萌動




妙な噂を聞いた。
その真偽を確かめる為に、京一は馴染んだ町を離れ、其処から馬車で三日の街へと向かった。



近頃、なんでも奇病が流行っているとの事で、それも感染症の類だと言う。
始まりは大陸の反対側で発生したもので、京一としては関係のない事だと思っていたし、ビッグママも特に気に留めなかった。
しかし此処数週間の内に、同様の病気が大陸のあちこちで確認されるようになり、爆発的な勢いで患者が増えている。

そして五日前、町に最も近い地域で発症したという噂が立った。

この町には通りすがりの冒険者は勿論、近隣の街々とを往来する行商人も多く、物資の搬入も頼んでいる。
財政・物資の殆どを外部からの収入に頼っている町にとって、この病気の噂は、不吉の予兆でしかない。


こうした経緯により、京一は一人、この地域で最も栄えていると言う街を訪れた。




「─────ふむ、ママの紹介か。聞いておるよ」




ビッグママの手紙を渡すと、術衣の老人はそう言って、京一を隔離病棟へと案内した。


……つくづく疑問に思う事なのだが、あの人は一体何者なのだろうか。

自分の意思でふらりと大陸を周る以外に、時折ビッグママに頼まれて、町の外に“お使い”に行く事がある。
その度にこうした場面が起こるのだが、京一は幼い頃から彼女の世話になっているが、この辺りはいまいち判然としない。



心の内の疑問は飲み下して、京一は病棟前で手渡された白の術衣に着替える。
教会で施された神力を纏った衣で、奇病の感染を防ぐのだ。
これも胡散臭ェよなあ、と信心など生まれから一度も持った事のない京一は思う。

とは言え、馴染んだ町は勿論、自分だって感染したくはない。
自分が正体不明の病気の運搬人になるなど御免なので、大人しく袖を通した。


通された病室に横たわっていた人間を見て、京一は顔を顰める。




「……これが病気だってのか?」
「うむ。取り合えずは、そう呼んでいる」




この病院の長だと言う老人は、蓄えた長い髭を撫でながら言った。




「取り敢えずは…ってのは、どういう意味だ」
「現状ではそう呼ぶ以外にないと言う事じゃ」
「つまり、“病気”じゃねえんだな?」




睨むように老人を見詰めて問えば、老人はしばしの間を置いた後、頷く。


ベッドに横たわっている患者は、最早“人間”とは呼べない外見をしている。
皮膚は鱗のように硬質化し、罅割れ、手は骨が浮き上がるほどに痩せ細り、爪が50cmに到達する程に鋭く伸びていた。
口元は裂けて広がり、目は瞼をなくしたように見開かれ、眼球は白い部分が失われ、その形相は悪魔と呼ぶに相応しい。

パーツを拾っても異形と言える姿だったが、それらよりも真っ先に目に付いたのは、肌の色だ。
日焼けしたオレンジでも、死んだ土色でもない、暗く澱んだ青色をしていたのだ。


これの何処が“病気”だ。
京一は顔を顰めて、まだ辛うじて息があるらしい“患者”を見る。




「なんなんだ、こいつは。教会の仕事じゃねェのか」




今現在、大陸のあちこちでこんな“病気”が流行っている。
どう考えても、病院が対応出来るような騒ぎではない。

教会は“神から与えられた力”────神力を操る神官の組織だ。
彼らは大陸の野に蔓延る鬼の退治を筆頭に、鬼の残した呪縛や、人の怨念による呪いを祓う事を生業としている。
今の目の前にある患者の容態が呪いであるか否かはさて置くとしても、間違いなく、此方側の分野だろう。


京一の指摘に、老人は鈍く頷き、





「教会は動いておるよ。しかし手が周らんようだ。彼らよりも、感染力の方が圧倒的に強く、早い」
「……けッ、役立たずめ」




憎々しげに舌打ちした京一に、老人はそう言うな、と眉尻を下げて苦笑する。

京一はそんな老人に溜息を一つ吐いて、頭を切り替える。
目の前の患者は確かに凄惨で哀れであったが、京一はそれよりも優先すべき事があった。




「で、こいつはオレの町まで広がって来るのか?」
「このままでは、先ず間違いなく。どうも人の往来によって拡がっておるようでな……」
「だったらもう感染してるかも知れねェじゃねえか。どうすりゃいいんだ。そもそも、こりゃ治るのか?」




発症しても治せるのなら、まだ救いようがある。
こんな姿になった事を心の傷としても、またあるべき人間の姿に戻れるのなら。

しかし京一の問いに、老人は沈黙する。
それが何よりの答えだった。




「教会の神官サマは何してやがる。鬼退治に夢中ってか?」
「治療部の者が地域別に連携して、これの治療と研究に当たっておる」
「で? 神官の誰か一人でも、此処に来た奴はいたのかよ」
「─────………」




また沈黙した老人に、やっぱりな、と京一は吐き捨てる。

いつだって彼らの対応は遅い。
京一はそう認識している。




「一先ず、発症の予兆を確認したら、真っ先に隔離するしかない。今はそれ以上の事は出来ぬ…」
「臭いモンに蓋すんのかよ。何の解決にもならねェじゃねえか」
「…せめて、発症後の患者のことは、隠さねばならん……誰も、知りたくはないだろうて。いつか我が身にこのような末路が来るなどとは」




老人のその言葉に、京一はその喉を潰してやろうかと思った。

これが“病気”でないとしても、この病院にいる以上、“患者”である事に違いはない筈。
そして老人は医者であり、病院にいる人間とその家族は、“患者”が生きて帰って来る事を望んでいる。


それを、この老人は既に諦めている。



気持ちの悪くなった胸中が治まらないまま、京一は隔離病棟を出た。
真っ白な術衣を脱ぎ、閉鎖を基本とした病棟から出たというのに、息苦しさは消えない。
それが己の精神から来るものだと、京一は自覚していた。

見送る老人に挨拶する気にもならず、京一は足早にその場を離れて行く。
求めた情報が何一つなく、結局、絶望的な確認をしただけだったのも、彼の心に深い影を差す要因となっていた。




今見たばかりの光景を、そっくりそのまま、己の知る人達に入れ替えてみる。
言いようのない絶望感に襲われて、京一はむしゃくしゃした感情をそのまま地面を蹴りつけた。






2011/05/03

……思った以上にダークな話になりそうな。あれれ?