今、ここにある“しあわせ”


 バラムは常夏の島と言われるが、季節はきちんと存在する。
スピラ大陸のようにはっきりとした季節の変化が目に見える訳ではないが、記録される気温が少し低かったり、空が曇天に覆われる日が増える時期があった。
冬ともなれば、トラビア大陸やスピラ大陸の北方のように雪が降る事こそないものの、海から吹きつける潮風に冷たさが混じるようになる。

 そんな冬がバラムにやって来て、しばらくした頃。
カレンダーがその一年の最後の月となり、更には今年と呼べる日があと数日、とまでなった所で、この日はやって来る。

 めいめい賑やかにはしゃいでいる年下の子供達を遠目に見て、レオンは小さく笑みを零す。
楽しそうだな、と。

 レオンの手には、今買って帰ったばかりの、今日の夕飯の材料が抱えられている。
大きな牛乳パックやペットボトルのジュースのお陰で、ビニール袋の持ち手が伸びて指に食い込んでいたが、レオンはそんな事はちらとも気にしていなかった。
とは言っても、長く持っていては流石に指の方が先に根を上げたので、一度ビニール袋を持ち直し、足早に家の中に入り、キッチンへと向かう。

 大きな冷蔵庫の蓋を開け、買い込んできた諸々を中に詰めていると、リビングの方から声がした。


「お帰りなさい、レオン」


 食材を詰めながら振り返れば、黒い髪に黒い服を着た、清楚な面持ちの女性───イデアが立っている。


「ただいま、ママ先生」
「ええ。ごめんなさいね、いつも頼ってしまって」


 申し訳なさそうに眉尻を下げて笑むイデアに、レオンは小さく首を横に振る。


「別に、これ位構わない。それに、俺の方がやりたいって言ったんだ。今日の買い物だってそうだし、ママ先生が謝る必要なんかない」


 開けた時とは正反対に、食べ物で一杯に詰まった冷蔵庫の蓋を閉めて、レオンは言った。
帰った時に着たままにしていたジャケットを脱いで、イデアの隣を通り過ぎてリビングに行き、ハンガーにかけておく。


「でも、レオン。今日と明日くらいは、貴方に頼らなくても良いようにと思っていたのです。今日はクリスマス・イヴですから」


 チェストに立てられている日捲りカレンダーは、12月24日の数字を示していた。
バラムの街もあちこちがイルミネーションで飾られ、雪こそないものの、他国の様子を中継するテレビの中の光景に負けず劣らず、クリスマスムード一色となっていた。
街に住む子供達も、来るクリスマスイベントを心待ちにしており、大人達はそんな子供達に応える為に忙しなく準備を進めている。

 本来なら、まだ11歳のレオンも、家の外で遊んでいる子供達と同じように、今日の夜をまだかまだかと心を躍らせながら、彼らと一緒に遊んでいても可笑しくなかった。
しかしレオンは常と変わらず、年下達の世話に、家事手伝いにと、子供らしい遊びなどそっちのけで働いていた。
それはイデアにとってとても助かる事なのだけれど、


「貴方も、スコールやエルオーネと同じように、遊びに行って構わないのですよ。後は私がやりますから」
「いいや、ママ先生だけじゃ今日の夕飯は大変だろ。あと、洗濯物も洗わないといけないし。セフィとサイファーがまた大分汚したから、ママ先生じゃ落とすのは苦労しそうだ。俺がやる」


 まだ子供らしいあどけなさの残る顔立ちで、レオンは歳不相応な程に確りとしていた。
それは元々の真面目で責任感が強い性格の所為もあったが、それ以上に、イデアは彼が早く独り立ちしようと急いているのが伺えた。
それが悲しくて、またそんな彼に頼ってしまう事も心苦しくて、イデアはひっそりと唇を噛む。

 育て親の表情に、幸か不幸か、レオンは気付かなかった。
洗面所に向かった彼は、其処に設置してあった洗濯機に溜まっていた衣類を入れながら、柄物や色物、特別汚れたものを取り除く。
盛大に泥のついた小さなシャツを見て、今度は何をやったんだ、と小さく呟く。
レオンは洗面台の栓をして、水を張って洗剤を溶かし、汚れたシャツを漬け起きした。

