「なあ、何処行くんだよ」




手を引くアンジーについて歩きながら、京一は問う。


時刻は夜の八時を過ぎている。
こんな時間に外を歩き回る事に抵抗はない京一だったが、それも一人でいればの話。
アンジーにこうして手を引かれながらと言うのは、どうにも気恥ずかしさがあった。

それに何より、何処に連れて行かれるのか判らない、と言う事が、京一の心にこっそりと不安感を煽っている。
一緒にいるのがアンジーなので何も心配する事はないのだろうけれど。



アンジーの方はと言うと、にっこり笑みを浮かべていて、




「イ・イ・ト・コ・ロ♪」
「………」




ウィンク添えで言われて、京一は判り易く顔を顰める。
信じている相手なのだが、一気に胡散臭さを感じてしまったのは、無理もない。

けれどもアンジーは足を止める様子はなく、京一もそれを無理に止めようとは思わなかった。
どうせ暇だったしいいか、と思う事にして、素直にアンジーについて行くことにする。



しかし、アンジーが此処よ、と言って示した建物を見て、京一は絶句した。




「……兄さん、此処……」
「友達の旦那さんのお店でね。あ、話は通してあるから、大丈夫よん」
「じゃなくて、……おいって!」




構わず手を引かれ、京一は踏鞴を踏みながら追う形になる。



その建物は随分と古いのか、それとも手入れが雑なのか、一見すると埃っぽかった。
出入り口の傍の自販機の周りには、空き缶が転がり、添えられているゴミ箱は一杯になって溢れている。
壁にはどう考えてもトラブルの痕と見られるものが残っていた。

だが、それらよりも何よりも、京一が目を剥いたのは、目に痛い程にきらきらと光る電飾の看板である。
それも明らかにイカガワシイ雰囲気で。


所謂、ラブホテルと言うものだ。


歌舞伎町で日々を過ごしている京一だから、そういう建物があるのは気にしなかった。
おまけに住み込みしている場所が場所なので、下世話な話も耳にする事はある。
その為、京一は“耳年増”であったと言って良いし、このホテルが何の為に存在しているのかも知っている。

だが、まさか自分が其処に入る事があろうとは思わなかった。
『女優』の客で、京一を前に殊更に下ネタを連発し、アンジーやビッグママに警告を貰う男性を見て、「ガキに聞かせる話じゃねェよな」と思う程度には、京一の倫理観はまともであった。
それがあまつさえ、アンジーによって連れて来られるなどと。



なんでオレがこんな所に入るんだ。
何考えてんだ、兄さん。

パニックからそんな事を考えながら、京一はとにかくアンジーの後ろをついて行く。
アンジーが何を考えているのか判らないのも不安だったが、今此処で彼女から離れるのも危険な気がしたのだ。


しがみつく京一をつれて、アンジーはレセプションに向かう。




「ハーイ。久しぶり」
「おう、アンジョリーナか。部屋なら開けてあるから、ゆっくりして行きな」
「アリガト。ごめんなさいねェ、こんな時期に。埋まってたんでしょ?」
「いいや、運良く空いてたよ。ま、こんな所よりもっと良いスポットはあるだろうからな」
「あら、結構良い穴場なのに」




差し出された鍵を受け取って、アンジーは踵を返した。
京一の手を引きながら、彼女はエレベーターへと乗り込む。

ガコン、と狭い箱が動き出し、その一瞬の不自然な浮遊感が気持ち悪くて、京一はアンジーの手を強く握った。



ちらりとエレベーターのフロアボタンを見てみると、最上階のボタンが押されている。


其処に着くまでにエレベーターは何度か停止し、一階に下りる目的だったのだろう、利用客の姿を見た。
若い女と男、若い女と初老の男、化粧の濃い女と冴えないサラリーマン────組み合わせは様々。

京一は、多分自分は見ない方が良いものなのだろうと、アンジーの影に隠れた。
アンジーもそんな京一を庇うように、そっと利用客たちの目から遠ざける。



やがてチン、と音がして、エレベーターは最上階へと到着した。
アンジーに手を引かれながら、京一はきょろきょろと辺りを見回す。

このフロアは今までの階とは違い、廊下には綺麗な刺繍の施された絨毯が敷かれている。
照明もきちんと磨かれ、壁は所々シミがあるものの、階下の酷さに比べれば些細なものであった。
ドアも安っぽいものではなく、モダン風に仕立てられてある。


アンジーが立ち止まったのは、フロアの真ん中にある部屋の前だった。
鍵を開けて中に入ると、電気は消されているのに、窓のカーテンは開けられている。




「ちょっと早かったかしら」
「何が?」




アンジーの呟きに京一が問い掛けた、直後。
どぉん、と言う大きな音が響き渡った。




「───────花火!!」




窓の向こうに咲いた大輪に、京一は駆け出した。
ベッドに乗って窓を開け、窓枠から身を乗り出して遠く輝く空を見詰める。


ひゅう、ひゅう、と細い音が鳴り、どぉん、どぉん、と破裂する音が静寂を破って木霊する。
腹に響くほどの重厚な破裂音の度、真夏の空は色鮮やかな光を放つ。

窓辺に張り付いた京一の後ろで、アンジーもベッドに腰を下ろした。
彼女の目には、花火は勿論、それに釘付けになる少年が映っている。




「すっげ、でけェ!」
「そうねェ。あ、また上がったわ」
「わッ、うわッ、音でけー! すげー!」




破裂音と共に銀色の閃光が弾け飛び、名残の線を残しながら下へと落ちていく。
遠い筈なのに視界全体を覆い尽くす光の束は、間近で見たらどれ程の大きさだろうか。

続いて二つ三つと続けて打ち上げられる。
ひゅう、と言う音が連続した後、空で火の明かりが消え、ドン、と言う音が三連発。
けれども空には花が咲かず、京一が不満げに眉根を寄せた。




「なんだ、失敗─────」




か、と言う言葉が零れる前に。
沢山の花があちこちで一気に咲き乱れ、黒一色だった空を明るく輝かせる。

時間差で打ち上げられたものが後を追うように弾けて咲く。
消えるものの隙間を縫うように、後から後から開く光の花に、京一はすっかり心を奪われていた。


やがて、沢山の花々は、ばちばちと遠く名残の音を鳴らしながら消える。




「すっげぇ……」




零れた京一の言葉に、アンジーは小さく微笑み、




「どう? 京ちゃん」
「すっげえ!」




振り返って、きらきらと花火以上に目を輝かせて、京一は言った。


もう同じ言葉しか言っていない。
けれど、それ位に京一は「凄い」と思って感動しているのだと、アンジーにも判る。

クスクスと笑うアンジーに、京一も笑う。




「兄さん、ありがとな!」




少し照れ臭そうに笑う子供。
ああ、これこそが見たかったのだ。





小さな子供が何を思って、何を追い駆けているのか、知る者はいない。
けれどこの子が笑ってくれるなら、きっと自分は何をするにも苦ではない。

だから「また見たい」と言う可愛いお願いを、聞かないなんて選択肢はなかった。








2011/08/16

地元が花火大会やったので書きたくなった。


うちの京一は、夏祭りは父ちゃんのことがあってトラウマ化……でも賑やかなことや華やかなことは好きです。
小さい頃はキラキラしてるものも好き。だから派手な打ち上げ花火も好き。

毎度のことだが、うちの兄さんは京ちゃんを甘やかしすぎ(笑)。
いや、私が京ちゃんを甘やかしたいんですけどね!