湯けむり温泉獅子の受難 7


 民芸品店や土産物屋を散策している内に、空は夕焼け色に変わっていた。
旅館で予定している夕飯の時間まで、あと一時間半となった所で、レオン達は最寄駅に戻り、タクシーで旅館まで帰る事にする。

 駅前は、昼に旅館から降りてきた時よりも、幾らか人の気配が増えていた。
電車通学をしている部活帰りの学生や、慰安を終えて帰るらしい旅行者の姿が見える。
改札前の小さなロビーに並ぶ椅子に座り、談笑する人々の中に、レオン、スコール、クラウドも加わった。


「案外、歩いたな」
「…ん」
「疲れた」


 散策の道程はのんびりとしたもので、特にトラブルもなく、無事に戻って来れた。
普段、車や電車、バスでの移動が当たり前だったので、今日は常以上に足を使ったような気がする。
筋肉痛になる程、普段から運動不足な訳ではないが、疲労の所為か、足の裏がじんとしているような気もする。
それも、旅館に戻って温泉に入れば、筋肉も解れてくれるだろう。

 駅は小さなものだから、待合室と改札、単線のホームしかない。
レオン達が暮らす都会の駅のように、駅全体を囲う壁もないので、待合ロビーの目の前は道路になっている。
その道に沿うように、三台程のタクシーが常時待機するようになっていた。

 小さなロビーに設置された椅子は、全て埋まっている。
座って休憩するのは無理そうだな、とレオンはロビーを見渡してから、スコールとクラウドに向き直る。


「旅館に戻る前に、もう一回行きたい所とか、気になった所とかはあるか?タクシーで帰るから、ついでに寄って貰う事も出来るぞ」
「ん……もう十分だ」
「俺も。あ、でも帰る前に、ちょっと便所行って来る」


 道中、駄菓子屋で見付けたコーラを飲んでいたクラウドは、いそいそとトイレの看板へと向かう。
レオンはそれを見送って、


「俺も行って置くか。スコールも行くか?」
「いや。平気だ、俺はさっき行ったから」


 途中、立ち寄った土産物屋で、スコールは用を済ませている。
そうか、とレオンは手に持っていたペットボトルジュースの入ったビニール袋をスコールに預ける。

 直ぐに戻るから、とトイレに向かう姉を見送って、スコールはロビーを見渡す。
座れる場所はないか、と思ったのだが、やはり椅子は全て埋まっている。
仕方がないと時刻表の横の壁に寄り掛かり、スコールは携帯電話を取り出した。
インターネットに繋いで、ゲームサイトにアクセスすると、カードゲームバトルを始める。

 直ぐに戻る、とレオンは言っていたが、観光地などの最寄駅のトイレが混んでいるのは、よくある事だ。
のんびりと携帯電話を弄りながら、スコールは今日の道中で見たものを思い出す。


(ガラス細工、綺麗だったな。蝶の模様が入ったグラスとか、エルに似合いそうだな……ラグナのは、ガラスなんか渡したら、落として割りそうだから、もっと別の……)


 義姉には彼女が気に入りそうな食器や、可愛いワッペンやアップリケの縫い付けられた巾着袋など、土産に良さそうなものが沢山あったのだが、父への土産にスコールは頭を悩ませていた。
レオンは「お前が選んだものなら、きっと何だって喜んでくれるよ」と言うのだが、それだから余計に悩むのだ。
幾ら思春期で、父への当たりが強くなり勝ちなスコールでも、取り敢えず渡して置けば良い、とおざなりな考えは持っていない。
寧ろ、普段中々優しく接してやれないだけに、きちんと選んだ方が良いと思う。

 ご当地ストラップやキーホルダーは、探せば幾らでも目につくのだが、スコール自身が気に入るものが見つからない。
箸やスプーンなど、民芸品として売られているものがあったので、この辺りから選ぶのが無難だろうか。
そう考えた後で、普段、着古したヨレヨレのシャツばかり着ている父の姿を思い出し、ご当地Tシャツでも良いかな…と考える。
しかし、義姉への土産であるグラスと比較すると、随分と簡単なものに見えはしないだろうかと思ってしまい、やっぱりもうちょっと凝ったものを…と思い直す。
────こんな調子で、スコールはぐるぐると考え続けているのである。


(ティーダ達には、饅頭とかで良いか)


 学校で仲の良い面々には、一人一人に渡すより、皆で集まった時に分け合えるものが良いだろう。
ティーダやジタンなど、男友達には饅頭や団子を、リノアやセルフィと言った女友達には、見た目も可愛いクッキーや一口サイズのシフォンケーキを。
でも、女友達には可愛いストラップがあれば、それも一緒に渡しても良いかも知れない。


(あとは……誰か、他にいるか…?)