 これでよし───、とレオンが一息ついた所へ、


「うえぇええん……!」


 家の外から聞こえてきた声に、レオンは顔を上げた。
洗濯物をそのままにして、レオンは家の外へと飛び出す。


「スコール、どうした?」


 家の外では、先程まで元気に駆け回って遊んでいた子供達が、固まったように動きを止めていた。
輪になる形で硬直した子供達の真ん中で、レオンと同じダークブラウンの髪の子供が地面に倒れている。
その子供に、黒髪の少女が急いで駆け寄った。


「スコール、大丈夫?」
「スコール!」


 少女に抱き起して貰いながら、小さな子供は泣き続ける。
泣きじゃくる子供は、レオンの弟である、スコールだった。
駆け寄ったのはエルオーネで、レオンが赤ん坊の頃から知っている、妹のような存在だった。

 スコールは地面に座り込んだまま、ぽろぽろと大粒の涙を零している。
エルオーネはスカートのポケットから、真っ白なハンカチを取り出して、擦り剥いたスコールの膝を優しく拭いた。
しかしスコールはそれすらも痛みになるようで、益々泣き出してしまう。


「ひっく、ひっ…いたいよぉ……」
「スコール」
「ひっく…お兄ちゃん、お姉ちゃぁん……」


 手を伸ばして縋り付いて来る弟を、レオンは抱き上げた。
今年で3歳になったスコールの体は、赤ん坊だった頃に比べ、11歳のレオンには少しばかり大きく感じられたが、抱き上げる事にそれ程苦はない。
幸いレオンは体格に恵まれていたし、レオンとスコールの間は8歳も年齢が離れていたから、体格の差も歴然としていた。

 レオンは泣きじゃくるスコールの背中を摩ってやりながら、家の玄関前の階段に座った。
膝の上にスコールを下ろしてやると、スコールはぎゅっと兄の首に腕を回して抱き着いた。

 泣き止まないスコールを心配して、エルオーネや他の子供達が駆け寄って来る。


「スコール、大丈夫?まだ痛い?」
「あんまり泣いたら、おめめウサギさんになるで〜」
「そうだよ〜、ウサギさんになったら大変だよ」


 エルオーネとセルフィ、アーヴァインの言葉にも、スコールは反応しない。
兄にぎゅっとしがみ付いて、ぐすぐすと泣いている。
レオンはそんな弟の頭を撫でてあやしてやる。


「スコール、足を擦りむいたんだろ。ちょっと見せてみろ」
「……ん…」


 レオンに言われるまま、スコールはしがみついていた兄から少し体を離し、擦り剥いた膝小僧を見せる。
あまり日焼けをしていない白い肌に、擦り剥いた後は少々痛々しげに見えたが、血を出ている様子はない。
石作りの地面の上で転んだから、ぶつけた痛みはあるだろうが、痕に残る程のものではあるまい。

 エルオーネが、家の横の水路から引いた蛇口でハンカチを濡らしていた。
ぱたぱたと駆け寄って来る彼女に、転ぶなよ、とレオンは言った。


「スコール、お膝見せて。ちょっと冷たいけど、我慢だよ」
「……うん」


 姉の言葉に頷きながら、スコールはぎゅっとレオンにしがみ付く手に力を込めた。
熱帯気候のバラムとは言え、この時期になると水道管も冷たくなっており、其処を通過して出てくる水もキンキンに冷えている。
そんな水で濡らしたハンカチが膝に触れて、「ひゃっ」と小さな悲鳴がスコールから零れた。

 擦り剥いた膝が綺麗になって、レオンは冷たさを我慢した弟の頭を撫でてやる。
すん、と鼻の鳴る音が小さく聞こえた。


「これでもう大丈夫だな。歩けるか?」
「……うん」
「よし」


 頷いたスコールに、レオンは小さく笑いかけてやる。
スコールは目尻に残った涙をこしこしと拭いて、赤みの残る目で兄を見上げた。

 ───と、其処でもう一つ、泣き声が響く。


「わぁあああん!」
「───ゼル?」


 弟と同じくらいによく泣く子供の声。
レオンが声のした方向を見ると、金髪頭が二つ、一つは泣いていて、もう一つはそっぽを向いて頬を膨らませていた。
泣いているのがゼル、そっぽを向いているのがサイファーだった。

