潮騒の初め スコール編


 モルボルの飴は、味は良いとは言え、やはり匂いが酷かったので、途中からゲーム形式にして食べて消費した。
誰が一番匂いを我慢して食べていられるか、と言う時間計測で勝負をする事にし、息を止めるのは良いが鼻を摘まんでは駄目、食べている所を邪魔しては駄目、と言うルールの下、スタートを切った。
スコールは参加する気などサラサラなかったのだが、友人達がそれを赦してくれる筈もなく、強制参加と相成った。

 勝負の結果は、ヴァンの圧勝。
スコールは10秒持てば良い方で、匂い云々は当然ながら、途中から生理的嫌悪が勝ってしまった。
勝負となれば負けず嫌いが顔を出すスコールであったが、モルボルの匂いには勝てなかった。
ティーダとジタンもかなり粘った方だったが、二人よりも臭物に慣れているヴァンには敵わなかった。
途中、何度も吐きそうになったのは全員に共通して言える事だったが。

 飴がなくなり、棒をゴミ箱に捨てて、ジタンが悔しそうに指を鳴らす。


「ちくしょー、もうちょっとイケると思ったのになぁ」
「俺、鼻可笑しくなったかも知れないっス」
「俺もちょっとおかしくなったかなー。なんか鼻の奥がマヒしてる感じが」
「あんな匂いをあれだけ嗅げば当然だろう」


 早々にリタイアしたお陰か、スコールの鼻は三人が言う程、感覚を失ってはいない。
鼻腔の奥に何か言い難いものが詰まっているような気はするが、残り香染みたものは感じられなかった。
あちこちの出店屋台から漂う胃袋を刺激する匂いの中、僅かではあるが、潮の匂いも感じられる。
リタイアで敗北したのは少々悔しかったが、早い段階であの異臭から解放された事にはホッとしているスコールであった。

 ちなみに、モルボルの飴の写真は、先程ティーダがレオンにメールで送った。
挨拶をしている最中なのか、返信はまだ帰って来ていないが、のんびり待てば良いだろう。
そもそも、夕方になれば彼は帰って来るのだから、その時話題に上るのは確実だ。

 そろそろ周るところを周ったかと、辺りを見回しながら四人で歩いていると、海の方からカァン、カァン、カァン、と鐘の鳴る音がした。
なんだ、と辺りを見回すヴァンとジタンに、スコールがいつもの事だと表情を変えずに言う。


「漁船が戻って来たんだ」
「鐘の音は、右に行くとか左に行くとか、バックするって時の合図っス。連絡船とかでも、出航する時に汽笛鳴らすだろ、あれも同じ合図なんスよ。あれが聞こえれば、同じ方向に曲がってぶつかったり、邪魔し合ったりしないだろ」
「ふぅん。詳しいな」
「…レオンに教わった」
「レオンは市場とかで魚売ってる人に聞いたって」
「あいつ色んな事知ってるな。あっちこっち行ってるし、まぁ当然っちゃ当然か」
「ちょっと見に行ってみよう」


 漁船が漁から戻って来た所など、ヴァンは見た事がなかった。
心なしか弾んだ足取りで桟橋方面へ向かうヴァンに、スコール達もついて行く。

 水神参拝の列程ではないものの、桟橋周辺も人で賑わっていた。
此方には出店はないものの、新年一番の獲れたての新鮮な魚を購入しようと集まっている人がいるのだ。
スコール達はその群衆の隙間を擦り抜けながら、見物客の一番前を確保する。


「水揚げって何処でやるんだ?」
「あそこ。クレーン動いてる」


 きょろきょろと辺りを見回すヴァンに、ティーダが指で差して教える。
大型クレーンがゆっくりと動き、アームが下ろされ、太いロープの繋がったフックが固定される。
アームが上に伸ばされて、滑車がモーターの力を受けて回転し、しばらく経つと、船の陰から大きなザアアア……と水飛沫が上がり、


