ぼくのこころをきみにあげる






醍醐が小蒔の事を好きなのは、真神保育園の子供の皆が知っている事だった。
ただし、当の本人である小蒔だけは気付いていないけれど。





醍醐は、他の子供達よりも一回りも二回りも体が大きい。
その所為でよく怖がられたりもするけれど、当の本人はとても気の優しい性格だ。

小蒔は勝気で無邪気な、ちょっと男勝りな女の子である。
親友の美里葵といつも一緒にいて、控え目な性格の彼女の背中を押して外に連れ出すのは、小蒔の役目だった。
気が強くて、京一や雨紋とケンカになる事も少なくはないが、その後にはけろりと一緒に遊んでいたりもする。



そんな二人が出逢ったのは、二人が初めて真神保育園に来た時の事だった。



醍醐は母に、小蒔は父に連れられて真神保育園にやって来た。


醍醐の家は大きなもので、本当ならお手伝いさんがいるような家なのだが、それでは友達が出来ないと母が心配した。
大人ばかりの環境は子供に良くないと思い、母の計らいで真神保育園に入園する事となったのである。

小蒔は酒屋の家が繁盛していて、嬉しくも寂しいことに、子供の世話をきちんと出来なくなった。
小蒔は家の手伝いをするのも好きだったのだが、お陰で公園に遊びに行くことも出来ない。
それはあんまりにも可哀相だと、近所で有名だった保育園に入る事になった。


二人は真神保育園の入り口で出逢い、一緒に門を潜った。
その時、小蒔は体の大きな醍醐を見て、




『くまさんみたいだね。かっこいい』




そう言って笑った小蒔の顔が、醍醐の目に焼きついて離れなかった。

























「……こくはくしたいんだ」




真剣な顔で言った醍醐に、集まった子供達はおお、と目を輝かせた。


輪になっているのは、龍麻、京一、雨紋、亮一、如月、壬生の六人。
真神保育園に通っている男の子組であった。

他に龍麻の膝にちょこんと座ったマリィがいるが、彼女は龍麻が持っていた絵本に夢中だった。
しかし醍醐の先の言葉を聞くと、ぴょこんと小さな頭が持ち上がる。



龍麻の隣、醍醐と間で挟んだ所に座っていた京一が、呆れたように醍醐を見た。




「何回目だよ、おまえ」
「う………」




京一と醍醐は仲が良い。

京一が葵の事で小蒔とケンカを始めると、醍醐は小蒔を庇って京一とケンカを始めてしまう。
けれども、その時さえ除けば、いつも一人で遊びたがる京一が珍しく気を許す相手でもあった。


今更何を言っているんだと、京一が呆れるのも無理はない。
醍醐のこうした発言は、京一が入園した時から何度となく繰り返されているのである。
その度、緊張して固まった醍醐の空回りで終わってしまっていた。

一部始終の殆どを毎回見届けている京一にとって、醍醐のこの発言は「また始まった」レベルだった。
しかしそれは京一一人であって、他の子供達にとっては、醍醐の勇気を尊重したい。


京一の向かい側に座っていた雨紋がいいじゃねえか、と言って笑った。




「せっかくその気になったんだぜ。おーえんするぞ!」
「らいとがおーえんするなら、ぼくも……」




うきうきと楽しそうな雨紋に、隣に座っていた亮一が手を上げた。
それを見た如月が無言で手を挙げ、またその隣に座っていた壬生は、読んでいた絵本から顔を上げて、手を挙げる。




「あ、あー! あぅー!」
「マリィもおうえんしてくれるって」




龍麻の膝の上で、マリィが一所懸命に手を挙げて主張する。
代弁してやれば嬉しそうにきゃらきゃらと笑って、龍麻に抱きついた。

増えて行く味方に醍醐がほっとしたように笑う。
が、隣にいる京一は眉毛の間にシワを作っていて、面倒臭そうにしていると判る表情。
けれども、彼がそんな表情をしているのはいつもの事で、最近の彼がやたらとケンカを起こす事がないのも加え、今更気にする子供はいない。


第一、京一一人が止めておけと言った所で、事が収まる訳もない。
醍醐は自分で告白すると言ったのだし、周りの子供達は皆それを応援すると言う。
多数決で考えても、醍醐が止まらないのは明らかだ。