 組み合わせを見て、またか、とレオンはひっそり胸中で息を吐いた。
サイファーは孤児院にいる子供達の中でガキ大将気質で、体の小さなスコールやゼルを揶揄ってよく泣かせる。
根は良い子なんだけどな、とレオンはこっそり独り言ちた。

 泣きじゃくるゼルを庇って、もう一人、金髪の───今度は女の子がサイファーに詰め寄る。


「サイファー!またゼルを泣かせたの!」
「…うるせえな。ほっとけよ!」


 利発な面持ちの女の子の名前は、キスティスと言う。
スコールやゼル、セルフィよりも一つ年上で、サイファーやアーヴァインと同い年だ。
キスティスは子供達の中では確り者の方で、イタズラ好きなセルフィを止めたり、悪ガキなサイファーのストッパー役になっていた。

 あっという間に険悪なムードになるサイファーとキスティス。
セルフィが二人を交互に見て、事態が理解できないのか首を傾げ、アーヴァインは察したらしく、おろおろとしている。
ゼルはまだ泣いていた。
レオンの膝の上で、スコールも険悪ムードに押されたか、助けを求めるようにぎゅっとレオンにしがみ付いて来る。

 エルオーネが泣きじゃくるゼルに駆け寄って、いい子いい子と頭を撫でてあやした。


「ゼル、どうしたの。何かあったの?」
「ひっく…サイファーが、サイファーが……サイファーが叩いたぁ…」
「サイファー、本当なの?」
「……手、当たっただけだ。叩いてない」


 返事に間があったのと、目を逸らす間際、ほんの少し緑の瞳が気まずげに揺れたのを、レオンは見逃さなかった。


「サイファー」
「………」


 レオンが名前を呼ぶと、サイファーは唇を尖らせ、不満そうにレオンを睨んだ。
子供の割には迫力があるよな、とレオンはそんな事を思いつつ、じっとサイファーを見詰め返す。

 サイファーは、しばらくレオンを睨んだ後、ぷいっとまたそっぽを向いて、家の裏側へと走って行ってしまった。


(どうにも、嫌われているな)


 レオンもエルオーネも、此処にいる子供達の中では年上だから、無邪気に夢中になって、周りが見えなくなってしまう子供達を諌める役目があった。
その際サイファーは、エルオーネが相手の場合は素直に言う事を聞くのだが、レオンが相手になると途端に反抗的な態度になる。
小さな子供でも、男同士の意地やプライドと言うのもあるから、レオンはそんなサイファーを特別問題児扱いする事はしなかった。
一段落すればきちんと戻って来るし、自分が悪いと認めれば謝る事も出来るのだし。
───そんな年上然とした態度が、益々サイファーの態度を硬質化させているとは、レオンの知る由はない。

 家の裏手に走って行ったサイファーを、エルオーネが追い駆ける。
それを見送って、レオンはスコールを抱いて腰を上げた。


「ほら、皆そろそろ中に入れ。ママ先生がクッキーを焼いてるぞ」


 家の裏に行ったエルオーネとサイファーを心配そうに待っていた子供達にそう声をかけてやると、セルフィとゼルがぱっと表情を変えて、駆け足で玄関を潜って行く。
アーヴァインがそれを追い駆けて、まだ少しサイファー達を気にしているキスティスの背を押して、レオンもスコールと共に家の中へと戻ったのだった。




 イデアとレオンが夕飯の準備をしている間、子供達の相手をするのは、シドとエルオーネだった。
キッチンから香る良い匂いに、セルフィやゼルがふらふらと吸い寄せられそうになるのを、抱き上げて阻止し、リビングへと連れ戻すと言う出来事が繰り返される中、レオンの傍らに小さな子供が一人。
調理中は何かあると危ないので、子供達は基本的にキッチンに入ってはいけない事になっているのだけれど、レオンの足元にいる子供だけは特別だった。
本当なら、こうした特別扱いは余り良くないのだろうけれど、レオンはどうしても、この子供だけは贔屓してしまう。