「うぉおおおおおお!」
「でっけええええ!なんだあれ!」


 露わになった巨大な魚の姿に、港のあちこちから歓声と拍手が怒る。
ティーダとジタンも手を叩いて声を上げ、ヴァンは「おー」と(実にシンプルではあるが)感歎の声を漏らす。

 引き上げられた魚は、実に巨大であった。
クレーンの力を借りなければ水揚げ出来ない程なのだから、遠目に見てもその巨大さがよく判る。
周りにいる人々の二倍、いや三倍はあろうかと言う大きさだ。
その魚は見事なターコイズブルーの鱗に覆われているのだが、その鱗に陽光が反射して、きらきらと虹色に輝いている。
その鱗は薄く光を通して半透明になる性質で、軽くて丈夫、見た目も綺麗だと女性物のアクセサリーにもよく使用される。
そして魚そのものは、しっかりと身が引き締まって脂がのっており、その巨大さから大味ものだと連想され勝ちだが、その実、世界の三大珍味の一つとして世界に名を知られる程に美味と言われている。


「バラムフィッシュだ。新年から、あれだけ大きいものが水揚げされるのは珍しいな」
「あれ!?あれがバラムフィッシュ!?すげえ、あんなにデカかったのかよ!」


 興奮したように尻尾をピンと立たせて叫ぶジタンの隣で、ヴァンも口を開けたまま呆けている。


「初めて見たなぁ。たまに食堂のメニューに出る時に食べるけど、あんなに大きかったのか」
「俺も初めて見た時はびっくりしたっスよ〜。ザナルカンドじゃ、あんなでかい魚いないからさ」


 水槽が設置されたトレーラーに乗せられ、運ばれて行くバラムフィッシュを見送った後、四人は人垣を後にした。


「良いモン見たっス」
「あ、写メ撮っとけば良かった。くそー、うっかりしてたぜ」
「あんなデカいの、どうやって釣るんだろうな」
「釣るのは無理だろう。あれ一匹の為に、色々設備も嵩むらしい」
「それで獲れるか獲れないかなんだろ?博打みたいなもんだなぁ」
「そんな苦労してる人達がいるお陰で、オレ達は毎日美味い魚が食える訳だ。感謝しないとな」
「なんかジタン、良いこと言ってるっスね」
「オレはいつでも良いことしか言わないぜ」
「…どうだか」


 胸を張ったジタンに、スコールを水を浴びせるように言えば、判ってないなと肩を竦められる。

 食べるものは粗方食べ終わったし、見るものも見たし。
ついでに潮風が冷たくて応えるので、そろそろ家に帰ろうと帰路へ向かう。
港に並んだ崇神参拝の列は、ようやくピークを過ぎたのか、スコール達が港に来た時よりも減っていた。
しかし、参拝を終えて出店巡りをする若者はまだまだ多く、港界隈は相変わらず賑わっている。

 バラムホテルの前を通りかかって、スコールはふと、顔を上げた。
景観を守る為、建造物の高さが規制されているバラムの街で、一等大きな建物がバラムホテルであった。
其処には街頭テレビが設置されていて、方角さえ合っていれば、街の何処からでも見る事が出来る。

 テレビに映し出されていたのは、特別編成番組の隙間に放送されるニュース。
どこそこの国でセレモニーが、某国の大統領と国王が会談を、等と言った情報を固い表情をしたアナウンサーが読んでいる。


「バラムの参拝のニュースは、もう流れたのかな」


 スコールと同じようにテレビを見上げていたティーダが言った。
バラムの港に集まる参拝客の様子は、毎年、ローカルニュースで映像と共に放送されている。
しかし、ニュースはバラム港の様子を映す事なく終わってしまった。


「タイミングが合えば、生放送で中継やってたりするんだけどな」
「ニュースだけなら、今朝流れた。昨晩の参拝を映していた」
「あ、じゃあもうないかな。ピークも過ぎちゃったし」


