スカイ・ウィンド


 見せたいものがある、と言ったティーダに呼ばれて、スコール、ヴァン、ジタンの三人は、バラムの街の広場に来ていた。

 バラムの街の中心部に位置するその広場は、大きな運動公園になっており、真ん中に大きな噴水が建ち、夏には涼を求める街人達で埋まるのが常だ。
休日でも、公園内は子供やその親、フットボールなどに打ち込む若者で賑やかになる。
今日もそれは例に漏れず、わいわいと賑やかな声が、遠くはない潮騒の中で響いている。
スコール達はその賑やかさから少しの距離を置いて、噴水傍のベンチに並んで座り、呼び出した張本人が来るのを待っていた。


「……今何時?」
「2時半」


 胡乱な目で呟いたジタンに、ヴァンが腕時計を確認して言った。


「…約束したの何時だっけ」
「1時半だ」


 続いた問いには、スコールが答える。
それを聞いた瞬間、ジタンはベンチを飛び降りて叫んだ。


「遅ーい!何やってんだよ、ティーダの奴っ。自分で呼び出しといて!」


 約束の待ち合わせの時間は、スコールが言った通り、午後一時半。
既に一時間の遅刻である。
それも、呼び出した張本人であるティーダが。

 ジタンの叫びは、バラムの青い青い空に遠く響き渡り、消える。
広場で遊ぶ人々も、細やかな喧騒などよくある事と、各々自分達の世界で休日を楽しんでいる。

 友人の心からの叫びを一番近くで聞いたスコールとヴァンはと言えば、どちらも反応が鈍い。
スコールはベンチに深く腰掛け、腕と長い脚を組んだ格好で俯き、目を閉じている。
ヴァンはベンチに座ったまま、身を捻って後ろで水音を鳴らす噴水の水に手を浸して遊んでいた。
砂漠地帯の生まれであったヴァンにとって、澄んだ水が滾々と湧き出す様は、見ているだけでも飽きないものであるらしい。
────そんな友人達を見て、ジタンの目が益々冷たいものになる。


「……な、遅過ぎるよな、ティーダの奴。お前らはそう思わねえの?」
「確かに遅いけどさ。別に救急車が走ってる感じもないし、心配しなくていいんじゃないか?」
「いや、それはそうだけど。オレが言ってるのは、そういう所じゃなくて」


 一時間も遅れており、何の連絡もないとなれば、ひょっとして彼の身に何かあったのではないか、と不安が過ぎるのも当然だ。
しかし、街の中は平和なもので、事故にでも巻き込まれたのでは……と言った風でもない。
彼の緊急連絡先に設定されているスコールの形態が鳴る事はなく、スコールの兄からも何も連絡はない。
だから、彼が何事かに巻き込まれたと言う事はない、と思って良いだろう。

 だが、それならそれで、何故彼は来ないのだ、と言う話になってくる。
何か緊急の用事───例えば父に関する事だとか───が入ったのなら仕方がないと思うが、せめて一報が欲しい。
いつまでも待ち惚けで放置されるのは、時間の無為な浪費に他ならないのだ。

 また水で遊び出したヴァンを見て、ジタンは溜息を一つ。
それから、彼の隣で沈黙を保っている友人に視線を向ける。


「なあ、スコールはティーダから何か聞いてないのか?」
「何も」
「親父さんと喧嘩してたとかは」
「ジェクトなら今はザナルカンドにいる。電話があっても、一時間も長話はしないから、関係ないだろうな」


 早い話が、スコールにもティーダが約束の時間に遅れている理由は判らない、と言う事だ。
それを聞いたジタンの米神に青筋が浮かぶ。


「ったく、来たら絶対に一発食らわせてやるっ」


 そう言ったジタンの尻尾が、苛々として揺れる。

 キュオォ、とエネルギーが噴射する音が聞こえたのは、その時だ。
特別誰も気にしてはいなかった音だったが、徐々に音源が自分達の方へ近付いて来ると気付くと、スコールが訝しんで顔を上げる。
それを追うようにして、ジタンとヴァンも音のする方向を見た。
すると、近付いて来るエネルギー音の発生場所には、地を滑るように移動して来るティーダの姿。


「うぉっ────と、ととっ」


 少しばかり不安定に身体を揺らしつつも、ティーダはスコール達のいる噴水前まで無事に到着する。
オォ……と少しずつエネルギー音が小さくなり、ティーダの足元のボードから噴射されていたものも消えた。