 その子供とは、他でもない、弟であるスコールだ。

 体が小さいスコールは、それに釣られるように、とても気が小さい性格をしていた。
レオンやエルオーネが一緒にいないと、いつも不安そうな表情をしていて、些細な事で泣き出してしまう。
こういうのは甘やかすだけ癖になるとレオンも判っているつもりだった。
けれど、縋る温もりを求めて伸ばされる手を拒むと、青い真ん丸な目から大粒の涙がぽろぽろと零れ出してしまう。
それを見ると、レオンはどうしても、スコールを甘やかしてしまうのだ。

 スコールはとても大人しい。
気が小さいから、と言う訳ではなくて、元々静かな子供なのだ。
大きな声を出す時と言ったら、大抵が泣いている時で、それ以外は自己主張もあまりしないで、賑やかな子供達の輪の外で、じっとしている事が多かった。
だから調理中に構ってとせっついて来る事もなく、お陰でレオンもイデアも、調理の手元を狂わせる事がない。

 レオンは小さなクラッカーの上にチーズと生ハム、スライスしたキュウリを乗せて、足元の弟を見下ろした。


「味見、してみるか?スコール」


 一口で食べられるサイズのそれを、スコールに見せてやる。
スコールの蒼い瞳がきらきらと輝いた。

 あーん、と小さな口が目一杯大きく開けられて、レオンはクラッカーを差し出した。
ぱくん、と指ごと食べられる。
くすぐったさに小さく笑って、俺の手は食べれないぞ、と言った。


「どうだ?」
「おいし」
「良かった。後少しで晩御飯できるから、いい子にしてろよ」
「うん」


 兄の言葉に頷いて、スコールは食器棚の傍にある椅子に駆け寄って、上る。
ちょこんと座っているのが可愛らしくて、レオンとイデアは微笑ましさに顔を見合わせ、笑みを零す。

 イデアが担当していた唐揚げも全て出来上がり、バラムフィッシュを使ったスープ料理も温まった。
クラッカーのフィンガーフードも人数分が揃い、サラダも手早く作り終えると、今日の夕飯の完成だ。
品数は決して多くはないが、その代わりそれぞれ分量を多めに拵えて、育ち盛りの子供達でも食べきれない程の量になっている。

 イデアが大きめのトレイにスープを並べて、リビングへと運ぶ。
レオンも同じようにサラダをトレイに置いて、イデアの後を追った。
直ぐにスコールがついて来る。


「皆、ご飯が出来ましたよ。さあ、ちゃんと席に座って」
「ご飯だー!」
「うち、お腹ペコペコや〜」


 やはり此処でも、ゼルとセルフィが一番に言う事を聞いて、自分の席に座る。


「ゼル、セルフィ!出したものはちゃんと片付けないとダメ!」
「セフィってばぁ〜」


 玩具をそのままにしている二人に、キスティスが怒り、アーヴァインが困った声を上げた。
しかし二人には聞こえていない。
運ばれてくる夕食のメニューに夢中になっていて、キスティスが大きな声を出しても、二人は反応しなかった。

