見慣れぬ風景




本当に、此処にいるのだろうか。
きょろきょろと辺りを見渡しながら、葵は浮かぶ疑問に首を傾げる。



葵のいた街は、この大陸で最も大きく栄えた土地にあった。
大陸のあちこちに点在する教会の総本山が置かれ、葵自身も其処に代々務める神官の家系に生まれた。
故に、自分はかなり裕福な家の生まれである事は、幼い頃から子供ながらに自覚があった。

だからこそ驕り昂ぶることなく、自身を律し、献身的になるべく勉学に励み、一年前、自分自身の努力でようやく神官になる事が出来た。
とは言え、まだまだ新人、見習いの身であるのだが。


そんな見習い神官の葵が、何故生まれた地でなく、遠く離れたこじんまりとした町に来ているのか。
あまつさえ、内装は整えられているとは言え、“酒場”と言う場所にいるのか。

全ては、一ヶ月前の託宣によるものであった。



店内を見回す葵に、旅連れである少年が小さく微笑んで声をかける。




「美里さん、こういう所は初めて?」




そう聞かれて、自分の行動が不躾であった事に気付く。
まるで探るように店内を見渡していたと。

慌てて居住まいを正し、少年に向き直す。




「え、ええ。緋勇君は…こういう所は…」
「うーん……慣れてる訳じゃないけど、何度か。先生と一緒に」




優しい面立ちの少年の名は、緋勇龍麻と言う。
一ヶ月前の託宣以来、葵はこの少年と行動を共にしていた。



葵にとって、旅とは未知のものだった。
自分の生まれ育った街を、一歩だって外に出た事がなかったから。

対して、龍麻は修行として師と一緒に大陸の方々を歩いた事があるらしい。
龍麻は旅に不慣れな葵をしっかりと助けてくれて、お陰でこの町に着くまでにもあまり苦労はしなかった。
近年、急激に増える鬼の増殖と凶暴さを除けば、であるが。


そうして一ヶ月の道中を共にした少年は、のんびりとした風で、窓から見える景色を眺めている。
と言ってもガラスの向こうにあるのは、向かいの建物と行き交う人々だけで、特別見目の良いものがある訳ではないが。

なんとなく、龍麻に倣うようにして窓の外を見ていた葵に、龍麻が口を開いた。




「不安?」
「え?」




葵が龍麻を見ると、彼は此方を見ていなかった。
しかし、数拍置いてゆっくりと、来い藍と黒の混じった瞳が葵へと向けられる。




「託宣、間違っていないか、不安?」
「………少し、だけ」




確かめるように繰り返された言葉に、葵は素直に答えた。


神力によって降りて来る“託宣”とは、云わば予言のようなものだった。
違うのは予言や占いよりもはっきりとしたヴィジョンとして、神から教えられる決定的な未来図だと言う事。

だが葵の見た託宣は、ヴィジョンとして見えはしたものの、何処かモヤがかかっていた。
それは葵がまだ未熟な所為なのか、それとも、単なる白昼夢を“託宣”と思い込んだだけなのか。
神官長からもお墨付きを貰いはしたが、葵は、どうにも自信を持てなかった。



気不味そうに龍麻から視線を逸らす葵。
もじもじと手元を遊ばせる彼女に、龍麻は小さく微笑んだ。




「大丈夫だよ」
「……でも……」
「大丈夫」




──────龍麻の笑みは、不思議なもので。
繰り返される優しい言葉と、柔らかい笑みは、見るものに安らぎを与えてくれる。


旅の道中、何度も不安になったり、足手まといになる事を悔やむ葵に、龍麻はずっとそうして接してくれた。
決して弁の立つ人ではない事は、一ヶ月の道程の中で判った。
それでもなんとか葵を励まそうと、龍麻は言葉少なに葵を慰めてくれるのだ。

葵はきゅっと一度強く唇を噛む。
湧き上がる不安を飲み下して、ぎこちないながらも、笑みを浮かべて見せた。




「ありがとう」




葵の言葉に、龍麻がふわりと笑った。
ああ、やっぱり安心する、と葵は思う。

そうして葵は、改めて辺りを見渡した。


綺麗な壁掛けや、細工の込んだ作りのグラスや調度品が置いてあるものの、それらにはどれも薄らと傷があった。
テーブルに据えられた調味料のビンを見れば、色付けされて華やかではあるが、教会で見ていたステンドグラスとは似ても似つかない鈍い光を反射しているばかり。
従業員が歩く度、何処かで軋んだ音がして、ひょっとして床板が抜けはしないかと葵は考えてしまう。

店の外を行き交う人の影が増え、同時に顔の厳つい人間が増えている事にも気付いた。
服装はボロ衣で、汚れが目立ち、突然声がしたと思ったら掴み合いの喧嘩が起きていたりする。



本当に、此処にいるのだろうか。

励まされた筈の心がまた折れそうになるのは、葵自身がこう言った場所に慣れていない所為だ。
そうでなければ、こんな光景は何処にでもあるようなものだと受け容れられただろう。


葵は壁に立てかけていた杖を見る。
先端に埋め込まれたエメラルドが反射して、其処に葵の顔を映し出していた。




思い出すのは、託宣で見た、朧なヴィジョン。




(激しい光と、深い闇)

(温かい氷と、冷たい熱)


(消えていく闇と、覆い潰されていく光)



(光も闇も切り裂いて閃く、刃)






それらのヴィジョンの、更に向こう。


真っ直ぐに前を見据える剣士の姿があった。








2011/07/19

……喋らない二人が並ぶと、会話の進行が大変だ……