止まらない時間、止まらない成長

背伸びしたがりの子供は、早く早くと時計を早回ししたがるけれど



甘やかしてあげたいから、ほんの少しだけ、その時間を止めてしまいたいとも望む


















Tomorrow for which small hand hopes





















『女優』に寝泊りするようになってから、二年目。
一月の半ばの事だった。




「もうすぐねェ、京ちゃん」
「ん?」




嬉しそうに言ったのはアンジーで、その時、京一は夕飯の真っ最中だった。
ビッグママの作ったオムライスをもごもごと噛みながら、隣に座ったアンジーを見る。




「もう直ぐって、何がだ?」




話が見えなくて質問すると、アンジーはあらあらと困ったように眉尻を下げて笑う。
それを見ていたキャメロンとサユリも苦笑していた。
ビッグママは────カウンターの向こうでいつも通り、煙管を吹かしている。

周りはアンジーの話が何を示しているのか、既に判っているらしい。
自分だけが判らないのがなんだか不愉快で、京一は眉間にくっきりとした谷を作った。




「忘れてるかもと思っていたけど、やっぱりね」
「ほらァ、だから内緒にしていましょうって言ったのにィ」
「でも欲しい物が判らないから聞こうって言ったのはキャメロンじゃないの」




苦笑するアンジーに、やいのやいのと言い合いを始めるキャメロンとサユリ。
京一がスプーンを咥えて、眉を逆ハの字にすると、アンジーが詫びる。




「ごめんなさいね、怒らないで」
「怒ってねーよ。でも話が判んね」




それが気に入らないのだと言えば、アンジーは殊更に柔らかい瞳で京一を見て、




「京ちゃん、もうすぐ誕生日なのよ」




──────あ。

言われてから思い出して、そんな声が漏れた。
咥えていたスプーンが外れて、皿の上に落ちる。


カレンダーを見れば一月の後半に入った所で、あと一週間もすれば京一の誕生日になる。
学校に行かなくなって久しく、毎日を鍛錬と『女優』での生活を往復するばかりの京一は、日付感覚が全くなくなってしまっていた。
年越しをしたのがついこの間だったように思うのに、もう半月も経ったのかと、今更ながら知る。

実家にいた頃は指折り数えていたものだったが、今の京一には、それを楽しむような気概はない。
それよりも、一日も早く強くなる為に、師がいない日でも剣を振るう事しか考えていなかった。



食事を再開させた京一に、アンジーが続ける。




「でね、京ちゃん。何か欲しい物はないかしら」




問い掛けるアンジーと、その後ろにいるキャメロンとサユリの表情がうきうきとして見えるのは、気の所為ではないだろう。
彼女達は、京一に何か、些細な事でもいい、出来る事があるととても喜ぶのだ。

しかし生憎ながら、子供と言うのはその辺りの機微には少々疎いもので。




「欲しいモンって……別に何もねェけど」
「あら、そう?」




言ってから、京一も流石に判った。
アンジー達の表情が期待の色から、残念そうな色に変わったのが。


やばい失敗した。
思いつつも、欲しい物が本当に思いつかないのだから仕方がない。

流行のオモチャもゲームも、京一には興味がない。
服なんて以ての外、寧ろ平時からアンジー達にあれやこれやとプレゼントされているのだ。
それも子供から見ても値段の張る代物だと予想できるような、上等なファーがついたジャケットだったり、綺麗な石を使った細工の凝ったアクセサリーだったりと、京一の方が遠慮するようなものばかり。
「セールだったから」とか「アウトレットだから結構安いのよ」なんて彼女達は言うが、それでも京一には気が引ける。

──────この上で何かを強請れと言うのが、京一には土台無理な話であった。


しかし、アンジー達はそれが楽しいのだ。
可愛がっている小さな居候に、似合いそうな服を探したり、珍しいお菓子をあげたりするのが、一つの楽しみ。
プレゼントの中には、気紛れに京一が気にしていた品もあったりするから、やはり彼女達はそういうものを一つ一つ揃えて、渡された時の京一の喜ぶ顔が見たいのだろう。

これで京一が物欲が強かったら何も問題はないのだが、生憎、京一の物欲はほぼゼロに等しい。
ゲームはあればやる、子供が飛びつくようなオモチャには興味がない、流行物は知らない。
それより今は鍛錬、と言うのが京一の現在の思考回路の基本構造だった。



