調子で言った。




「相手しようか」
「あァ!?」
「だから、相手」




何言ってやがる、と云わんばかりに一度吼えた京一であったが、繰り返し告げられた言葉に、沸騰しかかった熱が下がる。


修行の相手。
それを買って出ようというのだ、八剣は。




「……………」
「何もしないよ」




何を考えているのか、探るように窄まった京一の目に、八剣が苦笑した。
疑われるのは仕方がない、そんな顔で。




相手がいる事は有り難い。
イメージトレーニングには限界がある。

しかし、相手が八剣であると言うことが、どうしても京一は引っ掛かるのだ。


真神のメンバーとなら気兼ねしないで良い。
特に龍麻とは、修練でありながら次第に本気になって打ち合った事もある。

だが八剣だ。
目の前にいるのは、馴染んだ相棒ではなく、嘗ての敵。
今となっては、京一の苦手なモノの一つに数えられる。



再会した時から、八剣はずっと敵意を見せない。
此方を油断させようとしている訳でもなく、本当に単純に京一が気に入っているのだろう────そう思うと背中がやたらと寒気を覚えて、挙句痒くなって仕方がない。
だから今更、修行に託けて何某かしてくるとは思えないのだが………


京一の脳裏を過ぎるのは、先日の八剣の行動。
京一が『女優』に寄り付かなくなった最大の理由であった。






「何もしないよ」






先と同じ言葉を告げる八剣。
眉尻を下げて、本当だよ、と。





「………フザケた真似しやがったら、ブッ殺す」





あらん限りの低い音でそう言えば、八剣は笑む。
それまでの飄々とした顔とは、ほんの少し───多分───違う顔で。







向け合う刃に浮かぶ高揚感は、決して嫌いではなかった。



























目が覚めてから聞こえた声と、音。
何処から聞こえるのかと探して、外界からである事に気付くと、龍麻は窓辺に近付いた。

ガラス一枚向こうに広がる光景を見つけて─────……僅かに、龍麻の眉が寄った。



土手の上で動く影が、二つ。
一人は素早く、もう一人はゆらりゆらりと。





(京一と─────八剣君)





真冬の空の下であるにも関わらず、京一はいつもの薄手の格好。
今はそれで丁度良いのだろう、きっと寒さなんて感じていないから。



振われる木刀に、躊躇いや加減は見られない。
それでも、喧嘩だとか言うものではなく、修行である事は龍麻にも判った。


いつもなら、相手になっているのは自分だ。
一番遠慮も気兼ねも、手加減も要らないから、互いに本気で打ち合える。
勿論、それは修行あるのだが、気を遣わなくて良いという事は非常に大きなものだった。

それが今は、八剣が相手をしている。




(京一、楽しそう)




龍麻とは違う理由で、遠慮も気兼ねも、手加減も要らない。
八剣の実力は京一自身が身に染みて知っているし、八剣もそれに見合った実力がある。


獲物が同じ類でだと言う事もあるだろうか。

京一の周りで、京一と同格に打ち合える剣士は殆どいない。
部活で竹刀を鳴らすのとは違う、本気の剣技のぶつかり合い。



ゆらりゆらりと掴み所のない足取りを踏む八剣。
それを追う京一の目は、確かな高揚を覚えているのが見て取れる。



ガラス向こうをじっと見つめる龍麻を、アンジーが目に留めた。




「おはよう、苺ちゃん」
「おはようございます」
「どうかしたの?」




問い掛けるアンジーに、龍麻は窓の外を指差す。
倣って視線を向けて、ああ、とアンジーは納得したようだった。




「京ちゃん、今日も頑張ってるのね」




京一の修行風景は、『女優』の人々にとっては見慣れたものだ。
それでも、相手がいるのは珍しかったらしく、




「嬉しそうねェ、京ちゃん」
「……うん」




気兼ねの要らない相手。
その存在が事の他嬉しいらしい京一に、アンジーが微笑む。


後でそれを言えば、京一はきっと否定するだろう。
だが自覚はしている、恐らくではあるが。


いつから修行を始めているのかは判らないが、短い時間ではないだろう。
勉強事では長く続かない京一の集中力は、剣に関しては別格だ。
それでも、京一の呼吸に乱れはなく、動きも踊るように流麗で、疲労と言う言葉を知らないように見える。

それも日々の修練の賜物であるのだが、それ以上に、京一の今の高揚感がそれを助長させていた。




いつまで続くかと思われた風景は、龍麻がそれを見つけてから5分程で終わった。
数字で見れば短い時間だったが、京一は満足したらしい。




地面に腰を落として、京一は空を仰いで長い呼吸をした。

激しい運動を休憩を挟まずに続けていたのだから、意識はしていなくても、体は疲れている。
動きを止めて一挙に噴出した汗を、京一はシャツの袖で拭っていた。



地面に座る京一に、八剣が手を伸ばす。
しかし、京一はそれを払い除けると、自力で立ち上がった。

京一が八剣に何かを言っていたが、ガラス一枚隔てた場所から眺めているだけの龍麻には、その内容は判らない。
八剣はただそれを聞いていて、時折、いいよ、とでも言うように唇が動いただけだった。
その都度、京一は数瞬口を噤んで、頭をがしがしと掻いている。


しばらく遣り取りが続いて、京一が先に動いた。
此方に戻って来るのだろう、足は『女優』へと向いている。



その途中で、顔を上げた京一と、龍麻の目があった。








気付いた事を知らせるように、挨拶のつもりなのだろう、片手が上がる。



それだけで少し機嫌の直る自分に、単純だなあと内心呟きながら、同じく龍麻も手を上げるのだった。













八剣×(→)京一!

龍麻がちょっと劣勢気味?
次は龍麻の押せ押せモードで行こうと思います。