それに、醍醐は真剣だし、応援する子供達も何処か嬉しそうだ。
幾ら子供ながらに斜に構えている京一でも、これを邪魔するのが野暮なのは判る。



そうと決まれば、と立ち上がったのは、醍醐ではなく雨紋だった。




「よーし、じゃあサクセンかんがえようぜ!」
「…ふつうに、すきですって言えばいいんじゃないの?」
「ばか、亮一。それじゃいんしょーにのこらないだろ?」




雨紋の言葉に、亮一はよく判らないと言うように首を傾げる。
如月や龍麻も同じように首を傾げていて、マリィだけが雨紋の言葉に同調するように頷いていた。

そんな中で、やはり京一一人が呆れたような顔をして醍醐を見る。




「何かんがえたってダメだって。こいつ、いつもガチガチになってだまっちまうんだから」
「こ、こんどはそういうことは、ない」
「…いつもンなこと言って、ギョクサイしてんじゃねーか」
「うー!」
「いててッ! なんだよ、このチビ!」




抗議するように京一の腕を引っ張って抓ったのは、マリィだ。

龍麻はそんな彼女を庇うように、素早く自分の影に隠す。
京一はあからさまに龍麻を睨んだが、此処も言うだけ無駄と踏んで、諦めて視線を逸らした。




「とりあえず、ふたりっきりにならなきゃな!」
「そ、それは…ちょっと……」
「……ほらみろ、これだ」




何故かノリノリになっている雨紋の言葉に、醍醐が慌てた。


何せ醍醐は、普段から小蒔と一緒にいると、周りに他の子供達がいてもガチガチになってしまうのだ。
小蒔が自分を見ていようと見ていまいと同じで、醍醐の方がとかく彼女を意識しているのである。

それなのに二人きりなんて、醍醐にとっては爆弾だらけの真ん中に放り込まれるようなもの。
大体、二人きりになって無事に告白できるなら、ずっと前に出来ている筈なのだ。
京一が何度も付き合う必要もなく。



二人きりなんて無理だと首を振る醍醐に、雨紋が唇を尖らせた。




「じゃあ、おれらのまえでコクハクすんのか?」
「それは……」




他の子供達────此処にいる子供と、今は外で遊んでいる女の子達と。
いつものように遊戯室で遊んでいる中で、好きですと告白するのか。
その時には子供達だけではなく、マリア先生や遠野先生が一緒にいる事だろう。

……それはそれで恥ずかしい。
醍醐の顔が真っ赤になって行った。




「やめとけよ。またブッたおれるにきまってる」




溜息交じりに言った京一に、醍醐は返す言葉もない。



そもそも、京一は毎回付き合わされているのだ。
だから告白しようとした醍醐がどういう言動を取るのか、今は手に取るように判る。

きちんと出来るのはきっと小蒔を呼ぶ時までで、「なに?」と彼女が駆け寄った直後、醍醐の時間は止まるのだ。
鈍い小蒔はきょとんと不思議そうにして、固まった醍醐をじぃっと見詰める。
それに醍醐は益々緊張して、ガチガチになって、最終的には息をするのを忘れてばったり倒れてしまうのである。
小蒔は突然倒れた醍醐にパニックになってマリア先生を呼びに行き、隠れて様子を見ていた京一は醍醐をずるずる引き摺って回収するのがパターンだった。


二人きりでそんな有様の醍醐が、他の子供達のいる前で告白なんて、絶対に無理だ。
きっと小蒔の目の前+周りの視線で、本気で気を失うに違いない。
京一だけでなく、皆に相談している以上、その期待感も加わって、彼がそれに耐え切れるとは思えなかった。



……先程から京一は否定的な事ばかりを言うが、何も告白するのを止めろとは言っていない。
直球勝負で正面から言おうとするのがダメなのだと、京一は言った。




「カオ見るとかたまるんだから、ほかのやり方かんがえろよ」
「ほか?」
「……オレをみるな」




何があるんだと全員の目を一斉に浴びて、京一は判り易く苦い顔をした。
そんな彼に小さく笑って、龍麻が手を挙げる。




「はい。ぼく、おてがみがいいと思う。だいごくん、じ、かける?」




手紙なら、言いたい事は事前に全部書いておける。
二人になると固まってしまう醍醐でも、手紙を渡すだけなら出来る筈だ。

龍麻の質問に醍醐が頷くと、これで子供達の方針は決まった。




「でも、なにをかけば」
「ンなかんがえなくたっていいって。スキだってかきゃいいんだ」
「う、う……」
「……てつだおう」




悩む醍醐に助け舟を出したのは、如月だ。
ずっと黙って見守っていた人物からの意外な申し出に、子供達は目を丸くする。




「こいぶみなら、おじいさまの本でよんだものをおぼえている」
「……ふるいな、オイ……」




今時ラブレターを“恋文”なんて。
そう思ったは京一だけで、他の面々は“恋文”が何であるのか判然としなかったらしい。
いや、彼の隣にいる龍麻は判ったようだが、彼は彼で良いアイデアだと思ったようで笑顔だ。