 言う事を聞かない年少組にキスティスが眉を吊り上げたが、そんなキスティスをエルオーネが宥めた。


「キスティ、後は私が片付けるから、大丈夫だよ」
「でも、でも……」


 自分で出したものは、自分でちゃんと片付ける───それがイデアの教育だ。
しっかり者で真面目なキスティスは、それをきちんと守らないといけない、と思っている。

 でも、今日は特別な日だから。


「いいんだよ、キスティ。お腹空いたでしょ。ほら、先に行っていいよ。アーヴィンも」
「う、うん」
「ありがとう、エルお姉ちゃん」


 エルオーネに促されて、まだ少し尾を引きながら、キスティスとアーヴァインも食卓に着く。
サイファーはきちんと自分の玩具を自分で片付けてから、自分の席に座った。

 スープ料理を運んだ後、最後に大皿に盛り付けた唐揚げを運び入れる。
山になった唐揚げを見て、セルフィが目を輝かせた。


「すごーい、お山になっとるー!」
「ママ先生、シド先生、今日って何か良いことあったの?」


 孤児院での食事は、栄養面はきちんと補ってあるものの、質素である事の方が多い。
小さな子供を養うのは、それが例え一人であっても、それなりに必要なものがあるのだ。
だから、一番削れる食費を削っている為、今日のように御馳走が山になる、と言う事は滅多にない出来事だったのだ。

 イデアとシドは、アーヴァインの言葉に目を合わせて微笑んだ後、答えた。


「今日はクリスマス・イヴでしょう。だからちょっとだけ、豪華にしてみたのよ。嫌だったかしら?」


 ちょっと意地悪く言ったイデアの言葉に、子供達は皆揃って、ぶんぶんと首を横に振った。
想像通りの子供達の反応に、イデアはくすくすと楽しそうに笑う。

 レオンが人数分の水をグラスに入れて、それぞれに配る。
レオンとスコールが並んで、同じタイミングでエルオーネも食卓に落ち着いたのを確認してから、イデアとシドの二人もテーブルについた。
さあ手を合わせて、とイデアの促す言葉に、皆素直に顔の前に手を合わせて、挨拶を待つ。
元気な声が揃って同じ言葉を告げて、いつもよりもほんの少し、豪華な夕飯が始まった。




 クリスマス・イヴのイベントと言えば、やはりサンタクロースは外せない。
絵本の中では、雪の降る街にやって来る事が多いサンタクロースが、果たして家の中に入る煙突すら殆ど見当たらない、常夏のバラムの街に来てくれるのか。
その話だけで、眠る間際の子供達は、一時間ほど盛り上がって話し込んでいた。

 それでも、昼間に目一杯遊び、食べきれない位の夕飯で胃袋を満たした子供達は、一人、また一人と夢の世界へ旅立っていく。
セルフィが「サンタさんの正体を確かめる!」と言って頑張って起きていたが、十時が過ぎる頃には遂に眠ってしまった。
一番遅くまで起きていたのはエルオーネで、彼女も落ちそうな瞼を堪えながら、年下の子供達が皆眠るのを見守った。
スコールはエルオーネに抱き締められたまま、一番最初に眠ってしまった。

 寝静まった暗い部屋の中で、一人の少年───レオンが目を覚ます。
いや、彼は最初から眠ってはおらず、じっと自分以外の子供達が寝入るのを待っていた。

 ゆっくりと起き上ると、ベッドのスプリングが軋んだ音を立てて、一瞬ギクッと身を固くした。
隣のベッドで眠るスコールとエルオーネが身動ぎしたが、目を覚ます様子はなく、数十秒程硬直した後、レオンはほっと息を吐いた。
辺りを見回して他の子供達を伺うも、皆すぅすぅと寝息を立てている。

 レオンは殊更に注意を払いながら、ベッドから降りて、裸足のままで寝室を出て行く。
夜半を過ぎた石の床はとても冷たく、足先が悴む感覚がしたが、スリッパを履いたら足音を立ててしまうから我慢する。
ドアノブを回すのも気を付けて、開けた時に外から漏れこむ光を最小限にするように、自分がぎりぎり通り抜けられるだけ開けて、素早く部屋から出る。
そっとドアを閉め終えると、レオンはもう一度、ほっと安堵の息を漏らす。

 寝室の隣はリビングになっていて、今レオンが潜って来たドアの他に、もう一つドアがある。
そのドアに小さなノックを三回。
どうぞ、と言う小さな声が聞こえてから、レオンはドアを押し開けた。


