潮騒の初め スコール編


 トラビアガーデン大学部女子寮では、現在、新年会の真っ最中だった。
バラムやガルバディアのように、ガーデン周辺に人が住んでいないトラビアガーデンでは、里帰りする生徒は他校に比べると少ない。
里帰りをする予定のあった生徒の多くは、年末の内に故郷へ戻っており、残っている生徒は里帰りをする予定のない者が殆どであった。

 エルオーネはと言うと、年始に戻ろうと言うつもりはあるのだが、年末は寮でのんびりと過ごしていた。
バラムの年末年始は、何処もバタバタとしていて忙しいし、港も水神の参拝客でごった返してしまう。
だから、少し日付をずらして帰郷しようと言う事になったのだ。
これはレオンとスコール、ティーダにも話してある。

 明日の昼には寮を出て、バスで山越えをしてザナルカンドへ向かい、其処から船に乗ってバラムへ向かう手筈になっている。
だから、今日の内に出立の準備をしておいた方が良いのだが、エルオーネはのんびりとしたものであった。
準備と言っても、財布や身分証明になるもの以外は、下着などを持って行けば十分なのだ。
衣服は実家でレオンがきちんと保管してくれているので、本当に最低限のものがあれば良い。
だから、新年会が終わって夜になってから用意を初めても、十分なのだ。

 そんなエルオーネが今現在を過ごしているのは、トラビアガーデン大学部女子寮の談話室だった。
其処にはいつもテーブルや椅子が並べられているのだが、今日はそれらは全て廊下に出され、変わりにカーペットやシーツが床に敷かれている。
新年会に集まった女子寮の生徒達は、其処に座ってそれぞれが持ち寄った食べ物やジュース、アルコール類に舌鼓を売っていた。


「ね、これ、誰が持って来てくれたの?」


 魚介のスープを飲んだリディアの言葉に、エルオーネが手を上げる。


「私。バラム風のスープなんだけど、どうかな?」
「美味しい!ほら、レナも飲んでみて」
「うん」


 リディアが差し出したスープ皿を、桃色のショートカットヘアの少女───レナが受け取った。
こく、と喉が鳴って、レナの目がきらきらと輝く。


「うん、美味しい!これってエルオーネが作ったの?」
「うん。って言っても、出汁は売ってるものなんだけど」
「うちの購買にバラム風の出汁なんてあった?」
「あ、それはね、実家から送って貰ったの。普段はあんまりバラムの味とか気にしてないんだけど、なんかこう、急にバラムのスープ飲みたいなって思う時とかあって。それを兄に言ったら、翌週に届いて」
「早いねえ。愛されてるね、エルオーネ」


 揶揄ように楽しそうに言うリディアに、エルオーネは頬を赤らめてくすぐったそうに笑う。
つんつんとリディアに肘で脇腹を突かれて、やめてよ、と言うエルオーネの表情はとても楽しそうだった。

 レナがスープをリディアに返し、自分の分を椀に注ぎながらエルオーネに訊ねる。


「エルオーネのお兄さんって、確か、SEEDの人だよね」
「うん。血は繋がってないから、本当のお兄ちゃんじゃないけど。私が生まれた時から面倒見てくれてるの」


 セキュリティ会社ミッドガルに籍を置いている、SランクSEEDと言えば、世界的に有名である。
嘗ては英雄と誉れ高い男がその名を代名詞としていたが、昨今ではその名は専らエルオーネの兄を指すものとして使われている。


「何回聞いても凄いよね。SランクSEEDがお兄さんって」
「そうかな?私には、レオンがそんなに凄い人だって思わないんだけど」
「身内からしたらそうかもね。私達はレオンさんの事、テレビや新聞でしか見ないから、なんだか遠い人に思えるもの」


 リディアの言葉に、そう言うものかな、とエルオーネは首を傾げる。
だってエルオーネにとっては、レオンはごくごく身近な存在で、こうして過ごしている今も、無理をしていないかなと心配になる人だ。
確かに一人で何でも出来る程に良く出来た人だけれど、その分、自分一人で無茶をしてしまい勝ちなのだ。
…そんな兄を知っていると言うのが、家族ならではの話であった。

 エルオーネはカクテルの入ったグラスを傾けた。
甘く、口当たりの柔らかい味がじんわりと広がって、腹の奥からぽかぽかと暖かくなる。


「エルはバラムに帰らないの?」
「明日帰るよ。バラムの港、年末から今日までは絶対に混んじゃうと思ったから、ちょっと遅らせたの。船も明日には通常運行になるみたいだし」
「バラムの年越しってどんな感じ?」
「年越しの前の夜にお蕎麦を食べて、朝になったら水神様にお参りに行くの。お参りに行く水神様の像が港にあるから、漁師さんや街の人は、皆そこに行くのね。だから港は凄く混んじゃうんだ」


