何を要求されても、彼は答えた。
綺麗な指裁きで期待に応じ、周囲の満足を得てみせる。

結果、ライブも無事に大盛況となった。




「助かったぜ。ありがとよ」
「此方こそ。凄く楽しかった」
「そうか、そりゃ良かった」




握手を交わしているのは、“CROW”正式メンバーの雨紋雷人と、ヘルプでシンセサイザーを担当した少年。
その雨紋の隣には亮一がいて、今日の彼は終始機嫌が良く、今もそれは変わらない。
握手を交わす二人を見つめる表情は、ライブの出来にも、緊急参加の人物にも、大満足しているようだ。

ヘルプとして今回“CROW”のステージに立ったギタリストとドラマーも、同じく満足しているらしい。
互いに手を叩いて喜び合い、笑顔を零している。


──────しかし。




「……………………」




楽屋の古ぼけたソファにどっかりと座る京一の眉間には、深い皺が刻まれている。

出番もアンコールも無事に終わって、皆各々に健闘を讃え合っている中、彼の表情はその場で浮いていた。
しかし周囲は殆どそれに気付いていない。


ライブの盛り上がりが納得行かなかった訳ではない。
それそのものは、京一としても十分に楽しめるものだったと言って良い。
自分のベースは良い音を鳴らしたし、他の面々も申し分なかった。

文句をつけなければならないような事は、一つも無かったといえる。



しかし、京一の機嫌は頗る悪かった。




「お前も毎度ありがとうよ、蓬莱寺」




雨紋の声に顔を上げる。
さっきまで少年と手を合わせていた雨紋が、今度は京一にそれを差し出していた。

京一はそれに応えないまま、腰を上げる。




「帰るのか」




京一が握手に応えなかった事に、雨紋が気を悪くした様子はない。
ベースを担いで部屋を出て行こうとする京一に、雨紋が問い掛けた。




「おう」
「打ち上げ、来ねェのか」
「ん」




パス、と言うように、振り返らないまま京一の手がひらひらと振られる。


雨紋は一つ息を吐いて、いつもの所だから、気が向いたら来い、とだけ言う。
それにもひらりと手を振っただけで、京一は楽屋を後にした。





京一が楽屋を出て行ったのを切欠に、ギタリストとドラマーも楽屋を出た。
彼らは何某かの用事があるとかで、それが片付いたら打ち上げに参加する。

残ったのは“CROW”の二人と、緊急参加の少年一人。


楽屋の後片付けを始めた雨紋と亮一に倣い、少年もゴミの仕分けやらを自主的に手伝い始める。




この少年を雨紋が見付けたのは、一ヶ月ほど前の事。
亮一のギターの弦の換えを買う為に楽器店に行って、ついでにバンド雑誌を買おうと思った時。
其処でスコア譜の新譜を探している彼と逢った。

声をかけたのは珍しい事に亮一で、理由は本人もよく判らないらしい。
見ていたスコア譜が自分の趣味と同じものであったと言うのもあったかも知れないし、本当に単なる気紛れとも言える。



その日は少しの間話をして、シンセサイザーを扱える事だけを聞いた。



それから暫く経って、一昨日の事だ。
ライブ直前になってヘルプで入ってもらっていたシンセシストが亮一と喧嘩になり、抜けてしまった。
亮一もそれなりに気に入っていた筈の人物だったのに、何が原因だったのか、運の悪い事に束の間その場を離れてしまっていた雨紋には判らないままだ。

喧嘩をした事でライブ直前になってメンバーが足りなくなった事に、亮一は落ち込んだ。
雨紋もそうしたかったが、それよりも先に新しいヘルプを探さなければならない。
亮一には落ち着くように言い聞かせて、雨紋は一人、知り合いの伝を回ってOKしてくれそうな人物を探した。

散々走り回って見付からず、今回は打ち込みで行くしかないか、と諦めかけた時だ。
一人の人物の顔が頭を過ぎった。


一月前に楽器店で会話した少年がシンセシストであった事。
また、その少年が都内の高校の制服を着ていたと言う事。


頼むからいてくれと言う祈りに近い事を考えながら、雨紋は都内の高校へ向かった。
かくして彼は其処にいて────急な上に時間もなくて悪いが、と頭を下げる雨紋に、彼は了承をくれたのである。





