駆け寄って来た子供は、どうやら仔犬であるらしい。

耳は三角形で髪色と同じ黒、尻尾は京一よりもふさふさと毛長で、中ほどからこんもりと膨らんでいる。
猫とは明らかに違う形と、左右にぱたぱたと喜びを示す様は、紛う事なき犬であった。


とてとてと鳴滝に駆け寄った仔犬は、ぽすりと鳴滝の膝に突進した。
大きな手が黒い髪をくしゃりと撫でると、尻尾は益々嬉しそうに振られる。
撫でる手に身を任せ、目を細めて気持ち良さそうだ。

鳴滝が初老である事もあってか、二人の様子はまるで孫と祖父のようだ。
まだ其処まで年を取ってはいなかったかな、と八剣はこっそりと胸中で呟く。



一頻り仔犬の頭を撫でてやると、鳴滝は仔犬の肩を押して此方に相対させる。




「龍麻と言う。私の友人の下で保護された」




今日は鳴滝がその友人に代わり、保護者代行として仔犬────龍麻をこの公園へ連れて来た。
同じ動物とヒトの間にある、京一と逢わせる為に。


ぺこり、と龍麻が深々とお辞儀をする。
あまりに深く頭を下げたものだから、背中のフードが頭に落ちて被さってしまった。

頭を上げてフードを脱ぐと、黒真珠のような大きな瞳が京一を捉える。




ばっちり、眼が合った。




「この子は京一と言います。ほら、京ちゃん」
「…………」




挨拶を促して背を押してみるが、京一は八剣の陰に隠れたまま動こうとしない。
八剣の上掛の裾を掴み、真一文字に口を噤み、目尻を尖らせている。

……完全に警戒姿勢だ。


八剣は屈んで京一と同じ目線の高さになると、厳しい顔つきの京一に笑いかける。




「京ちゃん、ご挨拶しようか」
「…………」




耳の裏をくすぐって言ってみたが、京一は微動だにしない。


困った。
八剣は眉尻を下げた。

助け舟を出してくれたのは、苦笑して此方を見詰めていた鳴滝だった。




「知らない人間が相手とあって、緊張しているのだろう。普段、お前以外の者とは会話をしていないのか?」
「いやぁ、するにはするんですがね。紅葉位かな、まともに会話をするのは。後は近付くだけで、どうにも…」




何故だか波長が合うらしい壬生とは、遊び道具の人形の世話もあって、度々顔を合わせている内に仲良くなっていた。
微笑ましく遊ぶような事はないものの、同じ空間にいる事に苦はないようで、最近は人形のリクエストなんかも話しているらしい。

他は女性陣が何かと構いつけたがるが、京一が嫌がって直ぐに逃げてしまう。
机の下やベッドの下に潜り込んで、尻尾を膨らませて威嚇するので、彼女達はあまり近付けない。
お菓子で誘っても疑うような目で見るので、精々挨拶程度が限度だった。


…こうしてみると、身近な人物相手でもまともにコミュニケーションを取っていないような。
それでは初対面の人物を前にして、全身を強張らせるのも仕方がない。



だが、今回はそれを解消する為、館長には足労を願ったのだ。




「大丈夫だよ、京ちゃん。俺や紅葉が世話になっている人だ。怖い事はない」




くしゃりと癖ッ毛の頭を撫でると、真一文字だった京一の口がヘの字に歪む。
しかし文句や嫌がる言葉はなく、渋々とした様子で、ぺこりと小さく頭を下げた。

まぁ、及第点だろう。
もう一度頭を撫でて、八剣は曲げていた脚を伸ばす。




「今日はね、京ちゃん。京ちゃんにお友達が出来るようにと思ってね」




友達。
その単語に、京一の耳がぴくりと動く。
同時に、判り易く顔が顰められた。

その様子を見た鳴滝が苦笑し、




「なんだ、言っていなかったのか」
「ええ、まぁ」




外出理由がこれだと言ったら、京一は絶対に拒否しただろう。
だから外に誘った理由を内緒だと言って、黙ったまま、此処まで連れて来た。

京一は、騙された気分になったのだろう、眉間に皺を寄せて八剣を睨んでいる。
宥めるように頬を撫でてやると、かぷりと噛み付かれてしまった。
痛くはないが、完全に機嫌を損ねてしまったのは確かだ。


警戒心を剥き出しにする京一と、苦笑して返事を濁す八剣に、鳴滝は事情を察してくれたようだ。
仕方のない奴だ、とまるで八剣までもを子供扱いして嘆息を漏らす。




「初めまして、だな。京一君」
「………」




語りかける鳴滝に対し、京一は無言。

此処に来てから、京一は一言も喋っていない。
更には八剣の着物の裾を掴んだまま、ずっと話そうとしていなかった。
この緊張を解かない限りは、此方を見詰める仔犬とのコミュニケーションも難しそうだ。


鳴滝は、返事をしない京一に気を悪くした様子もなく、続ける。




「龍麻は、君と同じ年頃だ。龍麻は犬で、君は猫のようだが、仲良くしてやってくれ」




尖った瞳を見詰める鳴滝の目は、優しい。
これで仔犬と並んでは、祖父と思われても無理はないのではないかと、八剣は思う。



ともかく。
先ずは子供同士のスキンシップをさせてみよう。
その考えは鳴滝も同様だったようで、龍麻の手を引いて此方へ歩み寄ってくる。

龍麻は鳴滝に手を引かれるまま、とてとて、近付いて来た。
尻尾は少し項垂れているが、申し訳程度に左右に揺れてはいるので、此方に関心を持ってくれているようだと判る。


八剣も、陰に隠れたままの京一を前に押し出そうとした─────その時。






「フ─────ッッ!!!」






これでもかと言わんばかりに尻尾を膨らませて、我慢の限界とでも叫ぶように、仔猫は威嚇の声を上げた。






2010/03/11

うちの京ちゃんは超が付く人見知りで、警戒と威嚇は基本的にセットです。
龍麻も人見知りですが、彼の場合は警戒する前に近付こうとしない。
社交性が身についてるのは、案外龍麻の方かも知れない。空気読みすぎて読んでないって言われるけど(爆)。