 バラムガーデンとミッドガル社で過ごす人々も参拝に来るので、街人どころか、島民の殆どが集まるとなれば、当然、港はあっと言う間に容量オーバーだ。

 エルオーネが幼い頃は、やはり港は混んではいたものの、昨今程ではなかったように思う。
バラムガーデンが設立される前は、ミッドガル社は既にあったものの、今ほど大きくはなかった。
水神参拝に向かうのは、バラムの街で生まれ育った人々ばかりだったのだ。
それがバラムガーデン設立から十年以上が経った今、他国からも多くの入学志願者を抱えるようになり、寮生も増えた。
宗教上の関係で参拝に来れない者もいるようだが、参拝とは関係なく、港に並ぶ出店を目当てにする者も増えているらしい。
益々、バラム港の新年は人で溢れていると言う事だ。

 エルオーネは明日、家に帰る前に参拝に行くつもりなので、人ごみに遭遇する事はないだろう。
出店や屋台は、運が良ければ誰かが出しているかも知れない。
ディンおばさんのお鍋はあるかな、と嘗て面倒を見ていた少年の里親を思い出しながら考えていると、


「エル、エル。携帯、鳴ってるみたいよ」
「え?私?」


 ピリリリ、とシンプルな音が鳴っている。
リディアの言葉に、半信半疑で携帯電話を取り出すと、テレビ電話機能で着信が入っている。
電話の受信用に設定した着信音が鳴っていなかったので、発信元が自分であるとは気付かなかった。

 発信元は、弟同様に可愛がっている少年から。
いつもメールか電話なのに、テレビ電話なんて珍しいと思いつつ、ちょっとごめんとその場から退散して、廊下に出てから通話を繋げる。
液晶画面に半年ぶりに見る少年の顔が映った。


『エル姉ー!見える?聞こえてる?』
「うん、見えてる。聞こえるよ」


 相変わらず元気な声を耳にして、エルオーネはくすくすと笑いながら言った。


『へへ。エル姉、あけましておめでとー!』
「うん、あけましておめでとう、ティーダ。スコールは今一緒じゃないの?」
『いるっスよ。ほらほら、スコール』


 画面がくるりと動いて、スコールを映す。
相変わらず顔を顰めている弟に向かって手を振れば、スコールの眉間の皺が僅かに緩むのが見て取れた。


「スコール、明けましておめでとう」
『おめでとう、エル。レオンとはもう連絡はしたのか?』
「ううん、まだよ。レオン、今日は仕事じゃないの?」
『休みになってる。明日の午後には出るみたいだけど』
「じゃあ私と入れ違いになっちゃうね。今日の内に連絡した方が良いかぁ。後で電話するよ」
『…ん』


 微かに頬を赤らめて頷くスコールに、エルオーネはくすくすと笑う。


「スコール。そっち、寒い?」
『…ん。いつもより冷えてる』
『そうなんスよ。トラビアに比べたら大したことないかも知れないけど。そっち、今日も雪っスか?』
「うん。ずっと吹雪いてる。空調のお陰で、ガーデンの中は凄く暖かいけどね」


 窓の外へ目を向ければ、一面の銀世界が広がっている。
外と中とを隔てる分厚いガラスに手を当てれば、それだけで外の冷気がガラスを通じて届いて来るような気がした。

 トラビア大陸の寒さに慣れていれば、バラムなどは真冬でも温暖に感じられるだろう。
とは言え、トラビアガーデンは渡り廊下などの限られた場所を除いて、全面的に壁に守られ、空調によって快適温度で保たれているので、エルオーネがトラビア大陸の気候そのものに慣れる事は殆どない。
トラビアガーデンに留学してから2年が経った今でも、冬の渡り廊下を通るだけで凍えそうなのだ。

 寒いのは嫌だな、等と三人で画面越しに話をしていると、ひょいっ、と画面前に割り込んでくる影があった。
突然液晶画面が真っ暗になったので、エルオーネが目を丸くしていると、


『ヴァン、邪魔っス!』
『なんだよ、怒ることないだろ』
『電話中に邪魔したら誰でも怒るだろ』
『おーい、ティーダ。これ見せるんじゃなかったのか』


 わいわいと一気に賑やかになった画面の向こう。
スコールを真ん中に挟んで、淡い髪と金髪の少年が画面に映る。
その向こうに整列しているのは、水神参拝の人々だろうか。
どうやら、級友達と揃って水神の参拝に出向いて、今は出店巡りをしている所らしい。