「ふー……やっと着いたっス。皆、ごめんなー」


 言いながら、ティーダはボードの縁を踏んで垂直に立たせ、それを抱える。

 頭を掻いて眉尻を下げて謝るティーダは、身体は至ってピンピンしており、待ち侘びていた友人達の一抹の不安は、全くの杞憂であった事が判る。
それを見たジタンが、ぴんと尻尾を立たせ、ずんずんとティーダに近付いた。


「お前なあ。なんでこんなに遅くなったんだよ。呼び出したのはお前だろ?」
「うん、悪かったって。ちょっとボードの調子が変だったから、ジャンクション屋に寄って、ちゃちゃっと直して貰ってから行こうと思ってたら、意外と時間かかってさ」
「だったら、時間かかりそうだって思った時点で誰かに連絡しろよ。心配するじゃねーか」
「あはは……ごめんごめん」


 ついうっかり、と眉尻を下げるティーダに、ジタンの尻尾がゆらりと揺れて、尾先が下を向いた。
次から気を付けろよな、と言うジタンは、もう怒ってはいない。
一発食らわせる、と言った気持ちは、ティーダの笑顔に絆されてしまったようだ。

 ────しかし、それで収まらない人物が一人いる。
誰よりも先に待ち合わせ場所である広場に来て、今の今まで静かに幼馴染の到着を待っていたスコールだ。


「ティーダ」


 スコールの呼ぶ声に、ティーダが振り返る。
ごめんなぁ、ともう一度言おうとしたティーダの口端が、ぎゅぅぅぅぅ、と左右に思い切り引っ張られる。


「いひゃいいひゃいいひゃい!ひゅこーりゅ、いひゃいっひゅ〜!」
「誰の所為だ?」
「……おりぇのひぇいっひゅ……」


 不機嫌の極みのような低い声音に、冴え冴えとした青灰色で凄まれて、ティーダは蚊の鳴くような声で答えた。
自業自得である事を自覚していると言うティーダに、スコールは溜息を一つ吐いて────もう一度ティーダの頬を引っ張る。
痛いっス〜!とティーダの情けない声が響いた。

 そんな二人を眺めていたヴァンが、ぽつりと呟く。


「素直じゃないよな、スコール」
「ま、それがスコールだからな」


 仕方ないだろ、と肩を竦めるジタンに、ヴァンも頷く。

 今現在、待ち惚けの苛立ちをぶつけるように幼馴染にお仕置きをしている彼が、内心でひっそりティーダの事を心配していたのは、ヴァンとジタンの二人にはお見通しの事だ。
スコールは感情や思考が表に出にくいタイプだが、付き合いの長い人間や、観察眼に優れた者なら、スコールが考えている事はすぐ判る。
彼の青灰色には、彼が思っている以上に、感情が映し出されるのだ。
だからヴァンもジタンも、平静とした表情の裏側で、一向に姿を見せない幼馴染にやきもきしていた事が直ぐに判ったのだ。

 もう勘弁して、と半泣きで訴えるティーダに、スコールがようやく頬を抓る手を離す。
ティーダは赤くなった頬を摩りながら、悪かったよ、ともう一度スコールに謝った。
それを受けて、スコールがふい、と視線を逸らす。


「────……それで、どうして急に呼び出したんだ」


 ティーダから目を逸らしたまま、スコールが問う。
すると、ティーダはころりと表情を明るいものに変えて、抱えていたボードを三人に見せた。


「これ!」
「おっ、Tボードじゃん!」
「……随分懐かしいもの引っ張り出して来たな…」
「Tボード?」


 自慢げに見せたティーダにジタンが食いつき、ヴァンが反芻して首を傾げる。


「知らないのか、ヴァン。今バラムで流行ってるんだぜ」
「んー……?」
「……ま、お前はそんなモンだろうな」


 ヴァンは流行に興味がない、と言うか、マイペースな性格の所為か、周囲から漏れてくる情報に対してあまり執着を持たない。
周りが盛り上がっている事があっても、自分が興味がなければ、その内容について問う事も殆どないのだ。
スコールも似たようなもので、ティーダがあれこれ流行について話をする事がなければ、自分の興味の世界だけに引き籠っている事が多い。

 ヴァンがじっと、ティーダの抱える板───Tボードを眺める。
上下左右と眺めてから、地面に向けている後部───テール部分に小さなエンジンが装着されている事に気付いた。