 レオンの仕事仲間には、レオンとクラウドが買って帰るだろう。
学校の先生にも必要だろうか、と思ったが、長期休み中に用もないのに学校に行く気にはならなかったので、今回はなしで良いか、と言う結論に行き付いた。

 携帯の液晶画面に『WIN!』の文字が表示される。
じっと携帯電話を睨んでいたスコールの口元が緩んだ。
今日は調子が良いな、と次の対戦相手を選んでいると、


「ねーねー。キミ、1人?」
「………?」


 降ってきた声が自分に向けられたものであると、一瞬、判らなかった。
視界が翳った事で顔をあげると、ハード系のジャケットやパンツ、ダメージジーンズに、じゃらじゃらとピアスやらブレスレットやらウォレットチェーンやらと、のんびりとした保養地には不似合いに見える装いをした男が4人、スコールを囲んでいた。

 舐めるように見つめる4対の視線に、スコールは不快感を露わにして、顔を顰める。
眦を尖らせて睨むスコールだったが、男達はにやにやとヤニの下がった笑みを浮かべているばかりだった。


「ね、1人?」
「誰か待ってんの?」


 ピアスをした男と、首にチョーカーを巻いた男が訊くが、スコールは無視して携帯電話に視線を戻した。
こういう手合いは、相手をするだけ面倒になる。
構うつもりがないと知れば、その内愛想を尽かして離れるだろう────とスコールは思っていたのだが、


「一人旅?あ、ひょっとしてなんかあった?」
「傷心旅行的な?」
「俺らが慰めてあげよっか」


 デリカシーの欠片もない男達の台詞に、殴って良いだろうか、とスコールは胸中で思う。
どうしてこんな輩が、こんな土地にいるのか、スコールには甚だ疑問であった。


「スタイルいいね〜、胸小さいけど」
「………」


 ダメージジーンズを履いた男の台詞に、スコールは眉を潜めた。


「いいじゃん、胸くらい。この子、すっげー腰細いぜ」


 ウォレットチェーンをつけた男の、粘着質な視線が、スコールの腰へ注がれている。
ぴったりと体にフィットした服を着ていた事を、スコールは後悔した。
セクハラ紛いの視線はクラウドからよく向けられるが、一応、彼はスコールの恋人である。
レオンも間に入ってくれるし、こんなにも気持ちの悪い視線ではないので、余り気にしていなかった。
だが、目の前の男達の視線には、不快感しか沸かない。

 スコールはショートジャケットの裾を引っ張って、腰を隠そうとした。
丈が足りないので無理なのは判っていたが、そうでもしないと、不快感で吐き気を催しそうだったのだ。
元々、人目につくのが嫌いなスコールにとって、この状況は拷問でしかない。
だと言うのに、男達は何処までも遠慮を知らなかった。


「な、ちょっと一緒に観光しようぜ」
「行くとこ行くとこオバさんばっかでつまんなかったんだよな〜」


 がしり、とダメージジーンズの男の手が、スコールの腕を掴んだ。
強い力に引っ張られて、スコールは蹈鞴を踏む。


「は、離せ!」
「なんだ、結構気が強いんだな」
「いいじゃん、いいじゃん。こういう子ほど泣いたら可愛いぜ〜」


 当人の事情などお構いなしで連れて行こうとする男達に、スコールは目一杯の力で抵抗を示す。
捕まれた腕を振り払おうとするが、やはりスコールの細腕では叶わなかった。
噛み付いてやろうかと、ぎりぎりと歯を食いしばるスコールに、男達は卑しい笑みを浮かべている。

 しかし、ぱしん、と音がして、スコールの腕が解放される。
それから直ぐ、スコールの前に長いダークブラウンの髪が割り込んだ。


「お前達、俺の妹に何の用だ」
「レ、オン」


 普段、妹達の前では穏やかに笑みを湛えているレオンの瞳に、鋭い光が灯る。
妹を庇って立ち塞がった姉の表情には、明らかな侮蔑と憤りが滲んでいた。
それは男達を一瞬竦ませるが、割り込んで来たのが、少女の姉───女である事に気付くと、また4人の男達はにやにやと笑みを浮かべ始める。


「お姉さんもいたの。家族旅行?2人で?」
「何の用だと聞いている」
「ちょっと一緒に観光して回ろうと思っただけっスよ。そうだ、お姉さんもどう?奢っちゃうよ」
「要らん。観光はもう終わった。お前らに付き合う理由はない。行くぞ、スコール」


 レオンの手がスコールの腕を掴んで、歩き出す。
しかし、レオンの前にピアスをした男が立ち塞がった。
身長180cmを越すレオンと同じ程度の身長をしたその男は、ずい、とレオンに顔を近付け、


