迷い猫、二匹 2


 自分と弟を拾った金髪の男の名前は、クラウド・ストライフと言う。
レオンと、その弟のスコールがそれを聞いたのは、スコールが病院を退院する前日の事だった。

 それまでは、名前を知らなくても特に問題なく生活が出来ていたのだ。
クラウドの家には、クラウドとレオン以外はいなかったから、用事があれば「おい」「お前」などと声をかけるだけで足りる。
クラウドはそれに対し、何度か「熟年夫婦みたいだな」等と言っていたが、レオンにはよく判らなかった。
しかし、弟のスコールが退院する、マンションに来ると言う頃になって、生活に必要な物を買い揃え、歯ブラシなどがごちゃまぜにならないように、名前を書いておこうかと言う話になった時、クラウドの「そう言えばお前達の名前って聞いたっけ?」と言った事で、お互いに名乗らず仕舞いで過ごしていた事に気付いたのである。

 随分間の抜けた話であったが、拾われてようやく、お互いに名乗って自己紹介をした。
自己紹介と言っても、名前と年齢を述べただけの、とても簡易的なものであったが。
勿論、レオンは弟の名前が“スコール”である事、自分より8年遅く生まれた事もクラウドに伝えた。

 ────そして、よく晴れた日の午後、スコールは退院した。

 退院したスコールは、元々の肌の白さもあって些か病弱そうに見えるものの、頬はふっくらとしていて、健康的に見えた。
人見知りが激しいお陰で、クラウドにはあまり話しかけないが、近付かれても怯える事はしない。
兄が彼と一緒に自分の病室に来る事、兄が彼を信頼している事を、彼はきちんと感じ取っていた。
だから、黒衣の金髪男が、施設にいた白衣の人間達のように、痛くて辛い事をする人間ではない事を理解していたのだ。

 スコールは、耳や尻尾を服で隠すのを散々嫌がったが、クラウドの家に帰る間だけだからと宥めて我慢させた。
尻尾も耳も思うように動かない事に、スコールはとても落ち着かない様子だったが、兄にじっとくっついて、初めてのヒトの街を見回している内に、そう言った不満は忘れてしまったらしい。
道を歩く人、走る車、音を鳴らす大きな街頭テレビ……レオンがそうしていたのと同じように、スコールはきょろきょろと辺りを見回していた。

 クラウドのマンションに着くと、スコールはぽかんとしてマンションを見上げた。
レオンと同じように、本やデータでしか知識を得ていなかったスコールである。
覚えている事柄は、兄であるレオンと似通ったものであったから、彼もきっと、素朴な雰囲気を持つ男が“限られた人間”の一人であると知って驚いたのだろう。

 しかし、“限られた人間”らしいとは言え、クラウドの生活は至って普通だった(少なくとも、レオンが知っている限りの知識で言えば、であるが)。
家だけは恐らく豪華なのだろうが、食べる物や衣服に贅沢はしない。
金銭を注ぎこむ物と言ったら、寝室に転がっている大量のゲームソフトくらいのものだと言う。
元々、趣味以外には無頓着な気質らしく、ゲームに熱中するあまりに食事を忘れると言う様子も度々見られていた。
レオンは、自分の体で自分の事を済ませる事が出来るようになると、次第にそんな生活を送るクラウドの事が気掛かりになり、掃除や洗濯など、自分の役目として手掛けるようになった。
世話になりっぱなしであった事も気掛かりだったし、自分の仕事が出来て、恩も返せるとなれば、レオンも居候として少し気分も楽になった。

 自分が入院していたビルよりも、ずっと綺麗なマンションの通路を、スコールは感歎の眼差しで眺めながら歩く。
そしてクラウドの部屋のドアまで来ると、クラウドが振り返り、


「スコール。此処が俺の家で、レオンの家。そしてこれからは、お前の家でもある」


 クラウドの言葉に、スコールの青灰色の瞳がきょとんと瞬いた後、白い頬が赤くなる。
こそこそとレオンの背中に隠れるのは、照れた顔を見られるのが恥ずかしいからだろう。

 クラウドが部屋の扉を開けて、レオンが先に上がり、スコールを促す。
退院準備に買った真新しい靴を脱いで、スコールが玄関を上がった。
レオンが手を引いてリビングへ向かう間、スコールはやはり周りをきょろきょろと見回している。

