うだる暑さの中、都会のビル群の中にとある変化があった。


居並ぶ店にはサマーセールの看板が溢れ、涼しさを思わせるイラストやステッカーが窓を彩る。
それも見慣れた頃になると、次に現れたのは、街灯と街灯を繋ぐ線と、ぶら下がる提灯。
それから交差点傍の掲示板に、夏祭りや花火大会、サマーフェスタのお知らせのチラシが貼られるようになった。

夏祭りやサマーフェスタ当日となると、その日限りの出店がずらりと構えられる。
冷たいアイスキャンデーやカキ氷、アイスクリームは勿論、空いた小腹を満たそうとホットドッグや焼き蕎麦も売れて行く。



祭りと言うのは独特の雰囲気を持っている。
浮かれた空気と言うか、浮かれて良いと許されているような気がして、ついつい皆ハメを外したくなってしまう。
特に子供は、そうした雰囲気に敏感で、うきうきと落ち着かなくなるものだ。

─────けれど。




「夏祭り?」




いつものように師に稽古をつけて貰った後。
アンジーに痣の手当てをして貰いながら、京一は今し方告げられたばかりの、ビッグママの言葉をオウム返す。

ビッグママは煙管から吸い込んだ煙を吐き出し、小さく笑みを浮かべて頷いた。




「ああ。出店も結構あるし、少し遊んで来たらどうだい?」
「いいわねェ。ね、行きましょ、京ちゃん」




去年の秋に『女優』に住み込むようになった少年は、賑やかな事が好きだった。
背伸びしたがりな気質で、そう言った事に誘うと、最初は渋った顔をするのだが、最後はしっかり楽しんでいる。
冬のクリスマスや正月、春も祭りごとには夢中になっていた。

だからビッグママもアンジーも、きっと楽しみにしているだろうと思っていた。
意地っ張りで天邪鬼な性格だから、自分から行きたいとは言わないだろうと、背中を押すつもりで言ったのだ。


しかし、予想に反して、京一は眉根を寄せた。




「……やめとく」
「アラ、どうして?」




マメだらけになった右手。
テーピングを終えた其処をぎゅっぎゅっと握り開きしながら、京一は俯いた。




「どーしてって…どうせ人ゴミになってんだろ。面倒だし、眠いし、行かねェ」
「美味しいお菓子もあるわよォ」
「……いい、行かね」




手当ては終わり、とばかりに、京一はソファを降りた。
立てかけていた木刀を握って、足早に店の奥に引っ込んでしまう。

思っていた反応と違う様子に、ビッグママとアンジーは顔を見合わせた。



『女優』の面々は皆京一を可愛がり、京一もまた、『女優』の人々に懐いてくれている。
小さな子供の存在は、『女優』の従業員は勿論、常連客にも受けているようで、この辺りではちょっとしたアイドル状態だ。
生意気ながらも愛嬌があり、天邪鬼でも感情が素直に面に出るのが子供らしくて可愛いと評判だった。

けれども、此処は幾ら地区の端にあるような場末の地でも、日本一の不夜城である歌舞伎町だ。
十を越えたばかりの子供が、ある筈の家にも帰らず、定着して良い場所とは言えない。
増して夕暮れを過ぎた時間に外を歩き回るなど、以ての外だ。


京一を連れて来たのは、ふらりと現れてはふらりと消える、一人の男だった。
京一の剣の師と言う立場であるが、彼が何処で京一を拾って来たのかは誰も知らない。
わざわざ二人がそれを言う事もないし、何より、此処は過去に関する詮索はしないのが暗黙の了解となっている。
例え相手が小さな子供でも、子供自身が“そういう場所”だと理解しているから、誰も問う事はしなかった。


─────だから多分、その“暗黙の了解”の中にある出来事が、小さな子供の琴線に触れたのだろう。
構われることを拒否するように店の奥に消えた小さな背中を思い出しながら、アンジーは小さく溜息を吐く。




「折角のお祭りなのに……」




楽しいはずの夏祭り。
だが、京一にとっては、どうやらそうではないらしい。

きっと楽しんでくれるだろうと思っていたものだから、アンジーの落胆も大きかった。
ビッグママも同じ心境なのか、珍しく眉尻を下げ、煙管を指先で遊ばせる。




「嫌がるのなら仕方がないけどねェ……」
「でも楽しんで欲しいわァ。京ちゃん、笑うとすっごくカワイイんだもの」




アンジーが京一を夏祭りに誘ったのも、全てはその為だった。


京一は急ぐように強さを求めている。
その姿は、見えない何かを必死で追い駆けているようにも見えた。

彼はまだ小さな子供だから、必死になるのと同じ位、楽しいことに夢中になって良い筈だ。
けれどもやっぱり子供だから、必死になってしまうと、必死になっている事以外が見えなくなる。
だからガス抜きの意味でも、些細な事でも良いから、連れ出してあげたかった。

そうして京一が無邪気に笑ってくれるのが、アンジーには一番の楽しみだったのだ。



しかしビッグママが言う通り、本人が嫌がっているのなら、連れ出すのは酷と言うもの。




「花火も綺麗だから、きっと喜んでくれると思ったのに。残念ねェ」




アンジーは、店の壁に貼られたポスターを見遣った。
其処には、大輪を咲かせた花火の写真が写されている。




「花火くらいなら、祭り会場まで行かなくても見れるかもね」
「でも、そんな場所あったかしら?」
「さて……」




『女優』の店は川沿いにあるので、見通しは良い。
しかし遠くまで見渡せるかと言うとそうではなく、直ぐに対岸のビル群にぶち当たってしまう。
反対側も勿論、ビルやら看板やらが並んでいるので、遠い空など見えなかった。

花火が然程遠くない河川敷で行われるのであれば、店から臨む事も出来ただろう。
しかし打ち上げ場所は此処よりも上流で、川は大きくカーブを描いている為、恐らく見る事は叶わない。




「京ちゃん、最近元気がないみたいだから、良い機会だと思ったのに……」




梅雨を過ぎ、真夏の暑さに都会全体でヒートアイランド現象が起きて。
小学校は夏休みを迎えたのだろう、昼間に外を駆け回る子供の姿が見られるようになった頃。
京一は思考に沈むことが多くなり、それを振り払うように稽古に励むようになった。

真夏の炎天下で稽古など、無茶をすれば直ぐに熱中症なり日射病なりで倒れてしまう。
実際、既に一度、師が休めと言うのを聞かずに稽古を続けた所為で日射病になり、桜ヶ丘中央病院に運ばれ、岩山から厳重注意を貰っている。


京一は確かに強くなる事への執着が強いが、それでも最近の様子は少し違和感があった。
まるで何かに追い立てられているかのようにも見える。




頬杖をついて溜息を吐くアンジーに、ビッグママはこればっかりは仕方ないね、と宥めるのが精一杯だった。






2011/08/16

なんか夏祭りネタを…と思ったのに、またトラウマ発動ですみません(汗)。