迷い猫、二匹 5


 瞼の裏に貫通する眩しさに、レオンは眉根を寄せた。
意識が戻って間もなく襲ってきた頭痛に顔を顰めながら、寝返りを打つ。
すると、胸の下に滑らかなシーツの感触があって、その違和感にレオンは目を開ける。
埋もれたシーツから頭を持ち上げて状態を起こすと、ちゃり……と首の下で金属音が鳴った。


「────……!」


 首輪、鎖、裸身の自分。
意識を失う前の出来事が頭の中で急速に甦って、レオンは嘔吐感に見舞われて、口を覆って蹲る。
胃袋に物が入っている気がしなかったので、吐き出すものは何もなかったが、喉奥から据えたような────そう、粘着質な液体を含んだ時と同じ匂いがする気がして、レオンは身を震わせた。

 ベッドシーツに顔を埋めて、胃や喉から競り上がってくる気持ちの悪い感覚を必死で飲み下そうと耐える。
喉の奥がひりひりと悲鳴を上げているのが判ったが、此処で汚物をぶちまける訳にはいかない。

 そのまましばらく蹲り続け、どうにか嘔吐感が収まると、レオンはもう一度体を起こした。
あらぬ場所から、あってはならない痛みがあるのが判る。
けれども、包められていたシーツを剥がして見分してみても、其処は綺麗に清められていて、内部への違和感も───痛み以外は───ないようだった。


(最悪、だったな……)


 あの施設での環境を考えれば、あれ以上に地獄などないと思っていたのだが、どうやらその考えは甘かったらしい。
飢餓感や行く宛もない孤独感よりも、ずっとずっと酷い思いをしたような気がする。


(でも……)


 ぎし、と隣でスプリングが揺れた。
ベッドの壁側を見れば、丸くなって眠っている弟の姿があって、レオンは小さく安堵の息を吐いた。


「良かった……」


 眠る弟を抱き寄せて、耳の裏に鼻を寄せる。
くん、と匂いを嗅いでみると、ダークブラウンの髪からはシャンプーの匂いがした。
この一ヶ月、レオンも使わせて貰っていた、クラウドが愛用しているシャンプーである。

 カーテンの隙間から、太陽の日差しが差し込んでいる。
意識を失う前、部屋の中はとても暗くなっていたから、詳細は判らないが、あれから大分時間が経った事は確かだろう。
それでもスコールが此処にいると言う事は、弟と引き離される事はなかったと言う事だろう。

 ぺろ、とスコールの額を舐める。
と、んん、とスコールが小さく身動ぎして、睫ふるりと震えた。


「……レオ、ン…?」


 瞼が持ち上がって、ぼんやりと寝惚けている青灰色に見つめられて、レオンは「うん」と頷いた。


「……レオン、大丈夫か……?」
「ああ」
「……本当…?」


 昨日の事を心配してくれていると判って、レオンは泣きたい気分になりながら、それでもなんとか笑顔を作る。
それで弟はいつも安心したように表情を綻ばせていたのに、


「……スコール?」


 じっと見つめる青灰色は、泣き出しそうなまま。
どうしたのだろう、とレオンがスコールを見詰めていると、スコールはレオンの首に腕を回して、甘えるように抱き着いて来た。


「……苦しそう、だった」
「…うん」
「……これから、ずっと、あんな事するのか?」
「……しなきゃいけない、みたいだからな……」


 嘘でも、必要ない、とは言えなかった。
一緒に過ごしている以上、どんなに嘘をついてもバレてしまうだろうし、この地獄の支配者がそれを赦すとも思えない。

 ぎゅ、とスコールが強い力で縋り付いて来る。


「レオンばっかり、辛い思いするのは、嫌だ」
「…大丈夫。辛くない。平気だから」
「嘘吐くな。痛いって言ってた。……俺も、痛かった」


 スコールの言葉に、レオンは耳を疑った。
抱き着いていたスコールの肩を掴んで剥がし、スコールと正面から向き合う。


「俺もって……どういう事だ」
「………」
「スコール!」


 ぎく、と身を固くしたスコールに、レオンは焦れたように声を大きくする。
スコールは肩を縮めて俯いたが、レオンはそれでスコールへの追及を止める訳には行かなかった。

 スコール、と何度も繰り返して弟の名を呼び、肩を揺さぶるが、スコールは唇を噛んで貝のように黙り込んでしまう。
何かあったと言っているようなものだ。
焦れたレオンが徐々に眉根を吊り上げて行くのを見て、スコールは叱られるのを怯える幼子のように、完全に委縮してしまっている。
それが判らないレオンではないのに、今の彼には、そんなスコールを慮ってやる事が出来なかった。


「スコール、」
「────その辺にしておいてやれよ。怖がってるだろ」


 遮る声にレオンが振り返ると、黒のタンクトップにカーゴパンツと言うラフな格好をしたクラウドがドアの前に立っていた。
にやにやとした笑みに、レオンは毛を逆立てて声を荒げた。