「これ、走れるのか」
「うん。っつか、今さっき乗って来たトコっス」
「あ、そうか」


 ティーダが此処に到着した時、彼はボードの上に乗って地面すれすれの宙を滑っていた。
それを思い出して、ヴァンがそうだった、と手を打つ。

 バラムで現在流行っているTボードは、見た目はスケートボードと酷似しているが、板の裏側に車輪が取り付けられていない。
Tボードは、板を加工する際、防腐剤やデザインの為の顔料に、粉末状に砕いたレビテト魔石、グラビデ魔石などの重力魔石を溶かして吹き付けており、これにより板───デッキ部分を常時空中に浮遊させている。
そして、テールに装着された小型エンジンで揚力を起こし、前進させる事で、宙を滑るように移動する事が出来るのだ。
移動中は地面にローラーを接着させているスケートボードと違い、常に宙に浮いている為、スケートボードよりも乗りこなすのは難しいと言われている。
反面、地面の環境に左右される事が少なく、階段などの段差もスムーズに移動する事が出来、スケートボードと同様───若しくはそれ以上のアクロバットパフォーマンスも可能になると言われ、スケートボードに成り代わる形でバラムで人気を集めていた。

 ティーダがTボードを持っていた事は、スコールも知っていた。
三年前───まだスコールとティーダが中等部生だった頃、スコールと同じ孤児院出身のゼル・ディンがTボードに乗っているのを見て、ティーダが羨ましがったのが切欠だった。
あれいいな、格好良いな、と言うティーダの呟きを、偶然帰って来ていたジェクトが聞いており、翌日にジャンクショップに連れて行ったと言う経緯がある。
当時、ティーダは今と変わらず父に対して頑なな態度であったが、その時ばかりは満面の笑みを父に見せていた。
それから暫く、ティーダは毎日のようにTボードの練習をしていたのだが、ブリッツボール部が大会前の猛練習に入ると、ティーダの意識も其方にシフトし、それ以降は物置の中で眠りにつく事となった。

 約二年振りに日の目を浴びたティーダのTボードは、被っていた埃も綺麗に拭かれ、所々デザインの着色が剥げかかっている所はあるものの、ほぼ新品同様の輝きを見せている。
二年の居眠りから叩き起こされたエンジンも、ジャンクションショップで調整したのだろう、きらきらと銀光を反射させていた。

 流行りアイテムを前にしたジタンの瞳が、きらきらと輝く。


「お前がTボード持ってるとは意外だな。ブリッツ以外興味なさそうなのに」
「ンな事ないっスよ。スコールじゃあるまいし」
「なんで俺の名前が出るんだ」
「カードしか興味ないじゃん、スコールって」


 ヴァンの言葉に眉根を寄せたスコールだったが、的を射ているのは事実であった為、反論は出来なかった。
無言でヴァンを睨むスコールだったが、ヴァンは相変わらずTボードを眺めており、友人の視線に気付く様子はない。


「で?わざわざコレ見せて自慢する為に、オレ達を呼び出したのか?」


 一頻りTボードを眺めて観察した後、そう言ったジタンに、ティーダはにーっと笑ってみせる。


「ま、それもなくはないんスけど。折角だから皆で楽しもうと思ってさ。ジタンもTボード乗ってみたいって言ってたじゃん」


 それは、三日前の昼休憩での会話の事だ。
最近、テレビで何かと取り上げられるTボード及びそのパフォーマンスに魅せられたのは、ティーダもジタンも同じ。
ジタンの場合、テレビのパフォーマンスを見て黄色い声を上げる女子の存在も付け足して置こう。

 流行もあって、ジタンもTボードを欲しがったが、今月好きな物を買うのはクジャの番だったから、早くても一ヶ月はお預けと言う事になる。
クラスの誰かに借りて練習しようか、とジタンが呟いたのを聞いて、ティーダは自分の物置に眠るボードの事を思い出した。
探してみれば、埃に塗れてはいたものの、きちんと残っていたので、これを皆で共有しようと思い至ったのである。

 ほら、と言って差し出すティーダに、ジタンが感動したようにティーダを見上げる。
嬉しさを隠せないブループラネットに、ティーダもくすぐったそうに笑う。


「ありがとよ、ティーダ!持つべきものはやっぱり友達だな!」


 ジタンはそう言ってTボードを受け取り、デッキを地面と平行にして足元に置いた。
手を離すと、ふわ、とデッキが浮き上がる。


「これ、このまま乗ればいいのか?」
「乗ったら急に進んだり?」


 低空で静止しているボードを見下ろして、ジタンとヴァンがティーダに尋ねる。


「急に動く事はないっスよ。エンジンスイッチ踏まなければだけど。今はホールドにして反応しないようにしてるから、普通に乗って大丈夫っス」


 ティーダに言われて、ジタンがそれじゃあ、とデッキを踏む。
ぐっと体重をかけると、デッキが不安定にゆらりと揺れたが、ジタンは危なげなく両足を乗せる事が出来た。


「おー」
「スケボーと違うか?」
「だな。結構安定しちゃいるんだけどさ、なんて言うんだろ、浮いてる感って言うか。あるんだよな」
「ふぅん。な、俺も乗りたい」
「おう」