「ああ、レオン。皆は眠りましたか?」


 そう問うてきたのは、夜着ではなく、赤い服に身を包んだシド。
傍らには、此方は寝間着姿のイデアがベッドに腰掛けていた。

 レオンはシドの言葉に頷いて、お邪魔します、と断りを入れて、部屋に入る。


「今年は随分、頑張ったみたいですねえ」
「セフィがサンタに逢うんだって粘ってて。それで、エルもさっきまで起きてたんだ」


 小さな子供達が眠るのを見届けるのは、レオンとエルの役目だった。
誰がそうしなさいと言った訳ではなかったけれど、年上であると言う自覚と、自分達以外が皆小さな子供である事から、自然と二人はそうした行動を取るようになっていた。
レオンはエルオーネよりもずっと以前から、小さな子供達の手本になるように、彼らが怪我をしたり、事故にあったりしないようにと、努めていた。

 だからこんなに遅くなった、と苦笑するレオンに、シドが皺のある顔を崩して、にこりと笑う。


「レオン、君も眠っても良かったんですよ。こんなに遅くになるまで頑張らなくても、スコール達には勿論、毎日お手伝いをしてくれる君の所にも、きちんとサンタさんは来てくれますから」


 シドの言葉に、レオンはしばしきょとんとした顔で首を傾げ、眉尻を下げて笑う二人の養い親を見詰めた。
そうした表情をすると、子供達の前で年上らしく振舞い、唯一残された肉親の弟の為に、一日でも早く独り立ちしようとする彼も、まだ10を越したばかりの子供である事が伺える。
だが、シドの言葉の意味を理解し、ふっと笑ってみせる彼は、既に大人びた影を持っていて。


「俺はいいんだ。もう子供じゃないから。それより、スコール達が喜ぶ顔を見ていたい」


 そう言って、レオンは踵を返し、部屋を出て行く。
シドはベッドと壁の隙間に隠していた、子供達へのプレゼントの入った袋を引っ張り出して抱え、レオンに続いて部屋を出る。

 子供達が眠る寝室の前で、シドは四つのプレゼントをレオンに手渡す。
それぞれ名前の入っているプレゼントは、スコール、エルオーネ、セルフィ、キスティス宛のものだった。
スコールへは毛糸の手袋、エルオーネへはマフラー、セルフィにはクマのぬいぐるみ、キスティスには欲しがっていた飛び出す絵本。
サイファー、アーヴァイン、ゼルへのプレゼントは、シドが持っている。
サイファーへはテレビで見ていた戦隊ヒーローの変身ベルト、アーヴァインにはきらきらと光る飾りのついたキーホルダー、ゼルには木製の組み立てブロックだ。

 明日になったら、子供達はきっと喜ぶに違いない。
特にサイファーは、テレビを見て夢中になって、ヒーローごっこに勤しんでいたから、早速身につけて遊ぶ事だろう。

 レオンは、先程出たばかりの寝室のドアを、そっと開けた。
子供達はさっきと同じくすぅすぅと寝息を立てていて、変わった事と言ったら、サイファーとゼルが布団を蹴飛ばしている所だろうか。
寝ていても元気な子供達に笑みを零し、レオンは床に落ちていたサイファーの布団を拾い、かけ直す。
ゼルの布団はシドが丁寧にかけなおし、その枕元にプレゼントが置かれた。
レオンもセルフィとキスティスの枕元にそっとプレゼントを置いて、次にスコールとエルオーネが眠るベッドに向かう。

 ベッドの上で、スコールは猫のように丸くなって眠っている。
エルオーネは、そんな小さな弟を包むように抱き締めていた。
その光景があるだけで、レオンの胸の内は、温かなもので一杯になる。


「……んーゅ…」
「ん……」


 布団がずれ落ちてしまって寒くなったのか、スコールが小さく身を震わせて、エルオーネの胸に頬を寄せる。
エルオーネもそれを感じ取ったように、スコールを一層抱き寄せて、細い腕の中に閉じ込めた。

 レオンはずれてしまった毛布を引き上げて、スコールとエルオーネの肩を包んでやる。
艶のあるエルオーネの黒髪を撫でると、ふ、とくすぐったそうにエルオーネが笑みを零した。
傍らには、どんな夢を見ているのか、健やかに寝息を零すスコールがいて、二人が赤ん坊の頃から見守り続けてきたそれらが今も此処に変わらず存在している事に、レオンは胸が熱くなるのを感じた。


