安全地帯




アンジーに先導されて到着したのは、数分前に立ち去ったばかりの酒場だった。
先程の事があるだけに、知らず緊張した葵に、アンジーは大丈夫よと微笑んで見せた。

ドアを開けて中に入ると、営業時間はまだ続いていて、忙しなく働く従業員と客の姿がある。
しかし人数は龍麻達が立ち去った時よりもまばらになっており、客の雰囲気も荒々しくはない。
寧ろ落ち着いた雰囲気で、賑やかさよりも厳かな空気すら感じられた。


カウンターの向こうにいるママが煙管を吹かしていた。
アンジーは、龍麻と葵をその前の席へと案内する。

杖をテーブルに立てかけ、葵が脚の長いチェアに腰を下ろすと、ママが口を開く。




「無事だったようだね」
「はい。あの…ありがとうございます」
「構やしないよ。犬の躾は、飼い主の義務だからね」




随分キツい言い方をする。
それに葵が戸惑うように視線を彷徨わせたが、結局彼女に言える事などなかった。

ママは二本のグラスにミルクを注いで、龍麻と葵の前に置く。




「詫びだよ。飲んどくれ」
「そんな……」
「いただきます」




遠慮しようとする葵を遮って、龍麻は言った。
葵としてはコーンスープまでサービスして頂いたのに、と言う所なのだろうが、こういう時の好意は、素直に受け取るに限る。

冷たいミルクは喉に心地よく、走ってきた体を潤してくれる。
自ずと詰めていた息を、龍麻はふうっと吐き出した。




「この町じゃああ言う事は日常茶飯事だ。だからお嬢ちゃん、自分の言動には気をつけな。あんたはカモになる」
「はい。気をつけます、ありがとうございます」
「…だからそういう所が危ないって言ってるんだけどねェ」




やはりきちんと頭を下げて謝辞を述べる葵に、ママは煙に混じらせて溜息を吐いた。
葵はきょとんとして首を傾げており、それを見たママは、龍麻に向かって気を付けなよ、と繰り返した。
それに龍麻が苦笑した所で、カウンター向こうから複数の足音が聞こえて来た。

カウンター奥のドアを開けて入ってきたのは、あの四人。
龍麻と葵を助けてくれた男達だった。




「戻りやした」
「遅いよ」
「すいやせん。なんせ同じようなバカがあっちこっちにいたモンで」
「だろうね。アンタ達、今日はもう危ないから泊まって行きな」




ママの言葉に、葵が思案するように沈黙する。
散々世話になってまた迷惑はかけられない、と思っているのだろう。

しかし、先の会話を思うと、宿に戻る道すがらでまた同じ事態に見舞われるに違いない。
若しかしたら宿泊先も知られているかも知れないし、それでは長旅に疲れた体を休めることも出来なかった。


考え込む葵に、ママはそれらとは別の懸念を持ったようで、




「安心しな。あたし達はアンタらが此処にいるなんて事、バラしゃしないからさ」
「っつっても、あんな目に遭った後だし、信用ねェっスよねェ。アニキがいりゃあなあ」
「それなら元々、こんなバカは起きないさ」
「そりゃそうっスね。はあ、俺達ゃもっぺん見回り行って来やす」




自分達が信用されていないと思っての沈黙。
そう思われていると気付いて、葵が慌てて首を横に振るが、ママはいいんだよと逆に此方が気遣われてしまった。

男達はまた連れ立って、先程通ってきたばかりのドアを潜って行く。
当たり前に周囲が見送る事もしない所を見ると、どうやら習慣らしい。
葵が気にする程の事でもないと言うことか。


葵はなんと返事をして良いか判らないようで、おろおろと視線を彷徨わせている。
やがて、どうしよう、と言う視線が龍麻へと向けられた。




「泊めて貰おう、美里さん」
「でも、」
「宿、結構遠いし。さっきみたいな事になると危ないし」
「………はい」




諭す龍麻に、葵がようやく頷いた。
改めて宜しくお願いします、と頭を下げる葵に、やはりママも苦笑するしかなかった。







2011/09/08

育ちが良い上に真面目なもんですから。
龍麻は旅慣れてるけど、どっか抜けてるから……ツッコミ不在な状態です。