走って走って。
歩いて歩いて。

進み続けてようやく立ち止まった時には、森の中はすっかり夜闇で暗く溶けて。
月明かりが差さないほどに深い森の只中で、子狐はそうっと後ろを振り返る。
怖いものはもう追い駆けて来ていなくて、ほっとしてぺたりとその場に尻餅をつく。


はぁはぁと小さな口から苦しげな呼吸が繰り返され、額からは玉の様な汗が溢れ出して止まらない。
拭ってくれる人がいなかったから、子狐は自分の腕でそれを強引に拭い取った。




それからぼんやり頭上を仰いで────見慣れない景色に、辺りをくるりくるりと見回して。




「………やべェ」




子狐は、今まで一人で遠くに行った事がない。
父も母も許さなかったし、行こうとしたら姉に尻尾を捕まえられて止められた。
一番小さな子狐を、親も姉も一人で歩き回らせることはしなかった。

それが今、生まれて初めて、見知らぬ場所に一人でぽつんと存在している。



立ち上がってもう一度辺りを見回した。
やっぱり見覚えのない風景しかない。

無我夢中で周りを見ないで走り続けていた。
怖いものが家に来たらいけないと思ったから、家とは反対方向に向かって真っ直ぐに。
……だから多分、此処は家ととても離れた場所で。




(……どうしよう)




来た道を戻れば良い。
でも、来た道って何処?

子狐は何も判らなかった。


─────一歩踏み出す。
じっとしていたって、どうせ何も変わらない。
迎えに来てくれる人は、きっといない。

姉が昨日から体調を壊したから、母は姉から離れられない。
だから食べ物を探す父に、自分は付いていったのだ。
その父は、もう。



……じわり、視界がぐにゃぐにゃ歪む。




(ダメだ)




泣いたらダメだ。
泣いたってダメだ。


歩かなきゃ。
歩くんだ。

どっちに向かえば良いのかは判らなかったけれど、とにかく、真っ直ぐ。
方向がどんなに曖昧でも、立ち止まって何もしないよりは良い、だって迎えに来てくれる人はいないから。
だったら、見た事のある景色が見える場所まで、自分で歩いて行くしかない。




ほう、ほう、ほう。
ちちちちち。

きしきしきし。
りりりりり。
がさがさ、がさ。




あちらこちらで鳴る音が、怖くて怖くて仕方がない。
森の中で暮らしているから、夜の森だって当たり前に見てきた筈なのに、今だけ無性に怖くて仕方がない。

鳥が爪や嘴を剥き出しにして降りてきたらどうしよう、自分じゃまだ太刀打ちできない。
草葉の陰から大きな狼が出てきたりしたらどうしよう、そうだ、その狼にさっき自分は追われていたんだ。
じゃあこのまま戻ったりしたら、待ち伏せしている狼達に出くわすかも知れない。
でもこっちに進む以外に、向かう方向もなくて。


守ってくれる人がいないから、いつも守ってくれた人がもういない。
それがこんなにも心細い。

それだけ、父はいつも家族を体を張って守ってくれていたんだと、今になって知る。
庇護の存在が消えたと言う、何者にも変え難い喪失感と引き換えに。




がさり、茂みを押し分けて歩いた。
その時、もっと向こうの茂みの奥で、何かがぎらりと目を光らせた。




(……なんかいる)




狼? 熊? 梟?

なんだっていい。
どれでも怖い、だってそれらは大人を襲うことはないけれど、子供は襲って来るものだから。



そっと音を立てないように、横に横に足を動かせる。
闇の向こうで光る目は、子狐を追っては来なかった。

気付いているのか、いないのか。
どっちにしても、このまま見逃してくれるなら、子狐にとっては有難い。
悔しいけれど、子狐じゃ何が来ても勝てないから。


ずり、ずり、ゆっくり、横に、横に。
草葉に隠れる事が出来たら、しばらくは動かないでじっとしていよう。
朝になるかも知れないけれど、それならそれで、夜に歩き回るよりはもう少し怖いものも減る筈だ。





そっとしゃがんで、そっと足を動かして、体を運んで─────よかった隠れられた、そう思った瞬間。






──────バキン!!!






酷い衝撃と痛みが、子狐の右足に食いついた。








2009/02/25

いたたたたたた(泣)!!
いや、痛いの京ちゃんだ!!

京ちゃんに怖い思いと痛い思いばっかさせて御免なさいぃぃ!