貴方にとってこの空間は
ただの借り宿に過ぎないのかも知れない、けれど

───────だからこそ
















Milky Quartz


















真冬の寒い時期になっても、『女優』に居候する少年の生活は相変わらずだ。
朝はのんびりと過ごしている事が多いのだが、昼からは師に剣の稽古をつけて貰って生傷だらけになっている。
京士浪がいない時でも、『女優』の店の横で一人で木刀を振るっており、修練に余念がなかった。



日中からもう随分と冷え込む季節だと言うのに、少年の服装は、此処にやって来た時から変わらない。
赤いラインの入った厚手の長袖シャツと、恐らく、通っていた小学校の運動着に使っていたズボン。
秋の間はそれで十分だっただろうが、この時期になるともう少し防寒が必要になってくる筈だ。

だと言うのに、その子供は自分の格好など全く気にも止めない。
強くなるには体が資本なのだから、そんなに無碍にするのも良くないだろうに。


寝る時に使っているTシャツと短パンは、彼が『女優』に来て間もなく、アンジーが与えたものだ。
それも最初は断ったのだが、眠る時は楽な格好をしていた方が良いとごり押しして受け取った。

その時にアンジーが感じ取ったのは、どうやら、この子は自分達に対して“遠慮”しているらしいという事だ。




少年・蓬莱寺京一が『女優』に世話になるようになったのは、半年ほど前の事だ。


ふらりと尋ねてはいなくなる男、神夷京士浪が何処からか拾ってきた少年。
彼は強くなりたいのだと言って、京士浪に弟子入りと言う間柄になっていた。

京士浪も京一も理由は言わなかったが、京一は眠る場所を探しているのだと言う。
アンジーは一目見た時から、この勝気で強がりで、真っ直ぐな少年が気に入った。
だからビッグママに口添えして、京一を此処に置く事を許して貰った。


その一連があったからか、京一は『女優』の従業員達の中では、一等アンジーに懐いてくれている。


しかし、京一はアンジーにもビッグママにも、サユリにもキャメロンにも遠慮をする。
寝食を世話になっているだけでも、どうやらあの子供には大きな事だったようで、それ以上のワガママを殆ど言わない。
これ以上の贅沢を求めるのは、単なる自分の強欲だとでも思っているようだった。



けれどもアンジーは思う。

もっとワガママを言っても誰も怒らないのに、いや寧ろ言って欲しいのにと。
だって年齢を聞いてみれば、京一はまだ10歳だ。
それならば、親に、大人に、もっともっとワガママを言って、アレが欲しいコレが欲しいと言うのが普通なのだから。


良くも悪くも京一は察しの良い子供であったから、自分が厄介になっている事そのものが、『女優』と言う空間に置いてイレギュラーな出来事である事は、承知していた。
それが京一の子供らしいワガママを奪っていたのである。



アンジーは京一を甘やかしたかった。
いや、アンジーだけではない、サユリもキャメロンも、ビッグママもそうだ。
幼い可愛い居候を、もっともっと可愛がりたいのだ。

けれども恥ずかしがり屋で素直でない京一は、抱き締めると嫌がるし、プレゼントと言って何かを渡すと遠慮する。
受け取った後は嬉しそうに笑ってくれるけれど、その前後に、やっぱり困らせているんじゃないかと不安そうな顔をした。


迷惑なんて思っていないし、困るとも思っていない。
京一を『女優』に置いているのは、何を持っても、此処の人々が京一を愛しているからだ。
京士浪が彼を連れてきたから、それもあるけれど、それだけでは絶対にない。




もっと愛したい。
もっともっと愛してあげたい。

でも、子供はずっと無意識に壁を作っている────思いやりのある子だから。
相手の迷惑になる事はしたくないと思っている、優しい子だから。




だから、思いっきり可愛がってあげるには、今の所、どうしても名目的なものが必要だった。




「ねえ、ビッグママ。何かないかしら」




カウンター席に寄りかかって問い掛けたアンジーに、ビッグママは煙管を吹かし、




「さてね。アタシ達が一方的にするなら、なんでも良いんだろうけど」
「それじゃ京ちゃんが納得してくれないのよ。もっと甘えてくれてもいいのに…」
「ああ、判ってるよ」