 リビングに着いて、レオンが被っていた帽子を取ると、スコールがじっと此方を見詰めて来た。
何を言わんとしているのか察して、微笑んで頷くと、レオンと同じように被っていたキャップを取る。
ぴん、と黒い耳が跳ねて立ち上がり、ジャケットで隠していた尻尾も解放されて、嬉しそうにゆらゆらと揺れた。


「───ほら、二人とも。その辺、適当に座ってていいぞ」


 遅れてリビングに来たクラウドの言葉に、レオンは素直に頷いて、スコールの手を引いて革張りのソファに座った。
ゆったりと沈む感覚に、スコールが驚いたように腰を上げたが、レオンが落ち着いているのを見て、もう一度ゆっくりと座る。


「気持ち良いだろ?」
「……ん」


 こくんと頷くスコールの髪を撫でてやる。
耳の後ろを指先で軽くくすぐれば、こそばゆい感覚に耳がぴこぴこと動いた。

 クラウドがキッチンに入って、冷蔵庫を開ける音がした。
ごそごそとしばらく物音が続いた後、レオンとスコールの鼻に甘い匂いが掠める。


「レオンはコーヒーで良いとして…スコールは、コーヒーは飲めるのか?」
「……コーヒー?」
「…ああ、飲んだ事ないのか。そう言えば、レオンもそう言ってたな」


 レオンがクラウドの下で生活を始めたばかりの頃は、判らない事だらけだった。
知識は覚えなければならなかったから、何でも吸収して記憶したけれど、それが“一般常識”の知識だったのかと言われると、よく判らない。
本で得た知識と実物では大きく違う事はザラな話で、実物は殆ど見たことがないものばかりだった。
あの施設で食べていた食べ物は、生きていくのに必要な栄養を必要なものとして摂取できるようにきちんと計算されていて、余計なものは絶対に出さない。
だから、クラウドが日常的に、当たり前に使っている物を、レオンが理解できずに首を傾げる、と言う光景はまま見られるものであった。

 一ヶ月と数週間の間に、レオンも大分物事を覚えたが、まだまだ知らない事は多い。
今のレオンの新しい情報源は、専らテレビであった。
ニュース、バラエティ、アニメ、なんでも見て、其処に映っているものを覚え、判らない事はクラウドに聞く。
これを繰り返して、最近、ようやく街中で見る物事に驚かなくなった、と言う程度であった。

 そしてスコールは、これから色々と勉強しなければならない。


「コーヒーって言うのは……見た方が早いよな。ミルクと砂糖も出しておくか」
「それは良いんだが、さっきからする、この匂いはなんだ?」
「ああ、多分これの事だな」


 そう言ってクラウドが覗き窓の向こうから掲げて見せたのは、小皿に乗せられた、白の土台の上に赤い実がちょこんと飾られている。
レオンは、同じ物をテレビで何度か見たのを思い出した。


「ケーキ?」
「そうだ。退院祝いにと思ってな。お前の分もある」
「俺の?」
「一人で食べるって、あまり気の進む物じゃないだろうからな。少し緊張している所もあるようだし」


 クラウドの言葉に、レオンが弟を見てみれば、彼はソファに腰掛けて、背中を伸ばして固くなっている。
尻尾がピンと立った状態になっていて、彼の胸中を具に物語っていた。

 レオンはそんなスコールの手を引いて、膝の上に頭を乗せてやった。
きょとんと見上げて来るスコールに微笑みかけて、スコールの首下を軽くくすぐってやる。
スコールはごろごろと嬉しそうに鳴いて、腕を伸ばし、レオンの伸ばされたダークブラウンの髪に触れる。


「大丈夫だ。判るな?」
「……ん」


 レオンの囁きに、スコールが小さく頷いた。

 スコールが体を起こすと、もう殆ど緊張感は消えていた。
其処へクラウドがキッチンから出て来て、ソファの前のテーブルにトレイを置く。
其処には綺麗な形のショートケーキとコーヒーが二つずつ並べられていた。

 レオンがスコールにケーキを一つ差し出すと、スコールは顔を近付けて鼻を鳴らす。
くんくんと匂いを嗅いで、よく判らないものだと思ったのか、きょとんと首を傾げていた。
レオンがフォークを取って、一欠けらを口の中に入れると、ふわふわとした甘い味が咥内一杯に広がる。
思わずレオンの眉間に皺が寄った。


