サービス




酒場が営業時間になって間も無く、どやどやと団体客が押し寄せてきた。
その人々の風体に、葵は目を丸くしている。
旅慣れた龍麻には見慣れた光景だったのだが、新米旅人の葵には、まだまだ世界は驚きに満ち満ちているようだ。


がやがやと喧騒に包まれた店の隅で、葵は身を小さくしている。
体躯の大きな男達の声が幾重にも重なり、大きく響くので、慣れない彼女が萎縮するのも無理はない。

そんな彼女の前に、温かいコーンスープが置かれた。




「え……?」




葵が顔を上げると、先程テーブルに案内してくれた従業員が立っている。
にこにこと柔らかい笑みを浮かべていて、同じものを龍麻の前にも置いてくれた。




「サービスよん」
「そ、そんな、お金はちゃんと、」
「いいの、いいの。さ、温かいうちにどうぞ」




味には自信があるから、とウィンクして言う彼女に、龍麻はスプーンを手に取った。
一掬いして喉を通せば、コーンの甘くて優しい味わいが胃に落ちて行く。

葵は龍麻の行動を見て、おずおずと躊躇いながらも、同じようにスープを口に運ぶ。




「おいしい」
「あら、アリガト」




緩んだ口元で短い感想を零した葵に、従業員の彼女は嬉しそうに笑う。
それを見た葵は、ようやく緊張が解れたらしく、食事の手も進んで行く。




「お二人は、旅人かしら? 見たコトない顔よねェ」
「はい。今日、この町に着いたんです。あ、私、美里葵と言います」
「アタシはアンジョリーナ。アンジーって呼んでね」




律儀に頭を下げながら名乗る葵に、龍麻はああ、と思い立つ。
無闇に名前のフルネームを名乗ってはいけない事を、一ヶ月も一緒にいたのに、彼女に忠告するのを忘れていた。


この大陸には、名を二つ───所謂ファーストネームとファミリーネームの両方を名乗れる身分と、そうでない身分の者がいる。
名を二つ持つのは、貴族や王族、神官と言った家柄の者だけ。
例外として王族から二つ目の名前を与えられる者もいるが、それらの殆どは城お抱えの者ばかりである。

龍麻も二つ持ちであるが、元を辿れば彼は孤児であり、このファミリーネームも育て親であった人のものだ。
本当の所は何処の生まれで、どういう身分であったのか、龍麻自身も知らない。


─────だから、こうした場で不用意にフルネームを名乗るのは、不埒者に自分を狙ってくれと言っているようなものだった。



従業員は特に気にした風もないようだったが、その向こうにいる男達は違う。
がやがやと騒がしいのは相変わらずだが、時折、不躾な視線が此方に向けられていた。




(今晩、ちゃんと話しておこう)




考えてみれば、今までこうした事態にならなかったのが奇跡のようなものだった。
宿に戻る道筋を少し改めた方が良いかも知れない。
けれども、此方は土地勘などまるでないし────どうしたものか。


思考する龍麻を他所に、葵とアンジーは話を弾ませている。
内容は他愛のないもので、町の名産品や風潮などについてだった。

名産品は剣や刀と言った武器の類で、腕の良い鍛冶屋がそこら中にゴロゴロしている、とのこと。
風潮は荒っぽくて直ぐに揉め事が起こるが、ちゃんとそれを諌める人がいるので、大事になる事は殆どないらしい。




「色々お話して下さって、ありがとうございます」
「いいえ。お役に立てたかしら」
「はい」




またまた丁寧に頭を下げて感謝する葵に、アンジーは眉尻を下げて苦笑していた。
多分、彼女の丁寧過ぎる所作によるものだろう。

アンジーの柔らかな灰色の瞳が、龍麻へと向けられた。




「もう外は暗いから、帰り道は気を付けてね」
「はい」




それが暗い道だけを指した言葉でない事は、龍麻には直ぐに判った。

はっきりとした返事をした龍麻に、アンジーはウィンク一つ。
それから直ぐにカウンター向こうの人に呼ばれ、パタパタと駆けて行く。
後姿を見送って、龍麻は呟いた。




「優しい人だね」
「そうね。色々教えてくれたし」




コーンスープも美味しかったし、と、空になったスープ皿を見下ろして、葵は言った。
うん、確かに、と龍麻もそれに頷くのであった。






2011/07/23

世界観が自分の中でもまだゴチャゴチャしてます(汗)。