とは言え、アンジー達には世話になっている身である。
彼女達の楽しみを取り上げるような発言は、少々良くなかったか。

でもなぁ、ともう一度欲しい物を探してみるが、やっぱり見付からず。


口の中でスプーンをカチカチと噛んでいると、カウンターにいたビッグママが言った。




「じゃあ、食べたい物は何かあるかい」




水仕事を終えてタオルで手を拭きながら言ったビッグママに、京一は数秒考えてから、




「ラーメン」




いの一番に浮かんだのは、やはりと言うか、大好物のラーメンだった。
昨日の夕飯もラーメンだったのだが、そんな事は京一にとって気にする程の事ではない。

京一の返事は予想済みだったようで、クスクスとアンジー達が笑った。




「京ちゃん、本当にラーメンが好きね」
「だって美味ェじゃん」




ビッグママの作ったラーメンは美味い。
麺もダシも普通にスーパーで売っているようなものを使っている筈だが、特別な作り方でもしているのか、ラーメン屋で食べるぐらいに美味しかった。

勿論、インスタントやカップラーメンも嫌いじゃないし、あれはあれで手軽で良い。
ラーメン屋で食べるのも─────と思ったが、此処暫く、店屋物は食べていないことを思い出した。




「どっか食いに行きたい」
「おや。ラーメンならアタシが作ってあげるけど。飽きちゃったかい?」
「……そういうワケじゃねェけど」




ビッグママのラーメンは、味噌、醤油、とんこつ、塩と、ダシの種類を変えても美味しいので、毎日食べても飽きないと思う。
でもビッグママは京一の朝昼晩の食事の他に、店で出す食べ物も用意しなければならない。

アンジー達も勿論手伝うけれど、店の準備と言うものは、食べ物だけ出せば良い訳ではない。
バーなのだから酒もいるし、店の掃除なんて当たり前で、ゴミ出しなんかも量が出るので案外大変だ。
京一もテーブル拭きと箒掃きと、買出しは付き合うが、彼女達の労働に比べれば微々たるものだ。


それらの労働が結構大変だと知ると、尚の事、彼女達の余計な負担は増やしたくない。
寧ろ、楽をして欲しいとも思う。




「店で食ったら、片付けとかしなくていいじゃん。ママも兄さん達も疲れねェだろ」
「いやぁん、京ちゃん優しいィ〜!」
「いででで!キャメロン兄さんヒゲ、ヒゲ!!」




逞しい腕に抱きしめられるのも慣れないが、剃り残しのヒゲで頬ずりされるのはもっと慣れない。
しかもキャメロンは剛毛なので、ぞりぞりとした感覚がより一層強くなっている。

暴れる京一の頬にキスをして、キャメロンはようやく離れる。
赤い口紅が残った頬を、京一は手の甲でぐしぐしと拭いた。


良い子ねェ、とサユリからも頬ずりされて、やっぱりヒゲが痛かった。
キャメロンほどではないけれど。

解放された京一は、いそいそとアンジーの影に隠れる。
彼女もキャメロンやサユリのように抱きついてくる事はあるけれど、二人ほど激しくはない。
だから京一はこういう時、大抵アンジーの傍に逃げるのだ。


避難してきた京一の頭を、アンジーの大きな手が撫でる。




「そう言えば、お店でご飯を食べるって、最近していなかったわね」
「ん」
「じゃあビッグママ、あそこのラーメン屋でいいかしら」
「ああ。話はつけとくよ」




あそこの店って何処だ。
思いながらも、京一は聞かなかった。
多分、お楽しみとして教えてくれないだろうし。

美味かったら何処でもいいか。
そう考えることにして、京一は空になったオムライスの皿をカウンターに運んだ。


























京一の誕生日。

師である京士浪は相変わらずふらりと姿を消して、戻ってくる様子はない。
アンジー達は残念そうだったが、別に彼に祝ってもらおう等とは考えていないので、京一は特に気にしなかった。



店に『休業日』の看板をかけて、五人で出かける。


京一の服装は、いつも店で過ごしている時のジャージとシャツではない。
上等なファーのついたフードのダウンジャケットに、ボトムはプレミア品と言われているGパン。
靴も潰れた運動靴ではなく、まだ買ったばかりと判る綺麗なスニーカーだった。
ダウンの下もきちんと着込んでいて、キッズ服のブランド品だ。

正直、京一は着るのも気が引けるような物ばかりなのだが、折角貰ったものを一度も着ないでいるのも失礼だ。
アンジー達は京一に着て欲しいと集めてきたのだから。
だからこういう時だけ、皆と一緒に出かける時だけ、こうして袖を通している。



夜の歌舞伎町は子供が出歩く場所ではないが、京一はもうとっくに慣れていた。
京士浪に修行をつけて貰った後、一人で帰路につく事は多い。
その際、とっぷりと夜が更けていると言う事もザラな話であった。

それでもアンジー達は保護者として、京一のまだ幼い手を握って歩く。
別にあちこち歩き回ったりはしないのだが、京一もこの時ばかりは嫌がる事もなかった。
手を繋ぐ時、いささか顔が赤くなるのは否めないけれど。


