大好きなものが溢れる世界

だから、大好きなもので満たしたい

















The loved one is wrapped by the loved one


















子供の頃から、物欲は少ない方だったと思う。

誕生日の時に何か欲しいかと母に言われて強請ったものと言ったら、殆どが食べ物の類だったような気がする。
流行でクラスメイト達が持っている玩具を欲しいと言った事もあったけれど、それも稀な事だ。


成長に従って、物欲は益々薄まって来た。
それが生活に必要か否かを考えるようになったからだろう。
お世辞にも余裕があるような生活はしていないし、その余裕のない生活も他者の懇意あっての成り立ちだ。
日常生活以上に物を強請るなんて失礼だ、と、日頃世話になっている人に対して思うようにもなった。

それでも、『女優』の人々は、何某かを見つけては「京ちゃんにプレゼント」と言って差し出して来る。
無碍にするのも気が引けて、受け取る事は受け取るが、大抵は袋に包んだまま出す事すらしなかった。
下手に持ち歩くようなものは失くすのが目に見えているし、上等はカップや置物は確実に落として壊しそうだし、明らかに値が張ると見て取れる服は、絶対にケンカや日常の中で汚す所か破いたりしそうだったからだ。

とは言え、貰える事を鬱陶しいとか思う訳ではない。
特別に自分で欲しいと思うものが少ないだけで、人からの好意は確かに有難かった。



貰える物は貰うけれど、特別貰いたいと思う物はない。
それが京一の物欲の程度だった。



そんな訳だから、何か欲しいかと言われても、答えようがないのだ。




「……別に何もねェぞ」




真神学園の3-B教室にて、真っ直ぐに此方を見下ろしながら問うた龍麻に、京一もまた真っ直ぐに見返して答えた。

嘘でもなんでもない正直な京一の答えに、龍麻の眉尻がへにゃりと下がる。
答えてやったのになんだその反応、と言う言葉が京一の瞳にありありと浮かぶ。




「何もない?」
「ねェな」




机に頬杖をついて言う京一に、龍麻は拗ねたように唇を尖らせた。




「漫画読みたいって言ってなかったっけ」
「吾妻橋が持って来た」
「アイドルのCD聞きたいって」
「ああ、さやかちゃんな。それも吾妻橋が持って来た」




京一があれが気になる、とポロリと零した翌日には持って来る。
単に自分が持っているから出来る事だと彼は言ったが、それでも相変わらず仕事の早い舎弟である。

吾妻橋のそう言った手の早さは今に始まった事ではない。
彼が京一の取り巻きになる以前から一緒にいる龍麻には、それも重々理解されている筈だ。
……だと言うのに、今日に限って龍麻の瞳に物騒な色が閃いた。




「…………なんなんだよ、お前ェは。何がしたいんだ?」




このまま放って置いたら、確実に吾妻橋が地面に埋まる事だろう。
洒落ならともかく、本気でそんな事をやられたら、あの頑丈な男でもどうなる事か。

一応、心配する位には気に入っている男なのだ。


一先ず、意識をあの男から逸らせなければと、今度は京一の方から問う。
唐突な質問をしてきた理由を。

龍麻はやはり、真っ直ぐに京一を見下ろしたまま、




「もう直ぐ誕生日だって」
「あ?……ああ、そうか」




言われてカレンダーを見て、暦が一月後半に入っている事に気付く。
続いて週末の日曜日が自分の誕生日である事を思い出した。




「オレが忘れてたのになんでお前が知ってんだよ。教えてねェだろ」
「遠野さんと『女優』の人達から聞いたよ」
「……あっそ」




と言う事は、『女優』ではそろそろ誕生日会が用意されている頃か。
帰るのが気恥ずかしくなってくるような気がする。

いつもは忘れているから気にせずに戻って、いつも通りに過ごせるのだが、思い出してしまうとそうもいかない。
小さな子供でもあるまいし、待ち望んでいる訳でもないけれど、それだけにどうして良いのか判らなくなってしまう。
毎年のように忘れている素振りをして、でも実は知っているなんて。