「……凄いな、これ……」
「なんだ、駄目だったのか?」
「いや…知らなかったから。初めて食べて、少し驚いた」
「そうか。で、食べれそうか?」
「多分。こんな味だったんだな。スコールも食べてみるか?」
「………ちょっとだけ」


 レオンが眉間に皺を寄せたので、警戒心が出てしまったようだ。
それでも、レオンが一欠けらを差し出すと、おずおずと口を開いて、ぱくりと一口。


「………!!」
「な?甘いだろう?」
「なんだこれ……」
「嫌いか?」


 レオンの問いに、スコールはふるふると首を横に振った。
その反応を見たクラウドが、トレイに乗せていたコーヒーを手に取って、スコールに差し出す。


「じゃあ、こっちはどうだ?」
「………変な匂いがする……」
「俺は結構好きなんだが」


 コーヒーの匂いに顔を顰めるスコールだったが、レオンの言葉に、耳がぴくっと跳ねた。

 クラウドの手からコーヒーを受け取って、スコールは恐る恐る口を付ける。
レオンが猫舌気質であるから、スコールもそうだろうと思ったクラウドにより、コーヒーを少し温めになるまで冷ましてある。
お陰でスコールは、熱い、と火傷をする事はなかったのだが、


「にが………」


 赤い舌をちょろりと出して眉を寄せるスコールに、クラウドがくつくつと笑う。


「そう言う時は、ミルクと砂糖を入れて調整するんだ」
「…レオンも入れる?」
「いや。俺は入れなくても平気だった」
「じゃあこのままでいい」
「無理しなくて良いんだぞ」
「してない。このままがいい」


 頬を膨らませて、このまま、と繰り返すスコールに、レオンとクラウドは顔を見合わせて眉尻を下げた。


「まぁいいさ。入れたくなったら、入れてみればいい。今はケーキもあるし、コーヒーは少し苦いくらいでバランスが良いだろうしな」


 言って、クラウドはまたキッチンに入って行く。
自分の分のコーヒーを入れるつもりなのだ。

 戻ってくるまでぼんやり待つ事もないだろうと、レオンはケーキにまたフォークを入れた。
それを隣からじっと見つめる視線があって、レオンはトレイに残されているもう一つのケーキを指差した。


「お前の分だ。食べていいんだぞ」
「…そっちがいい」
「ん?」


 スコールが指差したのは、レオンの手にあるケーキ。
食べ掛けだし、どちらも変わらないものだと言っても、スコールは「そっち」と引き下がらない。

 くすり、とレオンは笑みを浮かべた。


「じゃあ、交換な」


 レオンは、持っていたケーキをスコールに渡し、トレイのケーキを手に取った。
多分、食べている途中で、また交換する事になるだろうと思いつつ。


「レオン」
「ん?」
「ん」


 呼ばれて振り返ると、スコールがフォークに刺したケーキの欠片を差し出していた。
察して口を開ければ、フォークが近付いて来て、甘い味が舌に触れた。

 レオンがケーキを食べたのを見て、スコールの青灰色が嬉しそうに細められる。
────大切な弟の、そんな顔を見たのは、随分久しぶりの事で。

 ……それだけを残像にして、レオンは意識を手放した。





 目を覚まして、“目覚めた”自覚をした後で、自分がいつの間にか眠っていた事に知った。
眠気があった訳でも、疲れていた訳でもない、意識を飛ばす理由など何もなかったと言うのに。
それとも、無意識の内に何か疲労を溜めていたのだろうか。

 頬に冷たくて硬いものが当たっている。
床であると判ってから、自分がフローリングの上で眠っていたと気付き、レオンは眉根を寄せて起き上がった。
その時、チャリ、と言う小さな音がして、冷たいものが胸に触れた。


「………え?」


 視線を落として、其処にあるものを見て、レオンは目を瞠る。

 首には輪になった革の感触があり、それから落ちる太い銀色の鎖が、肌身の胸の上に当たっている。
着ていた筈の衣服はなくなっていて、日焼けしていないレオンの白い肌が露わになっていた。


(な、ん……だ、…これ……?)