「スコールに手を出したのか!?」
「ああ」
「スコールの分まで俺がするって…だからスコールには手を出すなと」
「気絶しただろ?お前」


 噛み付かんばかりの勢いで言い募るレオンに、クラウドは低い声で言った。


「スコールを見逃してやるって言うのは、お前が二人分の働きをした時の話だ」
「お…起こせば良かっただろう!」
「俺はそれでも良かったんだけどな。スコールが自分がやるって言ったんだ」


 クラウドの言葉に、レオンが背中を振り返れば、シーツの端を握りしめて唇を噤んでいるスコールがいる。
 どうして、と零すレオンに、スコールは何も言わない。
けれど、スコールは言葉以上に瞳がその心を物語るのだ。

 沈黙の内側の心を代弁するように、クラウドが口を開く。


「レオンにばかり辛い思いはさせたくない、って所か?」
「………」


 スコールが逃げるように顔を反らすのが、答えだった。
レオンは唇を噛んで、握った拳を震わせる。


「だからって、お前が…お前があんな事する必要、ないだろ…!」
「…だったら、レオンだってそうだろう!」


 弾けたようにスコールが叫んだ。


「あんたにばっかり苦しい思いさせて、俺一人のうのうとしてるなんて、……そんなの、嫌だ……!」


 ぼろぼろと青灰色の瞳から透明な滴が零れ落ちて、シーツに落ちて沁みになって行く。

 泣きじゃくるスコールの言葉に、レオンは何も言えなくなった。
言葉の代わりに抱き寄せれば、スコールが縋るような強い力でしがみ付いて来て、レオンの胸に頬を押し付ける。
溢れる涙がレオンの胸を伝い、その熱さを知って、レオンは唇を噛んだ。


「全く、大した兄弟愛だよな。弟の為に、兄の為に、自分を犠牲にして」
「……誰の所為だと……!」
「自分達の所為だろう。当てもないのに逃げ出して、俺みたいな屑を信用して。人間の世界は、お前達が思い描いていた程、綺麗なものじゃないんだ」


 そう言って、ゆっくりと歩み寄ってくる男から、レオンはスコールを背に隠した。
クラウドはベッドサイドで足を止めると、寄り添って蹲る兄弟を見下ろし、うっそりと笑みを浮かべる。


「拾ったのが俺で良かったな。そうでなかったら、二人バラバラに売られて、今頃ヤク漬けで狂ってたかも知れないぞ?」


 獣人には、人権も立場も地位もない。
どう扱われるのかは、獣人を手に入れた人間次第。

 捨てられた獣人や、売れ残されて行き場を失った獣人の末路は、大概が哀れなものしかない。
レオンとスコールも、施設で実験に耐えられなくなった獣人達がどんな風に消えて行ったのか、聞いた事があった。
蘇生が可能ならば生き返らせて、またボロボロになるまで実験を続けられ、不可能ならば生きていようが死んでいようが焼却場に送られて、殺される。

 そんな可能性があった事を考えれば、クラウドに拾われ、一ヶ月の間養われ、兄弟離れ離れになる事がなかったのは、幸運な事だと言える。
クラウドが何を考えて二人の面倒を見ていたにせよ、彼の気紛れのお陰で、二人は今もこうして同じ場所にいられるのだ。

 レオンが口を噤んで俯くと、スコールが心配そうに覗き込んでくる。
慰めるように頬を舐められた。


「レオン……」


 じっと見つめる青灰色は、泣き出しそうな気配があって、申し訳なさそうにしているようにも見えた。
自分を庇おうとしたレオンの気持ちを、意図せず無駄にする形になった事を、スコールも理解しているのだ。
けれど、レオンはそれに対して怒りなど感じてはいない。
寧ろ、施設にいた頃から、スコールがずっとこうした気持ちを抱えていたのかと思うと、長い間、自分がスコールを傷付けていたのかとも思う。

 抱き締めて頬を寄せれば、背に回した腕にスコールの尻尾が回される。
ふわふわとした毛並の尾に、レオンは知らず口元が緩んだ。


「……ごめんな、スコール」
「………別に……」


 消え入りそうな返事の言葉に、レオンはほっと安堵した。
いつも通りのスコールだ、と。

 互いを慰め合うように、頬を摺り寄せて、顔を舐めて。
尻尾を絡ませ合って、それぞれの体を抱き締める。
此処に、隣に、一番大切な存在がいる事を確かめるように。

 ぎ、とベッドのスプリングが鳴った。
見れば、クラウドがベッド端に腰を下ろし、含みのある笑みを浮かべて此方を見ている。
直ぐにレオンが眦を尖らせたが、クラウドは気にも留めていない。


「俺はお前達をバラバラにする気はないから、その辺は安心していいぞ。どっちも俺が飼ってやる。良かったな」


 恩着せがましく言って哂う男から、レオンは目を逸らした。

 あの冷たくて痛くて辛い地獄から逃げても、結局の所、自分達に行ける場所などない。
だからこれからは、この狭い小さな閉ざされた地獄で、身勝手な支配者の手に縋って生きていくしかない。
唯一の温もりと、じっと、寄り添って。




≫従う猫
辛い思いして生きて来たレオスコ兄弟を淫乱にすべく、クラウドが調教します。
……鬼畜と言うより、外道ストライフな気がする。そんな話です。