片付けを一通り終えて、そろそろ出ようかと。
思った所で、雨紋はキーボードを鞄に入れている少年に目を向けた。



良く言えばおっとりのんびり、と言う表情をしている少年。
彼の面立ちと、“CROW”の音楽は、正直言ってあまり合わないように思える。

ヘルプを頼んだ時は夢中でそんな事まで考えていなかった。
頼れるのならとにかく頼って、出来るだけ生音を使いたくて、それしか頭になった。
彼自身がどんな音楽を奏でるのか、聞いてもいなかったのに。


頼んで二日後、当日になって京一から「大丈夫なのか?」と問われた時に、ようやく気付いたのだ。
彼の音を聴いていないこと、彼がどんな音を操るのかと言う事を。



かくして、結果はご覧の通り。
本番前のセッションで、彼はその顔に見合わぬと思うほど、激しいロックの音を鳴らした。
彼の音は見事にその場に調和し、ライブも成功した。

とは言え、彼が普段弾いているのは、クラシック音楽や民俗音楽が主だと言う。
それを聞いたのは激しいロックの音を聞いた後だったので、それも含めて周囲は開いた口が塞がらなかった─────只一人、京一を除いては。




(そういや、やけに機嫌が悪かったな)




去り際の───いや、ライブ前からの京一の様子を、雨紋は思い出していた。
終了後の打ち上げに参加しないのはいつもの事だが、演奏中にまで渋い顔をしていたのは珍しい。

今日の昼に顔を合わせた時には、もう少し機嫌が良かったように見えたのに。
一体何処で下降線を辿る事になったのだろうか。
……ライブに支障を来たさなかったのと、彼自身が他者の接近を赦さないので、雨紋は何も言わなかったが。


とっとっ、と足音がして、雨紋は現実に還る。
ギターを背負った亮一が横にいて、どうかしたのかと首を傾げていた。




「なあ亮一。蓬莱寺の奴、今日は機嫌悪かったか?」
「ああ……そう、かな。けど、途中からだと思うよ」
「……だよな」




集合に遅れた少年が会場に着いて、雨紋がそれを迎えに行く為に一時席を外して。
戻って来た時、一枚扉の向こうからうっすらと聞こえてきたアンサンブルは、随分楽しそうに聞こえた。
放って置けば終わりそうに無いその音は、そのアンサブルの奏者達が機嫌が良い事を示していた。

─────だと言うのに。


雨紋は、丁度キーボードを仕舞い、提げた少年に再び目を向けた。




「なぁ、お前────、」




雨紋が声をかけると、少年も此方を見た。
何? と問うように、少年は首を傾げる。


そうだ。
この少年が来てから、この少年の顔を見てからだ。

京一の機嫌が、一気に下降線に向かったのは。




「お前、蓬莱寺────ベースの奴と知り合いだったのか?」




顔を見るなり、京一が不機嫌になったものだから、雨紋はそう思った。


初対面の人間に馴れ馴れしく触られたり、声をかけられるだけで彼は顔を顰める。
しかし、この少年は顔を合わせての最初の挨拶以外、京一と話をしていない筈だ。
セッションに必要不可欠なアイコンタクトは時折取っていたけれど、直接的な会話はしていない。

彼のシンセサイザーの腕も大したものだったし、依頼後の時間のなさを含めて考えれば、十分すぎる出来だった。
下手な失敗を打った場面もなく、京一の機嫌を下げるような事はしていなかったと思う。

沸点の低い京一であるが、理由もないのに人を毛嫌いする事はあるまい。
根本的にウマが合わないとか、本能でそれを感じ取って近付かないとか、そういう事はあるだろうけど。
それでも初対面の人間に対して、始終あの顔でいると言う事はないだろう。


ならば、少年と京一が初対面ではなく、京一が彼を苦手としているのでは、と考えるのは自然な事だった。



しかし、少年が呟いたのは予想外の一言。




「─────蓬莱寺、って言うんだね。あの人」





初めて知った。

そんな意味を含ませて呟いた少年─────緋勇龍麻。



彼は、かの人が最初に出て行った扉を見つめ、何処か嬉しそうに笑みを零した。






05
2008/10/12

……京一に続いて、龍麻もなんだか神がかり的な腕を持ってるようです。
凄いね、こいつら!(←他人事のように…)

地味〜に連載になってますね。
なんだか新鮮で楽しいんです。龍麻に対してツンツンな態度の京一が。