 辺りを見渡して、其処がこの一ヶ月の間で見慣れた寝室である事を知る。
そんな場所の床で寝ている理由が判らない。
その上、裸身でいるなどと。


「……ん……」


 呻く声が傍で聞こえて、弟が其処にいる事を知った。
振り返ってみれば、自分と同じように裸身でフローリングに横たわっているスコールがいる。
首にもまた、レオンと同様に首輪が嵌められ、鎖が繋がれていた。


「スコール!おい、スコール!」


 揺さぶると、スコールは小さく身動ぎをした後、ゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした表情で見上げて来る弟に、怪我や異常がないのを確認して、ほっと安堵の息を吐く。

 スコールがふる、と小さく体を震わせて、レオンに身を寄せて来た。
レオンは、自分よりも細い体を抱き締めて、もう一度部屋の中を見渡した。
今朝掃除したばかりの部屋の中は、変わらず綺麗に保たれているのに、全く違う場所のように思えるのは何故だろうか。
遮光カーテンが引かれて、薄暗い部屋の中、レオンはこの部屋の持ち主である筈の男の姿を探した。


「クラウド…クラウド、何処だ!?」


 外の世界についてろくろく知らない二人にとって、頼れる者は、自分達を拾ってくれた彼しかいない。
意識を失うまで、一緒にいた筈の男の名を繰り返し呼ぶ。

 ────キィ、とドアを開ける音がした。


「そんなに大きな声で呼ばなくても、ちゃんと聞こえてる」


 ゆっくりとした足取りで、彼は寝室に入って来た。
その面を見て、レオンは目を瞠る。


「……クラウ、ド……?」


 じっと見つめる碧眼に、あの柔らかな日差しのような光はなく、冷たいガラス玉が見下ろして来るだけ。
その温度は、レオンとスコールが生まれてからずっと見て来た、あの白衣の人間達のものと酷く似ている。

 レオンの腕の中で、スコールが怯えるようにしがみ付いて来た。
それを強く抱き締めて、レオンは歯の根が鳴るのを堪えながら、クラウドを見詰め返す。


「どう、なってるんだ、これは。首輪なんて、こんな……動物、みたいな……」
「動物?」


 不思議そうに反芻するクラウドの表情は、一切の感情を閉じ込めてしまったかのように無機質だった。


「獣人は、ペット以下。人間様の所有物。そんなのは当たり前だろ?」
「………!」


 ヒトと動物の間に生まれて、その存在価値は動物以下。
その癖、破格の値段で売買される────それが“獣人”。
金持ちしか手にする事は出来ず、愛玩ペットとして扱われるなら遥かにマシな方で、肉体労働や社会奉仕などに出され、ろくな賃金も支払われず、ボロ雑巾のようになって使い物にならなくなったら捨てられる。
人権も主張も何も許されず、ただ人間世界の娯楽の一つとして、意思を持たない手足の一つとして扱われる────それがレオン達“獣人”に対する、世界の有り様だった。

 レオンとてそれを知らなかった訳ではない。
だから外に出る時は耳も尻尾も隠して、動物の本能的行動は出来るだけ抑制するよう努めていた。
知られれば自分がどんな目に遭うのか、最悪、あの地獄に戻らなければならなくなってしまう。
でも、クラウドはいつも優しくて、何も知らない自分達の事を甲斐甲斐しく世話をしてくれたから、世界がどうあれ、優しい人もいるものなのだと思えた。

 思えたのに、結局、こうなるのか。
怯えるように縋り付いて来る弟を抱き締めて、レオンは唇を噛んだ。


「俺達を、どうする気なんだ?」


 うらぶれた路地の片隅で蹲っていた獣人を、わざわざ拾って、闇医者に診せて、手当をして、一ヶ月以上も世話を焼いて。
獣人がペット以下の存在だと言うのなら、どうして甲斐甲斐しく面倒を見るなんて真似をしたのだろう。
一体何が目的なのか、レオンには皆目見当もつかない。

 睨むレオンに、クラウドはゆっくりと歩み寄る。
じり、とレオンはスコールを抱いて後退した。
しかし、床に落ちて伸びていた鎖を踏まれ、鎖が伸び切って逃げられなくなる。