ビル風が京一の丸い頬を叩く。
その冷たさに顔を顰めていると、アンジーが風除けになってくれた。

アンジー達も店で着ている服ではなく、しっかり着込んでいる。




「京ちゃん、寒い?」
「んー……ヘーキ」




冷たさを誤魔化すようにぐしぐしと服袖で擦る。

赤信号に引っ掛かって足を止めると、サユリが京一の前にしゃがんだ。
着物の袖に入れていた手を京一の頬に当てる。




「あん、冷たいわァ。大丈夫?」
「ヘーキだって」




言いながら、京一はサユリの手を振り払わない。
節ばった手だけれど、確かに暖かくて、くすぐったかった。


信号が青に変わって、ビッグママが歩き出す。




「ほら、行くよ」
「あ、待ってェ、ママ」




此処の信号は青が早く終わってしまうのだ。
小走りになる一同と一緒に、京一も大股で走る。



横断歩道を渡り切った所で、ビッグママは細い路地に入った。
アンジー達も躊躇いなくそれについて行き、手を繋いだ京一も倣う。

小さな路地は、流石の京一もあまり通った事はない。
此処が昼日中でも物騒な場所なのは判りきった事であるし、以前は随分無茶をして暴れたので、色々な所にうらみを買っているのも確かだった。
そういう輩に遭遇し易く、奇襲され易い場所は、アンジー達のような心配してくれる人達がいる今、不用意に近付く気にはならなかった。


なんとなく、不安だった訳ではないけれど、京一はアンジーの手を強く握った。
それを感じ取ったアンジーが、柔らかく微笑む。




「大丈夫よ、京ちゃん。この辺り、ママの知り合いの人が沢山いるから、怖い事ないわ」




いや、怖い事はないんだけど。
面倒な奴らが来たら今は嫌だなって。


─────言い掛けて、京一は口を噤んだ。
アンジー達が巻き込まれるのが嫌で思い浮かんだ映像が、彼女達を心配してのものだと今更自分で気付く。
それを知られるのが無性に恥ずかしくて、京一は何も言えなくなった。

……怖がっていると思われるのも、少し恥ずかしかったが。



高架道路の下を通り抜けた頃に、下へと続く階段があった。
下り切った所で、ビッグママが立ち止まる。




「この店だよ、京ちゃん」
「……変な名前の店だな」




其処にあった建物には、大きな看板が掲げられている。
『激 ラ・メーン旨!』と言う名称に、京一は肩の力が抜けるのを感じていた。

建物自体も古いのか、それとも単に手入れが行き届いていないのか、看板も含めてボロボロに見える。
綺麗か汚いか言えば、正直に言って、ちょっと汚い、と言いたくなるような外観だ。
それでも、息が詰まるような高給店に連れて行かれるよりは良い。


カラカラと音の鳴る戸を開けて、ビッグママが暖簾を潜る。
アンジーと京一がそれに続いて、キャメロンとサユリが入り、戸を閉めた。

中華系の独特の匂いがして、京一の胃袋が刺激される。




「コニー、来たよ」
「アイヨ!いらしゃいヨー」




ビッグママの呼びかけに、カウンターの向こうにいた大きな男が振り返る。
丸い体型でドレッド風の頭をした男で、言葉が訛っている。
訛り方が日本のものと違っていて、外人だと気付いた京一は、免疫のなさから咄嗟にアンジーの影に隠れてしまった。




「あら、京ちゃん。大丈夫よ、コニーさん、とっても優しいから」
「あ、う……」




単純に外国人への免疫の低さと、人見知りから来る行動だった。
それもそれで恥ずかしくて、京一は顔を赤くしてアンジーから目を逸らす。


アンジーに促されて、京一はテーブル席に着いた。
ダウンジャケットは脱いで椅子にかけている。
隣をアンジー、前にキャメロンとサユリが並んで、ビッグママはカウンターだ。

きょろきょろと店内を見回してみると、外観に負けず劣らず、内装も綺麗とは言い難い。
客のスペースは整えてあるけれど、壁や天井は染み付いた油か何かがこびりついているようだった。
カウンター向こうの厨房は尚の事で、見えないけれど、きっと床なんかは油で滑るんだろうなと勝手に想像する。



カウンターの向こうから、コニーと呼ばれた外国人が殊更明るく声をかけて来た。




「京チャン、おタンじょーび、オメデトウねー!」
「京ちゃん言うなって……」




ビッグママの知り合いのようだし、話をつけると言っていたし。
多分その時に京一の事を聞いたのだろう。
呼び名もその際、一緒に伝染ってしまったに違いない。




「今日は何頼んでもタダよ。どれでも美味しいよ!」
「え、あー……えーっと…」




テンションについて行けない京一だったが、取りあえず、メニューを選ぶことにする。
カウンター上に並べられたメニューを見上げて、




「えーと……とんこつラーメンと、餃子と…あと、炒飯」
「アタシ達もラーメンお願いします。とんこつと、塩、二つずつ」
「あいよ。とんこつ三ツ、塩二ツに、ギョーザ、チャーハンね」