 ティーダは今離れたばかりの港を振り返った。
のんびりと参拝をしようと言う街人は、今からでもちらほら港に向かっているようだが、今から一気に人が増える事はあるまい。
出店は夕方まで並んでいるが、人口密度はこれから緩んで行くだろう。
夕方に参拝に、と言っていたレオンが向かう頃には、ごちゃごちゃとした港の道も、すっきりとしているのではないだろうか。

 家に帰る街人と、港に向かう街人と、ぱらぱらと擦れ違いながら、スコール達は家に向かって歩く。
今日は歩行者が多い事と、主だった店の殆どが休んでいる所為か、車の往来は少ない。

 ざあん、と防波堤の向こうで波が弾ける音がする。


「───今日やる事は、これで大方、済んだけど。あんた達はこれからどうするんだ」


 人気がまばらになった所為か、港にいた時よりも冷気が身に染みる。
首下に滑り込んでくる風を嫌うように、ジャケットの前を閉じながらスコールが訊ねると、ヴァンとジタンは少し考えた後、


「俺はそろそろ帰るかな。兄さん、一人にしてるから。気になるし、お守り渡したいし」
「オレはな〜、どうするかな。ヴァンが帰るなら、オレも帰ってのんびりするかなぁ」
「じゃ、この辺でお別れっスね」


 バラムの街で大きな通りに出た所で、スコールとティーダは家へ、ヴァンとジタンはバス停へと道を分かれる。


「また授業始まったら、宜しくな」
「その前に遊ぶだろ」
「あ、そっか」
「……取り敢えず、宜しく」
「宜しくっスー」
「宜しくー。じゃあなー」


 ひらひらとジタンが手を振りながら踵を返す。
ヴァンも同じように手を振って、バス停へと歩き出した。
ティーダが腕を大きく伸ばして手を振り返し、スコールは遠ざかる友人達を見つめる。

 スコールとティーダは数秒、友人達を見送った後で、向きを変えた。
緩やかな坂を下って家を目指せば、少しずつ波の音が近付いてきて、吹きつける風も強さを増す。
ぶる、と体を震わせたスコールに、ティーダも暖を作るように手を擦りながら言った。


「はー、寒い寒いっ。帰ったら温かいもの飲みたいっス」
「コーンスープが余ってる。もう冷えてるだろうけど」
「温めて!」
「……」


 はぁ、とスコールは判り易く溜息を吐いた。
駄目?と子犬のように覗き込んでくる幼馴染に、もう一つ深い溜息を吐いてやって、仕方がないと言ってやる。
どうせ自分も飲むのだから、鍋に入れたままのスープを温める程度、大した手間ではない。

 コーンスープで温まったら、夕飯の用意をしなくては。
年明けに食べる料理は、昨日からレオンに手伝って貰って作り置きしてあるので、他に用意するものと言ったら、魚介のスープ位のものだ。
それも別段凝ったものを作る訳ではないから、30分もあれば終わる。
レオンが帰って来る頃には、夕飯の用意も一通り揃えて並べて置けるだろう。


「レオン、早く帰って来ないかな。エル姉も」
「エルは明日だろう。あと、ジェクトも」
「親父はもうちょっと向こうにいて良い位っス」
「……新年早々、喧嘩をするなよ」
「それは判ってるよ。判ってるけどさ、あいつが」


 早速始まった父への愚痴に、スコールはこっそりと溜息を吐く。
こういう所は、まだ父親であるジェクトの方が余裕があるのかも知れない。
彼の方も、新年から息子と衝突したくはないだろうから。
とは言え、判ってはいてもお互いに素直になれないのが、この親子の中々厄介な所だ。

 明日、エルオーネを港まで迎えに行く約束はしたが、ジェクトは同じ便に乗っているだろうか。
若しも一緒に迎えに行けるのであれば、スコールだけでなく、エルオーネもいるので、親子が無闇に衝突する事はない筈だ。
ティーダには内緒にして、後で二人に連絡して置こうと決めて、スコールは家の玄関の鍵を開けた。




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