(良かった。お前達がいてくれて、本当に)


 ベッドに少しだけ乗って、こつん、と二人の額に自分の額を当てる。

 三年前に母を亡くし、父を失ったレオンの、たった二人の残された家族。
この孤児院に置いて、血の繋がった家族と共に過ごせる事自体が、幸運である事は理解しているつもりだった。
サイファーもキスティスもアーヴァインも、ゼルもセルフィも、親兄弟は愚か、生まれ故郷で共に過ごした子供すら、此処にはいない。
三年前まで続いていた、ガルバディアとエスタの戦争の所為で、親を亡くした子供と言うのはあちこちにいて、その多くは、庇護元に届けられる事もなく、飢えと悲しみの中で短い生涯を閉じて行く。
そんな今の時代、レオンは、血の繋がった弟がいて、同じ故郷で育った少女がいると言う事は、とても恵まれていると言える。

 それでも、両親を失った時の喪失感は、何物にも換えがたいものだった。
けれど、それと同じだけ、いやそれ以上に、小さな弟と妹がいてくれた事が、レオンにとって何物にも───自分自身の命にすら換えても足りない程の幸せであった。

 押し当てていた額を離せば、小さな手がレオンへと伸ばされた。
眠っているのに、一人にされるのが嫌いな弟は、兄や姉の気配に敏感だ。
触れていた手がほんの少し離れるだけで、いつも寂しそうに小さな手を彷徨わせ、泣き出しそうな顔でレオンを見上げる。


(誰に似たんだろうな)


 今もまだ、鮮明に思い出せる両親の顔。
どちらも明るくて、暖かくて、眩しくて───あんな風に、この小さな弟を愛して行きたいと思う。
傍らで眠る少女も一緒に、共に。

 二人の枕元にプレゼントを並べ、離れる前に、レオンは二人の頬にキスを落とす。
ほわ、と眠ったままのスコールが笑みを浮かべて、同じようにエルオーネも笑う。
起きてるんじゃないだろうな、と思いつつ、やはり変わらず寝息を立てる二人に、レオンも小さく笑みを零した。


「───さ、レオン。君ももう休みなさい」


 小声で告げられたシドの言葉に、レオンは頷き、自分のベッドに横になった。
毛布を引き上げようとして、シドが先にそれを取り、レオンの首元まで持って来る。
そんなにしなくて良いのに、と思いつつ、大人しく甘える事にして、レオンは枕に頭を沈めた。


「おやすみなさい、レオン。良い夢が見られると良いですね」
「…おやすみ、シド先生」


 寝転んでしまえば、レオンにも程なく、睡魔が訪れる。
レオンは小さな子供達のように遊び回る事こそしていないが、朝から晩まで、弟達の世話に家事手伝いにと忙しくしていた。
幾ら他の子供よりも年上で、大人びている所があるとは言え、疲れていない訳がないのだ。

 ころりと一つ寝返りして、レオンは隣のベッドを見た。
其処には大切な弟と妹がいて────これだけで十分、自分は幸せなのだと思う。
二人が自分と一緒にいてくれる事、慕ってくれる事、それ以上に嬉しい事なんてないし、今以上の幸せが欲しいなんて欲張るつもりもない。
だから、イデアやシドの気遣いは嬉しいけれど、それは小さな弟や子供達、エルオーネにこそ向けて欲しいと思う。
両親の顔も知らない、知り得ない子供達に、本当の両親に愛される以上の愛を注いで欲しいから。

 レオンは、父の顔も、母の顔も、思い出す事が出来る。
目を閉じれば二人に逢う事が出来て、目を開ければ、小さな手を一所懸命に伸ばしてくる弟と妹がいる。


(だから俺は、もういいんだ)



 うわあ、と子供達の賑やかな声に促されて、レオンの意識は覚醒に向かった。
まだ眠気の残る目を擦りながら、朝御飯の用意をしないと、と頭の中はいつもの習慣を思い出して働き始めている。
昨夜は遅くまで起きていた所為か、少し痛む頭を押さえて、レオンは上半身を起こし切った。