来週の日曜までは『女優』に行かない方が良いかも知れない。
薄らと紅くなったと自覚のある顔を掌で隠して、京一は溜息を吐いた。



京一の心中など露知らず、龍麻は椅子に座った京一を見下ろす姿勢のまま、また問う。




「欲しい物、ない?」
「ねェよ」
「……京一、考えてないだろ」




それは当たっている、と京一は思う。
が、幾ら考えたってどうせ出て来ないとも思う。




「コニーさんの所の新作ラーメン」
「苺ラーメンなんかお前しか食わねェよ」
「美味しかったよ」
「お前はな。オレはいつもので十分」




龍麻の瞳に残念そうな色が灯る。

苺仲間が欲しかったのかも知れない。
他を当たれ、と京一は胸中で呟いた。




「この間、ファッション雑誌見てた」
「ああ、見てたな。見てただけ。別に欲しかねェよ」
「いつも制服だし、たまには」
「お前だって制服ばっかじゃねェか」




自分や龍麻だけじゃない、醍醐もそうだ。
一日の服を迷わないで良いから、どうしても楽な格好を選んでしまう。
ケンカで汚れても問題ないし。

ちなみに、遠野も同じである。
家にいる時は私服だけれど、一歩外に出ればいつも制服だ。
マンホールの下だの、茂みの中だのと何処でも潜り込むから、なるべく私服を汚したくないのだろう。


そう、私服なんて貰っても京一にはどうにもならないのだ。
嵩張るだけだし、新宿の裏で埃塗れになる事も少なくないから、上等な服なんて貰っても困るだけだ。




「猫の置物」
「いるか。しかもなんで猫限定なんだ」
「なんとなく」
「意味が判らねェ」




むぅ、と龍麻の表情がどんどん拗ねてくる。
しかし京一にはどうしようもない。

恐らく、龍麻が言う通り、何某か欲しいものを見つければ良いのだろう。
それでなければ、龍麻が引き下がらないのも容易に想像がつく。


……でも、ないものはないのだ。




「取り敢えず、今欲しいモンなら一つある」
「なに?」




トーンはいつもの調子だったが、龍麻の瞳に期待が宿る。
京一はそれを見ないように席を立って、窓の桟に手をかけた。




「犬神がいねェ授業ッ」




言い切った直後に床を蹴り、窓枠を飛び越えた。








地面に降りたと同時に相棒の呼ぶ声が聞こえた。























認めたくはないが、犬神杜人は京一にとって一番苦手な人間だ。


桜ヶ丘中央病院の岩山たか子も苦手なのだが、彼女への苦手意識の裏には、幼少期からの知り合いである事が前提だ。
見た目の強烈さは慣れたが、出逢った直後に思い切り殴られた事も理由の一つである(原因が自分にある事は重々承知しているが)。

対して、真神学園生物教師の犬神杜人には、本当に単純に、苦手なのだ。
何事にも動じない彼は、京一が何処で何をしていても、怒鳴る事も睨む事もなく、ただ茫洋とした目で眺めている。
いつもウサギ小屋で無為に時間を過ごしている彼は、しかし、その背中すらも隙がなかった。
それに気付いた頃から、あの亡羊とした瞳が常人とは違う深さまで見通していると気付き、それから苦手意識は益々強まった。
何を考えているか判らない────それは京一にとって、未知の対象である事とよく似ていた。



………そう言えば。
何を考えているか判らない人間といったら、もう一人いるのだ。

それが、今正に自分の前を陣取って、絶えず声をかけてくる少年である。




「京一ってば」




いつもの中庭の木の上で昼寝をしていた京一の下へ、ひょっこりとやって来た龍麻。
来るだろうとは思っていたが、まさか本当に来るとは思わなかった。

犬神の生物の授業を問題なく過ごした後、彼は直ぐに此処へ姿を見せた。
するすると木を登って、京一が定位置としている太い枝に辿り着くと、器用に体を伸ばして京一が座る前へと腕の力だけで登りつき、今に至る。




「京一、起きてるよね」
「……………」




龍麻の確認の言葉は、殆ど確信めいていた。
事実、彼の言う通り、京一は目を閉じているだけで意識はクリアだ。


寝てはいなくても、寝る姿勢である事は確かで、こうなると京一は龍麻を殆ど相手にしない。
眠りかかっているからか、単純に面倒であるかは、京一がいつまで意識を保っているかによる。
龍麻にはそれを感じ取ることが出来た。