 ティーダが金髪の少年に携帯電話を渡し、画面の正面に回り込む。
その手には、緑と青と紫と茶色が混濁した塊を棒に挿したものが握られていた。


『エル姉、これこれ!』
「なあに?……?」


 画面に近付けられたそれを見て、エルオーネは首を傾げた。
きらきらと柔らかい光を放つそれは、飴細工だろうかと思ったのだが、それにしては色が凄まじい。
凡そ食べられるような色ではなく、形も可愛らしい動物を模したものとはかけ離れていた。

 なんだろう、と見詰めていると、ひょいっとエルオーネの視界の端に映る、明るい緑色。
見ると、リディアと、その後ろからレナ、そしてレナの姉であるファリスがエルオーネの携帯電話の画面を覗き込んでいた。


「なんだ、それ。モルボルか?」
「凄いねぇ。ガラスなの?」
『うわっ、なんか一杯人増えたっス!』


 見慣れない女性達の出現に、ティーダが目を丸くする。
エルオーネは眉尻を下げて、ごめんね、と言った。


「今ね、寮の皆で新年会してたの」
『あ、じゃあ俺達、邪魔しちゃった?』
「ううん、大丈夫」
『そっかそっか、良かったー。ども、こんちわー』
「こんにちわ〜。明けましておめでとうございます」
『おめでとーございまーす』


 ほっと胸を撫で下ろすティーダを見て、リディアがエルオーネに訊ねた。


「ねえ、エル。エルの弟ってこの子?」
「うん」
「なんか聞いてた話とちょっと違うね。もっと内気な子だと思ってたんだけど」
「あ、それは違う子の話。ティーダ、スコール映してくれる?」
『ほーい』


 ティーダが少年から携帯電話を借りて、スコールを画面に映そうとする。
しかし、


『スコール、スコール───って、何逃げてるんスか!ジタン、ヴァン、確保ー!』


 相変わらず、勘の良い弟は、見知らぬ人々の前に晒される事を嫌ってか、そそくさとその場を離れようとしている。
それを二人の少年が追い駆けて羽交い絞めにすると、じたばたともがく彼をティーダが携帯に映した。


『真ん中の茶髪のがスコールっス』
「うんうん、判る判る。レオンさんとよく似てる」
「そうなの。そっくりなんだよね、レオンとスコールって」
「でもやっぱり、レオンさんに比べると可愛いね。弟だからかな」
「ちょっと子供っぽそうな感じがするな。レオンさんは兄貴って感じがしてたけど」


 友人達に纏わりつかれ、それでも諦め悪く逃げようとしているスコールだったが、腰と背中にぴったりとくっつかれて叶わない。
ティーダが「そろそろ離して良いっスよ」と言うと、二人はぱっと離れてスコールから逃げた。
解放されたスコールはぐったりとした表情を浮かべ、額に手を当てて深い溜息を吐いている。
その仕草が、兄がよくするものと全く同じだと言う事を、彼は気付いているだろうか。

 くすくすと笑うエルオーネを囲んで、可愛いね、と言う友人達。
携帯から離れた場所にいるスコールには、幸い、聞こえていないらしい。
しかし携帯を持っているティーダには聞こえているらしく、笑いを必死に我慢している声が時折漏れ聞こえていた。


「で、エル。さっきの凄い色の奴は、一体何だったんだ?」


 笑いを堪えて、ファリスがエルオーネに訊ねる。
ああそうだ、とエルオーネも思い出し、笑いを我慢しているティーダを呼んだ。


「ティーダ、ティーダ。さっきのあれ、何だったのか教えてくれる?」
『あ、これっスか?』


 携帯画面に緑と青と紫と茶色が混濁したものが映り込む。
よくよく見れば、それは確かにファリスが言った通り、モルボルの形をしている。


『これ、飴なんスよ。飴細工』
「そっか、今年も飴細工の出店があったんだ」
『そうそう。懐かしくて買っちゃったんス。あ、これじゃなくて他の、普通の飴ね。これは見付けたから買ってみたんだ』


 飴細工と言う言葉に、懐かしいなぁ、とエルオーネは目を細める。
スコールとティーダが幼い頃、毎年の水神参拝の時、お腹が空いた退屈だと駄々をこねるティーダを宥める為に買っていた飴。
最近はそんな子供ではなくなったので、すっかり買わなくなっていたが、久しぶりに目にすると、確かに懐かしさで惹かれてしまう。


「でも、モルボルの飴細工なんてあったかな」
『うーん、昔の事は判んないっス。俺達も初めて見たし』
「あの、それって美味しいの…?」


 くるくるとモルボルの飴細工の棒を回して遊ぶティーダに、レナが恐る恐る訊ねた。
緑と青と紫と茶色が混濁した飴は、とてもではないが美味しそうには見えない。
と言うか、食べ物の色には見えなかった。
増して、モルボルと言う生物の性質を考えるに、とても食べ物とは結びつかない。