ビッグママが言うような方法は、今まで何度も行ってきた。
服が破れていたから、靴紐が切れていたから、もう随分と寒くなって来たから。
お肉が安かったから、貰い物のジュースだから、お客さんの注文の余りものだから─────と、様々に。

その度に京一は一度は断り、ごり押ししてなんとか受け取ってくれた。
けれども、ジュースや食べ物の類はともかく、衣服等は全て袋に入ったまま、殆ど袖を通していなかった。


服やアクセサリーの類を身につけないのは、日常の生活の中で必要が無いからだ。
一日の大半を『女優』で過ごし、外に出ては剣の稽古とあっては、確かにお洒落は必要ない。

でも、きっと似合うと思って、喜んでくれる顔を想像した身としては、それは少し淋しかった。
……気を遣って、身に付けたくないものを無理に身に着けるよりは良いかも知れないけれど。




「京ちゃん、お菓子も買って欲しいって言ってくれないのよねェ」
「そうだね。この間、CMで新商品の何だかを気にしてたようだけど、欲しいとは言ってなかったね」
「そうなのよォ。買って上げたいけど、きっとまた困らせちゃうのよね」




食べ物なので、服類に比べれば幾らか気安い。
けれども、その前に先ず、アンジー達は京一からのワガママで買ってあげたいのだ。
それを叶えてあげた時、どんなに喜んでくれるかを見たいから。


内緒で買って、渡してあげるのは簡単だ。
そうして普通の子供ならば、今後、アレが欲しいと教えてくれるようになるだろう。

でも京一は全くの逆だった。
言わないけれど気になる、と言う商品を渡す度、京一は困った顔をする。
それから余計にアンジー達に気付かせないように、何を見ても反応しないように勤めるようになった。
子供なので、CMなどが流れた時はついつい見てしまうようだけど。



カウンターの椅子に座り、アンジーは長い溜息を吐く。
眉尻を下げた彼女の表情は、とても淋しそうだった。

そのアンジーの後ろの方で、ソファに座ったキャメロンとサユリがモード系ファッション雑誌のカタログを開いている。
子供特集のページを開いて、これは京ちゃんに似合うわよ、ううん、こっちの方がいいわと楽しそうな声がする。
でも、彼女たちもそんな話をしているばかりで、きっと買ってあげようとは思っていないだろう────京一が困った顔するのが判るから。




「喜んで欲しいだけで、別にアタシ達はなんにも困ってないのに」
「そうさね……」




煙をふぅっと吹いて、ビッグママは棚からグラスを二本取り出す。
それぞれに冷えた麦茶を注いで、一本をアンジーの前に置いた。
アリガト、と言ってから、アンジーはそれに口をつけた。




「京ちゃんにとってアタシ達は、お世話になってる人、なのよねェ……」
「だろうね。それ以上でも、それ以下でもない」
「判ってるのよ。それが前提だっていうコト。だから京ちゃんも、アタシ達に気を許してくれているのよね」