他にも小龍包や鶏の唐揚げなど、色々揃えてある。
ラーメンが美味かったらまた食べてみよう、と思う京一だった。


カウンター向こうでコニーが調理を始める。
料理が来るまで暇になった京一は、テーブルに備えてあった調味料の小ビンを弄っていた。
ラー油やコショウ、餃子のタレは良いとして、なんだか判らないものまで置いてある。
蓋を開けて匂いを嗅いでみると、ツンとした刺激臭にやられてしまった。

涙目になって正体不明の小ビンを遠くに押しやる京一に、アンジー達がクスクスと笑う。
背伸びしたがりの居候の、子供らしい一面が微笑ましくて堪らないのだ。




「ところで─────京ちゃん、幾つになったんだい?」




此処でも店と変わらず、煙管を吹かすビッグママの問いに、京一はしばし考えた後で、




「十二」
「あら、じゃあもう直ぐ中学生になるのねェ」




感慨深げにアンジーが言ったので、京一も思い出した。
そう言えばそうなんだ、と。

と言う事は、京一が『女優』に来てから二年が経つという事なのだが、




「背ェ伸びねえなー……」
「そうかしら。大きくなったと思うわよ」
「気の所為だろ。この間、病院で身体測定やらされたけど…あんま伸びてなかった」




小学校ならば一年に一度は行われる、身体測定。
京一は家を飛び出して以来、学校に一度も行っていないので、そういう物も受けられない。

だが幸運にも桜ヶ丘中央病院の岩山たか子とは、京士浪を通して懇意である(京一は彼女がてんで苦手だが)。
修行や荒事に巻き込まれて出来た怪我の治療は勿論、健康管理も彼女に任せる形になっていた。
だから学校でやる筈の身体測定も、桜ヶ丘でやるのが通例になっている。


その身体測定の結果は、二年前とあまり伸びていない。
体重こそ筋肉のお陰で重くなっている傾向があるが、身長は伸び悩みが続いていた。




「京ちゃんはこれからよ。大丈夫、大丈夫」
「だってよォ。ガッコにいた時、でけェ奴って結構いたぜ」
「成長期ってのは人によって違うからね」




背の順で並ぶと、京一は半分から前の方になる。
一番後ろに並ぶ児童などは、一体何食ったらそうなるんだ、と言いたくなる位に大きかった。




「アタシは今のままでも良いわァ。カワイイもの」




キャメロンが両手で頬杖をついて、京一を覗き込みながら言う。
抱っこした時の大きさが丁度良いのよ、とのたまう。

それに反論したのが、隣にいたサユリだ。




「アタシは京ちゃんが大きくなるのが楽しみだわァ。きっと格好良くなるわよォ」
「それもそうだけどォ。大きくなったら小さくはなれないじゃない。今しか味わえないのよ、この可愛さはッ」
「……男にカワイイとか褒め言葉じゃねェって」
「だって京ちゃんカワイイんだもの」




さらっと言われて、もうダメだ、と京一はテーブルに突っ伏した。
可愛いなんて言われても嬉しくないのだが、言うだけ無駄だ、彼女達には。


成長した方が小さいままの方がと言い合う二人。
京一はラーメンまだかなと思いつつ、胡乱な眼でそれを眺めていた。

放って置くといつまでも決着が着かなそうだった言い合いに終止符を打ったのは、アンジーであった。




「大丈夫よ、京ちゃんは今のままでもカワイイけど、大人になったらきっと格好良くて可愛くなるから」
「……いや兄さん、日本語おかしいぞ、それ」




これ以上成長しても可愛いとか。
大人になってもそう言うのかとか。
格好良いと可愛いは別物だろうとか。

突っ込みたいことは色々ある筈なのだが、完全にスルーされた。
キャメロンとサユリは納得してしまっているし─────あれの何処に納得する要素があったのか、甚だ理解できない。




「そう…そうね!そうよねェ!」
「京ちゃんの可愛さがなくなる筈ないものねェ」




だから可愛くないって─────言いたかったが止めた。
多分、これも言うだけ無駄だ。


溜息を吐いた所で、ドン、と京一の前にドンブリが置かれる。




「とんこつ、塩ラーメンお待ち!ギョーザとチャーハンはちょっと待ってヨ」




待ちに待ったラーメンの到着だ。
消沈していた京一の表情が一転、喜色満面になる。




「いっただきまーす!」




嬉しそうに食事の挨拶をして、箸を手に取る京一に、周囲の面々は顔を見合わせて微笑んだ。