 そんなレオンのベッドに、小さな子供が飛び乗って来た。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ん…どうした、スコール」


 頭痛を誤魔化しながら笑みを作り、無邪気に懐いて来る弟を見れば、ふわふわとした幸せそうな笑みを浮かべる蒼がある。


「サンタさん、プレゼント持って来てくれた」
「ああ、良かったな。何を貰ったんだ?」
「んっとね……」


 レオンに促される形で、スコールはプレゼントを包む袋のリボンを解き、中を覗き込む。


「てぶくろ!」
「そうか。暖かそうだな、外に出る時はちゃんとつけるんだぞ。そろそろ寒くなって来たからな」
「うん。あとね、お姉ちゃんはマフラー貰ったんだよ」


 レオンは、スコールを膝の上に乗せて頭を撫でながら、隣のベッドに座っているエルオーネに目を向けた。
エルオーネはくすぐったそうに、少し照れ臭そうに笑っていて、淡いピンク色のマフラーを嬉しそうに見せて来た。


「良かったな、エル」
「うん」


 レオンの言葉に、エルオーネはぎゅっとマフラーを抱き締めて頷いた。

 部屋の中を見渡せば、それぞれのベッドの上で、プレゼントを開けてはしゃいでいる子供達の姿がある。
キスティスとセルフィがお互いにプレゼントを見せ合っていて、セルフィはページをめくる度に建物が飛び出してくる絵本に凄い凄いと拍手していた。
サイファーも早速ベルトをつけて、ベッドの上に立って変身ポーズを取っている。
ゼルがそれを憧れの目で見詰め、アーヴァインはきらきらと光るガラス細工のキーホルダーを窓辺に掲げ、じっと眺めていた。

 プレゼントは全て、シドとイデアが今日の日の為に目一杯悩んで吟味して、選んで来てくれたものだ。
皆それぞれに喜んでいるのを見て、良かった、とレオンは胸中で安堵の息を漏らす。

 そんなレオンの膝上にいたスコールが、「お兄ちゃんは?」と尋ねた。


「お兄ちゃんは、どんなプレゼント貰ったの?」
「いや、俺は────」
「レオン、これ開けてみてもいい?」


 俺にサンタさんは来ないよ、と言いかけたレオンを遮ったのは、いつの間にかレオンのベッドに乗っていたエルオーネだった。
これ、と言うエルオーネが指差した先を見ると、昨夜眠るまではなかった筈のものが、枕元に置かれている。

 なんで此処に、と首を傾げるレオンを余所に、スコールが興味津々にプレゼントに近付いた。
エルオーネが丁寧にリボンを解いて、包装を取り払い、真っ白な箱の蓋を開ける。
覗き込んだスコールがわぁ、と目を輝かせ、エルオーネが中身を取り出した。
紺色を基調にした、ザナルカンド発祥の人気ブランドのロゴの入った、スポーツバッグ。


「かっこいい!」
「うん。良かったね、レオン」


 エルオーネにバッグを差し出され、レオンは半ば呆けたままでそれを受け取った。


「お兄ちゃん、つけて、つけて」
「あ、ああ」


 スコールに強請られるまま、レオンはベッドを下りて、まとめられたバッグのベルトを解いて、肩にかける。
たったそれだけの事なのだが、スコールはもう一度格好良い、と言って手を叩いた。
どうにも照れ臭くて、レオンは眉尻を下げて笑う。

 そんなレオンを見付けた子供達が、羨望の眼差しでレオンに駆け寄ってきた。


「いいなあ、レオン兄ちゃん、かっこいい」
「オレも欲しい!」
「サイファーはベルト貰ったでしょ」
「ええなあ、レオン兄、似合う〜」
「ぼくも大きくなったら貰えるかなぁ」


 皆それぞれに自分のプレゼントを抱き締めながら、レオンを羨ましそうに見上げている。
集まる注目にレオンは益々眉尻を下げながら、子供達に顔を洗いに行くように促した。





another≫しあわせの形
弟や妹の幸せばかりを考えていて、自分の事は完全に忘れてるレオン。
良いんだか悪いんだか。