「じゃ、なんかかくモンもってくる!」
「らいと、まって」




言うが早いか立ち上がって駆けて行く雨紋を、亮一が追った。

それを見送り、醍醐はひっそりと、京一は盛大に、それぞれ違う理由で溜息を吐いたのだった。























遊戯室の隅に固まっている子供達に、遠野先生は何をしているのかと首を傾げた。
其処にいるのが如月や壬生なら然程不思議ではないのだが、今日はこの二人に加え、醍醐と雨紋と亮一がいる。

五人の子供達は、ヒソヒソと何かを相談しているようだった。


真神保育園で預かっている子供の内、男の子の殆どが其処に集合している。
特に珍しいのは雨紋で、彼は部屋の隅で何某か手遊びしているよりも、外を駆け回るのが好きだった。
亮一は雨紋の誘いがなければ、滅多に一人で外遊びなどしないので、雨紋の傍にいる、それ自体はよくある光景だ。

その二人よりも遠野先生の気を引いたのは、子供達の中で一際大きな体を丸く縮めている醍醐だった。
そうしてもやっぱり大きいのだが、醍醐がああして縮こまっている所を見たのは随分久しぶりのこと。
以前は、自分の大きな体が他の子供を怖がらせてしまうと思っていた事もあって、ああして丸くなっていたのだが、真神保育園に馴染んだ今はそうした仕種は形を潜めていた。



遠野先生はこっそり、足音を立てないように、子供達に近付いた。
けれども、もう少しで子供達の輪の内側が見えそうな距離になった所で、壬生が顔を上げる。




「……とおのせんせい」
「え?」
「あ」
「あ! ダメだぞ、アン子せんせー!」




壬生が名前を呼んで、醍醐と如月が顔を上げ、雨紋が素早く何かを抱えるように隠す。
その時、くしゃくしゃ、と紙を握り潰す音が聞こえた。




「らいと、らいと。それ……」
「え? …あーッ!!」
「かきなおし……」
「うわわ、わるい! ごめん、だいご!」




雨紋が慌てて醍醐に謝ると、醍醐は気にしていないと首を横に振った。

遠野先生は今度は普通に近付いて、しゃがんで子供達と目線の高さを合わせる。




「何? あれ、お手紙書いてるの?」
「みるなってば!」
「何よー、なんで駄目なのよ」




唇を尖らせて言う遠野先生に、雨紋がべっと舌を出す。
京一と同じ位に生意気盛りの子供に、遠野先生はその頬を抓ってぐいーっと引っ張ってやった。
これまた京一と同様、負けん気の強い子供なので、この程度で泣きはしない。

頬を抓り合う雨紋と遠野先生に、隣にいた亮一がおろおろする。
そんな亮一の肩をぽんぽんと叩いて宥めてから、如月が言った。




「とおのせんせいにも、きょうりょくしてもらおう」
「えー? マリアセンセーとか、まい子センセーならともかく、アン子センセーでさんこうになるのか?」
「今なんかすっごく失礼な事言ったでしょッ」
「らいと…ダメだよ。てつだってもらおうよ」




話が拗れていく前にと、亮一が雨紋を宥めにかかった。
遠野先生の手が頬から離れると、雨紋は拗ねたように眉毛の端を上向かせて、紅くなった頬を摩る。

遠野先生が雨紋と亮一から目を離し、醍醐・如月・壬生へと向けると、紅い顔の醍醐が目に付いた。
それは醍醐が小蒔と一緒にいる時によく見られる赤さで、遠野先生はなんとなく事の次第の察しがついた。
ははあ、と色々と想像を巡らせていると、壬生の小さな手が遠野先生の服裾を引く。




「せんせい……」
「うん、なーに?」




言って促してみた遠野先生だったが、壬生は口を閉じて俯いてしまった。
子供達の中で一番物静かな壬生は、人と目線を合わせたり、話をしたりするのが苦手なので、遠野先生は根気強く待つ事にする。


壬生が真神保育園に来たばかりの頃は、もっと酷くて、京一と同じように他の子供にも、大人にも近付こうとしなかった。
毎日園舎の玄関で母が迎えに来るのを待ち、来ない母に───利口な子供であるから、事情は頭で判っていたとしても───捨てられたような気持ちになって、お泊り部屋のベッドで泣いていた。
しかし今では、時折体調が良くなって迎えに来る母の説得と、他の人懐こい子供達のお陰で、物静かなりに保育園での生活を楽しんでいる。