10歳の子供の家出の理由も、執拗に“強さ”を求める理由も。
此処では詮索しないから、だから京一もアンジー達の下で安らぐ事が出来る。

それはとても有難い、けれど。


もう一歩分だけでいい、あの子の内側に触れたいのだ。
まるで焦るように、急ぐように“強さ”を求めて、息を詰めている子供に、もっと笑って欲しくて。


暗黙の了解を破るような、矛盾である事は判っている。
でも、その“暗黙”を子供に押し付けることはなくて良い、とアンジーは思う。

深くまででなくていい。
あの子の一番大事で、一番柔らかい部分とまでは言わない。
せめて、彼が頑なに守ろうとしている殻の外側に触れたかった。




「あの位の年の子が、遠慮もしないで親に甘えると言ったら……例えば、記念日やご褒美かね」




麦茶を飲み干して、ビッグママが呟いた。


記念日やご褒美。

例えば、運動会の徒競走で一位になったとか、テストで100点を取ったとか。
些細な事でも、子供が一所懸命頑張った事への、ご褒美。



若しくは──────




「誕生日………」




呟いて、アンジーははたとした。




「そう言えば、京ちゃんの誕生日っていつかしら」
「さァねえ……」




アンジーの言葉に、ビッグママは生返事だ。
煙管に新しい葉っぱを入れている。



ああ、そうだとアンジーは思い出す。
誕生日なら、京一だってもっと素直にワガママが言える筈だ。

だって、皆が自分の誕生を祝ってくれる日で、その日は自分が王様なのだから。




「京ちゃんが帰ってきたら、早速聞かなくっちゃ」




嬉しそうに言うアンジーに、ビッグママはさて素直に教えてくれるかねェと苦笑する。



アンジーとて、京一が直ぐに教えてくれるとは思っていない。
察しの良い子だから、教えたらその日の為にアンジー達が何かしようとするのは想像に難くないだろう。
そうなると、「忘れた」とか「覚えてない」とか言い出すのは目に見えていた。

だから、さりげなくしないと。


確かキャメロン達が見ている雑誌に、誕生石に関する特集が組んであった。
誕生石を使ったブローチやペンダント、ブレスレットなどが掲載されていて、一緒に一年間分の誕生石表があった筈だ。

これを使おう。




よし、と意気込んだアンジーの耳に、変声期を迎えていない少年の声が聞こえて来た。




「ただいまー」
「あン、京ちゃんお帰りなさァ〜い!」
「いでで!兄さん、痛ェ!」




早速京一を抱き締めて頬擦りするキャメロン。
京一はじたばたと暴れて、力強い抱擁から逃げようとうするが敵わない。

昼から京士浪と共に稽古で外に出ていた京一だったが、戻ってきた今、師の姿はない。
どうやら、彼の人はまたふらりと街に紛れてしまったようだ。


アンジーは、キャメロンと京一の遣り取りを楽しそうに見ているサユリの隣へ腰を下ろす。




「サユリ、ちょっとそれ貸してくれるかしら?」
「ええ、いいわよ」
「ありがとう。京ちゃん、いらっしゃい」




声をかけると、キャメロンが京一を解放し、京一は逃げるようにアンジーの元へと駆け寄って来る。
靴を脱ぎ捨ててソファに昇ると、アンジーの影にすっぽりと隠れる。
その猫のような仕草が、また愛らしい。

可愛い可愛いと言うキャメロンとサユリから、京一は顔を赤くしてそっぽを向いた。


朝よりも生傷の増えた京一の顔を見下ろして、アンジーは早速話を切り出した。




「ねェ、京ちゃん、誕生石って知ってる?」
「あ?たんじょーせき?」




きょとんとして京一は聞き返す。




「生まれた日付によって、この日に生まれた人は、この石が力を与えてくれますって言うのがあるの」
「ふーん」
「例えば一月だと、ガーネットって言う石で、」
「じゃ、オレそれだ」




ぽつりと京一が呟く。
そうなの? と見返せば、




「一月だろ」
「ええ」
「じゃあそれ。なぁ、ガーネットってどんなだ?」




意外に興味を引いたようで、京一はアンジーの服裾を引っ張って訊ねてくる。
アンジーは驚く心をどうにか隠し、雑誌のページを捲って、月ごとの誕生石のアクセサリーページを開く。


掲載されていたガーネットのアクセサリーは、赤いワイン色の石が使われている。
載せられたブレスレットには、ガーネットの他、アメジストらしき紫色の石と、スモーキークォーツがあしらわれ、チェーン部分を上手く使ってスタイリッシュに仕上げてあった。

京一もそのブレスレットに目を奪われ、きらきらと目を輝かせる。




「すっげェ、かっけー!」
「それでね、さっき言ったのは月毎の誕生石。日によっても違うのよ」
「そうなのか? な、オレは?オレのどれだ?」
「うん、今探すから、京ちゃんの誕生日教えてくれるかしら?」
「おう!」




嬉しそうに笑う姿は、本当に可愛らしい。
教えて貰った日付は、絶対に忘れないようにしようと、アンジーは心に誓った。