「まあまあ、そう言わずにさ。ね、何処泊まってんの?女2人で旅行って、物騒じゃん。俺らがボディガードするから、教えてよ」


 人懐こい笑みを浮かべている男だったが、レオンとスコールには不快感にしかならない。
妹と同じように顔を顰めるレオンだったが、やはり男は気にしなかった。
それどころか、男の視線はレオンのたわわな胸へと注がれている。
シャツの中で窮屈そうにしているそれを自分の手で揉みしだくのを想像して、男は鼻の下を伸ばす。

 男が何処を見ているのか、レオンもスコールも直ぐに判った。
男の下世話な視線など、レオンも大概慣れたものだったが、気分を害する事には変わりない。
駅の構内と言う、人目のある場所だからと、大騒ぎにはするまいと思っていたのだが、男達は全く気にしていないようだし、この際一発ぐらいは本当に殴っても良いのではないか、とレオンが思っていると、


「おい。退け、貴様ら」


 男達の後ろから、不機嫌を滲ませた低い声。
男のものだと判るその声に、なんだよ、とチョーカーの男が振り返ると、


「あ?なんだ、お前」


 金髪碧眼の青年────クラウドが、冴え冴えとした眼光を閃かせて立っている。
クラウドはチョーカーの男を押し退け、ついでにレオンの前を塞いでいるピアスの男も押し退けた。


「行くぞ、レオン、スコール。タクシーが1台空いてる」
「……ああ。スコール、おいで」
「…ん」


 待たせていたタクシーにスコールを乗せ、レオンが乗る。
クラウドも乗り込もうとした所で、ぐい、とその肩を太い手が掴んだ。


「おいコラ、無視してんじゃね─────」


 ピアス男の言葉は、最後まで続かなかった。
クラウドの手が、男の喉を鷲掴みにしたからだ。
その上クラウドは、腕を伸ばして掴んだ喉を押し挙げ、男の足が地面から宙に浮く。

 片腕で男を持ち上げるクラウドに、他の男達が呆然として腰を抜かす。
無表情で持ち上げた男を睨み上げるクラウドは、そのまま男を車道にでも放り投げてやるかと、物騒な事を本気で考えていたのだが、


「クラウド!あまり騒ぎを大きくするな。さっさと乗れ、帰るぞ」
「………ん」


 恋人に制されては仕方がない、と、クラウドは男の首を掴んでいた手を放す。
どしゃっと地面に落ちた男に一瞥すらくれず、クラウドはタクシーに乗り込んだ。





 旅館への帰路のタクシーの中で、あの男達は、レオン達と同じように、街の福引で旅券を当てて来た者らしい事を聞いた。
旅行者同士のトラブルであって、地元の人々は全くの無関係であろうに、タクシーの運転手はレオン達に何度も丁寧に詫びてくれた。
保養地とは言え、有名どころではない土地で働く運転手にとって、たまにやって来る旅行者は貴重な客である。
不快な事があって土地ごと嫌われてしまったら、彼らの仕事は立ち行かなくなるのだろう。
となれば、運転手や地元の人も被害者であるのだから、彼が殊更にレオン達に謝る必要はない────とレオンは思うのだが、紳士的な態度で謝罪を繰り返す運転手の姿に、降下していた気分が幾らか持ち直したのは確かだ。

 帰り際にトラブルがあったものの、それも部屋に戻って温泉に浸かれば、文字通り水に流す事が出来た。
のだが、それはレオンとスコールだけで、クラウドは夕飯の時間になっても不機嫌な顔をしている。


「……お前、そろそろ機嫌を直したらどうだ」


 夕飯の会席料理に舌鼓を打っていたレオンとスコールだが、目の前の男がいつまでも機嫌を損ねているので、どうにも食事を楽しめない。
レオンの溜息交じりの言葉に、スコールも箸を止めてクラウドを見る。


「……俺達が蜂を怖がらなかったの、まだ怒ってるのか」
「いや、そっちじゃない。それはそれで残念だったけど」


 スコールの言葉に、クラウドはようやく反応を返した。
レオンは箸を置いて、腕を組んでクラウドを見る。


「蜂の件はどうでも良いとして……駅で絡んできた奴らの事か?」
「そう」


 がじがじと箸の先端を噛みながら、クラウドは頷いた。


「ああいう事になるだろうなとは思っていたんだ。レオンは美人だし、スコールは可愛いし」
「誰が…!」


 真っ赤になるスコールをレオンが宥め、クラウドの話は続く。


「男が目をつけない訳がないんだ。だが、あんなあからさまな馬鹿がいるとは思わなかった」


 クラウドはクラウドなりに、2人の恋人を大切に想っているのだ。
セクハラ紛いのスキンシップだって、クラウドは2人にしかしないし、それこそ愛情の成せる業だ(他に表現方法がないのかとレオンとスコールは思うが)。
独占欲もあるし、自分以外の男が可惜に彼女達に触れるのは良い気がしない。
そもそも、クラウドは、ああ言ったトラブルから2人を守る目的で、彼女達の旅行に同行していたのだ。