とは言ったものの、元々があまりお喋りな方ではないらしく、壬生が率先して喋る事は少ない。
自分から話をする時も、考え考え話すので、聞く側が急かさず辛抱強く待つ必要があった。


十秒か、二十秒か、長いような短いような間が空いた後、ようやく壬生は言葉を続けた。




「おてがみ、の……かきかた、おしえて、ください」
「いいよ。なんのお手紙?」




雨紋の手の中でくしゃくしゃになっていた、手紙らしき代物。
それを受け取ってシワを伸ばして開いてみると、まだ五歳にもならない子供の、一所懸命な字が綴られていた。

────その内容を読み取って、思わず遠野先生は目を窄める。




「……これ、」
「きさらぎがかいたんだけどよ、ぜんっぜんイミわかんねーの」




五歳にもならない子供が書く文章ではない、ような。
そう思った遠野先生の違和感は間違いではなかったと、雨紋の言葉を聞いて確信する。


シワだらけの紙に綴られた文章は、なんと言うか────古風であった。

平仮名だけで書かれているので、何処でどう区切って読み分ければ良いのかも遠野には判らない。
判らないが、其処に書かれた文章が記憶の海を漣立たせたので必死に思い出そうと試みて、気付く。
高校生の頃に授業で習った日本史だったか古文だったか、教科書やら資料集やらに載せられていた文章と酷似している事に。

お陰で子供達が言う“手紙”が“ラブレター”である事に気付けたが、大人の自分がこれを見て一瞬意味を汲み取り損ねるのだから、小さな子供が見たら益々意味が判らないに違いない。
実際、雨紋は書かれている文章の意味がちっとも判らない、と言っている。




「もっとわかりやすい方がいいって」
「おじいさまはこれが良いのだと言っていた」
「じーさんといっしょにすんなよ。亮一、コレわかるか?」
「……あんまり……」
「ほらみろ」




やっぱり判らないじゃないかと言う雨紋に、如月がムッとして眉毛を寄せる。
それに怯えたのは亮一だけで、彼は直ぐに雨紋の陰に隠れてしまった。

遠野先生はそんな二人の間に入って、一先ず宥める。




「まあまあ。雨紋君はそんな言わないの、折角書いてくれたんだから。でも確かに、コレは判りにくいかなぁ」
「うー……」
「………」
「所で、コレ書いたのって如月君?」
「…はい」




素直に頷いた如月に、遠野は眉尻を下げて子供達を見渡す。




「お手紙、如月君が誰かに渡したいの?」
「…ぼくでは、なくて……」




三人の目線が醍醐へと集まる。
醍醐はう、あ、と緊張したようにガチガチになって、視線を彷徨わせた。

遠野先生はぽんぽんと醍醐の頭を撫でて、出来るだけ落ち着くように努め、




「お手紙って、書いた人の気持ちが詰まってるものなんだよ。だから、醍醐君が誰かに渡したいのなら、醍醐君が自分で書こ?」
「……じ、まだ、ヘタ……です」
「そんなの関係ないって。頑張ろ!」




子供の書く字の上手い下手なんて、大人から見れば皆どんぐりの背比べだ。
けれども、当の本人達はいつでも一所懸命で、小さいながらに見栄も体裁も張りたがる。
其処にはちゃんと子供なりの意地があって、精一杯格好つけたい男の子の気持ちも、遠野先生は判っているつもりだ。

増して、これから書く手紙を渡す相手の事を思えば、醍醐が緊張しない訳がない。


だからこそ尚の事、醍醐が自分自身で書くのが一番良いと思う。


音にならない言の葉でも、気持ちを篭めれば、きっとそれは伝わる筈だ。
心配があると言ったら、子供達の中でも小蒔が一番鈍いと言う事だが────それは今は考えないでいよう。
今は目の前にいる子供達の希望を、大人の自分が精一杯叶えてやる事が先決。



遠野先生は、床に散らばっていた色紙を見下ろした。
其処にはああでもない、こうでもないと、子供達が一所懸命考えたのだろう文字が幾つも綴られている。

拙い文字から感じるのは、子供達を繋ぐ友情の輪。
醍醐の気持ちを小蒔に届けてあげようと、皆で一緒になって応援している。
それも遠野先生から見れば、とても素敵なものだけれど、




「教えてあげるから、ね」




背中を押してみれば、子供はぎゅっと決意を灯す顔をした。