 ジタンがTボードから下り、今度はヴァンが乗る。


「おー、面白い」
「だろだろ?」


 デッキに足をついている筈なのに、足元を漂う浮遊感。
魔法実技の授業でレビテトを使用した事はあるが、自分の意思で浮遊するのと、意思と関係なく浮遊しているのとでは、やはり感覚が違うように思う。


「スケボーと一緒で、自分で地面蹴って進めるっスよ。最初は其処からっスね。二人とも、ちゃんとバランス取れてるから、簡単だと思う」


 ティーダの言葉を受けて、ヴァンが片足を地面に下ろし、爪先で軽く地面を蹴ると、すぅ、とTボードが前進した。
おー、とヴァンの声がして、ジタンがそれを追い駆ける。
ティーダも後をついて行き、スコールもそれに続いた。


「Tボードって階段とかも通れるんだよな」
「うん。でも、スケボーと違って、ガタゴトしないだろ?階段とか坂道とかでも一緒だから、急にガクッてなる事あるんだ」
「ふぅん」
「何かに引っ掛かってブレーキがかかるってのもないから、気ぃ付けてな」


 ティーダの言葉が終わった直後、Tボードに乗っていたヴァンの身体がぐらりと傾いた。
足場であるデッキが突然角度を変えた為だ。


「いてっ!」
「あーあ、言った傍から……」


 尻餅をついたヴァンの隣で、ティーダが眉尻を下げる。
彼らの足元はこんもりとした小山が出来ており、ヴァンはちょうど下り坂に入った所でバランスを崩したのだ。

 プレイヤーを失ったまま、Tボードが滑って行く。
それをスコールが追い駆けて、足を引っ掛けて止めた。


「ティーダ、リーシュコードはどうした」
「持ってるっスよ」
「それなら、最初に取り付けろ。スケボーと違って、レンガ道でも芝生でも、直ぐには止まらないんだぞ」


 スコールに言われて、ティーダは愛想笑いを浮かべる。
そんな幼馴染に、スコールは判り易く深い溜息を吐いた。

 地面に座り込んだままのヴァンが、聞き慣れない単語に首を傾げる。


「なんだ?リーシュコードって」
「流れ止めだ」
「流れ止め?」


 最低限の説明だけをしたスコールに、ヴァンが反対側に首を傾ける。
ティーダは、ポケットから透明ビニール袋に入った紐を取出し、Tボードに取り付けながら解説する。


「さっきも言ったけど、Tボードって、進み出したらそのまま行っちゃうんだ。それってさ、危ないだろ?下り坂とか、エンジン使ってる時とか、誰も乗ってないのにそのまま突っ込んで行っちゃう事もあるんだよ。で、その防止の為に使うのが、リーシュコードって呼ばれるロープなんだ」


 ティーダは、ロープの端をTボードのノーズ───デッキ前部───の裏側にある留め具に通し、反対端を自分の足に結び付ける。
バインドを締めて、緩まないように固定すると、ティーダはその足でボードを軽く蹴った。
すぅー……と音なく進んだTボードは、ロープ一杯の長さ────人の歩幅程度の距離で止まる。
これを付けて置けば、勢いがついた状態で乗っている人間がデッキから放り出されても、ボードだけが走り続けると言う事はない。

 本来なら、使用する際は必ず装着しておかなければならない。
それをスコールが言うまで忘れていたと言う事は、ティーダは、家からこの広場に来るまで、リーシュコードなしでTボードに乗っていたと言う事になる。
判り易く顔を顰めて睨むスコールに、ティーダは頬を引き攣らせて愛想笑いを浮かべた。


「もうしないって。ちゃんと気を付けるよ」
「………次やったら、ジェクトとレオンに言って、取り上げるからな」
「はーい」


 間延びした返事をしたティーダに、スコールは溜息を一つ吐いたが、それ以上は何も言わなかった。

 ティーダが足に巻いたリーシュコードを外し、持ち上げたTボードをジタンに見せる。


「んじゃ、取り敢えずジタンから乗ってみる?」


 俺が教えてあげるっス、と言ったティーダに、ジタンがガッツポーズではしゃいだのは言うまでもない。