申し訳ないやら、気まずいやら。
右に仔猫、左に人一人分の隙間を空けて館長、その向こうに仔犬と並んだ状態で、八剣は短い溜息を吐いた。


八剣が溜息を吐くのは珍しい。
いつでも表情や感情を表に出さないのが、八剣と言う人間だ。
怒哀楽の殆どを喜にまとめ、表情は口角を上げて眦を細める、それが基本であった。

いつからか癖のようになった表情の造りだから、多少の事で揺らぐことはなく、また崩れることも当然ない。
だと言うのにそれが剥がれて、挙句判り易く溜息など漏らしている時は、相当のダメージを負った証拠であった。



八剣自身、他者の目や奇異の眼差しと言うものは気にしない性格であると自覚がある。
だが拳武館に入ってから世話になっている鳴滝に限っては、流石にそうとは言い切れない自分がいるのも、また事実。




(此処まで嫌がるとはねェ)




目下、八剣の頭痛の種となっているのは、隣に座っている仔猫だ。


近付いて来た見慣れぬ人間と仔犬に、目一杯警戒して尻尾を膨らませたのは十分程前の事。
宥めすかして落ち着かせるまで五分の時間が経過し、今の並びでベンチに座ってから約五分。
仔猫はぶすっと頬を膨らませ、耳だけがぴくぴくと動き、今も仔犬と鳴滝の動向を意識しているのが判る。

そんな風に判り易く警戒された鳴滝は、特に気を悪くした様子もないが、当惑したのは確かだろう。
唸る子猫の様に、数瞬だが狼狽したのが八剣には判った。
仔犬に至ってはすっかり落ち込んでしまったようで、耳も尻尾もしょんぼりと寝てしまっている。


人見知りが激しい上、八剣以外とは限られた人間としか接していない京一だ。
警戒する気持ちが理解できないとは言わない。

だが、こうまで露骨に嫌がるとは思わなかった。




ゴホン、と咳払いが聞こえた。
無論、鳴滝だ。




「少々、性急過ぎたかな」
「……かも、知れません」




眉尻を下げて言う鳴滝に、八剣も眉尻を下げる。
仔猫はぶすッと、仔犬はしょんぼり。


そもそもが騙して連れて来たようなものだ。
京一にとっては、それが余計に不興となったのは間違いない。

龍麻は────鳴滝がなんと言ったかは判らないが、鳴滝に手を引かれて近づいて来た時は、僅かだが嬉しそうに尾を揺らしていた。
鳴滝の事だから、子供を不安にさせるような事は言っていないだろうし、人見知りとは言っても興味がない訳ではなさそうだ。
仔犬は仔犬なりに、不安もありつつも、楽しみにしていたのではないだろうか。
…それを真っ向から拒絶されたとあっては、落ち込むのも無理はない。

最初からあった温度差は、露呈してからはマイナス一方に傾いていた。



とは言え、このまま「ではまた今度にしましょう」とは言えない。
人様の子を借り出して貰った訳だし、此処で挫折をすると京一は本格的に孤立してしまい兼ねない。
こういう事は、幼児期からの積み重ねになるのだから。




(なんだか父親じみて来てるね)




今更ながらに実感して、八剣は口角を上げる。
そんな歳でもない……訳でもないので、こうなるともう笑うしかないようだ。


一先ず、もう少し京一を落ち着かせる必要がある。
その為には、何も言わない彼の口を、少しずつ緩めてあげなければ。

失礼、と鳴滝に断りを入れて、八剣は京一を抱き上げた。




「ちょっと向こうに行こうか、京ちゃん」




京一は応えない。
けれど、嫌がって暴れようとはしなかった。

変わりに、いつもは絶対に伸ばされない、肩を掴む小さな手。



砂場を挟んだ反対側、距離にして30メートル程の場所に、もう一つベンチがある。
其処まで来ると、公園の真逆の位置に座る鳴滝と子犬は、姿は見えても表情までは読めない距離となった。
此処まで来れば、大声でも出さない限り、あちらに声は聞こえない。


ベンチに京一を座らせて、八剣は隣には収まらず、仔猫の正面で膝を曲げた。
目線を合わせて京一の顔を覗き込んでみると、京一の目線は逃げるように彷徨って、斜め下を睨んだ。

どうやら、自分の行動が招いた結果と、それによる八剣達の反応の意味を理解しているらしい。




「怒っていないよ」




ヘの字に噤んだ口と、気まずそうに彷徨った瞳に、八剣は笑みを浮かべて言った。
すると、眉根を寄せて上目で此方を見つめてくる。
嘘だろ、と大きな瞳の奥から声が聞こえた気がした。




「大丈夫、怒っていないよ。俺の方こそ悪かったね、こんな形で連れて来て」
「………別に」




ぽつりと呟かれた言葉。
なんだか、随分久しぶりに声を聞いたような気がした。




「ただ、あんなに怒った理由を教えてくれると、嬉しいんだけどね」
「……………」
「無理にとは言わない。ただ、館長には少々無理を言って来て貰ったものだからね」




言ってから、なんだか説教じみてはいないだろうかと考える。

怒っていないと先に言った。
言ったが、どう言えばそれが判り易く、はっきりと伝わるのか。
仔猫は気難しいので、中々容易な事ではない。


それでも、察しの良い仔猫はしばらく沈黙した後で、




「…………犬………」
「うん」




零れた言の葉は、小さくて、聞き逃してしまいそうな程だった。




「………犬、」
「京ちゃん、犬は嫌い?」
「…………」




こっくり、頭が縦に動く。




「噛むし……ぎゃんぎゃん煩ェし」
「あの子は噛まないし、静かだよ」
「……追い掛け回して来るし、しつこいし、」




京一は、八剣に拾われてから殆ど外に出ていない。
だから恐らく、八剣に拾われる以前の話だろう。

相当怖い思いをしたようだ。
八剣と一緒に外に出た時、見かけるのはリードのついた犬ばかりで、それにはまるで怯える事はなかった。
が────それは意地っ張りのプライドが邪魔をしていただけで、本当は怖かったのかも知れない。


それと友達になれなんて、一朝一夕の簡単な話ではないだろう。


ぐす、と鼻を啜った京一の瞳は、じんわりと滲んで揺れている。
吼えられて追い回されて、噛まれた時の恐怖を思い出したのだろうか。

八剣は涙の滲んだ目尻を指で拭って、くしゃりと頭を撫でてやる。




「大丈夫。あの子は噛まないし、煩くしないし、追い掛け回したりしないよ」
「……犬じゃん、あいつ」
「犬が誰も彼もそうと言う訳じゃない。うちの周りに来る猫にも、色んな猫がいるだろう」
「……あいつら猫で、あいつは犬だ」
「どれも同じさ。大丈夫、怖くないよ」




そんな言葉一つで簡単に恐怖が拭い去れる訳ではないだろう。
けれど、そう言う以外に上手い言葉は何も見付からなかったのだ。






2010/03/11

本当に八剣が父親じみて来ました。って言うか、最早「誰!?」のレベル……
相変わらずうちの京一は、穏やかでない半生を送っていたようです。