 それが、ほんの少し目を離した隙に、この始末。
それも都会被れ風の、所謂チャラ男系のだらしない輩ばかり。
田舎も田舎と言った土地風だったから、あのような男はいないだろうと思って油断していただけに、クラウドの苛立ちも一入と言うものであった。

 噛んだ箸を口先で遊ばせるクラウドに、レオンは溜息を一つ吐いて、立ち上がった。
むすっと顔を剥れさせたクラウドの隣へ行くと、傍に腰を下ろして、テーブルの上にあったビール瓶を取る。


「ほら、クラウド」
「……ん?」


 不機嫌だった眦が、レオンの行動が理解出来ずに丸くなる。
険が抜けたクラウドの面立ちは、レオンがよく知る手のかかる後輩のものに戻っていた。


「酌だ。一応、お前のお陰であれ以上の面倒にならずに済んだからな」


 空になっていたグラスを差し出して言うレオンに、クラウドの目が見開かれ、次いできらきらと輝く。
レオン自らが後輩であるクラウドに酌をしてやる事は珍しい。
一緒に飲む時でも、クラウドは進んでレオンのグラスに酒を注ぐ(酔わせる目的もあるので)が、自身はレオンがお返しに酌をする時を除けば、手酌で済ませているのが常であった。

 クラウドがグラスを受け取り、其処にレオンが瓶を傾ける。
こぽこぽと注がれたビールを、クラウドは一息に飲み干した。


「美味い」
「大袈裟だな。普通のビールだろう」
「でも美味い」


 それまでの不機嫌を忘れたように、レオンの注ぐ酒を飲むクラウドに、レオンはくつくつと笑う。
それを見ていたスコールが、おずおずとクラウドの傍に近付いた。
レオンとは反対の位置で、クラウドを挟んだスコールに、レオンがビール瓶を渡す。


「零さないようにな」
「……ん」


 クラウドが空になったグラスを差し出せば、スコールはゆっくりとビール瓶を傾けた。
とくとくと注がれたビールを、クラウドはまた一気に飲み干す。


「美味い」
「そう、か」
「うん。レオンも一緒にどうだ」
「俺は遠慮して置く。昨日の二の舞は御免だからな」


 そう言ってレオンは、スコールを促して、自分の席へと戻った。
スコールは、もう一杯だけ、と言うクラウドのグラスを満たしてから席へ戻る。

 スコールが注いでくれた一杯を、後生大事にちびちびと飲むクラウドに、レオンとスコールは顔を見合わせて苦笑を漏らす。
その表情は、手のかかる恋人に困っているようで楽しんでいる、と言う雰囲気が滲んでいる。


「うん、なんか良い気分だ」
「現金だな……」
「良い事だ。こういう時は、特にな」


 恋人2人に酌をして貰って、アルコールも良い具合に回った所で、赤らんだ顔で言ったクラウドに、スコールが呆れたように溜息を吐く。
しかし、レオンの言う通り、折角の旅行でいつまでも不機嫌を引き摺られていては、同行者としても気分が良くない。
酌くらいで機嫌が直ってくれるのなら、有難いものだ。


「気分が良いついでに、2人に頼みたい事があるんだが」


 レオンとスコールが食事の手を再開させた所で、クラウドが言った。
なんだ、とレオンが視線だけで促すと、クラウドは食宅のテーブルに乗り出して、爛々と瞳を輝かせて言った。


「2人とも、後で俺と一緒に温泉」
「入らない」
「まだ最後まで言ってない」
「言ってみろ」
「俺と一緒に温泉に入ってくれ」
「言っただろう。入らない」


 レオンとクラウドの間で、小気味の良い遣り取りで繰り返された応答。
傍で見ているスコールは、懲りない奴だな、と呆れた表情。

 むぅ、と拗ねた子供のように頬を膨らませるクラウドだったが、この我儘は流石にレオンも許す訳には行かない。
あまり甘やかすと調子に乗るのが目に見えているし、そうした甘やかしの末、とんでもない場所で発情されて迫られたりと言う前科が既にあるのだ。
助けてくれた事には感謝するが、昨日アルコールに流されてセックスをしたばかりなのに、自ら狼を招き入れる様な真似はしたくない。


「晩酌なら付き合ってやる」
「でもレオンは飲まないんだろ。スコールも」
「当たり前だ」


 それじゃ楽しみがない、と駄々を捏ねる男に、スコールが酷く冷たい眼差しを向けていたのだが、彼は全く気にしていないのであった。





頼りになるのに、大事な時以外は欲望まっしぐら。