潮騒の初め レオン編


 漁業組合の人々が新年に集まり、一年の抱負を語り合っている所へ、レオンも加わらせて貰った。
組合の中でも重鎮と呼ばれるような、ベテラン漁師や代表を務める人々が集まっている所で、若輩である自分が加わる事に些かの抵抗はあったものの、席まで用意されては流石に断る訳にはいかず、ほんの少しの時間ではあるが、レオンも火鉢を囲む輪に加わった。

 昨年の漁獲量や、新年の海の様子について話し合うのを、レオンはじっと聞いている。
漁師ではないレオンにとって、彼らの話は半分程度しか理解できないのだが、それでも、聞いているだけでも人々は満足そうにしてくれる。
曰く、最近の若者は漁師を目指すものが少なく、後継者不足の問題も出ている中で、レオンがこうして漁業に関心を持ってくれる様子が嬉しいのだと言う。
レオンが気に留めてくれるのであれば、彼に憧れているバラムの若者達の中から、漁業に興味を持ってくれる者も現れるかも知れない。
─────そんな想いの中から、こんな事を口に出す者もいる。


「なあ、レオン。お前、良い腕持ってるんだから、SEED止めて漁師になれよ」
「おいおい、レオンは世界で引っ張りだこのSランクSEEDだぞ。そう簡単に止められんだろ」
「だからこそ、って言うもんさ。SランクSEEDが突如引退、漁師の道へ!話題になるぞ」


 朝から酒を飲んでいると言う、白髪の混じったベテラン漁師の言葉に、レオンは苦笑するばかり。
なあどうだ、と寄り掛かって来る漁師に、レオンは考えておきますと曖昧な返事をするのが常だった。

 絡み酒の漁師を、他のベテラン漁師が引っ張って、レオンから離す。
放って置くといつまでも絡み続け、レオンもそれを振り払おうとしないからだ。


「ほら、レオン。お前、他にも行く所があるんだろう」
「はい。じゃあ……すみません、お先に失礼します」


 促す初老の漁師に甘え、レオンは席を立った。
脱いでいたジャケットを着直して、組合の寄合所を後にすると、バス停へと向かう。

 バラムの街の入り口傍にあるバス停は、いつもよりも人で溢れている。
しかし、スコール達が水神の参拝に向かった港よりはマシな方だろう。
バラムで水神として祀られている海竜の石像は、港の端にしか置かれていない為、参拝客は皆そこを目指す。
いつもはバラムガーデンで日々を過ごす生徒や、街の北にあるミッドガル社のビル内に住んでいる社員達も参拝に来るので、今日は島民の殆どが港に集まる事になる。
レオンも後で参拝に行くつもりだが、人の多い今の時間は避けて、落ち付くであろう夕方頃に向かう事にしている。
それまでに、一通りの挨拶回りを済ませておくのだ。

 バス停にガーデン行きのバスが到着する。
鮨詰めになっていたガーデンの生徒や教員達がぞろぞろと降りてくる。
それと擦れ違いにレオンがバスに乗ろうとすると、レオンの存在に気付いた生徒達が黄色い声を上げた。


「レオンだ、レオン!」
「うそー!なんでバラムにいるの!?仕事じゃないの!?」
「やだー!私、化粧してなーい!」


 きゃあきゃあと悲喜交々の悲鳴を上げる女子生徒と、負けず劣らずざわめいている男子生徒。
レオンはそんな後輩達に手を振って、バスに乗り込んだ。

 発進したバスの乗客は、レオンを含めて数名しかいない。
水神の参拝に向かった生徒の多くは、折角街に出たのだからと、少し遊んで帰るのだろう。
港には参拝客を当てにした出店が並んでいるし、街に住んでいる友人もいるだろうから、直ぐに寮に帰るのは勿体ない。
恐らく、レオンが挨拶回りを終えて街に帰る頃には、逆にガーデンに戻る生徒でバスが埋まるのだろう。