絶えず話しかけて返事を貰おうとしている龍麻は、京一が眠る気などない事を知っているのだ。
一時間ほどの睡眠を取って、人の気配によって妨げられた睡眠は、二度目は中々やって来ない。
それでも龍麻の相手をするのが面倒だから、寝た振りを続けているに過ぎない。




「京一、欲しいものある?」
「…………」
「CDも漫画も吾妻橋君が持ってきちゃったし」
「…………」
「服はいらないよね。苺あげてもいい?」
「…………」
「ねぇ、苺でいい?」




このままだと、本当に苺を押し付けられるような気がする。
京一の脳裏に、雨紋の誕生日を祝った日の事が蘇る。

……あれは無い。


あの惨事が再び訪れる(それも自分の身に!)のは御免だと、京一は已む無く瞼を上げた。




「苺はいらねェ」
「美味しいよ。母さんが送ってきてくれた」
「………」




大好きな母からの仕送りに、龍麻は嬉しそうだ。
多分、『お友達と皆で食べてね』とか手紙が添えられていたのだろう。
たった一度しか逢わなかったが判る、あの人のやりそうな事だと。


拳武館との一件の後に送られて来た苺は、鬼退治部のメンバー全員で頂いた。
遠野の情報通りの品質はさる事ながら、母の愛が一杯に詰まった甘酸っぱい苺は、確かに美味しかった。

龍麻は定期的に両親に連絡をして、仲間達の事を随分細かく話しているようだから、今回もそれは伝わっているだろう。
息子が離れた地で、それでも仲間達と共に楽しく過ごしている事は、両親にとって嬉しいことだったに違いない。
そうしてまた、息子の大好きな苺を送ったのだ。



確かにあの苺は美味かった。
美味かったけれど、生憎、京一はそれほど苺に執着していない。




「……お前に送られて来たモンだろ。お前が食えよ」
「皆で食べてねって言ってた」




やっぱりか。
呆れではなく、予想通りだったのが少し可笑しくて、京一は小さく笑う。




「ああいうモンは、オレじゃなくてアン子達にやれよ。あいつらの方が喜ぶだろ」
「遠野さんや美里さん達にもあげるよ。でも、京一にも食べて欲しい」




真っ直ぐに京一を見詰めて言う龍麻は、本当に、心の底からそう願っているのだろう。
今の自分の生活に、今の自分に繋がる全ての人達に、感謝を伝えたいのだと。

それが京一にとっては、喜びよりもむず痒さに繋がってしまうのだが。


紅くなったと自分でも判る顔を、俯いて隠す。
龍麻は覗き込んできたりはしなかったが、京一の行動の意味を察したのだろう。
あはは、と嬉しそうに笑う声。




「一杯送られて来たから、食べるのも大変だと思うけど」
「…ちょっと待て。そんなに押し付ける気か」
「パックで一人三つくらいかな?」
「………無理。食い切る自信がねェ。やっぱアン子と小蒔にやれ。さもなきゃ醍醐に渡せ。あいつなら家庭科室でなんか作るだろ、多分」




その醍醐が作った苺の料理は、間違いなく小蒔行きになるだろう。
勝手に摘んでも良いと京一は思っているが、それも品にもよるもので、甘いと予想のつく苺のお菓子は手が出る気がしない。
甘いものが好きな小蒔は飛びつくだろうが。

葵は家族で食べるだろうし、小蒔も同様、遠野も時間をかけてゆっくり食べきるだろう。
けれども、京一は自身の味覚趣向もあるし、一月経ってもろくろく減っていないのがありありと想像できる。
そうなってしまっては苺は確実に傷んでしまうし、折角送ってくれた龍麻の両親にも申し訳ない。


気持ちだけ受け取っておく、と言うのが京一の精一杯であった。



だが龍麻は引き下がらない。
どうしても、母が送ってくれた苺をプレゼントしたいらしい。




「母さんの苺、美味しいよ」
「知ってる。前に食ったし」
「うん」




京一の同意の言葉に、龍麻はにこにこと嬉しそうに頷く。
本当に両親の事が好きなのだ、だからこんな風に言って貰えると心の底から嬉しいのだろう。







───────それが判ってしまうから。