「どうって、そうだな────やってやりたい事は色々あるが」
「……っ…」
「先ずは躾と、自分の立場を判らせないとな」
「────う!」


 踏んでいた鎖をそのまま足裏で引き摺られて、レオンは床に倒れ込んだ。


「レオン!」
「っつ……」


 不安げな声で呼ぶスコールに、レオンは直ぐに起き上がって目を合わせた。
大人しくしているように、と。

 腸が煮えくり返る気持ちはあったが、此処で下手に目の前の男を傷付けるのは得策ではない。
人間社会に置いて、底辺以下の地位しかない獣人である自分達は、何か問題が起これば、真っ先に切り捨てられる身だ。
例え明らかに人間側に非があろうとも、世の法は獣人を守るようには作られていない。

 隙を見て逃げるしかない。
けれど、逃げて何処に行こうと言うのか。
先日、クラウドからも「行く宛なんかないんだろ」と言われて、何も言い返せなかった。
故に、スコールをこの家に連れてきて良いと言われた事に喜んでいたのである。
そう考えれば考える程に、自分達に行く場所などないのだと、野垂れ死にたくないのなら此処にいるしかないのだと、実感させられる。

 ちゃり、と金属の鳴る音がして、クラウドがレオンとスコールに繋がる鎖をそれぞれ拾っていた。
それを持ってベッドに行くと 、端に腰掛けて二人を見下ろす。


「これからお前達は、俺が飼う。生活の心配はしなくていい、俺もちゃんと稼ぎがあるし、猫二匹くらい増えても問題はない。でも俺も慈善家じゃないからな。動物と違って、人間と同じだけの知能と学習能力があるんだから、それなりに働いて貰わないと」
「…働くって言ったって、俺達獣人の働き口なんて、」
「人間社会で働けなんて誰が言った?俺一人で十分食わせていけるんだから、そんなものは必要ない」
「だったら何をしろって言うんだ」
「家事全般でもやってくれると助かるな。お前、出来るだろ?此処に来てからも出来てたから、それはそれで続ければいい。でもそれだけじゃ割に合わない。何せ二匹も養わなきゃいけない訳だしな」


 だから、それで他に何をしろと。
睨むレオンの無言のプレッシャーに、クラウドはうっそりと笑って、


「知ってるか?買われた獣人の大半は、金持ち連中の性欲処理に使われてるって」


 獣人は、生まれる時にモルモットとして扱われるか、愛玩として扱われるかに振り分けられる。
見目の良いものは大抵愛玩として仕分けられ、ビーストショップと呼ばれる獣人を売り買いする店に送られ、金持ち達の手に渡る。
それには見目の良い獣人が選ばれる事が多く、面食いの金持ちには選り取り見取りで、買い取りさえすれば後は自分の好きに出来る為、雄雌問わずにそうした毒牙にかけられる事が少なくない。

 クラウドが鎖を引っ張り、二人はその力に引き摺られて、クラウドへと引き摺られた。
顔を上げれば、見下ろす冷たい碧眼があり、レオンは自分の傍らでスコールが息を飲んだのが判った。


「二人とも綺麗な顔してるし、何処かの金持ちの相手でもしてたんだろ。で、それが嫌になって逃げてきた、と。そんな所か」


 レオンは、クラウドに拾われるまでの経緯について、彼に話していなかった。
クラウドも聞かなかったし、レオンも進んで説明したいような話ではなかったし、クラウドが施設機関に連絡する可能性も否定できなかったからだ。

 クラウドがあの施設に対し、確認などの何某かの連絡を取ったら、間違いなくレオンもスコールも連れ戻される。
それだけは嫌だったから、レオンは出来るだけ、自分達がいた場所の事はクラウドに知られたくないと思った。
この穏やかな外の世界を知った今、もうあの地獄には戻れないから。

 ────結局、此処も形が違うだけの、地獄だったのだけれど。

 何も言わずに唇を噛むレオンに、無言の肯定と受け取ったか、クラウドがにやりと昏い笑みを深める。
そして徐に自身の下肢を指差して、


「溜まってるんだ。相手をしろよ」
「な……そんな事、」
「嫌なら良い。警察に届け出でも出して、飼い主を捜して家に帰してやるさ」


 クラウドの言葉は、立派な脅しだった。
嫌で嫌で逃げた場所に連れ戻されるなど、受け入れられる訳もなかった。

 ぎゅ、とスコールがレオンの手を握る。
見れば、スコールは青い顔をして俯き、震えていた。
施設で散々行われていた出来事が頭の中に甦り、連れ戻されれば再びあの地獄を味わう事になるのを、彼もちゃんと覚えているのだ。
捕まった直後に兄が拷問紛いの実験で散々痛めつけられ、自分の分まで傷だらけになり、死んでしまうかも知れない兄を只管待ち続けなければならない事も。