 卒業して以来、年に二度、通るか通らないかと言うバスでの通学路。
車窓から望める窓をのんびりと眺めていれば、あっと言う間にバスはガーデンの校門前に到着した。
街へ向かう生徒のピークは過ぎたのか、静かな校門を潜り、カードリーダーへ向かう。


「────ん。おお、お前さんか」


 カードリーダーの傍で守衛を務めている老人が、レオンに気付いて声をかけた。
この老人は、ガーデンが設立された頃からカードリーダー横の守衛を務めている。


「お久しぶりです。明けまして、おめでとうございます」
「ああ、おめでとう。お前さん、今年はもうちぃとガーデンに顔を出すんか?学園長がえらく気にかけとったぞ。忙しいのは良い事だが、たまには顔を見せて安心させてやらんといかんぞ」


 老人にとっては、ガーデンの生徒は須らく、自分の孫のようなものだと言う。
それはガーデンを卒業した元生徒達に対しても変わらず、時折顔を出すOBを見付けては、こうして声をかけてくれるのだ。
世界中で有名なSランクSEEDとなったレオンも、この老人に係れば、まだまだ子供の域を出ない。

 レオンは苦笑して、そうですね、と眉尻を下げて笑う。


「折を見て、もう少し何か、連絡が取れるようにしてみます」
「まだ弟がガーデンにおるっちゅうてもな。やっぱり本人の顔見て話すのが一番ってもんだからな」
「はい」


 老人が差し出した、通行許可のカードを首にかけて、レオンはカードリーダーを通り抜ける。


「学園長は、多分、学園長室にいるぞ。イデアさんも一緒じゃないか。連絡して置くから、すぐ行って良いぞ」
「ありがとうございます」


 老人に見送られ、エントランスを抜けて校舎に入ると、中は静まり返っていた。
人の気配はあるが、其処にいる筈の生徒の殆どがバラムの街に出ている為だろう、聞こえる話し声が少ない。
そんな人のいない廊下を、元気に駆け抜けていくのは、幼年クラスの生徒だ。
ガーデンに残っている教員がいない所為か、廊下を走っても叱る者がいないので、今日は駆け回り放題なのである。
転ばないと良いけどな、と無邪気な子供達を眺めつつ、レオンはエレベーターホールへ向かった。

 上昇するエレベーターの中で、クジャとレックスはどうしているかな、と思い出す。
クジャはモデルの仕事でガーデンにいない事もあるが、レックスはガーデンの事務職員として働いているし、車椅子で生活している彼は、あまりガーデン外に出る事がない。
弟であるヴァンがバラムの崇神参拝に行っている今は、ガーデンの事務局か、仕事がないなら寮でのんびりしている所だろうか。

 後で事務局の方に行ってみるか、と思った所で、エレベーターが停止のチャイムを慣らす。
エレベーターホールを出て、先にある校章の刻まれた扉にノックし、


「ああ、開いてますよ。どうぞ」


 聞こえてきた、齢と人柄の滲む声に、レオンは口元を緩ませた。
失礼します、と断りをして扉を開ければ、数か月ぶりに見る、二人の養い親の顔があった。

 にこやかな笑みを浮かべたシド・クレイマーと、その妻であるイデア・クレイマー。
バラムガーデンが設立される以前、レオンは二人が経営している孤児院で世話になっていた。
ガーデン入学、卒業した今でも、二人はレオンの事を息子のように思ってくれている。


「明けましておめでとうございます、シド先生、ママ先生」
「はい、おめでとうございます、レオン」
「おめでとう、レオン」


 頭を下げて挨拶をするレオンに、シドとイデアは笑みを浮かべて応えた。


「ママ先生、シド先生。これ、どうぞ」
「あら、何かしら」


 レオンが指し出したのは、家を出る時にスコールが持たせた、挨拶先へ配る為の菓子だった。
開けても?と訊ねるイデアに、レオンが頷く。
綺麗な包装紙を丁寧に剥がし、蓋を開けると、小分けにされて袋に包まれた上菓子が入っている。