 そんな姉とその友人達の考えが判ったのだろう、ティーダはそうなんスよねー、と同意するように頷く。


『で、も。美味いんスよ、ビックリする事に!』
「そうなの?」
「美味そうには見えないけどな…」
「モルボルだもんね」
「何の味がするの?」
『あー…それ、何て言ったら良いのか判んないんスよね…』


 ティーダの言葉に、どういう事?とエルオーネ達が首を傾げる。


『なんか、色んな味するんスよ!リンゴとかオレンジとか、桃とかメロンとか』
「一つ一つ味が違うって事?」
『買ったのはこれ一個だけっス』
「一個に違う味が…?」
「それって美味しいの…?」
『美味いんスよ!ホントホント!』


 嘘を言うような子ではないので、ティーダが言っている事を疑うつもりはないが、やはり心情的には信じ難い。
それぞれ顔を見合わせて首を傾げる姉とその友人達に、ティーダは眉尻を下げ、まぁ信じられないよなぁ、と笑った。


『食べてみないと判んないと思うんスよね、これの凄さ』
「そうみたいだね。明日帰った時にその屋台残ってるかなぁ」
『あったら買ってみたら良いっスよ!本当に美味いから!あ、でもすっげー臭いから気を付けて』
「やっぱり臭いんだ」
「モルボルだもんね」
「どの位臭いんだ?」
『そりゃもの凄く─────うえぇっ!』


 画面の向こうで悲鳴が響く。
ティーダが手に持っていたモルボルの飴を、戻って来たスコールが奪って鼻に近付けたのだ。
ぽーんと放られた携帯電話が誰かの手に受け止められ、スコールとティーダを映し出す。


『何するんスか、スコール!』
『仕返しだ』
『スコールにやったのはジタンだろ!俺じゃないっス!』
『共犯』


 冷たく言い放ち、じりじりと飴を構えて近付こうとするスコールに、ティーダが及び腰で後退する。
追いかけっこでも始まろうかと言う雰囲気の二人に、エルオーネはくすくすと笑いながら、二人の名を呼ぶ。
すると、画面の外側から少年達の声が聞こえた。


『おーい。二人とも、呼んでるぞ』
『携帯ほったらかしにするなよ』
『ごめんごめん。スコール、もう怒るなって。後でホットドッグ奢るから』
『……缶ジュースでいい』


 ティーダが携帯電話を受け取り、精一杯に腕を伸ばして、スコール、ティーダ、二人の友人を一つの画面に映そうとする。


『えーっと。そんな感じで、こっちは楽しくやってるっス』
『レオンも元気にしてる。今、あちこち挨拶回りに行ってる』
「うん。皆の顔見て安心したよ。電話、ありがとうね」


 明日にはエルオーネもバラムに里帰りするのだが、それでも、家族から貰う連絡には安心するし、嬉しいと思う。

 柔らかな笑みを浮かべるエルオーネを見て、スコールとティーダがほんのりと頬を赤らめた。
へへ、と笑うティーダと、恥ずかしそうに視線を逸らすスコールに、二人を挟んだ少年達が揶揄ように頬を突く。


『じゃ、明日、待ってるっス!』
『港まで迎えに行くから』
「ありがとう。寒いだろうから、ちゃんと着なくちゃ駄目よ。レオンにも仕事で風邪引かないように言っておいてね」
『ああ』
『りょーかいっス。じゃ、バイバイ、エル姉!』
「はい、バイバーイ」


 ティーダが手を振れば、二人の少年も同じように手を振る。
同じように、エルオーネと友人達も手を振ってそれに応えた。

 プツン、と通話が切られると、液晶画面もブラックアウトする。
普段、殆ど使用する事のないテレビ電話だが、こうして相手の顔を見て話せる事を思うと、普通に電話をするよりも良いかも知れない。
そんな事を思いながら、携帯電話をポケットに仕舞っていると、


「やっぱり可愛いね、弟って」
「兄貴とよく似てるのに、雰囲気が全然違ったな」
「エルが可愛がるのが判る気がするな」


 レナ、ファリス、リディアの言葉に、エルオーネはくすぐったく感じながら言った。


「ふふ。可愛いよ、スコールもティーダも。レオンもね」


 弟達は、当然の事。
兄の名も其処に連なる事に、其処ばかりは良く判らないと首を傾げる友人達を見て、エルオーネは自分だけが知る兄の可愛らしい姿を思い浮かべるのだった。




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