(戻ったらレオンが死ぬ)
(戻ったら、スコールが壊される)


 ────それだけは、嫌だ。

 レオンが噛んでいた唇を意識して解くと、スコールを背に庇って、クラウドを見上げた。


「……頼みが、ある」
「聞くだけ聞いてやる」


 獣人の願いを聞くかどうかは、気分次第だが。
そう言うクラウドに、レオンは殴り飛ばしたい衝動を堪えながら、言った。


「あんたの言う通りにする。だけど、……相手をするのは、俺一人にしてくれ」
「………」
「スコールは…性教育も受けてないから、多分、これからする事の意味も判らない。やり方だって知らない。だから、スコールは…」


 見逃して欲しい、と蚊の鳴くような声で呟くレオンを見下ろして、クラウドは数秒沈黙した後、


「お前だけでやるんなら、弟の方は要らないな。捨てて良いか」
「待て!そうじゃない。スコールは此処にいさせてやってくれ。スコールの分まで俺がするから」


 レオンの言葉を聞いて、スコールが息を飲んだ。
ふるふると小さく首を横に振って、レオンに縋る。


「やだ、嫌だ……あんた、そうやってまた一人で…」
「…平気だ、スコール。だからお前は下がってろ」


 宥めるレオンだったが、スコールは駄々を捏ねる子供のように、レオンにしがみ付いて離れない。
レオンは、縋る手に自分の手を重ねて、そっと離させる。
不安そうに見上げて来る青灰色に、出来るだけ柔らかい笑みを浮かべるように努めて表情を作り、頬を舐める。

 クラウドは、宥めあう兄弟をしばらく眺めていたが、当てつけるように大きく溜息を吐き、


「別に、俺はどっちでも良いんだがな。お前が一人で二人分出来るなら、望み通りに弟は条件なしで此処に置いてやっても良いぞ。出来るなら、の話だが」


 無理だと思うが、と言わんばかりに見下す碧眼を、レオンはじろりと睨み返した。
止めようとするスコールを下がらせて、レオンはクラウドの開かれた足の間に体を寄せた。

 息を詰めて、ベルトを外し、ズボンのジッパーを下げる。
下着を少し引いて隙間をあけると、ぶるん、と大きなペニスが眼前に現れた。
施設で絵本替わりに与えられていた医学書や辞書、データで見てはいたし、スコールと一緒にシャワーを浴びていた事もあり、何より自分自身も男───雄と言うべきだろうか───だから、男性器の形ぐらいは知っていたし、それが何に使われる器官なのかも判っている。
筈だったのだけれど、目の前にある男根は、自分が知っているものよりも遥かにグロテスクな形をしているように見えた。

 おぞましい形をした肉の塊に、恐る恐る、手を伸ばす。
ドクドクと脈を打つのが判って、レオンは息を飲んだ。
そして、背中に突き刺さる視線を感じて、唇を噛む。


「スコール……あっち、向いていろ」
「いや。駄目だ」


 レオンの言葉を直ぐに却下したのは、クラウドだった。
見上げると、仄昏い笑みを浮かべた碧眼が此方を見下ろしている。


「この際だ。性教育してやればいい」
「……」
「なんだ?随分反抗的な顔するんだな」


 じゃらん、と鎖の音が鳴った。
首輪が強い力で上に引っ張られて、レオンの首輪が喉を圧迫する。
息苦しさに眉を潜めると、圧迫が緩み、レオンは激しく咳き込んだ。


「レオン、」


 スコールの声が聞こえたが、レオンには返事をする余裕はない。
辛うじて視線だけを向けて、じっとしているように、無言で伝えた。
スコールはレオンへと伸ばしかけていた手を留め、居た堪れない様子で腕を下ろし、泣き出しそうな表情でじっと此方を見詰めている。


「ほら、いつまでそうしてるんだ?」
「……っ…」


 にやにやと笑みを浮かべる男に眉根を寄せ、レオンは腹を括った。