「ありがとう。後で皆で頂くわね」
「はい」
「さ、貴方も座って下さい。イデア、お茶を淹れて貰えますか」
「ええ」


 どうぞ、と促されて、レオンは学園長室の来客用ソファに腰を下ろす。
卒業した後も、レオンは年に数回、ガーデンの特別講師として訪れる事があるので、来訪するのに特別な緊張はない。
とは言え、卒業してから数年が経っているので、ささやかながら変化も目にする事があり、懐かしさを感じる事はあった。

 ソファの前のローテーブルに、イデアが淹れてくれた紅茶が置かれる。
ほんのりと甘い香りを漂わせるそれに、レオンはそっと口を点けた。


「お口に合うかしら。貴方の好きそうなものを淹れたのだけど」
「美味しいです。ありがとう、ママ先生」
「クッキーもあるんですよ。イデアの手作りです」
「幼年クラスの子にあげたものの残りなの。ごめんなさいね」
「いえ。頂きます」


 幼年クラスの子供に渡したものとあって、差し出されたクッキーは、動物を模した可愛らしいものになっている。
子供の頃に食べたな、と思い出して、レオンは懐かしさを感じながらクッキーを食んだ。


「水神様のお参りには、もう行ったのですか?」
「いえ、まだ。夕方頃、人が少なくなったら行こうと思っています」
「今は生徒達も行っている時間だものね。事故がないと良いのだけれど」
「俺がバラムを出る時には、特に騒ぎはありませんでした」
「そう、良かったわ」


 レオンの言葉に、イデアが頬を綻ばせる。

 シドとイデアは、レオンと向かい合う位置へ、並んでソファに腰を下ろした。


「レオンが新年に来てくれるのは珍しいですね」
「今年は仕事がなかったので。明日の昼には、またデリングシティに行かないといけないんですが」
「あら……警備のお仕事かしら」
「それもありますが、討伐依頼も入っていたと思います」
「気を付けてね、レオン。皆、貴方の無事を祈っているんだから」


 柔らかい声で紡がれるイデアの言葉に、レオンは強く頷いた。
家に残している弟や、離れて暮らす妹の事は勿論、心配してくれるクレイマー夫妻や、嘗て面倒を看ていた子供達の為にも、レオンは無事に帰らなければならない。

 強い光を宿す青灰色を見て、イデアは安堵したように笑みを浮かべた。
白く嫋やかな手が、そっとレオンのダークブラウンの髪を撫でる。
優しい手付きが心地良くて、レオンはじっとされるがまま、イデアの手を受け入れていた。


「サイファー達とは会ったの?」
「いえ。校門から直ぐに此処に来たので。バラムでも誰も見掛けていないし」
「入れ違いになったのかも知れないわね。キスティスとセルフィは、さっきバラムに行くと言っていたから」
「ゼルは昨日からバラムに行っているようですよ。お母さんのお手伝いをするそうです」
「サイファーはどうかしら。まだ寮にいるかも知れないわ」
「寮には寄ろうと思っているんですが……俺が会いに行ったら、サイファーは嫌がるかな。昔からサイファーには嫌われているようだから」


 苦笑したレオンの言葉に、そんな事ないわ、と言ったのはイデアだった。
しかし、嘗てレオンが面倒を看ていた子供達の中で、サイファーが何かと硬質的な態度を取っていたのは確かだ。
偶然会うのならともかく、寮の彼の部屋まで行くのは止めた方が良いな、とレオンは思う。

 レオンの紅茶が半分になった所で、イデアが注ぎ足そうかと言ったが、レオンはやんわりと断った。
養い親の下でのんびりと過ごす時間は好きだが、今日は他にも行かなければならない所がある。


「この後は、どうするの?夕方までは、まだ時間があるでしょう」
「会社の方に顔を出そうと思います。それから、墓参りも」
「ああ────そうですね。私達も、遅くなるかも知れませんが、ご挨拶に行かないと」


 シドの言葉に、イデアが頷く。
そんな二人に、レオンは笑みを浮かべ、ありがとう、と小さな声で言った。




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