朝からどうにも、頭が痛んでいるような気がする。
しかし、のんびりと休んでいるような暇はない。

先日、大学から出された課題の期日が迫っているのに、一向に筆が進まない。
おまけにレポートまで出されたので、これの為の資料が中々揃わない。


それに何より─────預かり子の世話に手を抜く訳にはいかない。



微熱があると実感してきた辺りから、薬を飲むようにしている。
何事も初期の内に対処して置けば、重くなる事もないだろうし、長引く事もない。
自分の為にも、預かった子供の為にも、この心がけを欠かしてはならない。

しかし、如何に注意を払っていても、体のバイオリズムは崩れる瞬間が来るものである。
其処に狙ったように入り込んできたウィルスは、思いの他早い繁殖で、長く体内に居座ってしまう。




「──────コフッ、」




抑え損なった咳に、目玉焼きを食べていた子供が顔を上げる。




「カゼか?」
「…いや。ちょっと喉に詰まっただけだよ」




直ぐに笑みを浮かべて言うが、京一は眉を寄せて八剣を睨む。
嘘ばっか、と。

京一がもう一度「風邪か?」と聞いた所で、八剣は絶対に応とは言わない。
京一もそれは判っていたので、判り易く機嫌を損ねた顔をしたまま、また目玉焼きに齧り付いた。
八剣は喉に詰まったと言う嘘になぞらえるように、トントンと軽く胸元を叩く仕草をした。


今日が日曜日なのは幸いだ。
寝ていても何ら問題はない。

しかし、課題の期日は待ってはくれない。
資料探しが遅れているだけに、今日はそれに費やそうと思っていたのに、この始末だ。
一先ず午前中だけでも休んでいれば、午後にでも図書館に行けるか。



朝食を終えて、八剣が自分の食器をシンクの水に浸していると、カチャカチャと音が聞こえた。
音の元を探すと、京一が自分の食器を手に、台所へとやって来た所だった。




「……京ちゃん、」
「ん」
「…ああ、ありがとう」




京一が自分で自分の食器を運ぶことはあまりない。
その前に八剣が片付けるからだ。


京一は一連の自分に降りかかった出来事から、自主性の意識が強く根付くようになった。
誰にも頼らず自分で全てを片付けるようになり、その意識の強さは年齢不相応な程だ。
お陰で京一は、大人に甘える事が出来ない。

八剣はそんな京一が痛々しく見えて、だから京一の事は代わりに自分が引き受けようと思った。
京一が子供らしく、もっとワガママを言えるように、もう一度甘える気持ちを取り戻せるように。

八剣が京一を引き取ってから約三ヶ月が経ち、京一もそろそろ、そんな環境に慣れて来た頃だったのだが、




「オレもあらう」
「ありがとう。でも大丈夫だから、向こうでテレビ見ておいで」
「……テレビ、つまんね」




頬を膨らませて言う京一に、八剣は苦笑する。
丁度今の時間には、教育テレビでパンダがイメージキャラクターの番組を放送している。
本当は見たくて堪らないのだろうに。


八剣は京一の頭を撫でて、受け取った食器をシンクに置く。
どの道、京一の身長では、踏み台に椅子を持って来ない限り、シンクの上には届かない。
よって、食器洗いの手伝いも出来ない。

京一は頬を膨らませて、ぷいっと拗ねたように視線を逸らして、リビングに戻る。
程なくテレビの電源が入って、子供番組の明るい音楽が流れ出した。


しばしそれを見ていた八剣だったが、





「──────……っと、」




喉奥まで来た咳き込みを無理やり飲み込む。
その際の小さな呟きさえ、京一の耳には届いたらしい。
リビングの方から視線を感じる。

なんでもないよと笑みを向ければ、また拗ねたように唇を尖らせる子供。
京一がテレビに向き直ったのを確認して、水道の蛇口を捻った。


食器洗いが終わったら、少しの間寝室で休んでいよう。

食器を洗う手付きがいつもよりも雑になり勝ちなのは、体がだるい所為に他ならない。
頭痛は起きた時よりも落ち着いているが、いつぶり返すか判らない。
後で体温計で熱も計って、子供にはなるべく近付かないようにしなければ。
それと、拗ねた子供を宥める方法も考えないと。



濡れた手をタオルで拭いて、八剣はリビングに戻る。
京一はもう振り返ることはなく、テレビのパンダをじっと見ていた。




「京ちゃん、俺、少し休むから」
「ん」
「何かあったら直ぐに呼ぶんだよ」
「…ん」




聞いているのかいないのか、曖昧な返事。
それでも、子供が勝手に外に出る事はないだろう。


リビングと寝室のドアを開け放ったままにして、八剣はベッドに横になる。
子供の姿は、辛うじてドアの隙間から確認する事が出来た。






出来るだけ早く、回復できるように。

テレビを見詰める子供の横顔を眺めながら、八剣は長い息を吐き出した。








2010/08/28

珍しく八剣が体調不良な話。